被団協新聞

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「被団協」新聞2010年 9月号(380号)

2010年9月号 主な内容
1面 潘基文国連事務総長/広島平和記念式であいさつ
伝えよう世界のすみずみまで被爆の実相を/被団協が広島・長崎で集会
藩国連事務総長に感謝と要請の手紙/日本被団協
2面 希望・65年目の夏/「被爆者の勇気」こそ
現行法改正討議にあたって―現行法改正検討委員会/国家補償を否定した現行法「前文」
韓国原爆犠牲者追悼式/日本被団協代表理事 鹿島孝治
アメリカで被爆証言/富山 太田安子さん
非核水夫の海上通信73
3面 非核三原則の法制化を求める意見書採択/県内あと6議会
東京・三鷹で長崎原爆展/中学生交流も
神戸で原爆展
全国空襲連結成/戦争被害に「国家補償」求め
広島の子どもたちの絵がワシントンDCから本川小学校へ/63年ぶりに里帰り
「語り部」と相談活動活発に/岡山県被団協
「被爆者の会」HP
4面 原爆症認定/条件のひとつに「要医療性」
たずね人
声のひろば
本の紹介

潘基文国連事務総長/広島平和記念式であいさつ

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広島平和祈念式の潘基文国連事務総長(撮影=連合通信)

 国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長が、8月来日し、長崎と広島を訪問しました。それぞれ原爆資料館を見学し、被爆者と対話。6日の広島平和祈念式には国連事務総長として初めて出席し、あいさつしました。

被爆者の勇気で私たちは奮い立つことができた
被爆者が生きている間に「核兵器のない世界」を


 潘事務総長はあいさつの中で、国連事務総長として初めて参加したことについて「参加できたことを光栄に思います。そして今、深い感動に包まれています」と述べました。少年時代を朝鮮戦争のさなかに過ごしたことに言及し「炎上する故郷の村を後にして泥道を山中へと逃れたことが、私にとって最初の記憶の一つとして残っています。多くの命が失われ、家族が引き裂かれ…、後には大きな悲しみが残されました。それ以来、私は一生を平和のために捧げてきました。私がきょう、ここにいるのもそのためです」と語りました。
 そして、「私たちは65年前に命を失った人々、そして、その一生を永遠に変えられてしまったさらに多くの人々に対して哀悼と敬意の念を表するため、一堂に会しているのです」と述べて、さらに被爆者に語りかけました。「被爆者の皆さん、あなた方の勇気と不屈の精神で、私たちは奮い立つことができました」。
 あいさつの最後には、「ここ、平和公園には一つのともしびが灯っています。それは平和のともしび、すなわち、核兵器が一つ残らずなくなるまで消えることのない炎です。私たちはともに、自分たちが生きている間、そして被爆者の方々が生きている間に、その日を実現できるよう努めようではありませんか」と呼びかけました。
 あいさつは英語で行なわれましたが、会場には日本語訳が配布され、参加者は潘事務総長の温かくも力強い声にあわせて読み進み、感動に包まれました。
 あいさつの全文は、和文、英文ともに国連広報センターのホームページで公開されています。

