鳩山首相(右から4人目)と会う、左から宮原哲朗弁護団事務局長、山本英典原告団長、
田中煕巳被団協事務局長、藤平典被団協代表委員、坪井直被団協代表委員
日本被団協は11月26日鳩山由紀夫内閣総理大臣と官邸内で会見し、原爆症認定集団訴訟終結に向け、敗訴原告救済のための「基金法」の早期制定と、原爆症認定制度の改善、さらに核兵器廃絶の実現について要請しました。
鳩山総理大臣は、8月6日に前政権と被団協が交わした「確認書」について「重く受けとめている」と述べ、「基金法」について「皆さんのご努力でもう少しのところまできている」と述べました。核兵器廃絶については「被爆国政府として主導的役割を果たす」と述べました。
被団協側は、坪井直代表委員、藤平典代表委員、田中熙巳事務局長、山本英典全国原告団長、宮原哲朗全国弁護団事務局長が出席。政府側は鳩山総理大臣のほか長妻昭厚生労働大臣、山井和則厚生労働政務官、高木義明衆議院議員ほか、関係議員が同席しました。
被団協はこのあと民主党の小沢一郎幹事長と会見。翌日は自民党の鈴木政二参議院国会対策委員長に、「基金法」成立への協力を要請しました。
「基金法」成立
「原爆症認定集団訴訟の原告に係る問題の解決のための基金に対する補助に関する法律」は、11月30日に参議院本会議において可決し、翌12月1日に衆議院本会議において可決して、成立しました。
この法律は、主に集団訴訟の敗訴原告を救済するための基金を創設することを定めたもので、この事業を行なうために新たに設ける法人に国が補助金を出すというもの。
被団協と原告団、弁護団は1日、「集団訴訟の終結に向けてようやく目途がつこうとしていることを喜びとする」との声明を発表しました。
「被爆者は人間国宝」と語りかける肥田舜太郎さん
=四国ブロック講習会
日本被団協原爆被爆者中央相談所の前理事長、肥田舜太郎さん(92歳)が、元気に講演活動を続けています。
肥田さんは、1979年から今年6月まで中央相談所理事長を務め、被団協のブロックごとに開催される中央相談所講習会や、各県ごとの研修会などで講演を行なってきました。
その講演内容は、中央相談所発行の「被爆者健康ハンドブック」(1988〜2006年に19号発行)にまとめられ、01年には7号分をまとめた『被爆者健康ハンドブック合本』が発行されました(頒価800円)。
83年からは「被団協」新聞のコラムを執筆。タイトル別にみると、「健康メモ」46回、「健康かるた」51回、「健康ことわざ」52回、「健康を詠む」15回、「人生賛歌」51回、そして「平成の養生訓」105回。26年10カ月の間、肥田コラムの掲載がなかった号は2号のみで、総計320回の掲載でした。このうち87年から99年の分をまとめた『肥田舜太郎の人生養生訓』が2000年に中央相談所から発行されています(頒価1000円)。
1917年1月生まれの肥田さんは、広島陸軍病院軍医として被爆し、現在92歳。海外での証言経験も豊富です。相談所理事長を退きましたがまだまだ元気。医師や法律家など様々な団体から依頼される講演活動で、日本中をまわっています。
肥田さんは長年のコラム執筆について「読者の反響に励まされて書いてきたが、決まった行数に収めるための苦労が大変だった」といいます。また「被団協に入って被爆者の集団の存在の大きさがわかった。“自分を含めた日本人が原爆で受けた被害”を伝える、ということは、組織があってこそ」と話しています。
92歳 意気軒高
松山講習会で講演
11月11〜12日に松山市内で開催された被爆者相談事業講習会で、肥田舜太郎前中央相談所理事長が講演をしました。
肥田さんは、「30年被爆者のお世話をしてきたけれど、今は家で翻訳をしたり、講演を頼まれたりしています」と近況を語り、「今日も空港の中は車椅子のお世話になった。あと2カ月で93歳になる。見た目とは違って身体は弱っていて、こんなところで話すわけでもないのだが、来て欲しいということなので参りました」と前おき。
講演では、がんの早期発見の大切さ、高血圧、糖尿病、心臓疾患など感知しない病気との付き合い方をユーモアを交えて話した後、被爆者は気力を持って生きることが大事、と肥田節が次々と。
「ただなんとなく生きるのではなく、俺はまだ死なない、生きようとする気持を持って、行けるところまで頑張ること。そして原爆を知らない人に被爆体験を語ること。被爆者の生きがいはそれしかない。
被爆者の会の役員は3〜4人でいいから、被爆者が体験を語る場をたくさん用意すること。
話す体験がない、という人がいるが、そんな人は他人の体験記を読んで学び、それを伝えることでもいい。知ろうとする努力も大事なこと」。
最後に「被爆者は人間国宝だ。だから1分1秒でも長生きをする努力をして欲しい」と熱弁をふるい、立ったままで50分間の講演を終えました。
(上)福岡高裁で逆転勝訴の熊本一次訴訟
