被団協新聞

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「被団協」新聞2012年 3月号(398号)

2012年3月号 主な内容
1面 日本被団協制作「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」完成
認定制度抜本改正の提言を提出 第9回原爆症認定制度在り方検討会
2面 3・11から1年…被爆者の訴え
非核水夫の海上通信91
3面 被爆者が伝えたいこと…DVDに
黒い雨「地域確定困難」 ワーキンググループが報告
「通信」第1号を発行 より多くの参加・賛同を
現行法改正賛同議員署名
4面 相談のまど
被爆者手帳取得の証人さがし
本の紹介

日本被団協制作「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」完成

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完成披露記者会見(2月27日)

 日本被団協制作の「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」(フルカラー印刷)がこのほど完成しました。
 被爆から67年目の今の時点に立って、被爆者が、戦争や原爆を知らない世代の人々にもわかってもらえるようにと企画編集したものです。アメリカによる原爆投下の1945年8月6日9日に始まり今日に至るまでの原爆被害の実相、「ふたたび被爆者をつくらない」との決意をこめた被爆者運動、世界に広がる核被害など、いま被爆者が多くの人に知ってもらい、考えてもらいたい内容がつまっています。
 B2サイズ(タテ約73センチメートルヨコ約52センチメートル)、ポスター仕様の30枚組。ダンボールケース(収納時の厚さ約3・5センチメートル)もついて、頒価は1セット29500円(梱包料、送料込み)です。
 問い合わせは日本被団協まで。


認定制度抜本改正の提言を提出
第9回原爆症認定制度在り方検討会

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検討会にのぞむ坪井代表委員(右)と田中事務局長(左)

 第9回原爆症認定制度の在り方に関する検討会が2月24日午後、厚生労働省会議室で開かれました。前回検討会で、神野直彦座長から、次回から認定制度をどう改善するか具体的に議論したいと提起があり、日本被団協は、認定制度のあり方に関する「提言」を提出しました。
 「提言」は1月の日本被団協代表理事会で決定し、つづく全国代表者会議で確認したもので、現行の認定制度を改め、全被爆者を対象に手当を出し、病状によって3段階で手当てを加算するという内容です。(「提言」の詳細は本紙前号で紹介、全文は日本被団協のホームページで読むことができます)
 厚労省側からは「当面の議論のポイント」と題するペーパーが出されました。「現行制度を前提とした場合の認定基準について」など、現行制度とやり方を踏襲することの確認を求めるかのような内容です。座長からペーパーを中心に議論するよう提起がありました。

これまでの検討会の成果を踏まえた議論を

 日本被団協事務局長の田中熙巳委員は、ペーパーについて「これまで8回の議論を踏まえて、先に進めるポイントとして提案されたか疑問だ」と指摘。原爆症認定をめぐって行政と司法の間に大きな乖離があり、前回会議では、多くの委員から新しい制度をとの意見が出た、日本被団協としても「提言」を出し、集団訴訟弁護団の協力も得て「論点整理」をつくり各委員に郵送しあらかじめ目を通していただいた、それらをふまえて議論して欲しいと求めました。
 また、現行法は被爆者を救済する立場からの国家補償的配慮があると裁判所も繰り返し指摘しており、原爆症認定にあたって行政と司法の乖離や制度の抜本改善を考える際、最も大事な観点だが、ペーパーはまったく触れていない、と指摘しました。

次回、田中委員が「論点整理」提出

 議論では、ペーパーの立場を是とする意見や「科学的知見」についても幅がありベースをどこにおくか、従来型でいいのかとの疑問、行政と司法の乖離をなんとか埋める方法を考えられないか、被爆者の高齢化にどう対応するか、などの意見が出ました。
 座長は、今回の議論をふまえて、さらに論点を整理し、次回、議論を深めたいとし、田中委員が提起した「論点整理」の検討会への正式な提出を確認しました。

