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原爆被害者の基本要求

−ふたたび被爆者をつくらないために−

 昭和20(1945)年8月、アメリカが原子爆弾を投下した日から、40年がたとうとしています。

 2発の原爆によって、これまでに少なくとも30数万人が殺されました。約40万人の人たちが、今なお"原爆地獄"の苦しみを抱いて生き続けています。

 この長い歳月にもかかわらず、「原爆被害者援護法」*はいまだにつくられず、世界は核戦争による破滅の危機に直面しています。「ふたたび被爆者をつくらない」という被爆者の何よりの願いがふみにじられようとしているのです。

 被爆者はもう、黙ってはいられません。

※法律上の「被爆者」(手帳所持者)以外に、死没者、遺族、子供、孫をふくむ。

原爆がもたらしたもの

 原爆は、広島と長崎を一瞬にして死の街に変えました。  赤く焼けただれてふくれあがった屍の山。眼球や内臓のとび出した死体。黒焦げの満員電車。倒れた家の下敷きになり、生きながら焼かれた人々。髪を逆立て、ずるむけの皮膚をぶら下げた幽霊のような行列。人の世の出来事とは到底いえない無残な光景でした。

 わが子や親を助けることも、生死をさまよう人に水をやることもできませんでした。人間らしいことをしてやれなかったその口惜しさ、つらさは、生涯忘れることができません。

 いったんは死の淵から逃れた人も、また、家族さがしや救援にかけつけた人たちも、放射能に侵され、次々に髪が脱け、血をはいて、たおれていきました。

 生き残った人たちも「原爆」を背負いつづけています。

 「家もなく無一物になり、何一つ楽しいことはなく、生けるしかばねです」「一生病臥の毎日です」「働こうにも人並みに働けない。人からはなまけ者と言われるが、こんな体にしたのは誰なのか」。結婚・就職などの差別をおそれ、被爆者であることを隠し続けている人たちも少なくありません。

 ちょっとした体の不調でも、原爆のせいではないかと思いわずらい、あるいはまた、いつ、原爆症が出るか、子や孫への影響は−−と、胸に爆弾を抱いたような毎日なのです。

 原爆で肉親を奪われた遺族も、悲しみと恨みの40年を生きてきました。

 「身寄りが一人もいなくなり、故郷も亡くなりました」「子供を助けられなかった親の悲しみは、死ぬまで続きます」「原爆の落ちた日から影も形もなくなった主人のことを忘れよというのは酷です。今でもきのうのことのように思い出します」「姉は、死ぬまで毎日が病気との闘いでした」

 原爆は、閃光とともに2つの街を壊滅させ、無差別に大量殺傷しました。人類が初めて体験した核戦争の”地獄”でした。

 原爆は、今にいたるまで、被爆者のからだ、くらし、こころにわたる被害を及ぼし続けています。

 原爆は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許しません。核兵器はもともと、「絶滅」だけを目的とした狂気の兵器です。人間として認めることのできない絶対悪の兵器なのです。

被爆者のねがい

 私たち被爆者は、原爆被害の実相を語り、苦しみを訴えてきました。身をもって体験した”地獄”の苦しみを、二度とだれにも味わわせたくないからです。

 「ふたたび被爆者をつくるな」は、私たち被爆者のいのちをかけた訴えです。それはまた、日本国民と世界の人々のねがいでもあります。

 核兵器は絶対に許してはなりません。広島・長崎の犠牲がやむをえないものとされるなら、それは、核戦争を許すことにつながります。

 原爆被害者援護法の制定は、国が原爆被害を補償することによって、「核戦争被害を拒否する権利」をうち立てるものです。「ふたたび被爆者をつくらない」誓いを、国として高らかに宣言するものなのです。

 被爆40周年を迎えるにあたり、被爆者は心の底から訴えます。

 核戦争起こすな、核兵器なくせ!

 原爆被害者援護法を制定を今すぐに!

