2001年6月の映画


誘拐犯
2001年 米国 119分
監督/脚本 クリストファー・マックァリー
音楽:ジョー・クレイマー
主演:ベニチオ・デル・トロ(ロングポー)/ライアン・フィリップ(パーカー「ラスト・サマー」)/ジュリエット・ルイス(ロビン) /テイ・ディッグズ/ニッキー・カット/スコット・ウィルソン/ジェームズ・カーン/ディラン・カスマン/クリスティン・リーマン/ジョフリー・ルイス
メモ 2001.6.23 梅田松竹ピカデリー
あらすじ
ロングポーとパーカーは流れ者のふたり。運を求めてあちこちさまよっているその日暮らしだ。たまに金のため血を売ったり精子なんかも売ったりするのよ。精子は3000ドルで売れるんだけれど売精子屋で雑誌のヌードなんぞ見ていたら「大富豪チダックの代理母が10万ドル手に入れる」っていう話を小耳にはさんでしまったってわけ。おいら達のザーメンったら精子は何万個ってあるのにたった3千ドルよ。9ヶ月かかるとはいえたった一個の卵をかえすだけで10万ドルだってさ。女っていいよな。うーんもしかしたらこれは運が向いてきたのかも。胎児を誘拐するってのも前代未聞でいいんでないの。と一か八かの勝負にでるふたりであった。胎児の身代金ったら1500万ドル要求するのよ。
感想
「ユージュアル・サスペクツ」でアカデミーオリジナル脚本賞を受賞したクリストファー・マックァリーの初監督作品。旬のベニチオ・デル・トロやら若手のライアン・フィリアップなんぞも出ている。かなり期待してみたのであったが・・・・・。

まず、ジェームズ・カーンとベニチオ・デル・トロがかみ合っていない気がする。それぞれがそれぞれの演技をしてはりました。そして、二人組のロングポーとパーカーが賢いのかアホなんかようわからん。導入部からそこんとこは暗示はされていましたが。 胎児を妊婦もろとも誘拐する前半はいいんですけれど、その後はもうちょっと練った脚本でもえーんではないの?というやっつけ仕事の気がする。最後なんかぶっちゃけた話「明日に向かって撃て」そっくり。(のような気がした) 
だいたい大富豪のチダックはなにゆえ息子が欲しいのだ? 一人目が出来損ないだったから? それに、ヤクザの始末屋のジェームズ・カーンは昔の仲間のおいぼれ親父達を連れて誘拐犯に挑むんやけれど、昔の仲間をそんなに捨てゴマに使っていいわけ?  旬の過ぎたジュリエット・ルイスは何を考えておるのだ? と「????」で頭がいっぱい。まあベニチオ・デル・トロはメキシコの雰囲気にぴったりで見とれましたが(笑)。

ジェームズ・カーンの一言がなかなか面白かった。
「おいぼれやくざをバカにしちゃいけねぇ。 (やくざしながら)この年まで生き延びて来たって事なんだぞ。(ただ者ではないんじゃ)」

おまけ−
14年前にさぼてんも谷町四丁目の国立大阪病院で(病院食がピカイチという話でここに決めた) ”出産”という体験をしたのですが、Dデーには予備室みたいなのに詰め込まれてカーテンで区切られた隣も妊婦、向かいも妊婦でなかなかににぎやかな体験でございました。一日で5人の赤ちゃんが生まれたんですが、二人目という人の話を後で聞いたら、その人が一人目の赤ちゃんの時は大混雑で一晩で14人! 修羅場だったらしいです。
はじめは隣からずーっとすすり泣きが聞こえて、赤ちゃんの泣き声でもないし何なのかなあ?と思っていたら看護婦さんが「元気ださな」と慰めてはって。どうやら死産だったらしく気の毒でした。 それから3時間後向かいの人が「ヒーフーヒーフー」と始められて何をされているのかと思っていたら「ラマーズ法」の呼吸法を実践されていたのですね。「ほう、たいしたもんやなあ」と感心いたしました。 それからまもなく斜め向かいの人が「はあはあはあはあ」ととても苦しそうな息を始められて。「わあ、苦しそう」と思っていたら「もうちょっとでラクになるから」と看護婦さんやらお医者さんやらバタバタはじまって。なんだなんだと思っていたらどうやら逆子で緊急の帝王切開になったらしく運ばれていかれたら10分もしない内に赤ちゃんの泣き声が聞こえて。帝王切開っていうのは想像以上に手早いんですよ。びっくりしました。と「うーん」とうなりながらも色々な耳体験ができた10時間でした。一度でもう十分ですけれど。
おすすめ度★★★
戻る

JSA
2000年 韓国 110分
監督 パク・チュヌク
製作 イ・ウン/シム・ジェミョンZ
原作 パク・サンヨン
脚本 キム・ヒョンソク/チョン・ソンサン/イ・ムヨン/パク・チャヌク
撮影 キム・ソンボク
主題歌 「二等兵への手紙」 「宛のない手紙」 キム・グァンソク
主演 ソン・ガンホ/イ・ビョンホン/イ・ヨンエ/キム・テウ/シン・ハビョン
メモ 2001.6.22 敷島シネポップ
あらすじ
人々が寝静まった深夜、銃声が夜を引き裂く。
どんな場所であろうと大事件だが、ここは一発触発の地、板門店であった。
感想
緊張する映画だった。北朝鮮の兵士と韓国の兵士を向かい合わせ、それぞれの主張を秤に掛けるシーンがすぐれている。