伝えよう世界のすみずみまで被爆の実相を
被団協が広島・長崎で集会

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広島集会の直野章子氏講演

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長崎集会の西岡由香氏の講演

 日本被団協は、8月5日に広島の鶴学園で、8日に長崎の長崎被災協で「被爆65年 見えてきた『核兵器のない世界』‐伝えよう 世界のすみずみまで被爆の実相を‐」をテーマに集会を開きました。会場に、国連原爆展パネルの一部を、国内で初めて展示しました。
 集会ではまず木戸季市事務局次長が、5月に行なわれたNPT再検討会議にむけ52人の代表団を送った被団協のニューヨーク行動について報告。原爆展、各種会議での発言、学校などへの証言活動、国連事務総長や各国代表部への要請と懇談など、出発から帰国までを、コンピュータ映像を使って報告しました。
 後半は、「被爆者から何を受けつぎ、どう広げていくか」をテーマに、広島では九州大学大学院准教授の直野章子氏が、長崎では漫画家で長崎大学・佐賀大学の教壇にも立っている西岡由香氏が講演。直野氏は、被爆者が描いた絵の研究、多くの被爆者からの聞き取りの経験を通して、「証言は語り手と聞き手の共同作業、聞き手は証言の同伴者であり、今日聞いた者が明日は語る側になることで証言は消えることはない」などと語りました。西岡氏は、原爆を扱った漫画を描いた経験を通して、「被爆体験を語ることはできないが、原爆被害を二度と起こさせないという被爆者の思いを受け継ぐことはできる」などと語りました。それぞれ参加者に深い感動を与えました。

藩国連事務総長に感謝と要請の手紙

 日本被団協は、潘基文国連事務総長の来日に際して手紙を用意し、8月5日に長崎で谷口稜曄代表委員が、6日には広島で坪井直代表委員が、それぞれ手渡しました。
 手紙は、はじめに、潘事務総長が5月にニューヨークで開かれたNGO国際平和会議に出席し、その発言の中で市民運動を高く評価したことや、日本被団協が開いた国連原爆展への訪問に感謝の意を述べています。
 被爆者の65年間の苦しみを伝えるとともに、被団協の実相普及の活動を紹介し、今後も国連と協力して世界のすみずみまで原爆被害の実相と核兵器の非人道性を訴えていく決意を伝えています。
 最後に、「潘事務総長におかれましては、国連軍縮特別総会の開催、軍縮教育の充実、2010年NPT再検討会議での合意に沿った取り組みを早急に進めることについて、ご尽力下さいますよう」と要請しています。

希望・65年目の夏/「被爆者の勇気」こそ

 「私は、非常な苦しみに耐え続けなければならない被爆者の方々への尊敬の念を示すために来ました。みなさんは、世界の核軍縮のための力強い協力関係を生み出しました」。
 潘基文国連事務総長は8月5日、長崎の爆心地でこう演説しました。そして、「核兵器が二度と使われないようにする唯一の道は、そのすべてを廃絶することです」と訴えました。
 潘総長はさらに6日、広島平和祈念式でのあいさつを「被爆者の皆さん、あなた方の勇気で、私たちは奮い立つことができました」という言葉で結びました。
 65年目の8月は「核兵器のない世界」へ一歩を進める希望の夏となりました。米英仏代表の記念式初参列もそのひとつの表れです。
 秋葉忠利広島市長は平和宣言で「今こそ日本国政府の出番です。核兵器廃絶に向けて先頭に立つために、まずは、非核三原則の法制化と“核の傘”からの離脱を」と訴えました。田上富久長崎市長の平和宣言も、「非核三原則の法制化」と「核の傘に頼らない安全保障」を呼びかけました。
 核兵器廃絶への道を確実に開くカギは日本の手にあります。ところが肝心の被爆国の首相は「核抑止力」にすがりついて「核の傘」を手放そうとはしません。
 コラムニストの天野祐吉さんが忠言を呈しました。「この(核兵器廃絶)問題では、やはり日本が先頭に立たなければおかしい。いつまでも核の傘の下から「核兵器反対!」なんて叫んでいるのは、カッコ悪いよね、菅さん」(朝日8・11)
 菅首相。まず、ヒロシマ・ナガサキにしっかりと目を向けてください。被爆者の声「ノーモア・ヒバクシャ」に真剣に耳を傾けてくだい。被爆国の首相として腰は、そこで据わるはず。  今こそ「被爆者の勇気」を示すときです。

