被団協新聞

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「被団協」新聞2009年 2月号(361号)

2009年2月号 主な内容
1面マレーシアで原爆展と証言 オバマ米大統領に手紙
2面集団訴訟13連勝―鹿児島地裁も勝訴 非核水夫の海上通信
3面わが街の被爆者の会―宮崎県被団協 ワシントンに被爆者3人派遣
4面相談のまど「確定申告・原爆症認定被爆者は?」

被害の実情に衝撃

マレーシアで原爆展と証言

 マレーシアで1月12〜19日、原爆展が開かれ、被爆者が証言を行ないました。マレーシア政府とNGOの協力で日本原水協が主催、日本被団協も協賛し、日本から5人の被爆者と被爆2世1人を含む25人が参加。被団協代表として田中熙巳事務局長と山田玲子さん(東京)が参加しました。マレーシアは非同盟運動のリーダーとして活躍していますが、今回初めて被爆者が被爆の実相を語り、人類と核兵器は共存できないというメッセージを伝えました。山田さんと田中さんの報告です。

真剣な学生達 山田玲子

 私にとってアジアでの原爆展と証言は初めてのことで、緊張して出発しましたが、最初の会場となった国立国際イスラム大学で、展示を真剣な顔で眺めたあとに話しかけてくる学生達の、親近感あふれる表情に接し、心が和やかになりました。ほとんどが「初めて見る」人で、詳しく見学し「本当にあったなんて信じられない」との感想や「日本の若い人はどんな関心をもっているのか」などの質問を受けました。
 マラ工科大学サランゴール校、同マラッカ校、マレーシア国立大学の3校では「核兵器のない世界‐被爆の実相」をテーマとしたセミナーが行なわれました。ビデオ「ヒロシマ‐母の祈り」の上映の際には、途中で悲鳴にも似たざわめきが起こりました。被爆者の証言に続く質疑では、核保有国にどうやって核を廃棄させるのか、苦しんでいる人に何ができるか、すべての日本人が核兵器に反対しているのか、などの質問が出されました。

 マハティール氏と面談
 14日にはマハティール前首相を訪問。私たちのメッセージに対し、すべてを支持するという確答と「核攻撃で何が起こるか知るべきで、各国政府が核兵器禁止の法律を作るべきである」とのコメント、署名と、原爆展会場を訪問するとの約束を得ました。そして16日、繁華街にある中央マーケットで行なった原爆展初日に、夫人と核戦争防止国際医師会議のマッコイ元共同会長とともに来場し、ビデオと展示物を1時間にわたって見学。「目で見ることが大切である、被害がくり返されないためにも続けて」と励ましてくださいました。
 この会場には次から次と一般の人が来場。涙を流す人、質問する人、折り鶴を折る人、と関心の深さが感じられました。
 7日間の滞在で、政府関係者、反核運動家、大学生、一般市民と、幅広い人たちと交流できました。多宗教、多民族の共存共栄をはかって発展を続けるマレーシアの姿から、私たちの平和運動も多くの人々とともに広めていくべきであると、改めて考えています。

大きな成果 田中熙巳

 マレーシアは、96年に国際司法裁判所が「核兵器の使用と威嚇は国際法に違反する」との勧告的意見を国連総会に提出したことを受け、勧告の実効を求める国連決議を毎年提出して11回を数えます。また07年に開かれたNPT再検討会議準備委員会には、コスタリカとともに「モデル核兵器条約」を提出するなど、核兵器廃絶に向けて国際政治でのイニシアティブをとっており、日本の原水禁世界大会にも政府代表を送るなどの支援を寄せています。
 しかし、市民が直接被爆者にふれ、写真や絵を通して原爆被害の実相にふれる機会はほとんどありませんでした。今回多くの市民とふれ合えたことは大きな成果です。今後、他のアジアの国々での被爆者の証言活動、原爆展開催の道が開かれれば、と思っています。

オバマ大統領に手紙

 日本被団協は1月20日オバマ米大統領宛てに、被爆者との面会を求める手紙を送付しました。大統領が選挙中にかかげた「核軍備廃絶」などの公約の実践を求め、世界の核兵器廃絶にむけた行動を起こしてもらうため、被爆の実相を直接訴えたいというもの(全文2面に)。被団協では、今後米大使館にも要請するなど、面会の実現にむけて取り組む予定です。
 被爆地では訪問要請
 広島では広島県被団協など被爆者7団体が、長崎では長崎被災協など被爆者5団体が、それぞれオバマ米大統領に書簡を送りました。いずれも、被爆地を訪問して原爆被害の実相に触れ、被爆者と懇談して核兵器廃絶への意思を固めてもらうことを求めています。

