■万燈町駅第4展示室

02.08.19

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過渡的な3色混合編成(1) 過渡的な3色混合編成(2) 1975年撮影の113系。当時は非冷房、大目玉のヘッドライトは当たり前であった。

3色混合快速編成(1)  NEW
 名鉄を撮りに東枇杷島に行きました。後ろに東海道線、新幹線も見え、名鉄とのからみも狙えるポイントです。ふと見ると東海道線をこんなのが走ってゆく、あわててシャッター切った1枚、カラー入れてて良かったと思ったものです。
1980.4.3 名古屋-枇杷島

写真、文:汽車・電車1971〜
 多田真也太様

3色混合快速編成(2)
 なんと私も多田さんと同じ日に同じ編成を撮っていました。新快速色入りの編成にさらに修学旅行色の159系が入るとは思ってもみませんでした。湘南色に塗り替えられたものを含めて159系が最後の力走をしていた頃です。
 後ろからクハ165-118+モハ152・153-119+サハ159-1・・・(名カキ)

3128M快速 1980.4.3 刈谷-東刈谷

1975年撮影の113系
 1975年当時、普通電車の主力は80系で、111・113系はまだまだ少数派でした。とりたてて特徴のない編成ですが、目新しさに惹かれてシャッターを切ったようです。
 非冷房、大目玉のヘッドライトが懐かしい・・・どころか、定期列車では既に113系がここには現れなくなっているとは隔世の感があります。
1975.2.9  刈谷−東刈谷

3色混合編成や大垣電車区の急行形電車に関して当時の資料に基づく情報をいただいておりますが、愛知県安城市の大岡様より新たな情報をいただきました。(02.08.19)(碧)



ヘッドマークを取り付けていた頃の修学旅行電車「こまどり」 京都駅に到着する湘南色クハ153先頭の新快速 山科駅を通過する湘南色クハ153先頭の新快速

159系修学旅行電車「こまどり」
 貴HPには「こまどり」の写真が多いですね。思い入れのある車両なのだと思います。そこで、当方にて所蔵するヘッドマーク付きの「こまどり」の写真をお送りします。名古屋駅0番ホームを発車しようとする写真です。バックに写る駅事務所も懐かしいです。残念ながら、逆光のため、側面が潰れており、また、一部カビのため汚れています。独特の色使いは他の画像で御想像ください。(朝7時半頃:時刻表では7:28)の撮影です。
1972.6.25 名古屋

写真、文: 西野伊吹様

湘南色クハ153先頭の新快速(1)
 私はこの年から京都の学校に行き、153新快速を追っかけ、逆にミカンの新快速車を狙ってました。京都駅に到着するところです。山陰線のキハ47が見えます。

1980.4.22 京都

写真、文:  Yama-nin様

年季の入ったヘッドマークは153系での運転が終焉間近であることを物語っています。クハ153もキハ47も共にオレンジ系の塗装ですが、並べてみるとずいぶんイメージが違いますね。(碧)

湘南色クハ153先頭の新快速(2)
 やはり2編成存在してたみたいです。名古屋よりと姫路よりそれぞれに湘南色500番台が記録に残っています。写真は山科駅を通過する新快速です。 車番が見えそうですがクハ153-555かはわかりません。
1980.4.24 山科

写真、文: Yama-nin様

その後、この画像をご覧になったサロ163様よりこの車両を特定するための推定レポートをお寄せいただきました。さて、この車は何号でしょうか?(碧)

クモニ83×2を先頭にグリーン車も入った豪華編成の153系 湘南色のクハ165が1両入った12連の新快速編成。縞のヘッドマークも懐かしい。 湘南色のクハ165を先頭にした新快速。117系への置き換えが目前に迫った頃。

クモ二83×2+153系急行編成
 荷物電含めた14両の153系ですが、後尾は急行の種別を出していたのでひょっとすると 比叡?かも知れません。正直言って撮影の記憶がないのですが、ネガにはしっかり写ってるのでシャッターきったんでしょうね。
クモニ83×2+153系12連
1980.7.6 神足(現長岡京)ー山崎

写真、文:  Yama-nin様

なんと堂々たる編成でしょうか。きっと走行音も豪快だったことでしょうね。当コーナーでこの列車が何であったかの情報を募集しておりましたが、別記の情報をいただきました。(碧)

湘南色クハ165を含むブルーライナー12連
 この日は前日の運用から朝の新快速編成*2(12連)の普通安土行きに入るのが解り、朝からそれををねらいました。この列車が折り返し京都行きになりここで6両、6両に切り離し西明石行新快速になりました。
1980.7.7 京都−山科

写真、文: Yama-nin様

普通列車や快速列車に使われるときはヘッドマークが縞地のみの表示になっていました。これだけ大型のマークでは簡単に着脱ができなかったための措置と思われます。(碧)

