被団協新聞

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「被団協」新聞2010年 5月号(376号)

2010年4月号 主な内容
1面 非核三原則法制化今こそ
NPT再検討会議の成功を
非核三原則の法制化を求める意見書採択
座標―核廃絶への一歩
2面 入市被爆・肝がんを認定
被爆者の証言を重視
神奈川県原爆被災者の会が詞画集を寄付
非核水夫の海上通信69
3面 片岡 脩 平和ポスター展
わが街の被爆者の会―福岡県被団協
4面 相談のまど―健康管理手当と保険手当、
       あわせて受給することはできますか

被爆者手帳取得の証人さがし
声のひろば

非核三原則法制化 今こそ
日本被団協 署名8万6800人分提出

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民主党・木議員(左)
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共産党・井上議員(右)

 日本被団協は4月13日、国会内で「非核三原則法制化を求める国会請願署名」第1次提出・院内集会を開きました。首都圏の被爆者約40人が参加し、衆・参両院議長あての請願署名8万6802人分を提出しました。

 集会では、山本英典事務局次長が「核密約が明らかになった今、なんとしても非核三原則法制化をかちとろう」とあいさつ。民主党の高木義明衆議院議員、日本共産党の井上哲士参議院議員、公明党の木庭健太郎参議院議員、社会民主党の服部良一衆議院議員が出席して、それぞれ署名を受け取り「非核三原則法制化」への賛同と決意を表明しました。

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公明党・木庭議員(左) Photo
社民党・服部議員(右)

 日本被団協は、署名とともに各政党あての要請書を、各議員に手渡しました。要請書では、5月の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議への期待を述べるとともに、「わが国では米国との間の『核密約』の存在が暴露され、『国是』のはずの非核三原則が踏みにじられていることが明らかにされました。被爆者も国民も騙されていたのです。もはやどのような言い訳もありえません。非核三原則を法制化し、これに逆らう者には厳罰をもって対処するなど、国として断固とした措置をとらねばなりません」と述べ、日本政府が「今こそ非核三原則を法制化して、日本の領土、領海、領空の完全非核化を実現し、これによって北東アジア非核地帯の実現へのリーダーシップをとるよう」、各政党に尽力を要請しています。


NPT再検討会議の成功を/日本被団協が各国政府に要請

 日本被団協は、NPT加盟各国の元首宛の要請書を4月16日、各国大使館に郵送しました。被爆者の核兵器廃絶への思いを伝え、今回のNPT再検討会議成功への努力を求めるとともに、会議期間中、国連ロビーで開催する原爆展に足を運んで被爆者の声を聞くよう求めるものです。同様の要請書を国連の潘基文事務総長にも郵送しました。
 日本政府へは、鳩山由紀夫首相にあてて、4月22日に内閣府に持参しました

非核三原則の法制化を求める意見書採択 110議会こえる

 非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択が、全国で110議会を超えました。被団協は6月議会にむけての運動を呼びかけています。
 3月25日以降4月16日までの報告分です。
 北海道=共和町 秋田=にかほ市 小坂町 羽後町 千葉=八千代市 野田市 東京=調布市 小金井市 府中市 長野=中野市 岡谷市 小諸市 山ノ内町 南木曽町 小海町 佐久穂町 長和町 麻績村 筑北村 生坂村 白馬村 松川村 南箕輪村 小谷村 中川村 山形村 木島平村 三重=いなべ市 長崎=長崎市 大分=玖珠町 熊本=南関町
 山梨では昨年6月から、県被団協が参加する3者懇談会が「核兵器の課題で日本政府に対し、具体的な努力を求める」意見書採択をすすめてきました。採択議会は、山梨県 甲府市 中央市 南アルプス市 北杜市 韮崎市 甲斐市 富士吉田市 都留市 上野原市 市川三郷町 昭和町 増穂町 身延町 西桂町 南部町 富士河口湖町 早川町 鳴沢村 道志村

