被団協新聞

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「被団協」新聞2009年 10月号(369号)

2009年10月号 主な内容
1面 日本被団協 鳩山新首相に要請
被爆国として主導的役割を
2面 広島第一次訴訟が集結
非核水夫の海上通信
3面 『「空白の十年」被爆者の苦闘』広島県被団協が完成・発行
わが街の被爆者の会―富山県被団協
4面 被爆者手帳取得の証人さがし

日本被団協 鳩山新首相に要請

 日本被団協は9月18日、鳩山由紀夫総理大臣にあてて、同24日の第64回国連総会での演説で、唯一の被爆国首相として核兵器廃絶への決意を表明するよう、要請しました。

 日本被団協は9月16日に就任した鳩山由紀夫総理大臣に対して要請書を提出、民主党の高木義明議員を通じ内閣官房長官を経て渡されました。
 要請は第64回国連総会での演説に「唯一の被爆国首相として、核兵器の速やかな廃絶への決意を表明していただきたい」と緊急に行なったもの。
 被爆者の「ふたたび被爆者をつくらない」という願いを、被爆の実相とともに受け止め、それを力に日本政府が唯一の被爆国として、核兵器廃絶のため主導的役割を果たしてほしいことを、強く求めています。
 鳩山首相は、総会演説で「核軍縮・不拡散への挑戦」を表明、安保理首脳会合では「非核3原則の堅持を誓います」と演説しました。

核兵器廃絶へ―被爆国として主導的役割を

2009年9月18日
内閣総理大臣
鳩山由紀夫殿
日本原水爆被害者団体協議会
 代表委員  坪井  直
    同  山口 仙二
    同  藤平  典
 事務局長  田中 煕巳

第64回国連総会における総理発言についてのお願い
 唯一の被爆国首相として、核兵器のすみやかな廃絶への決意を表明していただきたいこと

 内閣総理大臣就任をお喜び申し上げます。
 私たち被爆者は、鳩山代表の「非核三原則の法制化」発言に大きな励ましを受けました。私たち被爆者の願いは、「私たちと同じ苦しみを誰にも味わわせない」こと、「ふたたび被爆者をつくらない」ことです。そのために、私たちは「核戦争起こすな、核兵器なくせ」「国家補償の原爆被害者援護法の制定」を基本的な要求として、その実現に努力してきました。
 私たち被爆者は、また4月5日のオバマ・アメリカ大統領の演説を歓迎し、「核兵器のない世界」実現に世界が大きく動き始めたことに大きな期待を抱いています。
 まもなく始まる第64回国連総会、さらに、2010年NPT再検討会議において核兵器廃絶へ向けての確かな道筋についての合意が形成されることを期待しております。
 高齢化した私たち被爆者に残された時間はあまりありません。被爆者にとって「あの日」はまだ終わっていません。被爆者はあの時、人間としての尊厳を奪われてしまいました。原爆は「人間としての死」を許しませんでした。また「人間らしく生きること」も許しませんでした。一瞬に街を壊滅させ、生きる基盤を奪い取りました。原爆は、「あの日」から今日まで、重い苦しみを被爆者に与えています。子や孫にも不安の中で生きることを余儀なくさせています。核兵器は人類と共存できない悪魔の兵器です。
 その原爆をつくったのも人間、それを使ったのも人間、それをなくすのも人間です。
 被爆者は、世界のすべての人に原爆被害がどんなものか、その実相を知ってほしいと願っています。そこには、人間が核兵器にどう立ち向かわなくてはならないかが示されています。
 被爆者は、核兵器を使った唯一の国アメリカと使用された唯一の被爆国日本が手を取り合って行動するならば、世界の世論を変え、核兵器の廃絶は必ず実現できると信じています。
 私たち被爆者は、鳩山総理が、国連の場、オバマ大統領との首脳会談、その他あらゆる機会に唯一の被爆国の首相として核兵器廃絶のために主導的役割を果たしてくださることを心より願っております。

IONND委員に向け「被爆者からのメッセージ」


寄せられたメッセージと
「抜粋版」(日・英)