湘南色クハ165先頭の「新快速」
 153系での運転は最後になると思い、折り返し京都からの西明石行き新快速に乗車し車内音も録ってあります。再び草津行き(?)になってさらに折り返し西明石行きで戻ってきたのがこの写真です。
1980.7.7 京都−山科

写真、文: Yama-nin様

私が関西から転入したブルーライナーに目を丸くしていた頃、関西の皆さんは湘南色の新快速を追いかけられていたのですね。正に所変わればといったところです。(碧)

京都に到着するモハ2ユニットがブルーライナー色の急行「比叡」 グリーン帯がまだ消されていないサロ153やブルーライナー色を含む編成の急行「比叡2号」 運用を離脱し167系と連結されて留置されていた153系

混色の急行「比叡」(1)
 153系新快速終焉間近の80.7.4、京都→西明石間で乗車、車内録音した帰りに大阪〜京都間で急行「比叡」を新快速が追い抜くことを知っていたので一度それを体験しようと思いました。大阪駅で発車を待つ「比叡」はなんとモハユニットが全て新快速色だった事にビックリ!新快速の車内からも追い抜きざまに比叡を撮影し、京都には先着して急いで電車線ホームの前寄りにて比叡入線を待ちました。
 後日、この編成を撮影しようと沿線にきた時は再び新快速色をはさんだ編成に巡り会うことはありませんでした。
モハ2ユニットがブルーライナー色の急行「比叡」
1980.7.4 京都

写真、文: Yama-nin様

この先頭車両のナンバーが判明しました。(碧)  NEW

混色の急行「比叡」(2)
 おぼろげな記憶をたどれば、当日は、弟と一緒だったような。名古屋駅3,4番ホームは、比叡、のりくら、しらさぎ、ひだ、荷物列車など見てるだけで満足してました。 1番線北の端にはいつもEF58がいたりして。
 当時おおむね古い車両は西に流されていくと言う感じがしていたのに、混色編成は西方から戻ってきた気がして、シャッターを切ったときはがっかりしていたような気がします。しかし、グリーン車の連結された編成はこの1枚で、私にとって二重に貴重な1枚です。 
402М 急行「比叡2号」  1980年 名古屋

写真、文: 準急比叡様

運用離脱したクハ153?
 153新快速運用終了後に車両はどうなっているのか?また、すでに117系投入により7月以前に運用離脱した153などはどうしているのか?と野洲の車両留置場までバイクで見に行ったことがありました。写真はクハ167と連結されたまま留置される光景です。右側はクハ153でしょうか。私が撮影したものや第2展示室のクハ164は先頭部分のオレンジが側面に回るとすぐ緑塗装になっているのに対して写真の車両は運転室扉前までがオレンジ塗装になっている点が相違しています。この車両は廃車前提の疎開留置かと思われます。
1980.6.25 野洲

写真、文: Yama-nin様

サロ163様、401Mクハ153-76様よりこの車両に関する見解や宮原の167系に関する情報ををいただきました。(碧)

刈谷ー東刈谷間、国道のアンダーパス工事に伴う仮線を行く修学旅行電車「こまどり」 1975年当時「快速」の代表的な「顔」であったクハ153-500 80系末期の頃、まだ非全金属車が残っていた。(クハ86076)

159系修学旅行電車「こまどり」(カラー)
 既にヘッドマークは廃止されていましたが、カラーの159系「こまどり」を載せておきましょう。1975年当時、東刈谷駅から1kmほど西では現国道419号線のアンダーパスの工事のため、仮線が敷かれており、臨時にできたカーブは制限速度50km/h、12連の長編成には格好の撮影ポイントでした。「こまどり」はシーズン中連日運転されていて、あてずっぽで撮りに行ってもたいていはやって来ました。
8312M「こまどり」
1975.5.18 刈谷ー東刈谷

クハ153-500
中京地区の快速編成は153系を中心とした8両編成で、両数の多いクハ153-500は代表的な「顔」でした。
小学校の卒業が近づき、カラーで撮影することを許されるようになった初期の頃の撮影で、153系では最も古い1コマです。当時は1枚撮影してそこそこ満足できれば場所を変え、各度を変えて同じ形式を撮影することはほとんどしませんでした。その結果、ブルーライナー色や原形非冷房など異端車にはよくカメラを向けたのに、ノーマルな車の写真があまり残っていません。
1975.2.9 刈谷−東刈谷

クハ86非全金属車
 今年のトップ画像に使用している作品です。
 80系は当初内装に木造の部分が残っていましたが、末期には近代化された全金属製車体に移行し、300番台で区別されていました。1977年に入って急速に廃車が進み、新しい300番台以外の車両が優先的に廃車される傾向がありましたが、一部にはまだ非全金属車も残っていました。外観上は側面窓上下の帯(シル、ヘッダー)で区別できました。
クハ86076 537M
1977.11.13 刈谷−東刈谷


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参考文献
 旧性能電車関係:国鉄電車ガイドブック(誠文堂新光社)

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