被団協新聞

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「被団協」新聞2012年 1月号(396号)

2012年1月号 主な内容
1面 被爆国の良心あつめて
非核・不戦の証しを世界に!

2面 現行法の改正を求め全国いっせい行動
各地の街頭で150人が訴え

年頭所感/被爆者のたたかいは道標
大量却下に怒り/原爆症認定を求め新たに7人が提訴 =熊本=
中国電力に要請
3面 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会発足
ノーモア・ヒバクシャを記憶遺産に!
非核水夫の海上通信89
4面 小宮山厚労大臣に被爆者が訴え
5面 自分なりの“継承”見つけたい
7面 中央相談所講習会 原発、第二世代問題も話題に
浜岡原発いらない「人間の鎖」4千人 西川さんがマンガパンフ
風紋/測定器はいきいき
8面 相談のまど

被爆国の良心あつめて
非核・不戦の証しを世界に!

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12月6日東京・植野で街頭署名行動

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 原爆被害への国の償いは、核戦争を起こすな、核兵器をなくせとともに、ふたたび被爆者をつくらせないための被爆者の一貫した要求です。
 原爆被害は、戦争という国の行為によってもたらされました。国が償うのは、当然であると同時に、憲法がうたう政府の行為によってふたたび戦争の惨禍がおこることのないようにする決意の証となるものです。
 広島・長崎いらい、日本と世界の世論は数々の危機を乗り越えて核兵器の使用を阻止してきました。そしていま、核兵器のない世界へ新たな歩みが始まっています。  ところが、日本の政府は、死没者をはじめ原爆被害に対する国の償いをいまだに拒みつづけています。
 高齢化する被爆者に残された時間はあまりありません。被爆国の国会として現行法を請願の趣旨に沿って改正するよう求めます。

1.ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、
  原爆被害に対する国の償いと核兵器の廃絶を
  趣旨とする法の目的を明記すること。
2.原爆死没者に償いをすること。
3.すべての被爆者に償いをすること。


現行法の改正を求め 全国いっせい行動
各地の街頭で150人が訴え

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 現行法改正を求める全国いっせい行動が、2011年12月6日〜9日を中心に全国でとりくまれました。
 6日午前、東京の上野公園前で岩佐幹三日本被団協代表委員、田中熙巳事務局長や埼玉、千葉、東京、神奈川、長野、岐阜の被爆者、諸団体の人たちが「ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!現行法改正を求める請願署名」を訴えたのをはじめ、6日から11日までに、宮城、埼玉、千葉、神奈川、東海北陸、熊本で被爆者、諸団体の人たち150人が街頭から訴えました。東京、山梨では、地元国会議員に賛同署名を要請。請願署名2千筆余、募金3万4千円余が寄せられ、ビラは約2千枚配りました。 【宮城】6日正午過ぎから1時間半、仙台市の繁華街一番町ホーラス前で9人が訴え請願署名135筆が寄せられました。
【埼玉】11日正午から1時間、浦和駅西口で14人が訴えビラ210枚配布し、請願署名95筆が寄せられました。
【千葉】8日午後零時半から1時間、柏駅ダブルデッキで54人が700枚のビラを配り署名232筆、募金2万7千円余が寄せられました。
【神奈川】9日午後1時半から2時間、横浜駅前ジョイナス相鉄口前で18人が訴え、署名185筆、募金1800円が寄せられました。
【東海・北陸ブロック】9日正午から名古屋市内で1時間、愛知、静岡、岐阜、三重4県から16人が参加、ビラ450枚配布し署名47筆、募金千円余が寄せられました。静岡では80円切手付返信用封筒と署名用紙を会員に渡し700筆が寄せられ、三重では240筆が寄せられました。
【熊本】6日午後零時半から1時間、熊本市内のパルコ前で3人が訴え、署名14筆が寄せられたほか会員から501筆が寄せられています。
【東京】都内8ブロックの担当者が地元国会議員(秘書を含む)15人に要請、13日現在3議員から署名が寄せられました。(議員名紹介は次号)
【山梨】全会員に署名用紙を渡し、150筆余が寄せられ、県選出国会議員6人に賛同署名を要請しました。
 このほか、期間中に全会員に署名用紙を届けるなどの取り組みが、各地で行なわれました。