(下)横浜地裁前で勝利を喜ぶ神奈川訴訟の原告ら
原爆症認定集団訴訟、神奈川訴訟横浜地裁の判決と、熊本第1次訴訟福岡高裁の判決が11月30日にありました。いずれも勝訴を勝ち取り、集団訴訟は合わせて21連勝となりました。
[横浜地裁]
原告13人のうちすでに認定された8人を除く5人について、4人を国の却下処分を取り消し原爆症と認めました。1人は認められませんでした。
判決は、「残留放射線の存在、内部被曝の存在について配慮すべき」であると指摘。がんのほか、慢性肝炎、汎発性皮膚炎などにも、放射線起因性を認めました。
[福岡高裁]
地裁敗訴の2人について、1人を1審判決を覆し原爆症と認める逆転勝訴となりました。1人は認められませんでした。
判決では、C型肝硬変に放射線起因性を認めました。
[声明]
日本被団協と全国原告団、同弁護団、全国支援ネットは声明で、福岡高裁での逆転勝訴の判断と横浜地裁の遠距離・入市被爆の原告や外傷を原爆症と認めたことについて「大きな意義を有する」と評価。一方敗訴者について、他の裁判所で認められ確定している熱傷瘢痕や糖尿病、骨粗鬆症などの疾病が認められなかったことを「極めて遺憾であり、容認しがたい」と批判しました。
原爆症認定集団訴訟では、訴訟の終結に関する「確認書」に基づいて、裁判所ごとに、原告全員が認定された訴訟の取り下げを行なっています。
9月16日の広島第1次訴訟(広島高等裁判所)の原告41人につづいて、9月30日には北海道第1次訴訟(札幌高裁)原告7人が、10月2日には静岡訴訟(静岡地裁)原告3人が、10月21日には埼玉訴訟(さいたま地裁)原告1人が、10月29日には高知訴訟(高松高裁)原告1人が、10月30日には愛媛訴訟(松山地裁)原告1人が、それぞれ取り下げを行ない、各訴訟は終結しました。
10月30日、札幌市で開かれ、30人余りが参加しました。日本被団協の服部十郎代表理事(北海道ブロック選出)が全国都道府県代表者会議の報告を、田中熙巳事務局長が集団訴訟の到達点と日本被団協のこれからの運動について、斎藤耕弁護士が北海道の集団訴訟について報告しました。
[東海北陸ブロック]
11月5〜6日、石川県の粟津温泉で開かれ、7県から120人を超える参加がありました。愛知の樽井直樹弁護士が「原爆症認定集団訴訟の到達点と課題」について、日本被団協の岩佐幹三事務局次長が「核兵器のない平和な世界をめざして」、愛知の沢田昭二さんが「低線量被ばく・内部被ばくの被害」について報告しました。
静岡の23歳の女性が、小学生の時に作った「さだ子と千羽鶴」の紙芝居を熱演。夜の懇親会では、金沢の二人の女性が被爆手記の朗読劇「夏の雲は忘れない」の一部を朗読、また教職員のバンドが自作の歌を披露し、感動を呼びました。(石川友の会 西本多美子)
[四国ブロック]
11月11〜12日、松山市で開かれ、約30人が参加しました。肥田舜太郎前相談所理事長(1面参照)と日本被団協の伊藤直子さんを講師に、被団協の運動と相談活動について理解を深めました。
「軍事優先主義の克服・世界平和運動の任務」をテーマとした国際会議が11月14〜18日、国際平和ビューロー(IPB)の主催でワシントンDCで開催されました。
IPB副会長でもある日本被団協の田中事務局長が参加し「核兵器廃絶・真剣に取り組むとき」のテーマでの討論にスピーカーの一人として発言。原爆症認定集団訴訟19連勝の報告と、2010年NPT再検討会議に向けての日本被団協の取り組みを紹介しました。
期間中、他の交流会議にも参加し、日本被団協の来年のニューヨーク行動の計画を紹介し、それへの支援、協力を要請しました。
IPBは百年前にノーベル平和賞を授賞した平和運動組織で、日本被団協をノーベル平和賞候補に4回推薦しています。
交流会を紹介した長崎新聞
ノーモア・ヒバクシャ9条の会は11月14日、長崎市で交流会を開き、長崎、福岡、埼玉、東京から20人が参加しました。
長崎被災協の山田拓民さんは、国の「戦争被害受忍論」と、それを許さない被団協運動について語りました。
吉田一人さんは「世界にひとつだけの被爆者運動が、真の『核抑止力』である」と述べ、「国の『受忍』政策は過去だけでなく現在も未来もしばるもの。被爆者運動は憲法を活かし、日本と世界の未来をつくる」と述べました。
討論の中で、「受忍できない原爆被害」を被爆者ひとりひとりが改めて確認することが大切であることや、被爆者運動は憲法の平和主義や基本的人権の精神を実現させる運動であることなどが、活発に話されました。
すべての戦争被害者への国家補償を求めて東京の浅草をパレードする「浅草ウォーク」が、10月31日に行なわれ、浅草二天門の前から吾妻橋まで、約250人が元気に歩きました。
浅草を行進
