北海道航空問題研究会(HAPS)

1 北海道国際航空(エア・ドゥ)の存続問題について




@北海道国際航空(エア・ドゥ)の存続問題について


1.設立の経緯、経過 

1998年12月、北海道国際航空(エア・ドゥ)は、航空分野における規制緩和を受けて、世界一の旅客数を誇る東京〜札幌線に新規参入した。このエア・ドゥの生みの親である濱田氏は、東京〜札幌線の運賃が高いことを受けて、北海道の活性化のために半額運賃を掲げて、初代の社長である中村氏とともに会社設立に奔走し、1,2号機を導入して12便/日を運航するに至ったが、残念ながら志半ばにして、2000年6月に亡くなっている。

 エア・ドゥは当初、大手3社の運賃が25,000円のところ、半額の運賃で参入する予定であったが、事業採算性から、16,000円で運航開始するに至った。大手3社は、次の年、この運賃に対抗するため、エア・ドゥ便に近い便の運賃を同額にする特割りを設定した。エア・ドゥは大手3社より安い運賃を設定することにより70%後半の利用率が確保できると予想していたが、残念ながら価格の優位性を失い、当初計画の利用率を確保することはできなかった。このことは、中村、濱田両氏にとっては予想外のことであったと思うが、著者にとっては予想できたことであった。というのは、1979年にアメリカで規制の撤廃が行われ、多くの新規航空会社が参入し、大手航空会社との間で価格競争が行われた歴史があるからである。その後、体力のない新規航空会社の多くは吸収合併・倒産し、大手航空会社がメガキャリアとして、市場を寡占化し、運賃が上昇した歴史がある。


Aエア・ドゥの経営破綻

エアドゥの経営破綻と全日空との提携について

1.民事再生法の申請

 6月25日、エアドゥは民事再生法に基づく手続きを申請して、自主再建を断念
し、実質上経営破綻に陥った。
 前回の調査・研究報告を掲示して以来2ヶ月後の出来事であり、エアドゥの存続
を願っていた筆者にとっては、大変残念なことであった。