年頭所感/被爆者のたたかいは道標
日本被団協代表委員 岩佐 幹三

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 被爆67年を迎えて、私は自分の見たい初夢を考えました。日本被団協が結成当時に発表した素晴らしい「世界への挨拶」の精神を継承した新しい「世界への挨拶」です。
 昨年の福島原発事故で世界中はあらためて核被害に対する恐怖で震撼しました。それなのに、事故発生の責任国の我が国で、原発の輸出を云々する動きがあります。この姿勢からは事故への反省は全く感じられません。恐ろしいことです。
 いま世界中で起こっている小規模の戦争・武力紛争…自爆攻撃の目標が原発に向けられたらと考えると、身震いがとまりません。まさに“戦争はできない”時代が訪れたのです。日本国憲法九条の精神に従う時です。
 こんな中、国際的に、「国家の安全保障より人間の安全保障を」という考え方が底流として広まり続けていることは、新しい希望の明かりです。
 被爆者が原爆被害とたたかい続けてきた生きざまは、核時代に生きる人類の道標となるでしょう。そんな内容を盛り込んだ新しい「世界への挨拶」をみんなで考える、というのが、私の見たい初夢です。

大量却下に怒り
原爆症認定を求め新たに7人が提訴 =熊本=

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 熊本では原爆症認定集団訴訟を第2次訴訟までたたかい、原告1人を除く勝訴で終結しました。
 しかしその後の申請に対する国の大量却下に怒る被爆者が、2011年1月に5人提訴。8月に2人が追加提訴して、新たな原爆症訴訟を熊本地裁でたたかっています。
 11月18日の第4回口頭弁論では、福島原発事故での深刻な内部被曝に直面しながら国側が「原爆に関しては内部被曝による健康への影響を重視する程度のものでない」としていることを厳しく追及。開廷前の支援集会を地裁前で開催(写真)し、勝利をめざしたたかう決意を固めあいました。

中国電力に要請

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 原子力発電からの撤退を求め12月6日日本被団協の坪井直代表委員ほか広島県被団協の役員が中国電力本店に要請しました。被団協の電力各社への要請はひと通り終了しました。


ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 発足
「受け継いで、さらに」 ―― 大江さんが記念講演

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大江さんによる会設立記念講演

 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会設立総会が12月10日午後、東京の主婦会館プラザエフで開かれ、役員、特定非営利活動法人(NPO法人)化の諸手続きなどを決定しました。原爆被害の実相と被爆者が伝えてきた証言、記録、たたかい、未来へのメッセージなどを世界中の人々が共有し発信できるセンターをつくることは長年の課題となっていました。日本被団協結成55年の年にいよいよ動き始めます。
 設立総会にあたって、呼びかけ発起人の一人、作家の大江健三郎さんが「受け継いで、さらに」と題して記念講演しました。
 総会には正会員、賛助会員など約110人が全国から参加しました。

 役員・事務所
代表理事=岩佐幹三(日本被団協代表委員)、副代表理事=安斎育郎(立命館大名誉教授)、池田眞規(弁護士)、中澤正夫(医師)、理事=有原誠治(映画監督)、大久保賢一(弁護士)、聞間元(医師)、内藤雅義(弁護士)、直野章子(九州大準教授)、芳賀唯史(日本生協連専務理事)、橋本左内(日本宗平協理事長)、舟橋喜惠(広島大名誉教授)、安田和也(公益財団第五福竜丸平和協会事務局長)、吉田一人(ジャーナリスト・杉並区原爆被爆者の会幹事)、伊藤和久(会事務局長)、監事=木村誠(司法書士)、田部知江子(弁護士)
事務所=東京都千代田区六番町15番地プラザエフ6階