現行法改正討議にあたって―現行法改正検討委員会
国家補償を否定した現行法「前文」

 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」(現行法)の「前文」は、一読すると格調高い文章に思えますが、実際は、基本懇答申に基づく「受忍論」にしたがっており、被爆者と国民が求めてきた「国家補償」を行なう法律ではないことを示しています。
 1980年に時の厚生大臣に答申された基本懇意見は、戦争被害について「すべての国民がひとしく受忍しなければならない」として「国家補償」を拒否しました。
 「前文」では、原爆被害者が受けた被害全般に補償することを退けながら、生存被爆者が受けた「放射能に起因する健康被害」だけに注目し「他の戦争被害とは異なる特殊の被害である」と強調し、生存被爆者の「特別の犠牲」に対しては措置を講じ、原爆被害者の他の被害、あるいは一般の空襲被害者など他の戦争被害者と差別化してみせるのです。
 このように「前文」は原爆被害全体に対する国の償い=国家補償を否定しています。
 私たちが求めているのは、「ふたたび私たちと同じ苦しみを誰にも味わわせない」という国の証です。国が国民の、市民の戦争被害に正面から向き合うことです。国が戦争責任を認め、国民に与えた被害を償い、未来にわたって同じ被害を起こさない誓いを立てることです。
 補償されなければならない非人間的な被害をつまびらかにし、その被害全体に対する補償を要求していきましょう。

韓国原爆犠牲者追悼式/日本被団協代表理事 鹿島孝治

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鹿島代表理事があいさつ

 韓国原爆犠牲者追悼式が8月6日午前、ソウルで行なわれました。韓国原爆被害者協会会長、駐韓日本大使館公使の追悼の詞に続いて私が被団協の「追悼のことば」を代読。会場には過去最高の数の花輪が飾られ、参加者は約240人でした。
 昼食会に招待され協会の事務所も見学。ソウル支部長の朴さんに付きりのお世話になりました。




アメリカで被爆証言/富山 太田安子さん

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現地の新聞も大きく報道

 アメリカ・ニュージャージーを8月4日から11日、被団協代表が訪れました。現地の平和団体からの要請によるもので、富山県被爆者協議会の太田安子副会長が、長男の幸一さんと共に訪米しました。太田さんは「キリスト教会、イスラム教寺院、街頭など、様々な場所で証言しましたが、みな感動をもって聞いてくれた。涙を流す人もいた。アメリカ人として謝りたいと言った人も。伝えることは大事だと改めて思った」との感想を寄せています。




非核三原則の法制化を求める意見書採択/県内あと6議会

秋田
 秋田では、県被団協が「非核三原則の法制化を求める議会決議・意見書採択のお願い」を県下の全26議会に提出し、すでに20議会が意見書採択しています。
 未採択の議会の中、県議会と秋田市議会(いずれも非核宣言都市、秋田市議会は意見書を一度否決)に7月29日、県被団協の役員2人が直接陳情しました。その模様をNHKが「非核三原則法制化を訴える被爆者」として、全県に放映しました。(秋田・佐藤力美)

ロックバンドライブで被爆証言 大分
 大分市内のライブハウスで8月18日、反戦と平和を訴えるロックバンドライブがありました。
 主催者から、被爆者による証言の依頼があり、大分県被団協の岡田實氏が被爆の実相を語りました。場内に「原爆と人間展」パネルも展示され、静寂の中で熱心に耳を傾ける姿にも熱いものを感じました。広島をはじめ県外のバンドが友情出演した熱いライブでした。(大分・佐々木茂樹)

東京・三鷹で長崎原爆展/中学生交流も

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 三鷹市に長崎平和祈念像の4分の1レプリカが設置されていることもあって、三鷹市と長崎市は友好関係が深く、被爆65年の今年は三鷹・長崎平和事業に取り組んでいます。8月6〜15日長崎原爆展を行ないました。三鷹の被爆者の会役員が交代で説明員として協力。約900人が熱心に見学し、感動を呼びました。
 両市の中学生平和交流も行なわれ、8〜9日の2日間、三鷹市の中学生7人が市長とともに長崎を訪れました。長崎の中・高校生はじめ全国から平和交流のため集まった小・中学生と交流。21日からは長崎市からの派遣団を三鷹市が受け入れ、平和についての意見交換など交流を深めました。(東京・大岩孝平)