 この願いが実ったとき、被爆者は初めて「平和の礎」として生きることができ、死者たちはようやく、安らかに眠ることができるのです。

 人類が二度とあの"あやまちをくり返さない"ためのとりでをきずくこと。− 原爆から生き残った私たちにとってそれは、歴史から与えられた使命だと考えます。この使命を果たすことだけが、被爆者が次代に残すことのできるたった一つの遺産なのです。

一、核戦争起こすな、核兵器なくせ

 被爆者は「安全保障」のためであれ、戦争「抑止」の名目であれ、核兵器を認めることはできません。「核の傘」を認めることは、核兵器を必要悪として容認するものです。「核の傘」とは、私たちにとって、原爆のきのこ雲以外の何物でもありません。

 世界はいま、「核戦争3分前」の危機にあります。核兵器廃絶は、一刻の猶予もできない課題です。

 核戦争を起こさせてはなりません。絶対に。

 核兵器がなくならなければ、安心はできません。

 地球上の核兵器がすべて廃絶されるまで、被爆者は、生き、叫び続けます。

 被爆者は、

 アメリカ政府に要求します。

1、広島・長崎への原爆投下が人道に反し、国際法に違反することを認め、被爆者に謝罪すること。その証しとして、まず自国の核兵器をすて、核兵器廃絶へ主導的な役割を果たすこと。

2、トマホークなど、一切の核兵器を日本に配備しないこと。核基地・核戦争関連施設を直ちに撤去すること。

 日本政府は、対日平和条約(第19条a項)で、原爆被害を含むすべての対米請求権を放棄しましたが、アメリカの原爆投下の道義的・政治的責任が、これによって、解消されるものではありません。

 また、戦後、アメリカはABCC(米国原爆障害調査委員会)を設け、被爆者を実験動物扱いして資料を集めました。治療のためではなく、新たな核戦争準備を目的にしたこの調査研究は、今なお被爆者を苦しめ続けています。

 何よりも「ふたたび被爆者をつくらない」との被爆者の願いにこたえることこそ、アメリカが人類史上において犯した罪をつぐなう唯一の道なのです。

 米・ソおよびすべての核保有国政府に要求します。

1、ヒロシマ・ナガサキに目を注ぎ、被爆者の声に耳を傾け、核戦争被害の実相を自国民に知らせること。

2、核兵器完全禁止条約をただちに結ぶこと。

3、自国および他国に配備された核兵器と核戦争関連施設をただちに廃棄すること。

4、核軍拡競争の土台となっているすべての軍事同盟を解消すること。

 日本政府に要求します。

1、核戦争被害国として、広島・長崎の原爆被害の実相を究明し、広く国の内外に伝えること。

2、非核三原則を法制化するとともに、非核国家宣言を行い、トマホーク、SS20など、日本および日本の周辺に配備された核兵器と関連施設をただちに撤去させること。どの国の「核の傘」にもはいらぬこと。

3、すべての核保有国に対して、ただちに核兵器完全禁止条約を結ぶよう積極的に働きかけること。

4、アジア・太平洋非核地帯の実現に努力すること。

5、ふたたび被爆者をつくらないために「国家補償の原爆被害者援護法」をすぐ制定すること。

 原爆の傷に今なお 苦しんでいる被爆者は、日本に核兵器が持ち込まれ、核戦争の基地になることも、核攻撃の標的になることも、がまんすることはできません。

 日本が、非核国家として核戦争阻止・核兵器廃絶に積極的役割を果たすことと、国家補償の原爆被害者援護法制定は、被爆者への償いの根幹をなすものであり、唯一の核戦争被害国としての務めです。

二、原爆被害者援護法の即時制定

1 日本政府の責任

 アメリカの原爆投下は、人類史上初の核戦争被害をもたらしました。

 その行為が無差別・非人道的で、国際法にいはんするものであることは、すでに原爆裁判が究明したところであり、日本政府も「国際法の精神に反する」ものだと認めています。原爆被害を人間に強いることは、決してあってはならないことなのです。

 二度とくり返されてはならないこの原爆被害は、もとより被爆者の責任で起きたものではありません。「溯れば戦争という国の行為によってもたらされたもの」なのです。

 反人間的な原爆被害が、戦争の結果生じたものである以上、その被害の補償が戦争を遂行した国の責任で行われなければならないのは当然のことでしょう。

 「国家補償の原爆被害者援護法」の即時制定は、日本政府の義務なのです。

 日本政府は、対日平和条約に置いて、連合国に対するすべての損害賠償請求権を 放棄し、原爆被害についての請求権をもこれに含めました。これは、原爆被害を無視しただけではなく、原爆投下責任の追及を事実上放棄したものです。対米請求権を放棄した政府は、自らの責任に基づく援護法制定をよりいっそう急ぐべきでした。