ノーモア・ヒバクシャを記憶遺産に! ―― 呼びかけ

 「いったいこの国は、ヒロシマ・ナガサキから何を学んできたのだろう」  ――「あの日」から66年経った3月11日、福島原発事故に遭遇した原爆被爆者たちの心に去来した悔しさ、空しさはいかばかりだったことでしょう。
 今年は、被爆者たちが「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意」を誓い合い、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)を結成して55年を迎えます。この半世紀を超える長い間、被爆者たちは体と心に深い傷を負い、その不安と苦しみの「生」を生きながらも、原爆は人間に何をなし続けるのかを身をもって告発してきました。核戦争の地獄の体験と、被爆者として生きねばならなかった「生」とを通じて、“核兵器は人間と共存できない”、“ふたたび被爆者をつくるな”は命をかけた叫びとなったのです。そして、原爆被害の実相を世界に広げ、核兵器廃絶を訴えてきました。
 それにもかかわらず、数千発の核兵器が地球上に実戦配備され、人類は依然として核戦争の危機に脅かされています。この地球は核の汚染にさらされています。
 被爆者に残された時間はわずかです。被爆者たちの「長い時間をかけた人間の経験」と志を歴史に埋没させてはなりません。
 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニを経験し、そして今、フクシマまでもひき起こしてしまった被爆国の私たちがなすべきこと――それは被爆者が遺してきた原爆被害の実相と、証言、記録、たたかい、未来へのメッセージを確かに受け継ぎ、世界中の人々が共有できる記憶遺産とし、発信しつづけることです。それこそが、〈核の犠牲となった人びと〉と〈未来を生きる人びと〉への何よりの責任の取り方ではないでしょうか。
 そのために、私たちは「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」を発足させることにしました。
 みなさんの会への賛同と、このとりくみへのご参加を心から呼びかけます。

小宮山厚労大臣に被爆者が訴え 第2回定期協議

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協議会に臨む被団協代表
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小宮山厚労大臣(中央)

 厚生労働大臣と日本被団協、原爆症認定集団訴訟全国原告団、同弁護団連絡会との第2回定期協議が、2011年11月18日、厚労省で開かれました(当日の記事は前号で紹介)。協議での久保山榮典さん(埼玉県原爆被害者協議会)と坂本治子さん(東京都原爆被害者団体協議会)の訴えを紹介します。

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久保山さん


戦争被害は受忍できない ―― 埼玉・久保山榮典さん

 私は埼玉県原爆被害者協議会の副会長をしております久保山榮典と申します。
 66年前、長崎市立城山国民学校3年生で8歳の時、緊急避難先の爆心地から2キロメートルの立山町に在る母の実家で原子爆弾に被爆しました。自宅は爆心地から100メートルくらいの浜口町で、住居兼店舗で理髪店を営んでいましたが、原子爆弾で34歳の父と財産の全てを一瞬のうちに無くしました。幸運にも家屋内の床下防空壕で生き残った家族は、貧困と差別にさいなまれる日々をおくってきました。
 当時父は、戦争の激化と共に理髪店はお弟子さん達に任せて、爆心地そばの松山町の町工場で、海軍の弁当箱を造っていました。母方の親せきは男性全員が戦地に行っており、2人の姉妹は他府県に嫁いでいたため連絡が取れませんでした。市内に住んでいた父方の14人の親せきは全員被爆死したため、頼れる人も無く、翌日から父の遺体を探すため、火をくぐり死体を避けながら焼け跡を歩き回り3日目にやっと父の所にたどり着き、4歳の弟の手を引き、郊外から何往復もして集めた薪に火を点けたのは夜でした。いまだやって来る敵機の下で、なかなか焼けない頭を鉄の棒で割きながら、火葬が終わるのに3日かかりました。
 母31歳、私8歳、弟4歳と1歳。私が弟の手をつなぎ母が一人を背負って最初は一緒に行動しましたが、吐血、嘔吐、高熱、下痢、等のため最後は長男の私一人でやらざるを得ませんでした。海軍用の大きな弁当箱2つに遺骨を詰め込み、石室のふたが動かせないため倒れた石塔の影に隠した時が終戦の日でした。その時大きな事をやり遂げた達成感はありましたが、戦争に負け、先が真っ暗で、これで日本は無くなったのだと、その夜母と抱き合いはじめてさめざめと泣きました。
 その後一家心中を真剣に考えていた事があったと後年母に聞かされましたが、このとき以来母が泣いた姿を見たことがありません。その後6年間くらいは祖母の家の3畳の物置小屋で家族4人生活し、雨の日は傘を差して寝ました。
 当時4歳だった弟は原爆症認定被爆者で、長年にわたり食道がん、胃がん、肝臓がんとの闘いの末、もがき苦しみ一昨年68歳で亡くなりました。
 私も20年前に胃がんの手術を行ない7年後に脳血栓を患い、そして先月食道がんの精密検査を行なったときに腎臓がんが発見され、腎臓摘出手術を行なったばかりです。
 原爆被害は持続的、永続的に人間の身体と心に障害を与え続けます。今日も明日の体の健康状態が不安です。被爆当時8歳と4歳だった少年が、66年経った今でもがんに罹患することを体験してみると、今福島で起こっている放射線被害の影響が心配でなりません。
 そして、原爆被害の原因は国の行為によって生じたものであり、被爆者の多くが不安定な状態におかれていることを見逃さないでいただきたいと思います。高齢化が進む被爆者に対する原爆症認定について、裁判の場で争うことのないよう、原爆被害の実態に沿った認定制度に改めて頂く事を切にお願いします。戦争被害は、過去においても未来においても決して受忍出来ない事を申し上げ、お願いの結びとさせていただきます。
 有難うございました。