もう待てない、すぐに原爆症認定を 寒空の下全国いっせい行動

 原爆症認定集団訴訟を支援する全国ネットワークは、訴訟の早期・一括解決を求めて全国いっせい宣伝に取り組んでいます。これまでに昨年12月23日と今年1月17日の2回、北海道、千葉、東京、愛知、兵庫、岡山、広島、愛媛、長崎、熊本の各地が取り組みました。
 「もう待てない、すぐに原爆症認定を」などの横幕や原爆パネルをかかげ、被爆者とともに弁護士や支援者が多数参加しての行動となりました。ハンドマイクでの訴え、ビラの配布のほか、公正な裁判を求める署名や募金も呼びかけました。
 両日とも寒い日となりましたが、各地で中学生や高校生をはじめ若い人が足を止め、話を聞いて署名に応じる姿が目立ちました。
 千葉では、12月はJR柏駅、1月は同船橋駅で行動。両日の宣伝参加者はのべ99人にのぼり、地裁宛署名213人分、高裁宛署名759人分を集め、募金も約6万円が寄せられました。
 次の全国いっせい行動は2月14日の予定です。

集団訴訟13連勝 鹿児島地裁も勝訴

 原爆症認定集団訴訟の鹿児島訴訟の判決が、鹿児島地方裁判所で1月23日にありました。原告は6人で、昨年4月以降全員が認定されていましたが、そのうち2人の申請疾病1つずつが認定されておらず、今回この2つの疾病について、国の却下処分を取り消し原爆症と認める原告勝利の判決が言い渡されました。これで原爆症認定集団訴訟は、地裁、高裁あわせて原告側の13連勝となりました。
 判決は、2原告の2つの疾病について「認定申請を却下する処分がされた時点においても、原爆症の認定要件(放射線起因性・要医療性)が存したものと認めるのが相当である」としています。
 日本被団協は、当日鹿児島弁護団の代表と全国原告団、同弁護団ともに厚生労働省に対し申し入れを行ない、控訴断念、審査の方針の再改訂、集団訴訟の一括解決などを訴えました。

不作為の不服申立て

 原爆症認定申請を厚労省が長期滞留していることを不服とする、全国いっせい「不作為の不服申立て」2回目が、1月に行なわれました。14日に鹿児島で13人、16日に広島89人、神奈川21人、愛知8人、兵庫5人の、合わせて136人。
 1回目の12月9日の申立てには「順番に審査している」との回答で、7千件を超える滞留は残されたままです。3回目のいっせい申立ては2月6日の予定です。

ピースボート「ヒバクシャ地球一周証言の航海」129日間の旅終え帰港

 「ヒバクシャ地球一周プロジェクト」に参加の被爆者103人を乗せたピースボートが1月13日東京港に到着しました。昨年9月7日に横浜港を出港、5大陸20カ国を巡る129日間の航海でした。
 船上では若い人を巻き込んだ「おりづるプロジェクト」が展開され、若者と被爆者との対話や被爆者の証言の場が設けられました。
 各寄港地では、核実験被害者との交流や、各地の市長との面会も行ない、平和市長会議への賛同も30都市を超えて集めるなど、大きな成果を挙げました。

非核水夫の海上通信 国連憲章26条

 国連安保理は昨年11月、「軍備規制」の討議を行なった。国連憲章26条は「資源の軍備への転用を最小化する」とし、安保理にその計画策定を求めている。だがそのような計画は国連史上つくられていない。これに対し「軍隊のない国」として知られるコスタリカが安保理議長として、軍備と軍事費に正面からの問題を提起したのだ。
 「我々は貧困や飢餓をなくさなければならないのに、紛争が貧困や食糧危機を生んでいる」と、ノーベル平和賞受賞者でもある同国のアリアス大統領。
 討議には38カ国が参加。スイスやイギリスは武器貿易の規制を訴え、南アフリカは各国の軍縮を促す多国間協力を唱えた。インドネシアやベトナムは東南アジアの友好条約や非核地帯を集団的安保の例としてあげた。ボリビアは近く戦争放棄の新憲法を採択することをアピールした。
 格差と貧困が深刻化する中、日本国憲法の非軍事主義を世界で試すときが来た。川崎哲(ピースボート)