 2010年NPT再検討会議への提言がまとめられる、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)の第4回会合が10月17〜20日広島で開かれます。被団協はその委員と諮問委員40人に、被爆者の声を反映させてほしい旨の要請書とともに「被爆者からのメッセージ」(抜粋版)を届けることにしました。
 ICNNDは今年2月ワシントンでの第2回会合で、被団協代表の声を直接聞いています。
 来年5月のNPT再検討会議が、被爆者の64年にわたる苦しみを受けとめ、核兵器廃絶への確かな道筋をつけるものになってほしいと願い、被団協が全国から集めた「被爆者からのメッセージ」。今後あらゆる場面で活用できるよう、普及版の完成を急いでいます。

非核三原則の法制化

被団協が取り組みを開始

 日本被団協は9月16日と17日の両日開かれた第344回代表理事会で、非核三原則の法制化を求める運動を始めることを確認しました。
 これまでの日本政府の核政策は、核兵器以外の脅威からも核兵器によって守られるという「拡大核抑止論」による「核の傘」政策をとり続けてきました。このことが世界の核兵器廃絶への大きな障害であると、世界の核兵器廃絶を願う人々から批判されてきました。
 政府の核政策を変え、「核の傘」からの離脱を実現させるため、日本被団協は、非核三原則の法制化を求める「国会請願署名」(本号付録として同封)と、地方自治体の意見書採択を促す取り組みを行なうことになりました。
 代表理事会では、このたびの新しい政権の発足を絶好の機会ととらえ、国民的課題である日本の非核化実現のために、早急に運動を広げていくことを呼びかけています。

NPT再検討会議にむけ
 被団協はまた、この運動を、2010年NPT再検討会議に向けた運動のひとつとしても位置付け、「核の傘」から離脱し、生まれ変わった「非核の日本」をおみやげに被団協代表団を送り出したい、としています。

鳩山首相への手紙―被爆国としての責務

 拝啓 鳩山由紀夫さま
 内閣総理大臣ご就任、おめでとうございます。
 唐突で失礼ですが、次の言葉をご存じでしょうか。
 〈“正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や毒ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう〉
 終戦1カ月後、1945年9月15日の朝日新聞に載った、首相の祖父・鳩山一郎氏の言葉です。原爆使用を国際法違反、戦争犯罪ときびしく糾弾しています。
 この記事が米占領軍の逆鱗に触れて、朝日は2日間の発行停止になりました。
 由紀夫首相。被爆者は、一郎氏のこの言葉を、あなたが思い起こし、肝に銘じていただきたいのです。
 オバマ米大統領の核兵器廃絶宣言について、あなたは9月6日、広島で「日本はその先を行かなければならない」と語りました。わが意を得たり、です。  鳩山連立政権合意書でも「核軍縮・核兵器廃絶の先頭に立つ」と明記されており、「憲法3原則順守」をうたった項目でも、冒頭は「唯一の被爆国として」と書き出されています。
 オバマ米大統領は、核兵器廃絶への先頭に立つことが「核兵器使用国としての道義的責任」と宣言しました。日本は「核の傘」を取り払って「被爆国は非核国」の旗色を鮮明にし、大国を確実に「核兵器のない世界」へ導くこと。それが「被爆国としての歴史的責務」ではないでしょうか。  首相のご健康とご健闘を期待いたします。
――一被爆者

広島第一次訴訟が集結

原告側も控訴取り下げ

 原爆症認定集団訴訟広島第1次訴訟は、9月16日広島高等裁判所で口頭弁論が開かれ、原告側が意見陳述を行なったうえで、原告41人が控訴を取り下げました。
 広島第1次訴訟は、06年8月原告41人全員が勝訴しましたが国が控訴。原告も、認められなかった国家賠償請求に関して控訴していました。
 8月6日の日本被団協と政府による集団訴訟の終結に関する「確認書」に基づき国は控訴を取り下げており、今回の原告側の取り下げで広島第1次訴訟は終結しました。
 佐々木猛也弁護団長は法廷で「広島の原告団64名(2次訴訟原告含む)のうち16名が、勝訴・解決を知らないまま人生を終えた。もっと早く解決すべきであった」と意見陳述を行ないました。
 団長は、太平洋戦争で惨敗続きでも日本は終戦せず原爆投下に至った歴史を詳述、敗訴続きでも裁判を終わらせようとしなかった政府をそれになぞらえて批判、「被爆者とともに核兵器廃絶をめざす」とのべました。
 国は敗訴した地裁判決のほとんどに控訴していましたが、8月の「確認書」に基づいて、高裁と最高裁へのすべての上訴を取り下げています。
 原告側も、全員が認定された裁判所では控訴を取り下げ、裁判を終結していくことになります。
 敗訴して未認定の原告がいる裁判所での裁判は「確認書」にある「基金」の内容が確定するまで続きます。現在地裁にかかっている裁判は、判決での勝利をめざします。
 今後は「確認書」に基づく集団訴訟の終結に向けて鳩山新政権との協議に入ることになります。

