衣浦臨海鉄道始まって以来と思われるサプライズニュースが入ってきました。JR貨物のDD51の入線が実現したのです。
知多半島の付け根、衣浦湾の両側に造成される臨海工業地帯の原材料、製品輸送のほか、地元で古来生産されている製品を輸送する目的で設立された第3セクターの貨物専業鉄道です。当社は直接線路がつながらない半田線(武豊線東成岩から分岐)と碧南線(同東浦から分岐)の両線がありますが、碧海を走る碧南線の貨物列車をご紹介します。
現在碧南線では下りは朝の1本のみで、炭酸カルシウムを輸送。上りは2本に分割されてフライアッシュを輸送します。通常片道は空車となるのですが、往復とも積荷がある効率のよい輸送です。毎日ではありませんが上りが2本となる日の下りはKE65の重連となります。
なお、1999年に碧海地区の地元ケーブルテレビ局で当線が取り上げられ、運行業務の様子が紹介されました。比較的新しい鉄道であるにもかかわらず、タブレット閉塞が残っており、意外な穴場であることを知りました。
大府以南の列車は武豊線内を含めて専ら臨鉄のKE65が使用されています。ところが、2013.1.15、朝の重連、5570レ(大府→碧南市)の先頭を突如JR貨物のDD51853が務めました。このことを仲間内ではだれも知らなかったのですが、たまたま石浜付近を訪れていた一人が撮影。直後に送られてきたメールからは興奮が伝わってきました。
DD51が衣浦臨海線へ乗り入れるだけでも十分サプライズですが、5570レで臨海鉄道のKE65との重連が行われます。しかも、次位無動ではなく、汽笛合図による協調運転も普段どおり行われ、たいへん注目に価するものとなりました。
実は、当線へのDD51の入線は計画があるという噂がかなり前から聞こえていました。JR東海管内でATS-Pの運用が始まり、武豊線も例外ではありません。使用は短区間ながら、KE65にもATS-PFを取り付ける必要が生じたのです。高価な装置であり、衣浦臨海鉄道のような小規模の鉄道には相当重い負担になったはずです。そこで、既にATS-PFが取り付いている愛知機関区のDD51を直通運転してはどうかということが検討されたものと思われます。
これが前段階なのかは不明ですが、2011.3ダイヤ改正から5580レがDD51の運用になりました。大府に到着後、日中は昼寝をしているため、碧南市まで行っても所要両数は増えずに済みます。その後、2011.3の東日本大震災による磐越西線緊急燃料輸送に伴う派遣機捻出のためのEF65PFへの持ち替えや、同年9月の三岐鉄道の水害による2ヶ月間の運休など、DD51の入線を阻む?できごとがあり、噂は立ち消えになったかに思われました。結局、2011.8入場の5号機を皮切りに、KE65にも順次ATS-PFの取り付けが行われ、2012.3ダイヤ改正以降も運用に変化はありませんでした。
KE65は2号機へのATS-PFの取り付けが見送られたため、稼働は3両となりました。そして、5号機が全般検査を受けるため、2012.12.12に大宮車両所へ発送されました。その結果、KE65に予備がなくなっていました。今回のDD51の入線は、残るKE65に交番検査が重なったための代走です。当初は検査日程が重ならないように計画されたものの、5号機の入場がずれ込んだため、やむなく代走で乗り切ることになったとのことです。
しかし、5日間、KE65は1両で乗り切ったかといえばそうではありません。15日、1号機が稼働して、大府に残った3号が半田埠頭へ帰ったかと思えば、16、17日は3号機が稼働しました。そして、18、19の両日は1号機(正確には17日の551レから)が稼働しました。1号、3号はそれぞれ2日間で交番検査が実施され、特に時間を延長しての修繕の必要がなかったため、1/20は代走を取り止め、所定に戻りました。
DD51は重連の5570レの先頭に立ち、5573レで帰る運用に限定され、半田埠頭へは入りませんでした。5571レが碧南市を出た後、DD51は単機で臨海の運転士さんのハンドル訓練が行われていました。
(記事を書いた時点で)既に現役機も続々40歳を超えるDD51。今回、衣浦臨海鉄道の碧南市へ新たな足跡を刻みました。今後の活躍に期待するとともに、衣浦臨海鉄道の活性化にも期待したいところです。
日付 | 5570レ牽引機 | 備考 |
