■衣浦口駅第1展示室 -武豊線の定期列車(1)-
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●国鉄時代
刈谷を出た下り電車は逢妻を経て三河と尾張の境界、境川を渡り、大府に着きます。ここから知多半島を南へ分岐する非電化の路線が武豊線です。東海道線の建設資材の輸送が目的の一つであった武豊線は、東海道線の大府以東よりも古い歴史を持っています。
私が武豊線を意識したのは小学校の3〜4年生頃であったと思われます。2年生の頃まではSL、C11が残っていたはずなのですが、見た記憶がありません。
毎年夏になると親しくしている近所の方たちと連れだって行っていた南知多へ海水浴への途中、車の窓から見える架線の張られていない鉄道に、どんな車両が走っているのだろうと思ったのが武豊線でした。やっと見られた列車はキハ35系3両編成。当時の知識にない車両で、屋根といの下に朱色の帯がないことや、外吊り両開きのドアが物珍しく見えました。
その後買ってもらった鉄道の写真集に同系の写真を見つけると、白い方向幕のところに「武豊」と書き込む・・・。そんなことをしたような気がします。
自宅から最も近い非電化の旅客営業線であった武豊線は注目の的で、名古屋へ行くときは必ず武豊線のホームを見るようにしていました。いつも35系ばかりなのに、1度だけキハ58系+キハ17+キハ35の編成を見かけて歓声を上げました。
小学校低学年の頃、私は珍しい列車を見かけると、帰宅後よくそれをスケッチブックに描いていました。それがしだいに撮影の意欲へと移行していきました。
原色キハ35系
はじめてキハ35系の写真を撮ったのは小学校卒業間近の1975年3月のことです。緒川駅で面を撮っておしまいでした。その結果、武豊線で撮ったオリジナル塗装のキハ35系はこの1枚きりになりました。たしか、刈谷から緒川まで子供運賃は10円か20円くらいであったと思います。国鉄が毎年のように値上げをする前のことでした。
まっ黒い貨車も懐かしい貨物列車
緒川駅で下車して石浜方向に歩き、ここにたどり着きました。時刻表上の次の列車とは反対方向の信号が青になっていて、何が来るのかとわくわくして待ちました。真っ黒な貨車が続くこの列車、もう5年早く来られたらSLが牽いていたのでしょうに・・・。
タラコ色に塗り替えが始まった頃
なぜか武豊線のキハ35系の写真があまりありません。当時はホームから撮ったもので満足していたのです。
国鉄の気動車の塗装規定の改定によってオリジナルのツートンカラーが2色を混ぜたようなオレンジ色(俗称:タラコ色)に塗り替えが始まり、目新しさからシャッターを切った1枚が残っていました。
名古屋へ向かう通勤列車で、なぜオリジナルの5両編成をまともな場所で撮っておかなかったのかと今さらながら悔やんでいます。
解体予定のスハネ16を連結
はじめて武豊線を訪問した日の帰り、貨物列車にB寝台客車スハネ16が2両連結されているのを見ました。記憶が定かではありませんが、乙川駅近くにスクラップ鋼材を扱う工場?があり、国鉄の廃車解体を請け負っていたようで、海水浴の帰りにも工場内に客車が置かれているのを見たことがあります。
最後尾に連結されたキニ26
朝夕に運転された通勤通学の輸送力列車は急行「のりくら」や「紀州」の編成をそのまま使った6〜8連でした。夕方の946D(名古屋ー武豊)の最後尾には荷物車キニ26が連結されており、カメラを向けましたが、大幅なアンダー。記録ノートにはF2.8,1/250(ISO400)とあり、今にしてみれば手持ちでも1/60くらいは十分切れたはずなのにと悔やまれます。
粒子がかなり荒れていましたが、目立たなくなるように処理してみました。こうしてみるとテールランプの感じは悪くありません。
キニ26はキニ28に交替
武豊線直通の列車は当然刈谷には行きませんが、気動車乗りたさによく利用しました。この時は普通車扱いのグリーン車、キロ282314に乗車したと記録されています。
最後尾の荷物車はキニ28に置き換えられていました。この車はそのキロ28を種車にキハ40系並の車体を新製したものですが、国鉄末期には荷物輸送自体からの撤退により、新しい車体は10年と経たないうちにお役ご免となってしまいました。 *この列車の編成記録はこちらをご覧下さい。
「はやぶさ」との並び
日本油脂専用線訪問時に初めて武豊線全線に乗車しました。乗車自体を目的とするよりも、必要あって乗るほうが価値があることのように思えました。
発車前に撮った通過する「はやぶさ」との並びは撮ったことすら忘れていた何気ないスナップでしたが、方向幕に「急行」と表示されており、急行の前仕業で武豊まで入っていたことを物語る価値あるシーンとなりました。
大築堤をゆくキハ35系4連
武豊線に団体臨時列車が入線するとの情報を得て撮影に訪れたときの作品です。リバーサルカラーも持っていましたが、当時はタラコ色のキハ35ごときにリバーサルを使うなんてもったいないという感覚でした。その結果、とうとう武豊線内ではカラーの走行シーンがありません。
当の団体列車は築堤の奥の貨物線を通ってしまい、写真は撮れませんでした。
前面強化が目立つキハ35
夏場の武豊線はとにかく草が生い茂り、撮影ポイントを探すのに苦労しました。
普段着姿の武豊線キハ58系2連
私が一旦郷里に戻った1985年、日中の列車はキハ58系に置き換えられていました。夏場に冷房が入り、冬場には冷気の侵入がなくなって居住性の向上に貢献しました。他にキハ58+キハ65の編成もありましたが、武豊線ではパワーを持て余していました。
工業地帯のイメージが強い武豊線ですが、アングル次第ではローカル色豊かな写真が撮れます。
壮快10両編成のキハ58系
急行の間合いに武豊線の輸送力列車に使用されていたキハ58系ですが、グリーン車が入った編成は残念ながら撮らずじまいでした。
それでも1986年のSL運転時に見られた長大編成のショットは残しています。試運転を含めたSL運転日には基本の2両が3両増結となり、2運用併結の列車は10両編成になりました。
4形式混結による10両編成
SL運転日の後半は一部の車両がキハ35に置き換えられました。この頃のキハ35は検査期限の残る数両だけが残る状況で、急行型に夾まれて色あせた車体にむち打つように走る、まさに最後の活躍でした。しかし、全車がエンジンを唸らせて築堤を登ってゆく様はさすがに壮観です。
キハ35、28、58、65の4形式による10両編成。
●下記の点について情報をお寄せいただきました。
朝夕、キハ58・28系を中心とした急行運用の間合いを利用した通勤通学列車、および、乙川駅付近にあったと思われるスクラップ工場?で行われていた国鉄車両の解体工事について情報を募集しましたところ、読者の皆様から情報をお寄せいただきました。
なお、関連する情報やご感想を引き続き募集いたします。
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