「HIBAKUSHA」パンフ普及

世界エスペラント大会(ポーランドで開催)で


 日本被団協発行のパンフ『HIBAKUSHA』が、7月25日〜8月1日ポーランドのビヤリストック市で開催された第94回世界エスペラント大会(約60カ国2000人が参加)で配布されました。配布したのはエスペラント伝習所須恵(福岡県)の橋口成幸さんです。
 エスペラント語の入った『HIBAKUSHA』パンフの存在を知った橋口さんは、日本被団協に連絡し、同大会で無料配布することを条件に複写版作成の許可を得ました。ポーランドのスコンプレス社が無利益で印刷協力し、500部を印刷。
 大会初日の活動紹介イベント広場で、簡単な説明をしながら、参加者に約350部を手渡ししました(写真)。50部は橋口さんの知人・友人へ、100部はビヤリストック市へ贈呈しました。
 受け取った人の国籍は記録できただけでも34カ国におよびました。
 橋口さんは「ポーランドの人が多く受け取ってくれたが、アウシュビッツの悲劇とともに記憶に残してくれるだろう」と感想を寄せています。

非核水夫の海上通信

市民の声聞き政府に勧告

 オーストラリア議会の両院合同条約委員会は、9月に発表した報告書の中で「核兵器禁止条約の採択への支持を明確にすること」を政府に求めた。
 この議会委員会は、今年初めから豪政府の核政策を審査してきた。日豪委員会(ICNND)と並ぶ、ラッド首相のイニシアティブだ。公聴会では多くのNGOが意見を提出し、議員らは米国や欧州にも出張し意見聴取した。
 それらを踏まえた報告書は、豪政府に対し「明確な法的枠組みと執行可能な検証制度をもった核兵器禁止条約を策定するために必要な調査と協議に財源を振り向けること」も求めた。豪州は日本と同様、これまで核兵器禁止条約には慎重姿勢だった。議会が市民の声を吸い上げ、政府に「一歩前に進め」と勧告したのだ。今後の政府の動きが注目される。
 日本では「政治主導」を掲げる新政権が誕生したが、果たして議員が力を発揮できるか。豪州の例は大いに参考になる。
 川崎哲(ピースボート)

『「空白の十年」被爆者の苦闘』広島県被団協が完成・発行

 広島県被団協は、3年の歳月をかけて編集した『「空白の十年」被爆者の苦闘』を、8月に完成、発行しました。
 多くの被爆者にとって被爆直後の10年(1945〜55年)は、行政の支援もわずか、親族や知人にも頼れず、相談先となる本格的な被爆者団体もまだなく、ただ耐えて生きるほかない時期でした。しかしそうした被爆者たちの「苦闘」が語られることは少なく、一般にあまり知られていないことに着目した広島県被団協は、当時の生活状況などに関するアンケート調査に取り組み、手記を募りました。
 本書は、7438人から回答を得たアンケートの集計と分析を収めながら、就職や結婚での差別、後障害の苦悩などを切実に綴った71本の手記によって構成し、「空白の十年」の実態を描き出そうと試みています。
 2000部を製作し、約400部を広島県内の主な図書館や大学などに寄贈しました。
 入手希望者には送料など協力費負担を相談のうえ配布しています。
 連絡先=広島県被団協 電話082‐241‐7226 〒730‐0051 広島県中区大手町3‐13‐25

