2001年1月の映画


60セカンズ GONE IN SIXTY SECONDS

2000年 米国
監督 ドミニク・セナ
製作 ジェリー・ブラッカイマー/マイク・ステンソン
出演 ニコラス・ケイジ(メンフィス・レインズ)/アンジェリーナ・ジョリー(サラ)/ジョバンニ・リビージ(キップ・レインズ)/デルロイ・リンドー(キャッスルベック刑事)/ウィル・パットン(アトレー)/クリストファー・エクルストン(カリートリー)/チー・マクブライト(ドニー)/ロバート・デュバル(オットー)
メモ 2001.1.27 天王寺ステーションシネマ
あらすじ
キップは仕事をどじる。高級車ばかり50台を盗む仕事を請け負ったのだが、警察にアジトに踏み込まれなんとか逃げたものの雇い主のカリートリーからは逃げ延びられず命は風前のともしび。カリートリーはキップの命よりも50台の車が欲しい。中東の客が待っているのだ。こやつも契約に縛られているってわけ。でもって、引退したキップの兄メンフィスに白羽の矢が立てられる。弟の命が惜しくば72時間で50台の車をなんとかせいっってわけ。ただの車とちゃうねんよ。ムスタングやらメルセデスやらレア物もたっぷり含まれている。(中東の客って金持ちなんやったら普通に金出して買えばいいやんとも思うねんけど、色々な人が間に挟まってそれぞれ甘い汁を吸おうって訳なのね。最終的な客は普通に買うのと同じくらいの金を払うんじゃなかろか。中間搾取されているって事)
感想
カーチェイスがよい。とてもシャープだ。ニコラス・ケイジもかっこいいが主役は車かな。女の人達も”ばかな男”にとっても理解があって、すばらしいボディと怪物のようなエンジンを持った車にぞくぞくくる男は必見作品(笑)。ビロードのようになめらかに走りはじめる車ってのに乗った事がないのでわからないんですけれど、そういう車を運転するって気持ちいいんでしょうね。
アンジェリーナ・ジョリーはなんで出ているのかわかりません。添え物。家族愛、兄弟の確執、仲間意識ってのも「まあないよりあった方がいいかな」程度の深みなんですけれど、それぞれクセのある役をくせ者役者が演じていてしっかりした映画になっている。悪者のクリストファー・エクルストンが特にいいです。この人は演技に手を抜きませんね。評判イマイチで期待していなかったけれど、思っていたよりも頭カラッポで見れてすかっとした。

−2001年1月27日の冒険物語−
本当は今日はヴィンセント・ギャロの「コード」を見に行くつもりで家をでたんです。新世界国際劇場という映画館で「3本立」の一本が「コード」だったもんで。ちょっと「新世界」っていうのが怖かったんですけれど、映画館のホームページもあるし、最近新世界はきれいになったし、電話で上映時間を問い合わせたら親切で「お待ちしています」ってお答えだったもんで、勇気を出して恵美須町まででかけたんですけれど。。。。
映画館の前まで来て一応観察する。「入ってだいじょうぶかな?」 「ポルノ映画館と併設なんだな」 「中年のジャンバーきた男の人達がひとりで入って行くな」とおそるおそる中を覗き見ていたら後ろで声がする。    「あの人が入ったら俺もはいるわ。」 えっ!? あの人って誰のこと? もしかしたら、アタシ!? とおそるおそる振り返ったら自転車に乗った中年男の集団。アタシを指さしているではないかっ!  その内のひとりがさぼてんに声までかけてくるの。「おねえちゃん。映画見るの? ワシおごったるさかい、はいろ」 
どきどきどきどき。誰が入るかっ! 「いえ、いいです。」と答えると「誰か待ってんの? 待ち合わせ?」と聞かれる。「ええ、まあ」と待っているふりする。「ねーちゃん、映画みいや。」仲間に向かって「そやけど、ここはオールナイトの時の方がええねんで。」(何がいいんだろうか) 「もうなんでもしほうだい」(うわあああああ〜) もぎりをしている中年の女の人を見るがさぼてんがもし手ごめにされても助けてくれそうにないっ。ひたすら男の集団が立ち去ってくれるのを待つ(後でも付けられたら大変やから)。「はよ、どっかいけ!」と念じている内に、なにやら仲間に「また、夜にこよか」といいながら、去っていった(ほっ)。
ああ怖かった。 せっかく出かけてきたからと動物園前シネフェスタに行くが「三文役者」もいいけれど、今日はぱっとしたのがいいなとパス。じゃ、天王寺に出てアポロに行ってみようかと思い、一駅だからと新今宮から天王寺まで歩く。    が、その道中がまた怖かったの。天王寺動物園の横の道ってシラミの卵(見たことはありませんが)のようにホームレスの青いシートの家がびっしりとたちならんでるんですね(ホームレスというよりは、路上生活者か)。最近のホームレスは若い男も多いから悪い事もされるっていう噂が頭の中をぐるぐる。雨で人通りも少ない。もうパニック一歩手前。駆け足状態で天王寺ステーションが見えてきた時にはほっとしました。阿倍野地下街(あべちか)を通った時に天王寺ステーションシネマを見たらちょうど「60セカンズ」が始まる所だったし900円だしという訳で見たのであります。はあ、疲れた。
おすすめ度★★★1/2
戻る

