■万燈町駅第1展示室

20.2.9 2コマを追加
旧性能電車(吊掛式駆動車)

私が東海道線の電車に乗った記憶があるのはおそらく1968年頃からではないかと思います。153系や165系は急行用で、当時の最寄り駅、東刈谷には停まらなかったほか、急行料金が必要で、乗れる電車ではありませんでした。1968年にはEF58が牽く普通列車も電車に置き換えられており、記憶がありません。利用するのはもっぱら吊り掛け式駆動の旧性能車ばかりでした。
 画像の説明や提供者、福田様の文章にもありますが、80系以外に70系がありました。当時、70系は大垣電車区の配属で、中央線の電化の進展を前に、東海道線で運用されていたようです。
 昭和50年代に入ると、旧性能車は乗り心地の悪さ、維持に手間と費用がかかるために新性能車に置き換える方針に切り替わりました。当時、80系は古いものでも25年に満たない経年でしたが、さらに新しかった300番台を含めて急速に113系などに置き換えられました。
 荷物用のクモニ83はその後もしばらく残っていましたが、他地区で役割を終えたクモニ143やクモユニ147が転入することによって置き換えられました。速さは現在の311系や313系には及びませんが、時速90kmで飛ばす80系の走行音や揺れがが今も体に刻まれています。(19.12.22)

(注) 拡大画像はJava Scriptを使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。

80系
猿渡川を渡る80系12連

東海道線の電化開業以来主力として活躍してきた「湘南電車」です。1970年頃までは新性能車は主に急行「東海」に使われていたため、当時乗ったのはほとんどこの80系でした。
 電車は40年以上使われると思っていたのに1977年、大垣電車区で80系の廃車が発生し、衝撃を受けました。大阪の交通科学博物館(→京都鉄道博物館に移設)に2両が残されていますが、全国の鉄道車両のデザインに影響を与えた2枚窓金太郎塗りのクハ86が保存されていないのは残念です。
 運用の都合で真っ昼間にも長編成となるスジが存在していました。

クハ86形3枚窓 new
80系の初期車3枚窓のクハ86

典型的な初心者の失敗作のため、掲載をためらっていましたが、このタイプただ1コマの写真ですので公開します。
 小6の冬休み、浜松工場入場車の回送が来るかも知れないと、線路沿いへ出かけました。回送の前に来た下り電車の先頭がクハ86の3枚窓でした。大垣電車区には004、019の2両が配属されていました。廃車が早かったのですが、撮り直しのチャンスを得られませんでした。
 回送はクモヤ90の単行ながらも撮ることができました。

クハ85
中間付随車サハ87に運転台を取り付けたクハ85

長編成が基本であった80系でしたが、乗客数に合わせた短い編成が必要となり、中間付随車サロ85(2等車:現グリーン車)やサハ87に運転台を取り付けて先頭車化する工事が行われ、クハ85となりました。あとから付けたにしては整った顔立ちだと思います。
 写真の107号はサハ87の300番台を改造したものです。70系、80系では300番台は全金属製車体を表していましたが、すでにサロ85の改造車が300番台を使っていたため、例外的に100番台となりました。時刻表で折り返し時間を推定して撮影したものです。

70系
岡多線の訓練運転のため岡崎へ回送される70系

私が小学校に上がる前後、70系は東海道線の普通電車も担当していました。当時、安城市内の耳鼻咽喉科に通うため東刈谷駅からしばしば乗車し、クハには時々3枚窓貫通扉付きの車両やシートッピッチが広い赤い座席の車両が連結されていたことを覚えています。後に買った本でそれぞれクハ68、サハ75であったと推定されます。
 その後ここでは見られなくなっていましたが、1976年旅客開業の岡多線で使用されることになって、毎日夕方、差替用の編成が上っていきました。
 写真は岡多線旅客開業前の試運転用電車です。奥の方に東刈谷駅が見えますが、このあたりもすっかり変わってしまいました。

クモユニ81
碧海地区でも見られたクモユニ81

撮影を終えて帰ろうと東刈谷で下り列車を待っていた時に、反対側に発着した上り列車の後尾にクモユニ81が付いていました。乗車した下り列車はクハ68形を先頭にした70系だったように記憶していますが、サロ格下げのサハが連結されていて、刈谷までのたった一駅でしたがソファーのようなシートの座り心地を味わうことができました。
 まだ北九州から転居したばかりで、とにかく東海道本線の列車が見たくて新幹線と同時に見られる東刈谷付近に行ってみたのだと記憶しています。

写真、文:6・25鉄道趣味工房 福田均様

私がまだ保育園に通っていた頃、東刈谷で撮影された作品を掲載させていただくことができて感激です。この頃クモユニ81が走っていたとは知りませんでした。(碧)

クモユニ74
クモユニ74005先頭の大垣夜行347M

72系の中間電動車モハ72改造の荷物、郵便合造車では初期の形式です。大都市圏の通勤用電車の新性能化が進み、地方へ転属する72系は短編成化によって中間車が余りました。それらを廃車にせず、活用したという背景があります。自分自身は旧性能車ですが基本番台は連結相手が新性能車に限られることが異色です。初期のものはヘッドライトが大型であることに特徴がありました。
有名であった大垣夜行は下りのみ荷物電車を併結しており、このクモユニ74が先頭に立っていました。

 

クモニ83
クモニ83×2+113系×4

モハ72の改造車ですが、荷物専用になりました。クモユニ74、クモユニ82などの仲間を加え、全国の国鉄線で普通電車などに併結して活躍する姿が見られました。自分自身は旧性能車でしたが、新性能車とも連結して走ることができました。
 写真の電車にはクモニ83が2両付いて、吊掛式独特の音に続いて新性能車113系の音がするにぎやかで豪快な走行音が楽しめました。
 新性能荷物電車クモニ143や飯田線から栄転?のクモユニ147に役目を譲る間際の撮影です。
 パンタグラフのホーンの先端の角度が緩い特徴から低トンネル対応のPS23でしょうか。

クモニ83800 new
クモニ83×2+80系

クモニ83には低屋根タイプの800番台がありました。大垣区の配属で、東海道線では標準タイプのものと共通で使用されましたが、中央線の低トンネル区間を通過する運用があり、その対応のために800番台が用意されたとのことです。
 ちなみに、前に載せたクモニ83023はPS23装備のようですが、同型パンタは低トンネル区間に入ることを意図していたはずです。そうであれば、中央線にも入っていたのでしょうか?
 80系の引退が決まり、同系と併結した電車を狙ったものですが、後ろが80系であることがわかりやすい写真を残せなかったのは残念です。


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参考文献
 旧性能電車関係:国鉄電車ガイドブック(誠文堂新光社)
159系:鉄道ファン1993.1月号(381)「修学旅行電車のあゆみ-その3−
鉄道ファン2000.11月号」

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