神戸で原爆展

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 神戸市原爆被害者の会は「原爆と人間展」を8月5〜10日、神戸市内のギャラリーで開催しました。訪れた人たちは、廃墟の広島・長崎や黒焦げになった少年など、核兵器の恐怖が凝縮されたパネルに真剣に見入っていました。世界世論の高まりの影響か、例年になく多くの入場者がありました。一日も早く核兵器のない平和の世界を次の世代に伝えたいものです。(神戸・松尾正敏)




全国空襲連結成/戦争被害に「国家補償」求め

 全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)が8月14日、東京で結成されました。第2次世界大戦末期に米軍の空襲を受けてから65年。「受忍」を強いられ、苦しみ続けてきた被害者が結集、立ち上がったのです。会場には東京、名古屋、大阪、佐世保など20都市の空襲被害者と原爆被爆者、支援者ら300人超が参加。「空襲被害者等援護法」の制定による国家補償を求め、被害の実相普及と請願行動を全国で展開することを決めました。

広島の子どもたちの絵
ワシントンDCから本川小学校へ63年ぶりに里帰り

 「広島の校庭から届いた絵」広島展示会が7月31日〜8月9日、本川小学校平和資料館で開かれました。これは、1947年にアメリカ・ワシントンDCのオールソウルズ教会から広島の子どもたちに文房具や運動用具などが贈られ、そのお礼として本川小学校の児童が書いた作品(書と絵)が同教会に送られたもので、このたび里帰りしての展示となりました。
 私は1995年に被団協代表として訪米し同教会を訪れ際、これらの作品と出会っていました。今回、地下展示室に額縁に納まって展示された作品たちは、生き返ったように、長い年月を感じさせないものでした。
 31日に同校体育館で開かれた記念式典は、広島市長、絵の作者たち、オールソウルズ教会からロバート・ハーディズ牧師も出席し、盛大に行なわれました。ハーディズ牧師は「原爆によって人類愛が壊された後、子どもたちが人類愛を取り戻した」と述べられました。(西本多美子)

「語り部」と相談活動活発に/岡山県被団協

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 岡山県原爆被爆者会は15の支部で活動しています。写真は6月の総会のもので、毎年約100人の代議員が集まります。総会の中で、前年度の死没被爆者の遺族を招き慰霊祭を行なっています。
 慰霊碑が県中部の高梁市にありますが、今年中に岡山市内護国神社の近くに「岡山県原爆被爆者の碑」を建てることにしています。この県に被爆者がいたことを後世まで伝えたい気持ちです。
 地域の中での「語り部」活動と相談活動を、活動の中心にしています。中央相談所の中国ブロック講習会には、毎年30人余を派遣しています。


「被爆者の会」HP

 ◇…故伊藤明彦さんが収録してきた被爆者の証言がパソコンで聞けるようになりました。伊藤さんは自分も被爆者で、元長崎放送記者。1971年から全国の被爆者を訪ね歩いて収録しました。昨年3月死去。
 ◇…伊藤さんが収録した声を公開したのはNPO(特定非営利活動)法人「被爆者の声」。伊藤さんの意思を継ぐために設立された法人です。
 ◇…伊藤さんが収録した証言は349人で、今回公開されたのは104人の声。残りの方の声も順次公開する予定。
 ◇…伊藤さんが集めた声はホームページ「被爆者の声」で検索してください。

原爆症認定/条件のひとつに「要医療性」

 【問】私は広島で、爆心地から2キロの皆実町で被爆しました。2002年11月に胃がんの手術を受けました。内視鏡での手術でした。
 08年4月に、胃がんで原爆症認定申請をしましたが、今年7月に却下されました。2キロ直爆でがんだったので、08年に出された「新しい審査の方針」で、積極的に認定されるものと思っていました。納得できません。異議申立てをしたいのですが。
*  *  *
 【答】08年から実施されている原爆症認定に関する「新しい審査の方針」では、原爆症と認める被爆状況が大きく拡大されました。しかし、「放射線起因性」と「要医療性」が必要だという条件は変わっていません。
 あなたの場合、2キロ被爆ですから、病気が放射線によるものであるという「放射線起因性」は認められるでしょう。問題は「要医療性」、つまり、現在医療を受ける必要があるかどうかということです。
 がんの摘出手術から5年半後に認定申請されていますね。現時点で胃がんのための治療は必要ないと判断されたのではないでしょうか。
 過去にがんであったということだけでは認定されません。
 異議申立てをされる際には、今も治療が必要であることを証明することが大事です。現在の治療状況を医師に書いてもらい、異議申立て書に添付してください。