アヴァロン

2000年 日本 106分
監督 押井守
プロデューサー 久保淳
脚本 伊藤和典
美術 バルバラ・ノバク
出演 マウゴジャータ・フォレムニャック/バディスワフ・コヴァルスキ/イエジ・グデイコ/ダリュシュ・ビスクプスキ
メモ 2001.1.25 梅田東映パラス2
感想
前半が特に眠い。。。たるい。。。ひさしぶりだ。こんなおおはずれの映画は。。。緊張感ゼロ。
映像的にはすばらしいんですよ。どのシーンも絵になっていて。でも、それだけ。なによりひとつひとつタメが多い。しかもそれがやたら長いんだ。そこんとこが、ハリウッド映画のたたみかけるような展開とちゃうという監督の思い入れかもしれん。「監督やスタッフはこの映画を見て『すばらしい!』と思ったんだろうか?」という疑問がフツフツ湧く。入れ子になった仮想世界の話でまあ
「ニルヴァーナ」に似ているかな。 観客は20人ほどで、その内の3人は前の上映からみられてたのかもしれませんが、途中で出ていかれました。

ところがですね、さぼてんはこうも思うんです。この間ラース・フォン・トリアー監督の「エピデミック Epidemic」を見たんですけれど、これまた眠い映画で。。。。でもカルトとして評価もされているでしょ?。だからきっと後年この映画もカルトとして評価されると思う(たぶん)。このたるさがいいんだよ、人によっては。
おすすめ度★★★1/2
戻る

十階のモスキート

年 日本 108分
監督 崔洋一
脚本 内田裕也/崔洋一
撮影 森勝
音楽 大野克夫
出演 内田裕也/アン・ルイス/宮下順子/吉行和子/佐藤慶/ビート・たけし/小林念侍/風祭ゆき/木村やすし/小泉今日子
メモ 2001.1.23 ビデオ
あらすじ
昇任試験に落ち続ける巡査部長。後輩の突き上げも厳しい。毎日毎日クソ面白くない事の繰り返しだ。家に帰ればひとりカップ麺を食べ、なじみのスナックで酒を飲む毎日。気むずかしく友達もいない。離婚した妻からは慰謝料と14才の娘の養育費が滞っていると矢の催促。どうしようもなく競艇で一攫千金を狙うがパー。その帰りにふと立ち寄ってしまったサラリーマンローンでは公務員と言うことで魔法のようにすんなり金が手に入る。が、それは”火の車”の始まりであった。
感想
崔洋一監督のデビュー作。辛い(カライ)映画だった。
40代というのは重い。記憶力も体力も衰えてくるし三方向に分かれていく時代かもしれない。「上昇気流」に乗っていてやるき満々の人と(↑)、「まあ、俺ってこんなもんかな。そこそこやん。」と納得できるか(→)、「こんなはずじゃなかった。」とうまくいっていないか(↓)。という事は、体力も知力も気力もまだある30代の過ごし方が大事やねんね。それと厄年のかわし方が。どつぼにはまるとどんどん落ちていくというのを真っ正面から捕らえた映画だった。この映画でも描かれていますが女はしなやかというか、したたかでしたね。

