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「被団協」新聞2010年 7月号(378号)

2010年7月号 主な内容
1面 被爆者の歴史的役割果たそう/日本被団協第55回定期総会開く
新代表委員に谷口稜曄さん
総会決議 (抜粋)
2面 <談話>「2010年NPT再検討会議で最終文書を全員一致で採択

NPT再検討会議の成功をめざした日本被団協の行動と成果について
日本被団協事務局次長 木戸季市

相談事業の充実を/日本被団協原爆被爆者中央相談所第33回総会
不当判決 原爆症訴訟/岡山地裁で敗訴
意見書採択
非核水夫の海上通信71
3面 非核三原則、現行法改正など厚労省・外務省・政党・団体に要請/日本被団協 中央行動
被団協NY行動を支えた人々
NY共同代表団 生協連代表の声
4面 相談のまど
被害者手帳取得の証人さがし
声のひろば
被爆者運動強化募金のお願い

被爆者の歴史的役割果たそう/日本被団協第55回定期総会開く
核兵器廃絶へ大きな成果/「国家補償」へ法改正運動

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日本被団協第55回定期総会であいさつする坪井代表委員(6月15日ホテルジュラク)

 日本被団協第55回総会が6月15日と16日、東京のホテルジュラクで開催されました。NPT再検討会議での被団協行動が大きな成果をあげた直後の総会は、110人を超える参加者で大いに盛り上がり、すべての議案について活発な議論が行なわれました。

運動の4つの柱確認
 基調報告につづき2009年度の活動報告、決算報告と会計監査報告、2010年度の運動方針と予算、NPT運動に関する特別報告が提案され、いずれも了承、確認されました。また現行法改正要求案も提案され、討論しました。
 今総会の特徴は、改めて被爆者の歴史的役割を確認し合ったことにあります。基調報告は謳いあげました。「私たちは、ふたたび被爆者をつくらない、ふたたび戦争による市民の犠牲者をつくらないための国の証として、原爆死没者への償いを含んだ国家補償の原爆被害者援護法の制定を求めてきました。この要求に対して国は、戦争による市民の犠牲は、国民が等しく受忍しなければならないとして、今日も、頑なに拒否の姿勢をとりつづけています。国民が主権者である民主国家、平和憲法を持つ日本において、市民の戦争の受忍政策を打破することは不可能ではないでしょう」「被爆者の援護に関する現行法の改正を通して、国家補償の被爆者援護法を実現する運動に取り組みます」「原爆犠牲に対する国の補償を実現させる上でも、核兵器のない世界を求める運動を強固なものにする上でも、原爆被害の反人間的な事実=実相の普及は、いよいよ重要になっています」「国際社会は被爆者に核兵器廃絶の道を照らす人々としての活躍、役割を求めています。高齢化に打ち勝って、互いに励まし、生き続ける努力を重ねましょう」。
 この歴史的役割を実現するために、4つの運動の柱を確認しました。(1)被爆65年、原爆被害・戦争被害を繰り返さぬための活動 (2)「核兵器も戦争もない世界」をめざした活動 (3)「基本要求」にそった国家補償を趣旨とする政策の確立 (4)国民の運動と連帯した取り組み、です。

「非核三原則法制化」署名運動などさらに
 原爆症認定問題については、認定件数が増えたものの、却下件数が急増していること、認定と却下の審査の中身が不明であることなどが明らかにされました。今後の裁判についての被団協の態度も問われました。「個々の裁判についての支援は考えられることもあるが、集団訴訟はやらない」という被団協の方針が説明されました。
 また「非核三原則の法制化」を求める国会請願署名と、地方議会の意見書採択運動を、さらにつづけていくことも確認されました。
 最後に新役員が選出され、総会決議および特別決議「被爆65年にあたる2010年のNPT再検討会議の合意と運動の成果をふまえ、核兵器の非人道性をさらに広く世界の人々に訴えていきましょう」を採択して総会を終えました。

新代表委員に谷口稜曄さん

 総会で選出された2010年度役員と代表理事は次のとおりです。
〈顧問〉山口仙二(新)
〈代表委員〉坪井直 谷口稜曄(新) 藤平典 〈事務局長〉田中熙巳 〈事務局次長〉小西悟 山本英典 岩佐幹三 木戸季市 児玉三智子(新)〈代表理事〉服部十郎 木村緋紗子 中村雄子 大和忠雄(新) 鹿島孝治 妹尾要(新) 木場県(新) 奥城和海 木谷光太 山田拓民 長岡和幸 武久熈

総会決議 (抜粋)