座標―核廃絶への一歩

さあ、被爆者の出番です

 昨年4月5日、チェコのプラハで「核兵器のない世界をめざす」と歴史的な演説をおこなったオバマ米大統領は今年4月6日、NPR(核態勢見直し)を発表し、非核保有国に対しては核攻撃しないことを宣言しました。またロシアとの間で戦略兵器削減条約(新START)の調印にこぎつけるなど、「核なき世界」への道を着実に歩み始めたように見えます。
 折よく5月3日、核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議の開幕です。今年こそ核軍縮・廃絶への確かな手がかりが得られるのでは、という期待が生まれています。しかし、手放しで喜んではいられません。オバマ演説では、核兵器が完全に廃絶されるまで米国は核抑止力を維持し続ける、とも述べています。2011年の国防予算は削減どころか大幅増額しました。オバマ氏は、核廃絶を掲げながら核抑止力論にしがみつくという重大な矛盾を冒しています。これでは、核廃絶に近づくことはできません。
 「核兵器はどんな理由があろうと使ってはならない絶対悪の兵器。人間と共存できない」(『基本要求』)という立場に立ってこそ、緊急廃絶の主張が成り立つのです。「抑止力」としてでも核兵器の効用を認めたら、どの国も核兵器を手放そうとはしないでしょう。
 核抑止力論を打ち破るものは被爆体験、核兵器の恐ろしさを語り広げる活動です。「核兵器は絶滅兵器」であり、核兵器で守れるものは何もないことを、世界の国々の指導者にとことん理解してもらう活動です。
 さあ、被爆者の出番です。

入市被爆・肝がんを認定
 高松地裁で勝訴

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高松地裁

 原爆症認定集団訴訟高松訴訟(原告1人)の判決が、高松地裁で3月29日にあり、肝がんが原爆症と認められ、勝訴しました。
 原告は被爆当時10歳、長崎の入市被爆で、手帳には「14日入市」と記載されていますが、判決では12日以前の入市であると判断されました。
 昨年8月の集団訴訟終結に関する「確認書」に基づいて原告・被告双方が控訴せず、この判決が確定しました。







被爆者の証言を重視
 東京地裁で10人が勝訴

Photo 東京地裁

 原爆症認定集団訴訟東京第2次訴訟の判決が、東京地裁で3月30日にありました。原告28人のうちすでに認定された16人をのぞく12人について、10人を原爆症と認める勝訴判決でした。2人は認められませんでした。
 判決は、被爆による健康被害と高齢化による健康状態の低下の競合を前提として、認定制度を運用すべきとしました。また被爆者の証言を「原爆被害を身をもって体験した者による第一次的な証拠」としています。
 原告団・弁護団などは「声明」で「(現在の)認定行政の問題点とそれを迅速に改めようとしない厚生労働省の姿勢を厳しく断罪するもの」と判決を評価。厚生労働大臣に対して「審査基準の再度の改訂を」直ちに行なうよう求めています。
 原告・被告双方が控訴せず、この判決が確定しました。

神奈川県原爆被災者の会が詞画集を寄付

被団協代表団に500冊

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 神奈川県原爆被災者の会は、日本被団協NPT再検討会議代表団に、詞画集「忘れられないあの日・英訳版」(写真)を500冊寄付しました。頒価1冊1000円で、金額にして50万円分にのぼります。同詞画集は、現地での証言活動に使われ、証言先に贈呈されます。同会はほかに500冊を日本原水協代表団に寄付しています。




片岡 脩 平和ポスター展/5月9日〜9月23日

第五福竜丸展示館

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 島根県被爆者協議会は今年に入り、被爆二世を正式に会員としました。  もともと、毎年8月6日の慰霊碑清掃と10月に行なわれる慰霊式典に、被爆者の遺族または家族として参加したのが始まりで、2008年に慰霊碑のある松江で「松江市被爆二世の会」が発足しました。今年1月に県被爆者協議会会員となり、二世の会としても県内全域に広げてさらに活動を充実させたい考えです。
 写真は1月の県知事要請で、協議会の原美男会長と二世の会の松浦会長、同事務局の深木さんが、知事に要望書を渡した時のものです。