さぼてんは音楽に疎い。というわけで内田裕也さんを知ったのも悠木千帆さんと結婚した時。悠木千帆さんという方はよくは知らないんですけれど、さぼてんは結構「えらい人だな。」という印象があるんです。その後離婚されましたが、今でも悠木千帆さん(樹木希林)はいつか内田裕也さんが戻ってくるのを待っているんだろうという話を読んで「あの女傑が惚れる男ってどんななんだろう。」って興味があったんです。この映画を見て「なるほどね」、って思う。ほっとけない。待っているのが本当だとすれば、「我が儘で好き勝手している」男だけど一人娘を育て上げてもっくんと結婚させて、内田裕也を待っている樹木希林さんの気持ちが解るような気がする。惚れてるんだ。
おすすめ度★★★★
戻る

ムーンライト・ドライブ CLAY PIGEONS

1998年 米国 104分
監督 デビィッド・ドプキン
製作 リドリー・スコット
脚本 マット・ヒーリー(全米ライターズネットワーク最優秀賞)
撮影 エリック・エドワーズ(「誘う女」)
音楽 ジョン・ルーリー
出演 ホアキン・フェニックス(クレイ)/ヴィンス・ヴォーン(レスター)/ジャニーン・ガロファロ/ジョージナ・ケイツ
メモ 2001.1.14 ビデオ
あらすじ
俺はクレイ。モンタナのスモールタウンでのんびり幼なじみや顔なじみとぬくぬく生活しているワークシャツが似合うカントリーボーイだ。ところがそんなある日天変地異のごとき事件が勃発してしまうのよ。そりゃ、俺も悪いよ。親友の女房のアマンダとよろしくやってたんだから。だからって、あんなハイスクールの頃からの発展家のビッチの事をそこまで思いつめるなんて。
まあなんとか事をおさめた後、飲み屋で知り合ったのが流れ者のテンガロン・ハットにウエスタンシャツのカウボーイ・レスターよ。ひとなつっこいナイスガイなんだけれど、どこか変だ。レスターに誘われて二度と行きたくない湖で魚釣りしてたら、女の死体がぷかぷか浮いてやんの。ああぁ。
感想
昨年映画館で見逃した作品。見に行くべきであった。。。前半がとてもいい。つかみは最近の映画の中では一番ちゃうかな。映画の冒頭でミステリファンは虜になってしまうよ。

ヒッチコック監督作品「フレンジー」に似ていると感じる。何故って? それはね親友と思っていた男がシリアルキラーで自分の知り合いの女を殺すから。ただそれだけ。

FBI捜査官のジャニーン・ガロファロが限りなく灰色容疑者のクレイ(ホアキン・フェニックス)に言う。
 「不思議な巡り合わせね。ガイ者と寝て、失踪者とデート、死体まで発見。」
おすすめ度★★★★
戻る

ロバート・ルイス・スティーブンソン (1850-1894)

スティーブンソンの肖像画

1932年米 
「ジキル博士とハイド氏」2度目の映画化。このジキル博士は「5月の7日間」の大統領役のフレデリック・マーチ。相手役は「この三人」のミリアム・ホプキンス


1941年米 3度目の映画化、スペンサー・トレーシーの「ジキル博士とハイド氏」。娼婦役がイングリット・バーグマンでした。

感想
BBC製作の「英国文学に見る怪奇小説の誕生(1996年製作)」の「第三話」は「ジキル博士とハイド氏」。作者ロバート・ルイス・スティーブンソは「宝島」の作者でもあります。スコットランドのエディンバラで生まれ育ち、祖父も父も有名な灯台を造った土木技師、母方には牧師や弁護士がそろっているというヴィクトリア朝期のインテリ家庭でクリスチャンとして育っています。ただ、母は肺が悪く病弱であり父は仕事で不在が多く一人っ子のスティーブンソンは子供の頃から病気にかかりやすく家の寝室で過ごすことが多かったようです。厳格なキリスト教徒であった育ての母乳のカニーからは「祈りをささげ神をうやまう人間と、道を誤り絞首台から地獄に堕ちる人間の二種類の人間しかいない」と聞かされ、体が弱く不眠症の子供はよく悪夢で悩まされます。その悪夢からは「ジキル博士とハイド氏」が生まれ、ひとりで空想の世界に遊ぶ子供時代からは「宝島」が生まれました。「ジキル博士とハイド氏」という二面性を考える元となったのは、中世のおもむきを残す暗い旧市街と区画整理された明るい新市街を持つエディンバラという街のふたつの顔からも影響を受けているそうです。