 それにもかかわらず日本政府は、戦後、米占領軍とともに原爆被害を隠しつづけたばかりでなく、被爆者にとって最も援護の必要だった戦後の12年間、何の援護政策もとらないまま放置しました。この時期に、多くの被爆者が亡くなっていったのです。

 その後、運動の成果として、原爆医療法、特別措置法が制定されましたが、最大の被害者である死没者についての補償はなく、諸手当の支給要件に所得制限規定を残すなど、とても被害への「国家補償」といえるものではありません。原爆被害の実相を把握する調査さえ、いまだに国は行っていないのです。

 原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)はその「意見」で、被爆者対策は「広い意味における国家補償の見地に立って講ずべきである」とのべながら、現行二法がそれを満たすものとしました。そしてさらに、国民は戦争犠牲を「ひとしく受忍しなければならない」として、援護法の制定を拒否したのです。国家補償の原爆被害者援護法がいまだに実現しないのは、日本政府が基本懇意見を盾に、原爆被害を今なお「受忍」させ続けていることにほかなりません。

 ヒロシマ・ナガサキからすでに40年、被爆者は急速に高齢化し、「早く償ってもらわなければ、われわれの命が先になくなる」と痛切に叫んでいます。

 ことに、核戦争の危機を目前にした今日、被爆者が一日も長く生きて、核廃絶を訴え続けるために、援護法は欠かすことのできない糧なのです。

2 原爆被害者援護法の四つの柱

 国家補償の原爆被害者援護法は、次の四つの要求を柱としたものであるべきです。

(1)ふたたび被爆者をつくらないとの決意をこめ、原爆被害にたいする国家補償をおこなうことを趣旨とする。

原爆被害への国家補償を行うことは、核戦争被害を国民に「受忍」させないと国が誓うことであり、「ふたたび被爆者をつくらない」ための大前提となるものです。

(2)原爆死没者の遺族に弔慰金と遺族年金を支給する。

原爆の最大の犠牲者は死没者です。およそ被害補償制度にして、死没者補償を含まないものはありえません。弔慰金と遺族年金は、国としてその非業の死に対する弔慰を示すとともに、家族の被爆と死によって長く苦しい人生をたどらされた遺族に対する償いの意味をもつものです。

(3)被爆者の健康管理と治療・療養を全て国の責任で行う。

被爆者は原爆による病気と健康不安に苦しみ続けています。しかも「原爆放射線の身体的影響については−−なお解明されていない分野がある」ことは、基本懇意見も指摘しているところです。こうした実態は、原爆の非人間性を示すものです。国は原爆医療についての研究をすすめるとともに、被爆者手帳だけで医療と健康管理を行うなど、被爆者の健康に全面的に責任を負うべきです。

(4)被爆者全員に被爆者年金を支給する。障害を持つものには加算する。

被爆者の苦しみは「被爆者であること」それ自体です。原爆被害は決して基本懇がいうような「放射線晩発障害」だけではありません。被爆者年金は、被爆したために、生きている限り背負い続けなければならない身体的・精神的な苦痛や不安、社会生活上の困難などの原爆被害を償うものです。

3 原爆被害者援護法制定の意義

 戦争の反省から生まれた日本国憲法はその前文で、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意」しています。この憲法の下において、戦争犠牲を「受忍」させる政策があっていいものでしょうか。いわんや、核戦争被害が、絶対に人間として「受忍」できるものではなく、「受忍」させてもならないものであることは、私たち被爆者が自らの体験を通じて訴え続けてきたところです。

被爆者が求めているのは、原爆被害に対する「国としての償い」なのです。

被害に対する補償は、同じ被害を起こさせないための第一歩です。原爆被害者援護法は、国が原爆被害への補償を行うことによって、核戦争被害を「受忍」させない制度を築き、国民の「核戦争を拒否する権利」をうち立てるものです。

原爆被害者援護法の制定は、在外被爆者、外国人被爆者、さらに核実験被害者などに対する補償制度の根幹となるものです。また、一般市民の戦争被害に対する補償にも道をひらくものだと考えます。

原爆被害者援護法の制定によって、核兵器否定の理念を確立することは、日本が被爆国として果たすべき国際的責務です。

原爆被害者援護法を制定してこそ、日本の核兵器廃絶の訴えは、世界の人々の共感をうるものとなるでしょう。

ふたたび被爆者をつくらないために、

「国家補償の原爆被害者援護法」を、

今すぐに!