■衣浦口駅第7展示室 -民営化後、キハ75導入前の武豊線-  09.07.18 UP

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●JR東海色のキハ58系、40系

1987年4月の分割民営化時、武豊線の列車はキハ58系、キハ65でした。キハ35は新会社へ引き継がれることなく、国鉄時代に廃車になっています。つまり、通勤型がなくなり、急行型のみで運行されていたことになります。
 民営化当初の頃は国鉄色のままで、オレンジ色のJRマークだけが目新しいものでした。1990年に運行を始めた快速「みえ」用にクリーム地にオレンジ帯の塗装が登場。その後快速「みえ」車以外の車両にも波及し、武豊線でも同色が次第に増えていきました。
 今回は民営化後、キハ75系への統一前の同線を紹介します。

JR東海色のキハ48
武豊線でも見られるようになったキハ48

キハ40系は国鉄時代から名古屋鉄道管理局に配属されていましたが、武豊線では見られませんでした。1989年、冷房化とともにJR東海色への塗り替えが始まり、1991年に武豊線にも転属してきました。まだワンマン化、機関換装は行われていません。後記表のとおり、当初、キハ48形は写真の2両だけだったようです。

国鉄色のキハ65
国鉄色のキハ65503(海ナコ)

左の列車の後打ちです。朝、名古屋へ直通する列車は休日でも4両以上でした。
 ここは緩いカーブの好ましい撮影ポイントで、臨時列車やSLの撮影では重宝しましたが、この頃に埋め立てが行われて見苦しくなってしまいました。

「みえ」色のキハ65
「みえ」色のキハ65

快速「みえ」用のキハ58、65はモケットの張り替えなどの車内整備、クリーム地にオレンジ帯への塗装変更を受けましたが、その後、他車にもこの塗装が波及し、末期には名ナコの58、65は全てこの塗装になりました。新幹線300系やユーロライナーのようにオレンジ帯は太い帯の下に細い帯が入り、また、JRマークも車端部に小さなものが入りました。

キハ58系6連の通勤列車
東海道線内を快走する58・65の6両編成による快速

平日にはキハ58+65のみの6両編成が走っていました。快速「みえ」用グレードアップ車も含まれ、乗り得でした。
 この当時私は大阪在住でしたが、愛知の実家から直接出勤したり、出張に出掛けたりしたことがあり、数少ないチャンスに撮影したものです。
 加速が遅い気動車がダイヤ設定上のネックとならないように東海道線内は快速になりましたが、キハ75系となった後も電化されてからも「区間快速」として存置されています。

58・65-3000番台
急行「かすが」用58・65 3000番台

武豊線へキハ75系が投入されることになった1999年、しばらくご無沙汰であった沿線へ出掛けてみました。朝の通勤列車に名古屋始発の急行用編成を間合い使用する伝統(?)はまだ保たれており、急行「かずが」専用車、キハ58・65の3000番台が前運用として武豊まで往復していました。3000番台車は快速みえ用グレードアップ車5000番台と同様、新幹線0系の座席への交換が行われましたが、パワーアップ、高速化改造は行われませんでした。

キハ47+58、65の6両編成
キハ47x4+58+65の6両編成 5927D

JR東海では両開扉のキハ47は少数派で、5両のみでした。扉位置が運転台から遠いためか、ワンマン車改造は見送られ、長らくラッシュ時しか運用がないというもったいない使われ方でした。平日と土曜日の朝には47x4にキハ65、58を併結した6連があり、尾張森岡の築堤の大きさにも負けない見栄えのする編成でした。
なお、後年、夕方の名古屋発武豊行のキハ58、65の運用が47形x4に変わったと記憶しています。

●キハ40系の動き

武豊線にキハ40系が入ったのは1991年のことです。それ以前の急行型が冷房化されていたためか、非冷房車によるグレードダウンは避けられたようです。その後、ワンマン化、カミンズ社製エンジンによるパワーアップ、改番が実施されていますが、武豊線関係の40系の動きを整理すると下表のようになります。

時期できごと備考
89.1〜90.1キハ47、48が冷房改造JR東海色への変更配置は伊勢区、美濃太田区
90.1キハ402059が冷房改造、機関換装、JR東海色への変更5059に改番。配置は伊勢区
91キハ48526、1524、キハ47形5両が海ナコへ転入 
92キハ48形10両、キハ40形1両がワンマン改造。海ナコへ追加転入キハ48500番台の5両は機関換装も実施、番号が原番号+3000に。
92.10.12ワンマン運転開始出典:ウィキペディア
94.12キハ481530が機関換装481530→486513に改番。JR東海所属車内での番号整理に方針転換。
96.5〜12キハ481523、1524、1528、1529機関換装6500番台に改番。
97.4〜12キハ473、1109、1110機関換装3→5001、1109→6002、1110→6003に改番
99.5.9この日の深夜からキハ75系投入開始。ダイヤは従来どおり。四線会掲示板過去ログ参照
99.6〜7キハ474、1027機関換装4→5002、1027→6001に改番
99.12.4ダイヤ改正。全面キハ75に統一スピードアップ、名古屋直通大幅増。



キハ40+48
キハ40+48の2連

キハ40+48の2連です。朝夕は2運用併結の4連が見られますが、日中は2連の列車が多かったわけで、これこそが武豊線の代表的な記録であるべきです。しかし、短い列車はどうしても敬遠してしまい、この日も「列車が短くなったから引き揚げよう。」といったところだったはずです。気づけば2連はこの1コマしかありません。危うく当時の当り前の姿を撮り逃してしまうところでした。
 ちなみに武豊線ではキハ40は405059の1両のみでした。

キハ48x4
キハ48型の4連

キハ48の4両編成です。2運用の併結で、日中は2両ずつに分割されます。
 同型も名古屋直通快速で東海道線を飛ばしましたが、エンジンを交換していてもブレーキや台車の強化が行われていないため95km/hがリミット。名古屋−大府間途中金山のみ停車で17分かかっていました。(新快速ならば刈谷まで行ってしまう。)

キハ75型投入の頃
1999.5のキハ75投入後、ごく一部が在来車で残った。

キハ75系は99.5.9の夜から武豊線での営業を開始し、翌日からは大半の列車が置き換えられました。写真は早朝の武豊行快速922Dですが、12.4ダイヤ改正までキハ47やキハ58・65で残った数少ない列車です。先頭のキハ471027は5両中唯一エンジン未改造です。同車は7.30付でエンジン換装、改番が行われているため、改造入場直前と思われます。

JRマーク以外国鉄時代と変わらなかった武豊線の気動車は、塗装変更、キハ40系への置き換え、ワンマン化(キハ48型のみ)、エンジン換装という動きがありました。それぞれの時期、順番までは覚えていませんでしたが、長年にわたり気動車の研究を熱心に続けられているWESTさんから資料のご提供を受けました。大量に製造されたキハ40系の資料の中から武豊線関係のデータを抜き出していただいたもので、お手を煩わせたことを記すとともに、謝意を表します。(09.07.01)


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