エディンバラ大学では日々「医学部」をうろつき白日夢にふける彼は、医学部に保存されているウィリアム・バークのデス・マスクと相棒のウィリアム・ヘアーのライフ・マスクに惹かれます。このふたりは1820年代後半エディンバラ大学のロバート・ノックス解剖学教授に死体を供給するため人殺しを繰り返しバークは絞首刑になりました。その話を元に書かれたのが「死体泥棒」という短編小説です。右の映像を見て驚きました。 「死体を売る男」やん。確かに「原作スティーブンソン」と書いているわ私(汗)。この話は「ジキル博士とハイド氏」の原型だそうです。尚、シャベルを担いだ影の男はボリス・カーロフです。

スティーブンソンは11才年上で2人の子供を持ち離婚経験のあるアメリカ人女性ファニー・オズボーンと結婚し、英国南部の海辺の町ボーンマスに居をかまえ1886年喀血後悪夢にうなされながら「ジキル博士とハイド氏」を書き上げます。ファニーの事を「お母さん」と呼び(乳母カーニーの変わりなんかな)、西サモアで1894年44才の生涯を閉じました。死因は肺が原因ではなく過労だったそうです。不眠症の果てなのでしょうか。

この番組が語るには、妻ファニーは「スティーブンソンは読者が期待するような健全で少年のように爽やかな冒険小説家」であり続けて欲しく義理の息子やら娘やらファニーの妹やら隣人までもが伝記を書き続け、スティーブンソンは砂糖菓子のように甘い人物になってしまったそうです。つまり「ジキル博士・・」は病んだ心が生んだ例外小説にしたかったわけ。伝記って一面的な見方なんですね。
また、小説が発表されアメリカ人のリチャード・マンスフィールドがロンドンで「ジキル・・・」の舞台を上演していた同じ時期に1888年8月31日から11月9日まで5人の女性が殺害される”切り裂きジャック”の事件が起こり、以後「狂へる悪魔 1920年米」を始まりとした映画や舞台で大衆向けにより刺激的にハイド氏は切り深いロンドンの裏街を徘徊する性的な殺人者として(作者の意図とは別に)描かれるようになってしまったと言われてました。

スティーブンソンが書いた「ハイド氏」は邪悪な人物ながら性的な犯罪者ではなく、人間の内部にひそむ葛藤、悪を描きたかったのです。確かにさぼてんが中学時代読んだ時「思っていたよりおとなしめの小説だ。」と感じた覚えがあります。「善が悪と戦うりっぱな小説」という評価もされエディンバラの故郷の教会にはスティーブンソンの大きなレリーフが飾られています。ここらあたり番組の解説の人はかなり皮肉に語られていました。
スティーブンソンが最後に書いていたのは子供時代の幽霊や小鬼が出てくる悪夢の思い出であり以下はその一節です。
  「小鬼の名前はジーキルとハイド。 『スティーブンソン』 と呼びかけても喜んで返事をするはずだ。」
戻る

ブラム・ストーカー(1847-1912)

1901年に刊行された廉価版「ドラキュラ」の表紙絵。水掻きを持ちコウモリの様に城壁を滑空するドラキュラ伯爵が描かれている

「吸血鬼ノスフェラトゥ」
1931年ベラ・ルゴシに一世一代の当たり役をもたらしたハリウッド映画「魔人ドラキュラ」
カラーで頑張った1958年英国映画。吸血鬼はクリストファー・リー