さぼてんは世界情勢にも歴史にも疎い。と言う訳で的はずれな事ばかりですが「大阪城築城400年祭」の時に朝鮮韓国の在日の人達が大反対をしているというのに驚いた事があったのです。なにゆえ反対されていたかというと「豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたから」・・・。「そういやそういう事ありましたな。」「秀吉の妄想が破裂した事件が」「金沢の兼六園に行った時、加藤清正が『朝鮮の役』でぶんどってきたとか言う”塔”がありましたな。」という感覚だったんですよ、さぼてんは。
その頃だったと思うのですが、ニュースで北朝鮮と韓国の人達が会議で向かい合って机を叩きながらお互いに「民族の敵!」とののしりあってはったんを見ました。ポーズとも思うのですが、いったい何事かと思ったら「友好のための卓球試合」の話し合いの場だった訳で。それもまた驚いた記憶がある。熱い。血が熱い。ゆえの悲劇なのかな。北朝鮮と韓国の人は「兄と弟」といってはりますが、どっちが兄で弟なんだろう?。

それにひきかえ、日本人って淡泊というか”水に流す”の好きなんじゃないかな。この間NHKの「その時歴史が動いた!」で「モンゴルが攻めてきた。」話を見ていたのでありますが、有史始まって以来の大事件ですよ。国家存亡の大危機ですよ。でも「モンゴルに反感」が今あります? 現代史でも、原爆を落とした米国に対し含む所あります? ロシアに分割されずに済みマーシャルプランという米国のお慈悲が日本を飢えさせなかったとはいえ。たとえ、米国の言う「米国の兵隊を守るため」という説に、「目的が手段を正当化」する米国やからと百万歩譲ったとしても、長崎への原爆投下はなんやねん。種類も落とし方も変えて。実験としかおもえん。「なにがネバーパールハーバーやねん」(熱い、さぼてんも)と思うのはさぼてんだけ?
おすすめ度★★★★
戻る

みんなのいえ
2001年 日本 126分
監督・脚本 三谷幸喜
出演 唐沢寿明/田中邦衛/田中直樹(ココリコ)/八木亜希子/野際陽子/吉村実子/清水ミチコ
メモ 2001.6.1 IPM試写会
あらすじ
CM作家の直介と教師の民子の夫婦は、家を持つ夢をいままさに実現しようとしていた。資金のメドもついたし高台の気持ちいい土地も手に入れた。後は家を建てるだけ。一生もんだから失敗したくないし、センスのいい家を持ちたいと民子の力がはいる。夫の直介はどちらかというと「よきにはからえ」という心情であったのだが。
感想
「みんなのいえ」・・・なるほどねぇ。持ち主は当然としても、建てるのに関わった人達(しょう油を貸した隣のおばさん程度でも)はみんな「自分が建てたんだ」と自負するのね。
映画もみんなの力で手作りしていくもんやねんけれど。「家を建てる」という自らの体験から、二本の手で形ある大きな物を造りあげていくという喜びと苦労を間近に(イヤでも無理矢理)感じさせられた監督は転んでもただでは起きなかったって訳なの。映画「お葬式」と同じく家族の歴史的大イベント映画。

さぼてんは建設会社に勤めていて、その会社が作っている物というのは「ただの建物」ではなくそれはもう「作品」なわけ。まあ建築というのは総合芸術と言われていますから。が、最近とみに施工品質と納期に問題がではじめ、有名マンションの納期が間に合わないってのがぎりぎりで発覚し、支店の内勤のOLもホワイトカラーも総出でふたり一組バケツと雑巾片手に仕上げに投入されたって大騒動が東京方面であったらしい。施工途中のマンションの廊下や階段は右往左往する職人と素人でラッシュ時の御堂筋線のホームより込み合っていたらしい。結構笑える話ながら、笑えない事実なのだ。よってたかって作るものなのよ、建物という命と財産を守る器は。

さぼてんの「勉強嫌い」の兄貴も一級建築士。映画見ていて感心したんですけれど一級建築士ってのは結構尊敬される職業なんですね(登記のために便利使いされるだけかも)。兄貴を見ていたら信じられん。あのぼーっとした兄貴がねぇ。10年程前にさぼてんが本町の伊藤忠ビルの13Fで働いていた時(さぼてんのいる部署はお店が手狭になるたんびに別のテナントビルに一時借り置きされるのだ)、一階下に道路公団が入っていてそこにコーヒーの安い自販機が置いてあったもんで、こっそりよく買いにいってたんですけれど、そこの入り口で兄貴にばったりあったのだ(・・)。「お兄ちゃん、何してんの?」と聞くと「道路公団の仕事している」という。吹けば飛ぶような設計事務所なのに。(工業高校の建築科を卒業した兄の就職が決まったというので、家族全員で会社を見に行ったらバッタ屋の倉庫の2階が事務所なのを知ったショックで母が「バッタ屋の倉庫の2階、2階・・・」とうわずんだ声でうめいていた。20数年たった今も変わらずそこが事務所のまま。つぶれるよりましかと母もあきらめの心境)。「お兄ちゃん、ちゃんと仕事してるやん。」とまじまじ顔を見てしまったな。
そういや、最初で最後の見合いの釣書の経歴欄に「今までした仕事」を書いていた兄貴、「どこそこの焼き場、どこそこの焼却炉、どこそこの倉庫、どこそこの焼き場、どこそこの焼却炉、どこそこの冷蔵庫・・・」と嬉しげに羅列していたな。嬉しいんねんな、きっと。(お兄ちゃん、主な仕事をふたつみっつ書けばそれでえーねんよと心の中で思いながら見ていたさぼてんでした)。
おすすめ度★★★1/2
戻る