 この1年、被爆者運動は大きな成果を上げました。1つは、NPT再検討会議にあわせて、代表団をアメリカに派遣し「ノーモア・ヒバクシャ」の思いを伝え、広げたこと、「核のない世界」を望む世界の潮流を前進させるのに貢献したこと。今ひとつは、原爆症認定集団訴訟で25裁判所で勝訴を勝ち取り、総理大臣と「確認書」を交わし、敗訴原告救済の立法をかちとったこと。原爆症認定では「審査の方針」を2度改定させました。
 今年は被爆65周年。この節目の年に、核兵器廃絶の世論を広げ、高めるため、被爆の実相普及に一層がんばりましょう。
 今年は、基本懇答申30周年。原爆被害への「受忍」を強いたこの答申を粉砕するため、私たちは「原爆被害への国家補償」の要求を掲げてたたかい、施策の前進を実現させてきました。
 空襲被害者などが「被害者への国家補償を」と立ち上がってきている状況と連帯し、現行「原爆被爆者に対する援護に関する法律」を国家補償の法律に改正させるための学習と討論を深め、運動に取り組みましょう。
 私たちは、65年前強いられた仲間たちの死を無駄にさせないため、命ある限り、「核兵器なくせ」「原爆被害に国家補償を」と叫び続けます。

<談話>「2010年NPT再検討会議で最終文書を全員一致で採択―核兵器のない世界の実現に向けての新たな第一歩を歓迎する」
日本被団協事務局長 田中熙巳

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国連本部ロビー原爆展パネルの前で話す事務局長

 2010年(第8回)NPT再検討会議は5月3日に開会され、約1カ月にわたる討議を重ねて、最終日の5月28日、最終文書を全員一致で採択しました。
 最終文書では1995年の再検討・拡大会議と2000年再検討会議での合意内容がどのように実行されたかの検証を行い、NPTの3本柱である核軍縮と核不拡散、核エネルギーの平和利用に関して64項目にわたる行動提起をおこなっています。さらに中東の非核化に関わる提案などがなされています。
 最終文書ではまた、2000年NPT再検討会議の合意を確実に一歩すすめるため、核保有国が2014年までに核兵器削減の具体的な取り組みの総括を行い、2015年の第9回NPT再検討会議で次のステップについて議論することを呼びかけています。
 日本被団協は2010年NPT再検討会議にあたり、締約国の元首あてに要請を行い、その中で、2000年再検討会議の合意を再確認し、さらに核兵器廃絶への確かな道筋を明らかにすることを求めました。最終文書では核兵器ゼロに向けての明確な行程表は示されませんでしたが、確かな第一歩を踏み出すことを参加国全員が合意したことに、私たちは希望を持ちます。核兵器廃絶への核保有国の具体的な行動を強く求めた非同盟諸国や市民社会の声が反映されたといえます。
 核兵器禁止条約について最終文書は、バン・キムン国連事務総長が2008年10月に行った「大量破壊兵器と軍縮」に関する会議での5つの提言への留意を促し、そのひとつが核兵器禁止条約の交渉に言及したものであることを示しています。バン事務総長のこの提言は、日本被団協が国連本部ロビーで展示している原爆展パネルの中で全文を紹介しています。
 NPT再検討会議に向けて世界のNGOが署名や集会など、さまざまな運動に取り組みました。バン事務総長はじめ、ドゥアルテ国連上級代表(軍縮担当)、カバクテュラン議長などがニューヨークでのNGO会合などにも参加し、会議の成功に果たした市民社会の役割を高く評価しました。
 日本被団協が主催した国連原爆展は、NPT再検討会議の関連行事として開催されており、国連を訪問する世界の人々の関心をひきつけています。国連広報局の要望で6月22日まで開催されます。また、日本被団協代表が日本生協連の代表とともにニューヨーク市内の40校を上回る学校で行った証言活動も、今回のNPT再検討会議に関連した市民社会の活動として特記していいでしょう。
 2010年NPT再検討会議の成果をふまえ、日本被団協は、核兵器のない世界の実現への道程を一層明らかにするために、核兵器は、人類と共存できない、非人間的な悪魔の道具であることを世界の隅々に伝え広げる努力を重ねます。