感想
これは映画ではないのです。でもなんでもありのHPなので載せます。BBC製作の「英国文学に見る怪奇小説の誕生(1996年製作)」の「第一話」をケーブルTVで放送していたので見たのですが、なかなかに蘊蓄深い作品でありました。ブラム・ストーカーはご存じ「ドラキュラ」の作者です。現代も連綿と受け継がれ新しい「吸血鬼」映画が作られている、そのブラム・ストーカーが「ドラキュラ」を書き上げるまでの軌跡という内容でした。7年かかりました。ブラム・ストーカー(1847-1912)の本業はシェークスピア劇場のマネージャーだったそうです。ドラキュラ伯爵の造型には当時劇場の有名俳優ヘンリー・アービングの強烈な個性が反映されており、そもそもはブラム・ストーカーが見る悪夢がヒントとなって生まれた作品だとか。その悪夢とは「三人の美女の吸血鬼」から血を吸われるというマクベスの混じった悪夢なのか願望なのかわからない内容であり、フロイト派からはもちろん「抑圧された性的欲望」の比喩とされているそうです。ストーカー自身「人間にとって害となる感情とはSEXの衝動から生まれたものである」と言っているし、ストーカーの美貌の妻フロレンスは「美しさを鼻にかけてよそよそしい人で、ストーカーはそんな妻を疎んじ自分の世界に閉じこもっていた」と親戚から言われていたので「性的願望」が現れた作品だったんでしょう。子供も一人しかいず、フロレンスは男の人に触れられるのがイヤだったのかもしれん。

今回あらためて学んだことというのは
1.
「ドラキュラ」の原型はメアリ・シェリーが「フランケンシュタイン」を生みだしたというエピソードが有名な”1816年 スイス ジュネーブ湖畔の別荘ビラ・ビオダ・デイで催された真夜中の怪奇談で詩人のバイロンが語った物語。その物語はバイロンの主治医だったジョン・ポリドール博士が3年後「ヴァンパイア」と題名を付け刊行し、バイロンが怒り、博士はその3年後25才で亡くなった(どうも自殺だったらしい)。
2.
その「ヴァンパイア」は通俗劇「島の花嫁」として劇場で上演され、1847年には大衆小説「吸血鬼バーニー」と名付けられ「死から甦る」だけではなく新たなキャラクター「吸血鬼は東ヨーローパの伯爵」であり「血を吸う事に性的な意味」が付け加えられた。
3.
ストーカー自身は夏の休暇を過ごしていたホイットビーに伝わる難破船の伝承と、ルーマニアの一地方ワラキア公国の主ブラド公とその地方の伝説からヒントを得て「ドラキュラ」の骨格に肉付けしていったという事。 ブラド公は15世紀に侵攻してくるトルコ軍をうち破り国を守った英雄という実在の人物。元々「ドラキュラ」という名称はワラキア語で「勇気、残酷さ、ずるさ」を合わせ持った異彩を放つ人物に用いられていたのだ。
4.
トランシルヴァニアとは「迷信の地」という意味だとか。
ブラム・ストーカーの死後、夫人のフロレンスは「ドラキュラ」の著作権を守ろうとし、ドイツで1922年に作成された 「吸血鬼ノスフェラトゥ」が無許可で「ドラキュラ」を使用していたため裁判を起こしすべてのフィルムを破棄させる命令をださせたのですが一本だけフィルムが残り、現代でもこの映画を見ることができるのです。幸いですね、「ミステリ」好きのご同輩の皆様方。
戻る

運動靴と赤い金魚 シンガポール国際映画祭最優秀アジア映画賞

イラン 1997年 88分
監督・脚本 マジッド・マジディ
撮影 パービズ・マレクザデー
美術 アスガル・ネジャド=イマニ
出演 ミル=ファロク・ハシュミアン/バハレ・セッデキ/アミル・ナージ/フェレシュテ・サラバンディ/ダリウムシュ・モクタリ
あらすじ
アリが妹のアナがあいた赤い靴を直してもらった帰り道、八百屋さんでじゃがいもを選んでいたら置いといた靴をくず屋さんが間違えて持っていってしまった。家賃も滞りがち、お母さんはぎっくり腰の一家で「靴を無くしたから買って欲しい」とは言えない。妹のザーラはしかたなく兄のぶかぶかの運動靴を履いて学校に行く。帰りは走りだ。途中で兄が待っていて午後から兄がその靴を履いて学校まで走る。毎日遅刻の兄は先生に目をつけられていた。それでもわけは言えない。なんとかしなくてはと困っていたある日、学校の廊下に張り出されていたマラソン大会の賞品にアリは目がいく。三等賞の賞品は運動靴だったのだ! 妹と毎日タイムトライアルをしていた兄は「靴もらって帰って来るからな」と妹に約束して頑張る。
感想
気が優しくてすぐ半べそになるお兄ちゃんとしっかり者の妹がどうも兄貴と自分にかぶる。この妹がかわいいねんけれど「靴がない」となるとだんだん眉毛が寄ってきて結構こわいの(笑)。体育の時間並んでいると兄の運動靴がみんなのかわいい靴と比べて恥ずかしくてもじもじ足が友達の後ろに隠れるんやけど、「運動靴をはいていないと、体育がうまくできません」という先生の言葉を聞いてまた足がずりずりっと前に出てくるのがかわいらしい。
最後は「お兄ちゃん、がんばれ!」と声援を送ったのはさぼてんだけじゃないはず。素直で元気な子供を見ているとそれだけで胸がほかほかしてくるね。