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坂本さん


裁判しないですむように ―― 東京・坂本治子さん

 東京都北区に住む、坂本治子と申します。
 昭和20年8月9目、長崎に原爆が投下されたとき、私は3歳でした。私は母と弟と一緒に、長崎市大黒町にあった自宅で被爆し、土壁の下敷きになりました。私の被爆者健康手帳には「被爆距離2・3キロメートル」と書いてあります。
 被爆後、金毘羅山に向かって避難しているとき、私は黒い雨に打たれ、8月9日から1カ月くらい、爆心地から1・6キロくらいの場所にある兵舎に避難していました。急性症状について母から聞いたことはありませんが、一緒に被爆した乳飲み子だった弟は、高い熱が出て、目が飛び出して、被爆から1カ月後の9月に亡くなりました。
 戦後は母や祖母から、「虚弱体質になった」と言われて育ちました。学校の授業中に貧血のような症状が出て具合が悪くなることが多く、小学生の頃は、体育の授業をほとんど休んでいました。
 平成20年7月から、甲状腺機能低下症の治療が必要になったので、私は平成22年5月に原爆症認定申請を出しました。
 しかし、1年3カ月も待たされて、今年9月に申請を却下されました。
 厚生労働省の原爆症認定の「新しい審査の方針」を読むと、私の場合は条件をみたしていると思っていました。被爆距離は2.3キロ、しかも、被爆当日から1カ月くらい1.6キロの場所で生活していたからです。
 あとで東友会に聞いて「新しい審査の方針」にある「放射線起因性が認められる」という条件がつけられている病気の場合は、「3.5キロ直接被爆」でも認められていないことを知りました。
 さらに、東友会を通じた申請で、私のように甲状腺機能低下症の人が却下されていることも聞きました。そのお一人は、平成22年2月に2.1キロで被爆した広島の被爆者。平成22年5月と23年5月には2.5キロで被爆した長崎の被爆者、さらに私と同じ今年8月には「橋本病」と診断され、甲状腺機能が低下し治療を受けている広島の1.8キロで被爆した人も却下されたとのことでした。
 大臣におうかがいしたいと思います。私たちに被爆者健康手帳が交付されているのは、原爆の放射線の影響があるからではないのでしょうか。さらに、私の場合もさっきお話しした東京の4人の被爆者の場含も、全員が「3.5キロ以内」で被爆しています。一方で、東京の集団訴訟の判決では3.8キロで被爆し、翌日に入市した甲状線機能低下症の被爆者が、地方裁判所でも高等裁判所でも勝訴しています。
 私たちが原爆症認定申請を提出するとき、被爆したときのことや、その後の病状を書いて、原爆放射線の影響であることを明らかにするよう、求められています。
 私は甲状腺機能低下症のため、うつ病のように落ち込むことがあります。このようなとき、被爆の状態や、その後の人生の中で起こった「被爆したことによる苦しみ」を思い出して書くことがとても辛くて、なかなか申請の準傭がすすみませんでした。このため私の主治医が「意見書」を書いてくださった後、申請書を出すために9カ月もかかってしまいました。
 このような思いで提出した申請が却下されたことにたいして、私は10月末に「異議申立」を提出しました。
 被爆したとき3歳だった私も70歳になりました。私たち被爆者にはもう時間がありません。大臣におかれましては、戦後66年という歳月、原爆放射線への不安を抱き続けて生きてきた被爆者の実情をいっそうご理解いただき、私たちがもう裁判をおこさないで済むよう、いそいで制度を改善していただけるよう、ぜひお願い申し上げます。
 ありがとうございました。