「非核三原則の貫徹と核兵器廃絶を誓う」碑 山口で建立

 「非核三原則の貫徹と核兵器廃絶を誓う」碑が山口県で建立され、9月6日除幕式が行なわれました。
 これは、07年から09年にかけ、県被団協結成50年、県原爆被爆者支援センターゆだ苑創設40年、県原水爆禁止運動始動55年、原爆死没者之碑建立35年と節目の年が続いたことから、山口県被団協など関係10団体で「メモリアル・イヤーズ事業実行委員会」を発足。募金活動などに取り組みました。募金総額は1000万円を超え、石碑製作費などすべての経費をまかなうことができました。
 除幕式では「山口アピール」を発表。国民および世界の人々に核兵器廃絶実現への共同行動を訴え、核兵器保有国指導者に核兵器全廃の合意と実行を、日本政府に核兵器廃絶の主導的役割を果たすよう要求しています。

「被爆者の声をうけつぐ映画祭」今年も

 第3回「被爆者の声をうけつぐ映画祭」が、明治大学軍縮平和研究所と映画祭実行委員会の共催で開かれます。明治大学リバティタワー1階で、11月13〜15日まで。
 劇映画、ドキュメンタリー、アニメなど9作品を上映。監督の話、被爆者の話、シンポジウムも予定されています。
 問い合わせは、電話・共同映画=03‐3463‐8245、独立映画センター=03‐5827‐2641。詳細はホームページで。
 http://hikakueiga.exblog.jp/

わが街の被爆者の会 富山県被団協

 富山県被爆者協議会(紀親会)は、1960年に発足しました。県内の手帳所持者は、今は100人を切りましたが、毎年1回「紀親会だより」を発行し、会員相互のつながりを図っています。
 写真は、会員が書いた俳句の色紙を、原爆展の会場に展示したもの(右上)です。「一杯の水に合掌原爆忌」「原爆堂真夏の水の溢れおり」。図書館やショッピングセンターなどでの、自治体主催の原爆展にも展示し、被爆の実相を伝えています。
 「無理したらいかん」と励ましあいながら、証言の依頼にこたえ、活動しています。

相談のまど

有料老人ホーム入居中の介護保険サービス利用料
 【問】私の夫は現在有料老人ホームに入居しています。これはこちらが希望したのではなく、特別養護老人ホームに空きがなく、止むを得ず入居しました。
 入居後に、有料老人ホームで介護保険を利用して支払った1割の自己負担分は、被爆者対策の公費負担分として請求できないといわれました。
 本当なのでしょうか。
*  *  *
 【答】有料老人ホームは、特定施設入居者生活介護の事業所として、介護保険を利用することになります。
 被爆者が有料老人ホームに入所し、介護保険による介護を受けた場合、自己負担分(介護利用料の1割)については、被爆者対策としては支払われません。
 一般の特別養護老人ホームなど、介護老人福祉施設に入所の場合には、被爆者対策として支払われます。
 ご主人の場合、有料老人ホームに入居中は、自己負担分は支払わなくてはなりません。今は空きがなくても、一般の特別養護老人ホームへの入居の申し込みをしておくことをおすすめします。

被爆者手帳取得の証人さがし

 岩間 愛子さん 大正8年1月生まれ。
 岩間さんは当時、岡山県児島郡小串村(現・岡山市)に家族(父・義光さん、母・みさをさん、生後8カ月の長女・泉さん)と暮らし、農業を営んでいました。夫の常治さん(当時32歳)は、昭和20年6月臨時召集により中国軍管区砲兵補充隊111部隊(広島市基町)に入隊していました。
 8月7日か8日、広島にものすごい爆弾が落ちたと聞き、義光さんが広島へ。4日目に原爆投下時に常治さんと一緒だったという人(荷見または二宮伍長)に会えました。その話から、常治さんは生きてはいないと覚悟し、遺骨を拾うため8月18日、愛子さんが泉さんを背負い義光さんと一緒に広島に向かいました。
 軍の営舎あとで「111部隊の営舎あたりから48遺体が見つかり、集めて焼いた遺骨のひとつ」と手渡されました。3〜4人の軍人が走り寄ってきて「岩間軍曹はよく存じております」「この子は岩間軍曹の忘れ形見ですか」「奥さん元気で頑張りなさいよ」などと声をかけてくれました。
 義光さんは被爆者手帳を持たないまま、昭和62年に亡くなりました。
 連絡先(長女・丸尾泉さん)=豊中市上野東3‐13‐8 Tel06‐6854‐6272
 訂正 本紙368号「証人さがし」欄の奥島千恵美さんの連絡先で、代理人の氏名の掲載がありませんでした。代理人は亀井賢行さんです。