わが街の被爆者の会―福岡県被団協

 『被団協』新聞読者2千人

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 福岡県被団協は1958年に結成しました。写真は、2年前の結成50周年記念式のもので、約200人の会員が集いました。会員数は最高時約6000人(85年)でしたが、現在は約2700人(県内の手帳所持者は8千数百人)。『被団協』新聞読者数は2000人を超しており、都道府県別で1位です。
 高齢化がすすみ、昨年度1年間で会員だけでも約100人が亡くなりました。証言活動をする会員も減少傾向にありますが、たくさんの依頼にこたえられるよう、「若手」被爆者の参加・育成を急いでいます。

相談のまど―健康管理手当と保険手当、あわせて受給することはできますか

 【問】1・8キロで直接被爆した被爆者です。現在健康管理手当を受給しています。70歳以上のひとり暮らしの被爆者に出る手当があると聞きました。私も70歳になったので、それも加算してもらえますか。
  *  *  *
 【答】 2キロ以内で直接被爆した人(胎内被爆を含む)が受給できる、「保健手当」という手当があります。月額1万6950円ですが、「2キロ直爆」という条件に加えて、(1)ケロイドや外傷がある人 (2)身体障害者(身障者手帳3級程度) (3)70歳以上でひとり暮らし のいずれかに該当する人は、月額3万3800円になります。
 しかし、被爆者の諸手当は、介護手当を除いて併給されません。
 あなたの場合も、加算はされず、健康管理手当か保健手当か、どちらか一方の受給になります。
 どちらの手当も月額は同じなので、健康管理手当を受給している病気が固定していて、更新の必要がないものであれば、現状のままでいいでしょう。更新の必要がある場合は、保健手当への切り替えをおすすめします。

被爆者手帳取得の証人さがし

 藤原 義清さん 大正15年7月生まれ、岐阜県揖斐郡春日村出身。
 藤原さんは、昭和19年4月、陸軍浜松航空隊(磐田)に入隊しました。特別幹部候補生2期生として教育を受け、翌20年7月、旧満州へ転属のため福岡県博多へ移動しました。
 船を待っているうちに終戦となり、8月17日、軍から解散命令がありました。岐阜・愛知方面へ帰る丸尾隊長以下32人とともに18日、列車で帰途につきました。途中、広島駅をはさんで半日ほどかけて徒歩で移動しました。帰宅できたのは19日でした。
 帰郷して3カ月後から全身が水ぶくれになる皮膚病にかかり、長年苦しみました。
 連絡先(本人の娘・田邉美和子さん)=大垣市荒尾町1529‐1Tel0584‐91‐5540
*  *  *
 奥瀧 英雄さん 昭和5年9月生まれ、広島市出身。
 奥瀧さんは昭和20年4月10日、三菱工作機械広島精機製作所に就職しました。会社は安佐郡祇園町にあり、家族と離れて会社の寮に入っていました。藤川晴夫さんという上司のもと、組立工として働いていました。
 8月6日朝、会社の講堂で仮眠中に原爆投下。爆風で窓ガラスが割れました。直後から、負傷者が避難してきたため、その後1週間、寮内で避難者の誘導、救護や火葬に従事しました。
 8日には市内に住んでいた家族の消息を求め、西観音町2丁目付近に行き、隣組の人と会って家族の避難先を教えてもらい、再会できました。
 家族は手帳を取得していましたが、現在生存しているのは、当時幼かった弟と胎内被爆の弟のみで、証人にはなってもらえません。
 連絡先(本人)=岡山県倉敷市粒江553‐10 Tel086‐428‐2632

声のひろば

クイズ応募はがきの「ひとこと」から
 ◆私たち被爆者は平均年齢77歳を超えましたので、若い方から次の世代また次の世代と、平和の尊さ、原爆の残虐さを伝えていただきたいとの思いでいっぱいです。
(福岡・78歳・女)
 ◆先日、「黒い雨」が降っていないとされている地域で「黒い雨」の大雨にあい、若いときからいろいろな病気をくり返し、今は多発性がんで余命1年と宣告されている方と話しました。原爆の被害を過小評価させることなく、事実は事実として伝えなければと、痛切に感じます。
(広島・63歳・男)