核不拡散・核軍縮に関する国際委員会第2回会議(ワシントン)に被爆者3人を派遣

 核兵器廃絶を求める多様な活動が世界的に広がる中、昨年「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(略称ICNND)」が、日本とオーストラリア両政府の主導で設立されました。ICNNDは、川口順子元日本外相とギャレス・エバンス元豪外相を共同議長とし、ウィリアム・ペリー元米国防長官はじめ13カ国13人の国際委員と23人の諮問委員で構成されています。2010年のNPT再検討会議に貢献するため、同会議に先がけて報告書を発表することを当面の主な目的としています。
 第1回会合を昨年10月シドニーで開催。第2回を2月にワシントン、第3回を6月にモスクワ、第4回を10月に日本で開き、2010年1月にNPT再検討会議への報告書をまとめる予定です。

NGO・市民連絡会発足

 この活動を成功させるため、日本NGO・市民連絡会が1月25日に発足しました。昨年12月15日の準備会、同24日の川口議長と市民団体・NGOとの意見交換会などを経て発足したもので、日本被団協の田中熙巳事務局長が共同代表(4人)の1人になっています。

被爆者が証言へ

 2月のワシントンでのICNND会議に、被爆者の証言を聞く場が設けられることになり、日本被団協は岩佐幹三事務局次長、愛知の道上昭雄さん、カナダ在住被爆者のサーロー節子さんの3人を派遣することにしました。
 日本から参加する2人に話を聞きました。
  *  *  *
 岩佐さん「今世界に核兵器廃絶への新しい風が吹いている。被爆者として体験を話すことを通して、それを実現させるよう訴えたい」。
 道上さん「戦争と核兵器をすべてなくしてほしいという、被爆者の思いと願いをわかってもらえるよう、できるだけ頑張りたい」。

わが街の被爆者の会 宮崎県被団協

 宮崎県原爆被害者の会は、毎年支部持ち回りで新年会を開きます。今年は1月18日に都城市内で開催しました。
 岡元貞則会長が「私達が生まれた頃にわが国で金融恐慌が発生、続く世界恐慌で失業者が溢れる中旧日本軍は満州事変を起こし、満州国を作って植民地とした。国家予算の多くを軍事費に使い日中戦争に突入。太平洋戦争に発展して私達が身も心も原爆に焼かれた。私達は核兵器廃絶まで生き抜く気概を持ち、昭和初期の轍を踏み戦争に発展しないよう、さらに強く原爆被害を訴えねばならない」と挨拶しました。

『ふたたび被爆者をつくるな――日本被団協50年史』もうすぐ完成

 本紙新年号で紹介した『ふたたび被爆者をつくるな――日本被団協五〇年史』の完成が、目前に迫ってきました。B5判2冊組み箱入り、本巻490ページ、別巻310ページ、定価12000円(税別)で、あけび書房から発行されます。
 被団協では予約を受け付けています。お名前、郵便番号と住所、電話番号を記入して、FAX(03‐3431‐2113)またははがき(〒105‐0012港区芝大門1‐3‐5ゲイブルビル9階 日本被団協宛)でお申し込みください。

継承願い文集発行 愛知自分史の会

 愛知自分史の会が、文集『過去から現在、未来へそして世界へ』第1集を発行しました。
 同会は1996年4月に発足し、これまでに50回を超える例会を重ねて活動を続けてきました。
 文集は「被爆者の過去と現在を明らかにし、被爆体験・核兵器廃絶の決意を未来へ継承するものにしよう」との視点からまとめられています。
 ひとつひとつの文章が短文で読みやすく、これから自分史を書く人の参考に、また、体験を聞く側にとっても、被爆者との対話のヒントが得られそうです。
 会の発足を呼びかけ、文集の編集に携わった荒木孝子さん(非被爆者)は「あとがきにかえて」で、被爆者の思いを受け継ぎたいと思えたのは被爆者の子どもの頃の話やがむしゃらに働いてきた話、子育ての思い出をたくさん聞かせてもらったから、と述べています。
 頒価800円(送料別)。問い合わせは日本被団協まで。

風紋 歌会始の入選歌

 ◇…「熱線の人がたの影くつきりと生きてる僕の影だけ動く」。皇居での歌会始、最年少入選者・福岡県久留米市の中学2年、北川光さん(14)の歌です。入選歌の最初に朗詠されました。
 ◇…広島・紙屋町、住友銀行の石段に残る、原爆に焼かれた人影。北川さんは昨年夏、広島旅行で着想を得て「被爆者への思いを率直に詠んだ」と話しています。「人がたの影」と僕の「動く影」の対比が鮮烈です。
 ◇…あの朝、石段で銀行の開店を待っていたのは越智ミツノさん(当時42)。通りがかった知人が声をかけると、手をあげて「ハーイ、元気ですよ!」と答えたそうです。