1/15 | DD51853+KE651 | 550レ KE651+KE653(無動) |
1/16 | DD51847+KE653 | |
1/17 | DD51875+KE653 | 5570レ30分遅延 |
1/18 | DD51890+KE651 | |
1/19 | DD51853+KE651 | 551レ KE653+KE651(無動) |
1/20 | KE651+KE653 | 所定に復帰 |
今回の一連の代走は事前情報が一切なかったにもかかわらず、第一報をいただいたFさんを始め、リアルタイムで情報交換させたいただいた仲間たち、沿線でお会いした同好の皆さんのおかげで充実した記録をすることができました。
また、DD51の新たな実績、KE65との重連を求めて遠路駆けつけた皆さん、たいへんお疲れ様でした。多くの皆さんに衣浦臨海鉄道を訪問していただく機会になったことは、地元ファンとして嬉しく思います。
2013.1のDD51入線はKE655号機の全検入場中、予備車なしで運用されていた1号機、3号機に交番検査を行う必要が生じ、実際に機関車が不足するのを補うためでした。稼働状態のKE65が3両では、今後も同様の事態が起こりうるため、再度DD51を借りて訓練が行われました。KE65とDD51ではブレーキの扱い方が異なり、DD51の運転経験がない臨海の運転士さんの習熟を目的としたものでした。ここでは、2013.2と同10月の訓練時のトピックとなる写真を掲載します。
2013年に入ってDD51が3回(1回あたり3〜5日)入線しました。そうなると、DD51への置き換えを視野に入れているのかと考えたくなります。しかし、当面はそのような計画はないのだそうです。輸送量的にはKE65で十分。それどころかKE65ほどの高性能は必要ないくらいであり、DD51のほうが燃料消費量が多いため、不経済とのことです。しかし、前記のとおり、稼働機が3両では入場と故障が重なると機関車不足が避けられないため、いざというときにDD51を借りられるように万全を期して訓練を行っていると伺いました。
1975年11月15日、半田線が先に開業し、1977年5月25日、碧南線が開業して全線が開通しました。国鉄DE10にそっくりのDL、KE65は開業当初から武豊線をそのまま進み、大府まで乗り入れています。
しかし、開業後の輸送量は予想通りとはいかず、企業の進出の遅れ、社会情勢の変化の影響を受けて伸び悩みました。特に碧南線では肥料、穀物、地元特有の産業である瓦の輸送が打ちきられ、一時は早くも廃止ではと心配したものでした。事実、武豊線にSLが運転された頃、碧南市行きの貨物は編成が短いことが多く、1984年にはKE65型2両(652、655)が1984年に転換開業した岐阜県の樽見鉄道に売却され、本線用のDLは半減の2両となりました。
その後、碧南市に石炭を燃料とする火力発電所が建設され、セメントや建築材料の原料として使われる石炭灰(フライアッシュ)の輸送を担うことになり、久々の明るい話題となりました。そのために国鉄清算事業団からDE10が2両購入され、2代目KE652、655となりましたが、新製の初代よりも2代目の方が古いとは奇妙な事例です。
碧南市行き炭カル列車は復路が2本に分割されて大府へ戻るため、往路はKE65の重連となります。この運転形態は炭カル、フライアッシュの輸送が始まった1992年から続いています。当初は次位機は無動力でしたが、最近は2両とも力行します。計画段階では発電所の燃料である石炭の輸送も想定されており、KE65を重連総括制御ができるように改造する予定であったと聞きます。しかし、実際には改造が見送られたようです。(未確認)その結果、5570レは全国的にも珍しい協調運転が行われています。 2両の機関車には運転士さんがそれぞれ乗務しています。駅を発車し、ある程度加速が進んだところで先頭の機関車が汽笛を鳴らします。そして、次位機が同じ汽笛を返します。この汽笛はSLの重連運転時、絶気の合図として使用されるもので、同じ合図を武豊線や衣浦臨海鉄道でDLが鳴らしているのは興味深いところです。ただし、SLのように完全に動力を切ってしまうのではなく、次位機だけが「ノッチオフ」になります。
このような運転形態がいつから始まったかはわかりませんが、5570列車は通常ホキ車10〜16両と重く、発車時にはかなりの負荷となることや、降雨時には空転の恐れがあるものと考えられます。トラブルを未然に防ぎ、より安全性を向上させる目的ではないかと考えられます。
