被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> 「被団協」新聞2010年 3月号(374号)

「被団協」新聞2010年 3月号(374号)

2010年3月号 主な内容
1面 世界へのメッセージ
“核兵器廃絶へ”被爆者の声届け
募金にご協力ください
2面 谷口長崎被災協会長が訴え
意見書採択
現行法改正、全国討議へ
非核水夫の海上通信67
3面 東京原爆展に4千人
わが街の被爆者の会―静岡県被団協
4面 原爆小景 林光さんがコンサート
声のひろば
被爆者手帳取得の証人さがし

世界へのメッセージ

  国連本部で原爆展

Photo
原爆展パネル(イメージ)右・タイトルパネル「ヒロシマ・ナガサキから世界へのメッセージ」
左・「被爆者の生涯」をテーマにした一連のパネルから、坪井直氏のパネル  実寸=ヨコ1030ミリタテ1456ミリ

 日本被団協が企画・申請していた、ニューヨークの国連本部ロビーでの原爆展は、国連広報局から正式な許可が下り、5月3日から2カ月間、メインギャラリーで開催することが決まりました。核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議にあわせて開くこの原爆展は、会議に参加する各国政府代表をはじめ見学に訪れる市民にも、被爆の実相を伝え、核兵器廃絶を訴えます。

 核兵器廃絶ねがい
 国連広報局展示委員会に提出した企画書で、被団協は原爆展の目的を次のように述べています。
 「今人類の前に『核兵器のない世界』に向けた新たな潮流がうねり始めました。『核兵器のない世界』について2年にわたって論文で提案した4人の米国元長官をはじめ、この動きに同調する各国首脳が続出しています。私たちは、この状況の変化を支え、その流れを加速させて1日も早い核兵器のなくなる日を迎えるために、さらなる力を尽くしたいと思います」「私たち被爆者は、被爆の後遺による病魔や健康障害に苦しみ、死とのたたかいに耐えながら、核兵器も戦争もない平和な世界の実現を願って生きつづけています。ともに手を携えて、核兵器廃絶の国際世論を大きく巻き起こし、その実現に共同歩調をとってくださることを切望します」
 世界へのメッセージ
 原爆展のタイトルは「A Message to the World From Hiroshima and Nagasaki(ヒロシマ・ナガサキから世界へのメッセージ)」。たて約1・5メートル、よこ約1メートルの大型パネル約50枚を展示します。広島、長崎それぞれの原爆投下前と投下後の全景や、人と街の被爆写真をはじめ、写真と文、絵やイラストを構成して原爆被害の実相と平和を望むメッセージを伝えます。

“核兵器廃絶へ”被爆者の声届け

 NPT再検討懐疑へ日本被団協代表団

 5月にニューヨークの国連本部で開かれる「核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議」に合わせ、被団協は54人の代表を派遣します。)
 NPT再検討会議は、5月3日から28日までの4週間開催され、各国政府代表が、核兵器の不拡散、核兵器軍縮をめぐる諸問題を議論します。
 被団協はこの会議を、核兵器廃絶の実現に向けての道筋を明確にさせるものにするため、「被爆者からのメッセージ」を作成、国連での原爆展開催計画など、取り組みをすすめてきました。
 代表団は4月30日に出発します。会議の傍聴のほか、各国政府代表部への要請、NGO共同集会とニューヨーク市内デモや、国際平和会議への参加を予定しています。周辺の学校での証言活動も多数要請されています。またアメリカン大学で開催するシンポジウムを共催。国連ロビーでの原爆展では、案内や証言活動を行ないます。
 被爆者は、それぞれの被爆証言を英訳して持参し、全国の被爆者から集めた「被爆者からのメッセージ(英語・抜粋版)」とともに配布して、被爆の実相を訴えます。
 日本生活協同組合連合会の代表約100人が行動を共にすることになっており、準備を進めています。
 帰国は5月7日の予定です。

募金にご協力ください

 先月号でのお願いにこたえて、NPT運動募金を多くの方から寄せていただき、ありがとうございます。
 原爆展パネルの本格的制作が始まりました。費用は1000万円ほどかかる見込みです。引き続きご協力をお願いいたします。
 郵便振替口座00100‐9‐22913 日本被団協まで。

谷口長崎被災協会長が訴え

 核兵器廃絶地球市民集会

Photo
集会に参加した谷口長崎被災協会長(右)と田上長崎市長(左)