劇団文化座が『千羽鶴』を上演

 劇団文化座が、2月12〜22日、東京・田端の文化座アトリエで、『千羽鶴』を上演します。広島の被爆者佐々木禎子さんと、核兵器におびえる現代カナダの少年の物語が並行して描かれるコーリン・トーマス氏(カナダ)の戯曲で、文化座が1985年から88年に初演したものです。
 再演にあたり、文化座の嶋村浩康制作部副部長が被団協を訪れ、次のように話しました。「核兵器の脅威が依然として残り、民族紛争やテロとその報復など、戦争の影が世界を覆っている今だからこそ、この作品に取り組みます。演ずるのは劇団の若いメンバー。劇団としても次世代への引き継ぎをはかりたい」。

相談のまど

 【問】確定申告をするに当たって、被爆者健康手帳があれば控除が受けられるということを聞きました。本当でしょうか。また高齢者として控除などの措置はありませんか。
*  *  *
 【答】被爆者健康手帳を持っている、というだけでは控除は受けられません。被爆者で所得の控除が受けられるのは、厚生労働大臣が原爆症と認定した被爆者です。認定されると特別障害者として40万円の控除があります。さらに地方税30万円の基礎控除があります(所得税法第79条、同令10条)。
 被爆者に限ってではありませんが、介護保険法の要介護認定を受けていると「障害者控除対象者認定書」に基づいて「障害者に準じる」として、特別障害者か障害者のいずれかの控除を受けることができます。この場合は担当のケアマネージャーや市町村の介護保険の担当窓口に問い合わせてください。
 なお、被爆者が受給している原爆関係の諸手当は課税対象ではありませんので、所得として申告する必要はありません。

ツボはここ 頻尿に命門

 2月4日は立春です。しかし寒さはまだまだつづきます。身体を冷やさないように、あたたかくして過ごしましょう。
 寒いこの時期は、腰痛や膝痛などの症状に加えて、頻尿に悩む人が増えます。「年だから」とあきらめないで、ツボ療法を試してみてください。ツボは第2と第3腰椎の間にある「命門(めいもん)」です。ちょうどおへその背中側にあります。
 この時期は、お灸をすえたり、ツボの周辺に温シップを当てることをおすすめします。
 暖かくなってからは、人差し指を「命門」にあてて、皮膚表面を軽く刺激するように押さえてください。これを寝る前に10回程度毎日行なってください。衣服の上からで結構です。根気よくつづけてみてください。

被爆者年金手帳取得の証人さがし

 金 勝男さん 昭和19年12月生まれ、長崎市出身、韓国統営市在住。
 長崎市橋口町170番地にあった父親の勤め先(ボルトナット製造の工場)の社宅に、両親(父・金聖安さん、母・許乳兒さん)と住んでいました。出生地もこの住所で届けられています。日本名「金本」を名乗っていたようです。
 原爆投下時は生後8カ月で、母親とともに自宅で被爆。工場からかけつけた父親が瓦礫の中から必死で助け出した、と聞いています。戦後は家族で韓国に帰りました。
 前記住所に「朝鮮人の家族が住んでいた」とか「赤ちゃんが生まれた」ことなどを記憶している人をさがしています。
 連絡先(テレビ長崎報道部記者 橋場紀子)=長崎市金屋町1‐7 Tel095‐827‐8181(報道部直通)
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 玉井 巖さん 昭和4年12月生まれ、愛媛県周桑郡丹原町出身。
 昭和19年4月三菱重工長崎造船所に入社し、長崎三菱工業青年学校に入学しました。平戸小屋寮に入寮、後に飽ノ浦寮に移りました。寮では松山出身の沖原、八幡浜出身の萩森、高知県出身の高岡ほか2人と同室でした。工場は立神工場第2船台取付部で、小曾根初三郎組長、山下技師長、班長、同僚の向井、田中、高橋ほか1人と一緒でした。
 20年8月9日は休みのため、沖原さんとふたりで諏訪神社に行く途中、馬町の食堂で被爆。17日に帰郷したまま家業を継ぐため退社しました。
 連絡先(本人)=西条市丹原町明穂乙97‐1 Tel0898‐73‐2380