説明が長くなりましたが、実際に動画でご覧いただきましょう。(画像から衣浦臨海鉄道関連(碧電アカウント)のYoutube動画再生リストに入れます。)汽笛が鳴った後、次位機の排気が薄くなることがわかります。
当社の機関車は車検を受けに遠路はるばる運ばれていることが特筆されます。長らくJR西日本の後藤車両所でしたが、2006年に検査を受けたKE651はJR貨物の小倉車両所、3号機は2009.4.22〜7.23に大宮車両所へ入場しています。そして、2011.8の5号機ATS改造は新たに広島車両所で行われることになりました。
当社はかつて国鉄清算事業団から部品調達用と思われるDLを購入した実績があり、自社で整備を行っていたはずです。4両しかない機関車が全般検査を受ける機会は平均でも年に1回はなく、そのために大掛かりな機械や人材を整備しておくのは不合理なので、外注することにしたとすれば不思議ではありません。
度々入場先が変更されるのは受け入れ先の工場の混み具合などでその都度変わるようです。既に親会社のJR貨物ではDD51もDE10系も全般検査を打ち切っており、近年ではJR東日本の秋田総合車両センター(旧土崎工場)で検査を実施しています。
整備の内容について東日本の担当者と数回の打ち合わせを行ったそうです。当社の機関車はJR線を走行するため、検査や整備はJR貨物の基準に則ったものだそうで、高度なものということになります。各地の臨海鉄道線内のみで運行される貨物列車は最高速度が50km/h以下であるのに対して、当社のDLは武豊線内で65km/hで運行されます。最高運転速度が僅か15km/h違うだけでも機関車に要求される性能、新製価格は大きく異なるのだそうです。それゆえに嵩む費用負担を含め、1両の機関車の「車検」を通すだけでも多大なご苦労があるようです。
近年、中小私鉄が置かれる環境は一層厳しさを増し、その存続が危機的な状態になっているところも少なくありません。東北地方では、国土交通省の働きかけもあり、各社ごとに高価な設備を持つのではなく、融通しあうような協力体制が構築されつつあるようです。今後、このような動きが広がるかも知れません。
本稿では夢の活性化案として旅客化の構想を述べていましたが、構想と言うよりは妄想に過ぎず、もはや読んでいて空しくなるだけです。
しかし、活性化案を考えたのは、せっかく整備された鉄道がお世辞にも満足に活用されているとは思えない状況にあるからであり、その思いは今も変わりません。
比較的最近の状況に目を向けると、衣臨には広い視野では追い風が吹いているように思われます。具体的には、環境負荷低減を目的としたモーダルシフトが推進されていることが挙げられます。その後はやや失速しているように感じられますが、この地域ではトヨタ自動車が東北地方の工場向けに当地で製造された部品の輸送をコンテナ列車に切り替えたことは既に広く知られています。また、福島第一原発の深刻な被害の影響で、当面は火力発電所の重要度が増すものと考えられます。(ただし、発電所の耐用年限を考えると、次の更新時も石炭が燃料になるとは限りません。)
衣臨碧南線の沿線は国道419号線、247号線が整備され、トラックによる小規模貨物を集めやすい環境にあります。刈谷駅にあったコンテナ集配施設も国道419号線沿線へ移転され、オフレールステーションとして名古屋貨物ターミナルへの中継基地として使用されています。碧南市駅や既に廃止された高浜市駅ならば「オフレール」ではなく、「オンレール」として、直接貨車に載せて発送できるのではないでしょうか。そのような余地が残されているのではないかと思います。決して強くはありませんが、追い風にぜひ乗ってほしいと思うところです。
参考文献:鉄道ピクトリアルNo.572(1993.3)<特集>臨海鉄道
相互リンク先狐の部屋でも衣浦臨海鉄道を扱っています。仙台臨海鉄道からの購入車、DD35や国鉄清算事業団から購入され、整備されたものの使用予定が撤回になってしまったDE11など、地道に撮影された写真も豊富です。衣浦臨海のページはこちらからお訪ね下さい。
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