3・11から1年…被爆者の訴え

 昨年3月11日の東日本大震災と、福島原子力発電所の深刻な事故が起きてから1年。被災地ほか各地の被爆者の声を紹介します。

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安心できる世へ 被爆体験語り継ぐ
岩手県被団協 三田 健二郎

 3・11の大震災による被害は、家屋損壊等の被害もさることながら、全県的には電気・ガス・水道・通信・交通網の遮断、さらにガソリン・燃料・食料の不足等日常生活全般にわたって長期におよび、困難が大きいものでした。発生直後はわからなかった沿岸部の大津波は、ラジオによって知ることとなりました。
 本県沿岸部の会員9名について、一刻も早く状況を知りたく種々手をつくしたものの、避難先とも連絡がとれずにいましたが、1カ月後に郵便等によってやっと内容が把握できました。
 この間、本会として一番勇気づけられたのは、東友会、日本被団協からの早々の義援金でした。これをできるだけ早期にと、被災の程度に応じて全会員にお届けしましたが、皆さんそのお心づかいに感激一入のようすでした。ここに改めて厚く御礼申し上げます。
 津波の爪跡はまさに原爆の焼け野原を見る思いでした。勿論これは自然災害、原爆は人為災害です。そしてはからずも原発事故による深刻な放射能被害を引き起こしたことは、我々が常々強調してきた核=放射能の恐怖を、全国さらに世界に知らしめることになりました。現在の混迷きわまる状況を見るにつけ、被爆国日本はいったいこれまで何をやってきたのかと、強い憤りを覚えます。
 次世代を担う方々にはこの事故を教訓として、安心できる世の中を築いてほしいものです。そのためにも、我々は可能な限り被爆体験を語り継ぐべきだと思います。

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正確な情報こそ いったい何が回復?
福島県被爆協 星埜 惇

 3月11日の大震災にあたって、日本被団協、東京都被団協を通じて全国の被爆者から暖かいお見舞いをいただき、まことにありがとうございました。
 あの大地震、大津波、そして原発第事故から、もう1年になります。しかし福島では、1年も経っていったい何が回復できたのか、さっぱりわかりません。放射能の被害から逃れて避難している住民は全都道府県に散らばり、昨年7月末の約5万人から、今年1月末にはさらに1万3千人も増え、まだ増えつづけているのです。子どもたちは親しい友と引き離され、県内外の学校・園に転じました。避難所からやっと仮設住宅に移った人たちも、暖かかった浜通りと違う大雪と寒さに震え、防寒対策の遅れに凍えながら、除染も早急な帰宅を促しません。
 3月15日に原発から大量に流れた濃密な放射能は、県北西部にまで届いて汚染を拡げ、住民の生活や仕事を破綻させ、行政の粗雑な公表で風評被害さえ拡延しました。放射線の濃度やその行き先の情報は隠匿されたため、住民は避難先を誤り、転々と移動しなければなりませんでした。
 政府や東電の意図的な情報隠しと情報遅延は、現在も継続しています。原子炉内の現状もわからないのに、炉の事故が収束したなどとよく言えたものです。
 1945年8月、何も知らず大量の熱線・爆風・放射線を浴びて無惨に死んだ人々、何も知らされず濃厚な放射能の満ちた焦土を何日も歩き廻って親戚や友人を探し続けた私たち。
 しかし今の被災者も、低線量の放射線を浴びつつ空虚な放射線量の情報だけ先行し、実際にどういう被害が今襲い、襲おうとしているのか、1945年と同じく、正確な情報は知らされていないのではないでしょうか。

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原爆・原発のツケ 次世代に回せない
宮城県はぎの会 木村 緋紗子