NPT再検討会議の成功をめざした日本被団協の行動と成果について
日本被団協事務局次長 木戸季市

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ドゥアルテ国連上級代表と木戸さん

 08年11月の全国代表者会議に「国連原爆展」開催と被団協代表団を派遣し原爆被害の実相と核兵器廃絶を訴える「2010年NPT再検討会議の成功をめざす運動要綱」を提案、行動は始まりました。
 行動の意義を確認するパンフレットの作成と『被爆者からのメッセージ』アンケート、まとめ、冊子作りが進められました。募金活動も始めました。各県では学習活動などが行なわれました。『被爆者からのメッセージ』作成にはノーモア・ヒバクシャ9条の会の皆さんの多大な協力をいただきました。
 09年5月のNPT再検討会議第3回準備委員会に田中事務局長と木戸事務局次長を派遣、NGOプレゼンテーションで発言したほか、「国連原爆展」の開催について国連関係者の同意を得ました。また現地でのパネル作成と派遣団の世話体制づくりの依頼をしました。パネルの内容検討、国連との交渉、デザイナー、ボランティアとの連絡など地道な準備が続きました。
 日本政府の受忍政策、核政策を変えさせてNPT再検討会議へ行こうと、「非核三原則法制化」を求める国会請願署名と地方議会の意見書採択運動に取り組み、今も続けています。
 そして今年5月、被団協代表団52人(被爆者42人)は生協の代表と14班を組み、ニューヨークを中心に多様な活動を展開しました。
 証言活動では、5月2日のNY行動における木村緋紗子さんの訴えを皮切りに、すべての被爆者が原爆展会場で、また学校、老人ホーム、教会など、40カ所以上を訪問して証言しました。
 原爆展「ヒロシマ・ナガサキから世界へのメッセージ」では、見学者は世界各国から来ていました。アメリカの児童、生徒の集団も熱心に観て「信じられない」と語り、「核兵器の廃絶が人類を救う唯一の道」という被爆者の訴えに、「その通りです」と耳を傾けてくれました。潘基文国連事務総長は会場で田中事務局長にねぎらいの言葉をかけました。『被爆者からのメッセージ』1800部、神奈川の詞画集『忘れられないあの日』500部や折り鶴など、すべて好評で、5月中にはきれいになくなりました。原爆展は成功、大々成功でした。
 各国代表部への要請行動では、ロシア、ブラジル、マレーシア、日本、ニュージーランド、フランス、スウェーデンの代表部を訪ね、被爆証言、核兵器廃絶の訴え、国際条約の制定に向け、NPT再検討会議成功のために尽力されるよう要請しました。また要請書類を会議場入り口で入場者に配り、会議場内と廊下の机上に書類と原爆展案内のはがきを置きました。
 NPT再検討会議の傍聴と各種会議、集会などでの発言では、4月30日と5月1日の国際平和会議、2日のNGO集会、4日のシンポジウム「生存者の叡智」、7日の宗教者会議、そして7日の谷口稜曄さんの発言です。「長崎を最後の被爆地とするため、私を最後の被爆者とするため、核兵器廃絶の声を全世界に」-発言が終わるとフランスの書記官が立ちあがったのを待っていたかのように、参加者総立ちになって拍手が鳴りやみませんでした。こんなことはこれまで国連の会議ではなかったことと言われました。
 代表団の皆さん、支援くださった生協、現地ニューヨーク・サポーターの皆さんに心よりお礼申し上げます。

相談事業の充実を/日本被団協原爆被爆者中央相談所第33回総会

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中央相談所総会で報告

 社団法人日本被団協原爆被爆者中央相談所の第33回定期総会が、6月15日東京のホテルジュラクで開かれました。
 被爆65年の今年、被爆者の平均年齢は76歳を越え、日本の医療・福祉制度も高齢者に厳しいものになっています。そんな中で、被爆者の相談活動は生きる上での困難に対する援助とともに、被爆体験を語り残すことを生きがいにするための援助も大事であることを確認して、相談事業の充実をはかるなど今年度の事業計画を決定しました。
 法人制度の改変にともない、今後の中央相談所のあり方について、ひきつづき日本被団協とともに検討を進めることを確認しました。
 昨年改選された現理事(任期2年)に加え、1人増員の提案があり、承認されました。増員の新理事は伊藤直子さん。



不当判決 原爆症訴訟/岡山地裁で敗訴

 原爆症認定集団訴訟岡山訴訟(原告1人)の地裁判決が、岡山地裁で6月16日にありました。原告側請求は認められず、敗訴となりました。
 判決は、現行の「新しい審査の方針」で否定された「原因確率」に基づく国側の判断を受け入れたもの。被爆当時1歳だった原告が、爆心地から約4キロの自宅で被爆した後、約2週間にわたって救護活動をした母親に背負われていたことなどが考慮されていません。
 7年余りにわたってたたかわれ、25裁判所において原告側が勝利してきた集団訴訟の判例に照らしても、不当なものといえます。

