原案 ジュディス・C・ブラウン 『ルネサンス修道女物語 聖と性のミクロストリア』
キャスト ヴィルジニー・エフィラ(ベネデッタ)/シャーロット・ランプリング(修道院長)/ダフネ・パタキア(修道女見習い・バルトロメア)/ルイーズ・シュヴィヨット(修道院長の娘)/ランベール・ウィルソン
メモ 2023.3.3(水)なんばパークスシネマ
あらすじ
17世紀に同性愛者として裁判にかけられた修道女がいてはったらしく、その話を元に作られているそうです。
感想
映画冒頭6才のベネデッタが修道院に入る際、金持ちの商人風の父が持参金を払う。そういうきまりになっているらしい。
そうして、両親は天国へのチケットを手に入れる。金持ちは天国に行ける。つまり「地獄の沙汰も金次第」
臨終のときの聖職者による秘跡も大事らしい。
そういう懺悔を聞いたり、許しを与えたりと大事なことを行う人々が、修道女ベネデッタの手、足、わき腹に聖痕が現われても彼女にキリストが降臨しても、実のところ修道院長も神父も教皇の大使も誰も奇跡を信じていないのに驚く。
もともと神がいるなど思ってもいないらしい。
なぜ信じているふりをしているかと言うと、食べるためそして権力を持つため。宗教と言う名のもとに利権のシステムが作られている。
振り返れば前例踏襲、既得権益を守るという現代の政治家の世襲も同じやねー 一般ピープルが食べるに困る事はなくなったというのが違うけど。