 あの巨大な地震から早いもので1年。全国からの救援金は宮城県の被爆者に分配させていただきました。ここで厚く御礼を申し上げます。
 3・11大震災と津波そして原発事故という未曾有の災害に私たちはみまわれました。宮城県では9806名の尊い命が奪い去られ、行方不明者1000名以上を教えました。その中で被爆者の死者3名、行方不明者1名。震災の影響でその後数名の方が亡くなられました。その方々は「原爆と大震災」人生の中で2度も大惨事に遭ったという言葉を残しています。
 あれから1年たった今、切なく思うことは石巻市の大川小学校。全校児童108人のうち24人しか生存が確認されておらず、13人の教職員の内3人が生存。未来を担う子らを失ったことは本当に痛ましい。この子らが生存者に今後の心構えと生き方を説いてくれた様な気がする。ご冥福を祈らずにはいられません。
 県内の復旧は、徐々に進んでいます。国・県の対応の遅さで充分とはいえませんが、国民の方々の応援で復旧・復興の兆しが見える1年目を迎える事が出来そうです。
 地震と時を同じくして起こった東京電力福島第一原発事故は、水素爆発を起こし、大量に放射性物質を振りまき、地元の人々の環境を変え、県内の生活環境にも大きく影響しています。「原爆」も「原発」もまさに人災。人災は人間の心で生まれるものであり、人間の心で止めることが出来ます。私たちが必要なものは電力であり、原発ではありません。世界の人々の健康と安全を優先すべきです。放射性物質の影響は余りにも重大で長期的です。原爆も原発も放射性物質を撒き散らしているのには変わりない。「低線量被曝」「内部被曝」の影響を考慮した政策が急がれることは間違いありません。
 将来を見通せば、原子力を利用したエネルギー政策に固執するのではなく、放射性物質の恐怖を断ち切り、未来を見据えたエネルギー政策への転換を望みます。
 次世代に原爆・原発のツケを回すことは出来ない。「ふたたび被爆者をつくらせない」ために!

原発立地の愛媛から ―― 原爆と原発は双子の関係
愛媛県原爆被害者の会 松浦 秀人

 先般女川、石巻等を訪問し整備しつつある被災地に立ち、困難はあるが街々は再生するに違いないと確信した。しかし、原発周辺の高濃度汚染地域に人は住めず、残念ながらそれは望めない。
 政府の「収束」宣言にも関わらず、放射性物質はダダモレで周辺地帯の危険性は去ってはいない。放射能汚染は濃淡の違いはあるが日本列島を覆っている。汚染食品による内部被曝の危険は、物流網の発達した日本では全国民の脅威である。
 ところが一群の人たちは原発の再稼動を望んでいる。雇用や営業や自治体財政の不安から、再稼動を願う気持ちは判らなくもない。しかし過酷事故が起これば、近接地域に人は住めず農林漁業の収穫も不可能になる。前記不安の解決は、雇用対策や過疎対策等の充実に求めるべきだろう。
 他方、元防衛庁長官の石破氏など、軍事上の理由から原発推進を唱える人がいる。原発技術は核兵器開発能力に直結し脱原発は潜在的核保有国としての力を失うというのだ。核兵器廃絶を求める被爆者には許せない暴論で、「原爆と原発は双子の関係」と改めて思う。
 昨年10月、四国の原爆被害者の会は四県会長の連名で四国電力に将来の原発の廃炉等を要請した。松山地裁では伊方原発の運転差し止め訴訟が起こされている。原水禁・原水協・反原発市民団体等が結集した「伊方原発をとめる会」は訴訟支援、自治体首長への要請等を行い、私もその事務局の一員である。

被爆地長崎から ―― 福島県民の命を守れ
長崎被災協 廣瀬 方人

 あっという間の1年だった。福島原発事故の行方をはらはらしながら見守っていた。現在も冷温停止状態というだけで何の収束もしていない。
 この1年もっとも心配だったのは、放射能の影響による福島の皆さん、特に若い世代の健康だ。野田総理は「18歳以下の県民全員の健康調査を行なう」と言明したが、18歳以下の県民の医療無料化については「原発事故と直接関係がない医療費まで無料化することになり、国費の投入は理屈が立たない」と見送られた。何ということだ。
 長崎の松谷英子さんの原爆症認定訴訟で「松谷さんの傷が治りにくかったのは放射能を浴びたせいだ」という主張に対して、国は放射能との関係を頑強に否定した。集団訴訟においても国側は「放射能起因性」を持ち出して被爆者を切り捨ててきた。現在もその姿勢を変えていない。
 今回の福島の子どもたちの「医療費無料化の否定」は被爆者切り捨ての理屈と全く同じではないか。福島の子どもたちの健康、それがケガであっても何であっても、放射能と関係があるかないかは何十年も調査を続け因果関係を調べなければならないのだ。ヒロシマ、ナガサキの犠牲に続いて、3度「フクシマ」を出してはいけないのだ。そうでなければ、放射能に苦しめられたヒロシマ、ナガサキの経験は無かったのと同じではないか。
 健康調査と医療費無料化を実現してほしい。