意見書採択

 非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択、5月26日以降6月24日までの被団協への報告分です。
 秋田 =能代市 
 福島 =喜多方市 川俣町 北塩原村 天栄村 
 埼玉 =鴻巣市 
 福岡 =大牟田市 古賀市

非核三原則、現行法改正など厚労省・外務省・政党・団体に要請/日本被団協 中央行動

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厚生労働省に要請

 日本被団協は定期総会翌日の6月17日、中央行動を行ないました。全国の被爆者約70人が参加しました。厚生労働省と外務省、各政党と面談し、総会で決定した活動方針に基づき、非核三原則の法制化、現行法改正などを要請しました。また、団体を訪問し、被団協の運動への協力要請と懇談を行ないました。
 厚労省は、和田康紀被爆者援護室長ほかが対応しました。新方針に矛盾する原爆症認定申請却下について、要請団が具体的事例をあげて交渉。和田室長は「科学的知見に基づいた総合的判断だ」と述べるばかりでした。
 外務省は鈴木秀雄軍備管理軍縮課長ほかが対応しました。鈴木課長は、核兵器廃絶へNGOや市民団体が重要な役割を果たしているとの認識を示しましたが、世界で唯一の被爆国政府としてのイニシアティブについては言及しませんでした。同席した総合計画課大石さんに、国連原爆展の報告書を手渡しました。
 政党は、日本共産党、社会民主党、国民新党がそれぞれ党本部で要請に応じました。
 団体は、日本生協連、日本原水協、原水禁国民会議、地婦連、日本青年団協議会(21日)と懇談しました。

被団協NY行動を支えた人々

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木戸事務局次長を囲むボランティアのみなさん

 5月の日本被団協ニューヨーク行動では、アメリカ在住の日本人の方々が、被爆者サポーターとして、通訳、訪問先の設定、道案内など、大活躍されました。その中から2人の方に感想を寄せていただきました。

遠山京子さん
 20年以上前に被爆者の方にお会いして、私の平和に対する気持ち、核に対する意識が変わりました。今回のボランティアの方々も、人生が変わったと口々に言います。
 被爆者の方々の国連原爆展の通訳のお手伝い、と声をかけ集まったボランティアの数は100人を超え、被爆者の方々の訪問先を作ってくださったお母さん方、英語と日本語をきれいにこなす若い方々が活躍してくださいました。英語はあまり特意でないが、ニューヨーク見物やお買い物ならお付き合いできますという方、このような機会がなければ自分が被爆2世であることを人前では言う気になれなかったとい方も。海外にいるからこそ日本人としての自覚、そしてアイデンティティーを再確認する機会を、被爆者の方々があたえてくださいました。
 我々ニューヨークの邦人も皆様の決意と勇気、命がけの平和への願いを胸に、核兵器のない平和な地球、正義が存在する社会をつくりあげる努力をしてまいります。

オハロラン美紀さん
 通訳ボランティア募集のメールを読んだ時、私の頭にまず浮かんだのは被爆者のことでした。はるばる遠い米国まで時差を超えて旅立ち、慣れない世界で証言を行い、和食やかかり付けの医者からも離れて生活する…これは大変なことだ、と! 私にも通訳としてならお手伝いができるかもしれない、という思いで今回ボランティアとして携わることになりました。
 ボランティアの名簿作成・連絡等、それぞれの方に合うようにパズルを解くのは容易ではありませんでした。でも、何かしらお役に立ちたいという湧き上がる熱意を持たれたたくさんのボランティアが集まったことと、被爆者の方達の少しでも多くの人に証言を聞いてもらおうという意気込みから、私は沢山の刺激とパワーを頂いたような気がします。素晴らしい機会に関われたことにとても感謝しております。みなさん一人一人と触れ合った時間は、一生忘れることができません。

NY共同代表団 生協連代表の声

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ニューヨークでの被団協代表と生協代表

 ニューヨーク共同代表団で、被爆者とともに班行動をした生協の方から感想をいただきました。
* * *
橋野 俊子さん (生協ひろしま)
 広島で生まれ育った私は被爆の実相を色々な場面で聴いて育ちましたが、今回の共同行動で、今まで以上の感動を受けました。それは、ニューヨーク行きの長いフライトの苦痛に毅然と耐えられた姿。また、ニューヨーク近郊の学校を訪問し被爆体験を語られた想い。「原爆の悲惨さを伝え、人としての優しさを伝える」という被爆者の方々共通の想いを実感しました。核と人間は共存出来ないんだと体験を通して話される言葉は、どんな障壁をも越えられる強いメッセージとして、世界の人々に発信される!-行動を共にさせて頂く事で強く感じました。
 「憎しみの中での平和は生まれない!自分たちと同じ想いを二度とさせてはいけない!」との想いを、私自身があらゆる場面で伝えていかなければとあらためて思い、ニューヨークの体験を無駄にしてはいけないと心に強く感じています。