訴えて一言

 戦争を経験していない厚生労働大臣と出席されていた幹部官僚に被爆の実態を聞いて、そして理解していただくことを念頭に訴えたつもりです。感傷的になられた瞬間もあったようでしたが、当日の協議後半の話を推察すると、少しは動いたかな…が実感です。
 今後の折衝や会議その他の行動に、今日一日を有効に反映させて行かねばと思っています。

自分なりの“継承”見つけたい
「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の活動で
八木良広さん(小田原看護専門小学校非常勤講師・32歳)

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 被爆体験の継承とは何か、実際どうすることが継承したということになるのか。被爆者の方々から直接被爆体験や戦後の生活経験を聞いたり様々な集まりに参加したりしている時、原爆手記や自分史、被爆者運動関連の資料などを読んでいる時、それらに基づきながら研究論文を書いたり学会報告をしたりしている時、そして時に家族や友人と会話をしている時、私の頭の中ではこれらの問いが駆け巡っている。自分にとって、しっくりとくるその答えを見いだせていない、というだけでなく、実質的に継承を第一の目的とした活動を自分自身が行なうことができていない、と感じているためである。今回栗原淑江さんより「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」へのお誘いを受け参加を決めたことには、このことが大きく関係している。
 私はこれまで主に被爆者の戦後の生活史と戦後日本社会における原爆問題や被爆者の生活・人生に関する理解のされ方に関心をもち研究を行なってきた。研究過程の中で多くの被爆者の方々と出会い、声に出すことさえ辛い体験や経験を語っていただいただけでなく、彼・彼女らからは、何度となく大きな問いが投げかけられた。被爆体験を継承する意志の有無を問うものや、被爆体験を持たない世代(者)が被爆者の生活・人生に向き合うその方法や問題点に関わるものなどである。その場でそれら問いかけに応答するものの、継承のための行動ができていないという思いがあるために、常に適切に応えきれていないと不全感を抱いてきた。時に上述したテーマで研究すること自体が被爆体験の継承になっていると言われることもあったが、私を満足させるものではなかった。
 このような私がこの会に関わるのは、一つに会の活動を通して冒頭の問いについて考え、それらに対する答えを見いだしたいと思っているからである。目下の活動予定である個人所有の被爆者運動関係資料や書籍等の収集、整理、保存、そして公開といった一連の作業の中で、その時々の時代状況においてどのように被爆者の方々が声をあげ問題に立ち向かっていたのか想像するとともに、考えることは可能だと思っている。
 幸運なことに、この会に関わっている他の方々は、私よりもずっと以前から被爆者の方々に関わってこられた方がほとんどである。この会の活動に尽力するのは勿論であるが、多くの方々から学ぶとともに、やり取りを通して自分なりの継承の在り方を見いだしていきたい。(やぎ よしひろ)

中央相談所講習会 原発、第二世代問題も話題に ―― 四国・九州

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四国(高松)
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九州(福岡)