被爆者が伝えたいこと…DVDに

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DVDのジャケット(見開き)

 神奈川県原爆被災者の会は、神奈川県生協連などと「被爆体験を語り継ぐプロジェクト」実行委員会を結成し、DVD『未来へのメッセージ〜神奈川の被爆者が伝えたいこと』を制作しました。
 被爆者は一人ひとりが違った体験と思いをもって、戦後を生き抜いてきました。そうした被爆者の言葉を、映像でより多くの人に見ていただきたいと制作しました。3人の被爆者の証言のほか、原爆投下時の資料映像も収録しています。
 高齢化とともに被爆体験の語り部も減ってきている今、原爆被害を後世に語り継ぎ、「ふたたび被爆者をつくるな」という被爆者の思いを伝えるため、このDVDが役立つことを願っています。
 DVDは、県内の全小学校に寄贈します。希望者には1000円でお分けします。問い合わせはTel.045―322―8689まで。

黒い雨「地域確定困難」
ワーキンググループが報告

 広島の原爆投下後に降った「黒い雨」にともなう国の健康診断特例区域の見直しをめぐって、厚生労働省の有識者検討会のワーキンググループ(WG)は、1月20日の第6回検討会で「黒い雨の降雨地域を確定するのは困難」と報告しました。
 WGは、国の指定地域の約6倍の降雨域を推定した広島市の調査データを解析。「黒い雨体験率」が50%を超した「高体験地域」が現在の指定地域外に6カ所あり、うち4地域は、その町村の一部が大雨地域に指定されているとしながら、「降雨域を確定することは困難」としました。
 降雨域を確定できなかった理由として、爆心地から20キロメートル以遠(「高体験地域」6カ所のうち2カ所)で「データ数が少ない」「60年以上前の記憶」などで「報告の正確性を十分明らかに出来なかった」としています。委員の中から指定地域より広い範囲で「黒い雨」が降ったことは否定できないとの発言があったことも記しています。
 健康への影響について高体験地域と低体験地域を比較すると、高体験地域で有意に精神的健康状態が悪かったとし、このことは「放射能への不安・心配によって説明できる」としています。

◆牧野一見・広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会事務局長の話
 広島市の調査は、黒い雨の体験率を調査したものではない。1973年に県と市が分担して調査した時の体験率より40〜20ポイント低い所もある。そのような解析で降雨域を確定できないというのは間違いだ。本来国が調査すべきだ。
 今後の検討会傍聴により多くの方の参加をお願いしたいし、国会、地方自治体への働きかけを強めたい。

「通信」第1号を発行 より多くの参加・賛同を


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 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は総会後、昨年12月27日、NPO法人の設立認証申請書を東京都に提出し受理されました。順調に行けば4月頃に認証が受けられる見込みです。
 1月には「ノーモア・ヒバクシャ通信第1号」を発行し、正会員と賛助会員に会の動向を知らせ始めました。
 現在は、会への賛同と参加を広げるために団体訪問を進めており、日本生協連、全国大学生協連、日本青年団協議会、原水爆禁止日本国民会議、原水爆禁止日本協議会、ピースボート事務局ほかを訪問。賛助団体になっていただくことや機関紙・誌での会の紹介などを要請しています。
 広島、長崎の既存施設や研究者との連携を図るための訪問活動や、被爆者運動の資料収集のための作業部会(写真)も動き始めました。
 会の直通電話・FAXを設置、ともに03―5216―7757です。

現行法改正賛同議員署名(続報/2月22日現在)

衆議院
木内 孝胤 民主党 東京  9区
青木  愛 民主党 東京 12区
望月 義夫 自民党 静岡  4区
菅原 一秀 自民党 東京 比 例
大口 善徳 公明党 東海 比 例
 
参議院
山下よしき 共産党 比 例 19
(数字は選出年度=平成)

相談のまど
4月から被爆者関連の手当が下がるのですか?