 国の内外の核兵器廃絶と平和を願う人たちの集い「核兵器廃絶地球市民集会ナガサキ」が2月6〜8日、長崎市の長崎平和会館と長崎原爆資料館講堂を会場に、アメリカなど7カ国9人の海外NGO関係者を含む延べ3800人をこえる参加者を集め開催されました。今回で4回目となるこの集会は、毎年11月の開催でしたが、今年は集会の成果を5月のNPT再検討会議に生かそうと、2月開催となりました。
 開会集会では、谷口稜曄長崎被災協会長が自らの火傷のあとも生々しい映像を背景に、苦しかった日々を語るとともに、怒りを込めて核兵器廃絶への決意を述べました。
 被爆者で集会の実行委員長・土山秀夫氏は基調報告で、アメリカの核の傘に依存してきた日本政府へ冷戦思考からの脱却を呼びかけるとともに、NPT体制の強化だけでなく、核兵器禁止条約こそ必要、と訴えました。
 2日目は、「核の傘を考える」「核兵器禁止条約へ」「核兵器廃絶運動の継承と創造」の3つの分科会が開かれました。
 最終日は、「NPT再検討会議にのぞむ」のテーマでシンポジウムがあり、日本被団協の田中事務局長もパネリストとして参加。被団協の運動の報告とともに、NPT再検討会議に向けての被爆者の決意を語りました。
 内容の濃い3日間を終え、核兵器保有国とこれから保有しようとしている国の指導者に向かって「私たちはあなた方指導者が、真に核兵器のない世界の実現に向けて直ちに第一歩を踏み出されるよう、ここ被爆地ナガサキから地球市民の名において強く求める」という「長崎アピール」を採択して幕を閉じました。(長崎被災協・山田拓民)

意見書採択

 非核三原則の法制化を求める地方議会の意見書採択、1月25日以降2月25日までの報告分です。
 北海道=苫小牧市 根室市 網走市 平取町 遠別町 千葉=習志野市 市川市 埼玉=上尾市 皆野町 宮代町 広島=北広島町 神石高原町

現行法改正、全国討議へ

 要求項目と討議資料を準備 日本被団協現行法改正検討委員会

 日本被団協は、「原子爆弾被害者に対する援護に関する法律(現行法)」の改正にむけて、全国討議を始めるための準備をすすめています。
 昨年6月の第54回定期総会で、原爆被害に対応する国家補償を趣旨とした援護制度のあり方について検討し、現行法の改正の実現をめざすことを決定しました。この方針にもとづき、代表理事会で「現行法改正検討委員会」を設置することを決め、これまでに4回委員会を開いて議論を重ねてきました。
 被爆者の要求と討議資料を準備
 2月10日に開かれた委員会で、「原爆被害者の基本要求」にもとづき、現在の情勢に照らして、国家補償を趣旨とした法律に盛り込まれるべき被爆者の要求をまとめました。その要求項目と討議のための資料を、3月16〜17日の代表理事会で議論のうえ、各都道府県被団協を通じて全国に提起します。
 現行法改正については第55回定期総会(今年6月15〜16日)の重要な議題のひとつになります。それまでに各地で活発な議論が交わされることを期待します。(日本被団協事務局次長・法改正検討委員 木戸季市)

東京原爆展に4千人

 都庁45階展望室で 「伝えたい」と中国人観光客

Photo
熱心に話をきく中国人観光客(左)

 東京都原爆被害者団体協議会(東友会)は、2月9〜13日東京都庁45階南展望室で「伝えようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」を開きました。同所での開催は昨年に続き2回目です。
 今年は、オバマ米大統領のプラハでの演説、鳩山首相の国連での発言、ノーベル平和賞受賞者のヒロシマ・ナガサキ宣言などの新聞記事や、第五福竜丸のパネルの展示も行ないました。
 初日を除いて天候には恵まれませんでしたが、来場者は延べ4000人にのぼりました。
 外国人の来場もありました。特に中国からの観光客が多く、日中友好協会の役員の方の協力を得て中国語のチラシを配り、通訳していただいて、対応しました。熱心に話を聞く人が多く、「後世の人々に伝えたい」など感想を話していました。
 来場者アンケートには「こういう写真を見るたびに、さらに平和を創造するのが私たちの役割だと痛感いたします。都庁展望室にかく催しがありましたこと、大変うれしく、参画された方々に感謝申し上げます」「新聞などで見たことはありましたが、このような写真をみるのは初めてでした。大切なことが意外とみはなされている社会と思えてなりません」などの感想が寄せられました。
(東友会)

わが街の被爆者の会―静岡県被団協

 支援者とともに平和語る

Photo

 広島、長崎、静岡は被爆3県といいます。3月1日はビキニデー集会。毎年海外代表も含め2000人が焼津市に集まります。今年は同日「ふじのくに静岡県平和宣言」が、県議会で採択されました。
 写真は昨年9月の慰霊祭。県内の被爆者は800人を割りました。写真左の女性は、12歳の時からすでに10年、自作の紙芝居「さだ子と千羽鶴」を、県内はじめ広島、長崎、海外でも上演している佐治麻希さん。5月にはニューヨークとトロントを訪れ、被爆者、2世、支援者の一行9人とともに平和を語ります。