 中央相談所の講習会が四国ブロックと九州ブロックで開かれました。
 [四国]11月29〜30日高松市で、32人の参加で開かれました。初日は、日本被団協の児玉三智子事務局次長が被団協の現行法改正運動について報告、松浦秀人代表理事が「被爆者として原発事故をどう考えるか」をテーマに報告しました。2日目は伊藤直子相談所理事が、原爆症認定問題と相談活動について報告し、各県の交流を行ないました。
 [九州]12月8〜9日福岡市で開かれ、280人が参加しました。初日は、長崎原爆病院の朝長万左男院長が被爆者の健康問題の現状について、伊藤直子相談所理事が相談活動について、また日本被団協の田中熙巳事務局長が被団協運動について報告。2日目は(1)相談活動、(2)今後の被爆者運動と2世問題、の2つの分科会に分かれ、討議、交流しました。


浜岡原発いらない 「人間の鎖」4千人
被爆者も参加 ―― 静岡

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左から2人目が静岡県被団協の川本さん

 中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の永久停止・廃炉を求める「ひまわり集会in浜岡」が11月26日、市内で開かれ、県内外から4000人が集まりました。
 この集会の呼びかけ人には県被団協の川本司郎会長も名を連ねました。
 集会のあと参加者は「いらない浜岡原発」と書いた横断幕などを持ってパレードを繰り広げ、原発の周囲を取り囲んで花火を合図に4000人がいっせいに手をつなぎ、「人間の鎖」で原発反対を意思表示しました。

西川さんがマンガパンフ

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 本紙「おり鶴さん」でおなじみの被爆者マンガ家、西山すすむさんが、パンフレット『マンガで見る原爆と原発』をつくりました。
 福岡市在住の西山さんは、4月20日から始まった九州電力本店前の原発反対の座り込みに、自作のパネルを掲げて参加しています(写真)。そんな中で自主製作した同パンフ1000部はあっという間に売り切れ、このたびあらたに出版されることになりました。
 B5版30ページ、630円(送料別)。申し込み=新宿区三栄町16 クリエイティブ21 Tel03‐3226‐5290


風紋/測定器はいきいき

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 ◇…福島県飯舘村は阿武隈高地に広がる農業と畜産の里。福島原発から30キロ余で計画的避難区域に指定され、人口6千の村に人影はなく、畑は荒れ始めています。
 ◇…大地震にも耐えた村役場も今は無人の館。その正面玄関前では、大型の放射線測定器が風のまにまに忠実に線量を刻んでいます(写真)。
 ◇…汚染が広がれば、日本はやがて無人の“測定器列島”に…。一瞬の悪夢がかすめました。

健康管理手当の支給期間が切れるのですが…

【問】私は現在、白内障で健康管理手当を受給しています。今年3月で支給期間が切れます。そして3月に白内障の手術をする予定です。
 引き続き健康管理手当を受給するには、どうしたらよいでしょうか。
(男性・70歳)

*  *  *

 【答】健康管理手当は厚生労働省令が定める11障害のうち、どれか一つの病気があれば支給されます。白内障の手術をすると、水晶体混濁による視機能障害(白内障)という「障害」がなくなるため、同手当は支給されません。
 引き続き同手当を受給するには、他の障害で申請してください。
 腰痛や膝痛があって整形外科などで変形性脊椎症、変形性膝関節症など骨の変形をともなう病気で診断書が書いてもらえれば、運動器機能障害として認定されると思います。この場合、健康管理手当の診断書にある「1.固定している 2.固定していない」という欄に、「固定している」と記載されれば、今後更新の必要がなくなります。
 運動器機能障害の他に更新の必要が無い障害は
  ○造血機能障害のうち再生不良性貧血(更新が必要な貧血もあり)
  ○肝臓機能障害
  ○細胞増殖機能障害(がん)
  ○内分泌腺機能障害(甲状腺機能亢進症は更新必要)
  ○脳血管障害(脳出血など)
  ○循環器機能障害(高血圧性心疾患など)
  ○腎臓機能障害(腎炎など)
  ○呼吸器機能障害(肺気腫など)
があります。
 3月に新たな障害で申請して認定されると、引き続いて健康管理手当が受給できます。