 【問】4月から健康管理手当などの被爆者関連の手当てが下がると聞きました。本当ですか。

*  *  *

 【答】現在国会審議中の平成24年度予算案が成立すると、4月から、被爆者に支給されている健康管理手当などの手当が表のように下がります。
 これは年金にある「物価スライド」という制度のためで、平成23年度にも同様の理由で手当の減額がありました。
 今回の見直しは、平成23年度の消費者物価指数が下がったため、平成24年度の各種手当を改定し、減額するというものです。
 また、過去に特例措置によって減額せずに凍結してあった減額分を、今後計画的に引き下げるための法案が、国会で審議されようとしています。この法案が通れば、今年の10月にも手当額が改定されることになります。詳細がわかり次第お知らせします。

手当 2011年度 2012年度4月見込
医療特別手当 136,890円 136,480円
特別手当 50,550円 50,400円
健康管理手当 33,670円 33,570円
保健手当(一般) 16,880円 16,830円
保健手当(増額) 33,670円 33,570円
原子爆弾小頭症手当 47,110円 46,970円
家族介護手当 21,500円 21,420円
*介護手当額は検討中、葬祭料は変更なし


被爆者手帳取得の証人さがし

 松田(旧姓・磯辺)ヒデさん 昭和3年3月生まれ、長崎県東彼杵郡千綿宿出身。
 松田さんは昭和20年6月から8月の終戦まで、佐世保海軍病院で看護師として働き、8月9日の原爆投下後、海軍病院に運ばれてきた原爆被爆者の治療にあたりました。
 連日の空襲のため治療は病院内の大きな防空壕の中で行なわれました。
 終戦後、女性看護師はすぐに全員解散になりました。当時、佐世保海軍病院で被爆者の治療にあたっていたことを知っている人を探しています。
 連絡先(小林洋子さん・松田さんの長女)=千葉県印西市小林大門下1丁目―14―17 Tel.0476―97―1924(FAX兼用) 携帯090―8004―0331

本の紹介

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『原爆症認定集団訴訟たたかいの記録』

第1巻=報告集(DVD付)/第2巻=資料集
原爆症認定集団訴訟・記録集刊行委員会編
(全2巻セット15、750円。日本評論社=03―3987―8621)
 本書は、「原爆症認定集団訴訟」の克明な記録です。裁判所で、「被爆の実相」がどのように明らかにされたのかを伝えてくれます。付録のDVDには、鬼籍に入られた方たちの懐かしい姿も見られます。大江健三郎さんは、「隅々まで偉大な本」と絶賛しています。被爆者運動に一つの画期をなす「集団訴訟」を検証する上で貴重な本です。
 この「集団訴訟」の背景には、国の不十分な被爆者援護行政がありました。「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」は、「原爆症」認定を想定していますが、政府は、厳しい基準をつくり認定を拒否してきました。放射線の影響を近距離の直接被曝に限定したのです。けれども、被爆者の現実は決してそのようなものではありませんでした。
 裁判所は、残留放射線による内部被曝を無視できないとして、次々と国を敗訴させました。そして、麻生太郎首相(当時)は、被爆者代表と「確認書」を交わし、訴訟の終結、「基金」の設置、被爆者と厚労大臣の定期協議などを約束したのです。
 放射性物質が人体に与える影響は計り知れません。「核」の本質を知り、合わせて、無責任な勢力と対抗するためにも、本書は役立つでしょう。