原爆小景 林光さんがコンサート

 福竜丸展示館で5月9日

Photo
林光さん

 被爆65年の節目に、米水爆実験で被災した木造船第五福竜丸の船体のそばで、音楽家林光さんを招いての記念コンサートが開催されます。
 広島・長崎・ビキニ水爆被災への追悼と鎮魂をこめて、東京混声合唱団が「原爆小景」を演奏します。原民喜の詩をテキストにしたこの作品は林さんがライフワークとして取り組んだ作品です。

 舳先の下で―「原爆小景」に寄せて 林 光
 1951年の初夏だった、と思う。新橋駅ちかくの書店で、出版されたばかりの『原民喜詩集』を手に入れた。詩人の死からいくらも経っていなかった。一読、巻中の「原爆小景」に打たれた。
 どのようにでも取り乱して書くことができるであろう、惨劇への怒りと悲しみの心がこのように端正に、詩の踏むべき根本を歩み、純度を保って書くことができるのか。
 これらの詩には音楽が必要だと、そのとき思ったが、二〇歳になるやならずのぼくはその手だてを持たなかった。
 やっと「水ヲ下サイ」を作曲することができたのは1958年だった。その間に1954年の、太平洋ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験、そして第五福竜丸の被災が起きていた。ヒロシマ・ナガサキの死者、被爆者、またその家族の皆さんはなんたることかとお思いだろうが、ニホン国民ぜんたいが核兵器への恐怖をホンキで感じたのは、このときからだったのだ。
 「水ヲ下サイ」の翌年、1959年に、近代映画協会製作『第五福竜丸』の映画音楽の仕事が来た。新藤兼人カントクとの出会いである。「水ヲ下サイ」を聴いたある人の薦めがあったと聞いた。
 ここにおいて、ぼくの二つの仕事「水ヲ下サイ」と「第五福竜丸」は、つながるべくして一つにつながったのだが、そのことをぼくがやっと実感したのは、何十年ののちに、第五福竜丸の舳先の真下で「ラッキー・ドラゴン・クインテット」(『第五福竜丸』の音楽にもとづくピアノと弦の五重奏曲)が演奏されたときだった。
 「水ヲ下サイ」にはじまった「原爆小景」の作曲は43年後の2001年に完結した。5月9日には、その最終章「永遠(とわ)のみどり」が「水ヲ下サイ」と合わせて演奏される。

被爆者50人を招待
 このコンサートに、被爆者50人が招待されます。ご希望の方は住所(招待状送付先)、氏名、被爆地を明記し、被爆者としてのメッセージ(200字程度)を添えて、郵送またはFAXで下記までお送りください。
〈宛て先〉〒136‐0081
江東区夢の島2‐1‐1 FAX03‐3521‐2900
第五福竜丸平和協会コンサート係
・お問い合わせは電話03‐3521‐8494まで

第五福竜丸展示館コンサート
広島・長崎65年

林光〈原爆小景〉
ヒバクシャとともに
5月9日(日)16:30〜
都立第五福竜丸展示館
 指 揮:林 光
 ピアノ:寺嶋陸也
 合 唱:東京混声合唱団  

声のひろば

 あの日の光景、今も
佐賀 池田實
 被爆したのは長崎の専門学校在学中だった。8月10日に軍当局の命により救援活動に派遣され、山里国民学校に向かったが、人の世のできごととは到底思えない無残な光景が広がっていた。楠、電柱、塀などすべてなぎ倒され、裂かれ、砕けた山里国民学校に到着したものの、何から手をつけていいのか戸惑うばかりだった。「ミズ、水」と半狂乱の喘ぎ声の、男女の見分けがつかない負傷者…正に生き地獄。あの日の凄惨な光景と悲痛な叫びは今でも耳底にこびりつき脳裏を離れない。
 世界の恒久平和は人類共通の願いである。我が国は世界で唯一の被爆国として広島と長崎の惨禍を再び繰り返さないため、核兵器廃絶を全世界に訴えていこう。

被爆者手帳取得の証人さがし

 豊田 豊利さん 昭和4年12月生まれ、大分県出身。
 当時、陸軍獣医資材廠大阪支廠海田市出張所に勤務。岩谷中尉ほか20人程がいて、村井、大曽根、新井元歌子、進矢の名前を覚えています。海田市町大正通り3丁目の永山卯三郎さん方に、岩谷中尉と同僚5人で下宿していました。
 8月6日の原爆投下で作業は中止、下宿に戻りました。下宿の前は国道で、肌に火傷を負った被災者が大勢通り始め、救護にあたりました。18日帰省のため貨物列車に乗りましたが広島駅で長時間停車となり、ホームで過ごしました。
 連絡先(本人)=杵築市守江1689‐1Tel0978‐63‐8548