4回目となった今年のスローガンは「戦後補償のゆがみを正し、すべての人々が分かち合える平和を」。「ウォーク」前に開かれた台東区民会館での集会には、東京都原爆被害者団体協議会(東友会)の青いたすきをかけた被爆者が40人、東京大空襲訴訟原告団の赤いたすきをかけた人々など約250人が集まりました。集会後全員で、秋の観光祭で賑わう浅草の町を行進しました。
沿道で先導車からの訴えに耳を傾けていた男性が「こんな運動があることを初めて知った、私も焼け出されて家族は亡くなった」と話しかけてきたり、手を合わせて見送る老婦人の姿もありました。
結成35周年迎える
茨城県原爆被爆者協議会(茨被協)は今年結成35周年を迎えました。県内の手帳所持者は約480人で、そのうち会員は260人です。
総会は会員の親睦も兼ねて毎年一泊二日で行なっています。7月には県内原爆死没者の慰霊祭・平和祈念式を行なっています。
他団体との交流もさかんで、原爆展やその他のイベントなどの共同開催や参加協力をすすめています。写真は平和行進(水戸市)です。
会員の高齢化が目立つため、若い支援者との協力体制づくりを進めたいと考えています。
「テープカットのかわりに」とボードに漫画を描く西山すすむさん
愛知県原水爆被災者の会と、あいち被爆者支援ネットの主催で、被爆者で漫画家の西山すすむさんの漫画展を、10月25〜30日名古屋市内で開きました。期間中約200人が来場しました。
オープニングセレモニーで西山さんは、ボードに漫画を描き「NO WAR、核兵器のない世界を」と記しました(写真)。そのうまさと早さに、参加者は感動。「うちの団体の企画でも展示を」という希望や「この漫画をもっとみんなの目に触れるようにして欲しい」などの感想が寄せられました
【問】原爆症の認定申請をするとき、どのような書類が必要ですか。
* * *
【答】原爆症の認定申請をする場合に必要な書類は次のものです。
(1)原爆症認定申請書〈様式第五号〉。本人が記載します。
(2)医師の意見書〈様式第六号〉。申請する疾病を治療している医療機関の医師が記載します。
このほかに「申請する疾病等に関する検査成績を記載した書類」を添えることになっています。
この「検査成績を記載した書類」を、都道府県によっては、健康診断個人票〈精密検査用、様式第四号(三)〉を用いて提出するよう指導しています。医療機関としても、審査に必要なデータを記載するのに便利な面もあります。厚生労働省は「必ずしもこの様式でなくてもよいが、あれば審査の際に判断しやすい」と言っています。
認定申請に必要な書類は(1)と(2)を基本とし、健康診断個人票など、必要な検査データを記載した書類を添えるということになります。
さらに、認定申請時に医療特別手当の申請ができます。原爆症と認定されるまで時間がかかりますが、一緒に申請し、認定されると、申請時にさかのぼって医療特別手当が支給されます。
堀切 隆さん 大正12年5月生まれ、千葉県木更津市出身。
堀切さんは昭和19年4月現役兵として佐倉の近衛歩兵第十聯隊に入営ました。その後転属、幹部候補生教育等を終え、20年6月千葉県保田村の陸上勤務第200中隊に入りました。8月船舶司令部復帰となり、2日保田出発、4日宇品着。見習士官として船舶経理部長の指揮下に入り、広島の鈴が峰女学校に駐屯しました。中隊長・本橋武中尉を覚えています。
8月6日の原爆投下時は、地下壕掘削に向かう行進中でした。首筋に熱風があたったのを覚えています。翌7日から10日程、第二軍総司令官・畑元帥の半壊した官舎を、憲兵立ち合いのもと修理にあたりました。
連絡先・千葉県原爆被爆者友愛会の青木さん=千葉市中央区松波4‐20‐14 Tel043‐353‐7768(火・金曜)
* * *
加治 和一さん 昭和2年10月生まれ、岡山県上斎原村出身。
加治さんは、昭和18年10月、広島の第十一海軍航空廠会計部普通工員に採用されました。20年7月末に岩国の第2工場に転勤となりました。
8月6日の原爆投下時は、岩国で朝礼の最中でした。翌7日、呉市広町の本廠行きを命ぜられ、上官と二人きりで出かけました。
途中、廿日市駅から海田市駅までは汽車が動かなかったため、徒歩での移動となり、広島駅付近を通過しました。
連絡先(本人)=岡山県苫田郡鏡野町上斎原2166 Tel0868‐44‐2350
* * *
被団協は、手帳申請の際に証人がいなくても交付するよう、厚生労働省に申し入れています。一度申請し、どうしても証人を、と求められた場合に、本紙「証人さがし」係にご相談ください。
心に迫るメッセージ
カナダ在住 乗松聡子
「被爆者からのメッセージ」を拝読し、感動しました。このメッセージを寄せた皆様は、文字に書いた方が本当の気持ちが出てくるというのでしょうか、心に迫りくるメッセージの数々と思いました。これをオバマ大統領、そして核保有国、非保有国の指導者たちが真摯な気持ちで読むことを願います。