田村 大地さん (長崎大学)
 被爆者の方と共に核兵器廃絶を訴える活動を行なえたことは、とても貴重な体験でした。私は長崎で生まれ育ちましたが、被爆者の方との関わりといえば講演の場くらいのもので、一対一でお話できる機会などほとんどありませんでした。ニューヨークでは被爆体験をじっくり聞くことはもちろん、観光に行ったり一緒に食事をしたりなど、親密な交流をさせていただき、被爆者の方の想いをより感じることが出来ました。
 みなさんがおっしゃっていたことは、私たちの世代に期待している、ということです。これからの社会を作っていく世代としてその想いを真摯に受けとめ、また伝え継いでいくことが使命だと考えています。
 平和な世界に向けて微力ながら頑張っていきたいと思います。

相談のまど― 被爆者手帳を持っていますが、利用したことはありません…

 【問】 つい最近まで現役で働いていました。被爆者健康手帳は持っていますが、制度を利用したことはありません。年金生活に入り、健康にも不安が出てきました。被爆者として受けられる制度を教えてください。
 【答】 まず、被爆者検診を受けてください。年2回の一般検診のほか、希望でさらに2回の検診をうけることができ、そのうち1回をがん検診にすることができます。
 病気で医療機関にかかったときは、保険診療の自己負担分が公費負担となります。
 健康管理手当の支給要件となる11種類の疾病のいずれかにかかっていれば、申請の翌月から毎月33800円を受給できます。
 このほかにも手当や制度、自治体独自の施策などもあるので、お住まいの地域の被爆者の会に連絡を取り、申請の仕方など相談することをおすすめします。

被爆者手帳の取得の証人探し

 石井精一郎さん 昭和2年8月生まれ、神奈川県逗子市出身。
 逗子開成中学校3年のときに志願して、小豆島特別幹部候補生第10教育隊第2中隊第2班に入隊し、教育を受けました。島崎仁さん、岡安康夫さん、井口泰さん、鈴木善弥さん、仁木九潤さん、鹿沼三郎さんの名前を覚えています。
 20年8月6日の原爆投下時は、似島の○レ舟艇班に所属していました。軍命で櫛ヶ浜から船で宇品港に入り、爆心地付近(紙屋町)で救援活動に従事しました。
 連絡先(神奈川県原爆被災者の会・中村)=Tel:045―322―8689

声の広場

クイズ応募はがきの「ひとこと」から
 ◆NPT再検討会議要請団参加の皆さん、支えてこられた皆さん、お疲れ様でした。いい方向にむいていることをよろこんでいます。(東京・57歳・男)
 ◆6月号1ページから8ページまで全部読みました。2ページの田中事務局長の記事は2度読みました。(広島・82歳・男)
 ◆昨年まで勤めていたので、原爆関係の催しに全く出席できずにいましたが、後期高齢者になって職を辞し、今年5月に初めて地元の被爆者の会に出席しました。この会だけでも80人の被爆者がいることで驚きました。会長が被団協の催しでアメリカに渡ったりとか、活動に驚いております。(東京・75歳・男)
 ◆谷口さんの訴えを読んで、あの日の長崎のことが思い出され、涙がとまりませんでした。(鹿児島・77歳・女)

被爆者運動強化募金のお願い

 皆さまの日頃からのご支援に感謝いたします。
 昨年度は、被団協の活動を総合的に支える募金に加え、2010年NPT再検討会議にむけた私どもの運動に対し、たくさんの募金を寄せていただきました。おかげさまで、原爆展開催や代表団派遣などの活動に取り組み、成果をあげることができました。心から感謝申し上げます。
 被爆者は高齢化しましたが、核戦争の体験者として戦争を知らない世代に戦争と核兵器の被害の真実を知らせる役割がますます重要になっていると、今回のニューヨーク行動を通しても深く実感しました。これからも原爆被害者の基本要求である「核兵器の廃絶」と「原爆被害に対する国の補償」を強く訴えてまいります。
 そのためには、みなさまからの寄付金が必要です。今月号付録の「お願い」もご覧いただき、被爆者運動を支える募金へのご協力を、心よりお願い申し上げます。