たずね人

 三重県在住の富永功さんが、幼いころ長崎で別れた「とし坊」をさがしています。
 とし坊の姓は「からさわ」、名前は「としき」か「としお」。昭和20年3月に母えみこさんと共に神戸から長崎に疎開、えみこさんの実家に同居しており、3歳ぐらいでした。父親はフィリピン・ミンダナオ島ダバオのマツオブラザーズカンパニーに勤務していましたが、現地召集され、戦地で行方不明のままです。
 富永さんはえみこさんのいとこで、当時7歳(小学2年生)。長崎に住んでいました。
 8月9日の被爆でとし坊は母親ほか家族を失って、富永さんと暮らしていましたが、9月上旬ごろ長野県の伯父が迎えにきて引き取られていきました。富永さんは、別れ際に富永さんの手を握って泣き叫ぶとし坊の姿が忘れられず、「もう一度とし坊に会いたい。せめて消息だけでも」との思いでさがしています。長野県原爆被害者の会を通して長野県に問い合わせたところ、被爆者手帳所持者(生存者と死没者)の中に該当する名前はみつかりませんでした。
 「とし坊」について心当たりのある方は、ご連絡ください
 連絡先=〒515‐2623津市白山町上ノ村383‐10 富永功

声のひろば

クイズ応募はがきの「ひとこと」から
 ◆4〜5ページ見開きのアメリカの高校生とお2人の対話の記事が良かったです。今年は例年より原爆関係の本の出版が多いようです。すでに読みきれないほどの数の本を買いました。今年中によみきれるかな?(福岡・49歳・男)
 ◆4ページ5ページ、心して読みました。アメリカ人も「原爆はいらなかった」は、65年の運動の成果と思います。これからもたくさんの体験印刷物を世界に蒔いて、この運動を続けてまいりましょう。(新潟・82歳・女)
 ◆隅から隅まで拝読しています。高橋健さんのコラム、いつもほっとする文章で好きです。(広島・68歳・女)
 ◆被爆者手帳所持者数が毎年発表されます。生存者が0になる日が、遠からず訪れますよね。国はそれを待っているのか…。(広島・82歳・男)
 ◆8月6日朝、娘を学校に送っていきました。車のラジオは、広島平和祈念式の様子を流しています。8時15分、鐘を合図に娘が助手席で黙とうをしていました。(広島・50歳・男)
 ◆原爆被爆者にとり親切な紙面である。(福岡・64歳・男)
 ◆毎月ありがとうございます。主人はザーとしか読みませんが、そのあと私が読んでいます。初めてクイズに挑戦しました。(兵庫・79歳・女)

本の紹介

合同句集『沼杏』
「沼杏」俳句会編

 俳人・黒田杏子氏主宰の俳句会の結成10周年記念句集。会の代表大岩旅人木氏は被爆者で、東友会事務局長、日本被団協機関紙編集委員でもあります。「原爆忌すぎて面影秋深し」など、「原爆忌」と題して24作品を収録しています。
 1800円。問い合わせは〒181‐0001三鷹市井の頭2‐8‐5大岩孝平まで。

創作集『あの日鬼になった』
山田拓民著

 長崎被災協事務局長で日本被団協代表理事の山田拓民氏の創作集が出版されました。「百里の道は長かった」と「ひとりごと」(05年度長崎新聞新春文芸入選作)の2作品を収録しています。
 1400円+税、長崎新聞社Tel095‐844‐5469