キアロスタミ監督作品「友だちのうちはどこ?」の解説で佐藤忠男さんが「イランというと厳格なイスラム教徒のイメージが強いですが、庶民の暮らしは『八つあん、くまさん』の長屋風で親しみやすいです。」と言われていたのを思い出す。アリとザーラのお父さんがまたいい人で「コーランの歌声」を聞いては感激して泣くの。奥さんが「家主がまた家賃の催促にきた。」と言うのを聞いて「おかしいな。話はつけてあるのに。もうすぐお金がはいるから払うと言っているのに」と首をかしげる。さぼてんなんか「だんなの留守をねらったように来るなんて、きれいな奥さんによこしまな気があるんちゃうの」なんて勘ぐっているのにテンから気づかないちょっとお人好しさんであったかい家族なの。
おすすめ度★★★★
戻る

情婦マノン Manon

仏 1949年
監督 アンリ・ジョルジュ・クルーゾー
原作 アベ・プレヴォー「マノン・レスコー」
出演 ミシェル・オークレール(ロベール・デグリュー 
「サン・フィアクル殺人事件」)/セシリ・オーブリー(マノン・レスコー)/セルジェ・レジアニ(レオン・レスコー「「いぬ」)
メモ 2001.1.3 ビデオ
あらすじ
第二次世界大戦末期、ノルマンディーの小さな町でアメリカとフランスは逃げ遅れたドイツ軍と戦っていた。戦いが一段落した所に瓦礫と化した町の人々がひとりの若い女の髪を切りリンチしようとしている。酒場の女でドイツ軍に媚びをうっていたというのだ。寄り合い所帯の軍は「リンチは許さない。法でさばく」と女を教会に監禁する。監視役をおしつけられたのはフランス遊撃隊のロベールだった。逃げようとする女を捕まえたり争っている内に町の人々に「この女は魔物なんだ。気を許しちゃいけない」と警告されていたにもかかわらずロベールはマノンの虜になってしまう。
感想
「お互い破滅する。別れなくてはいけない。」と理性ではわかっていても、そうは簡単にいかず悶える心をクルウゾウ監督は美しくかつどろどろと濃密に描き出す。愛とは美しげで崇高でかつ醜い。ロベールの最後の言葉−「僕だけのマノン」が妬ましく羨ましい。

期待たがわぬ傑作。

仏蘭西の美青年といえばアラン・ドロンかジェラール・フィリップかと言われますが、さぼてんはミシェル・オークレールが一番だ。

ワタクシ原作の「マノン・レスコー」は高校時代読んでおります。ミステリしか読まないさぼてんが「ふらんす文学」を何故読んでいるかというと「高校入学のお祝いに」「古本で悪いけれど」と近所のお姉ちゃんからダンボール箱一杯純文学の本を頂いたから。その中に「マノン・レスコー」があった訳であります。「マノン・レスコー」は純文学というより古典大衆小説かな。
 そのお姉ちゃまから何故本をいただいたかというと、このHPを読まれている方にはとっくにおわかりと思いますが、小学生の頃からさぼてんがまったく興味をもてず苦手で点のとれない科目があったのです。それは言わずと知れた国語。  中学3年生の2学期も終わろうかという頃あまりの国語の点の悪さに親の前でメソメソと(嘘泣きして)「国語は全然でけへん。わからへんねん。」と言ったもんで、さぼ母が「高校にいけるんやろか」と心配して近所の大学院で国文学を専攻していたお姉ちゃんに3ヶ月ほど個人教授をしてもらいました。「源氏物語」を専攻していたそのお姉ちゃまはしっとりとして美しい人でした(若い頃の吉永小百合に似ているというか、どっちかと言うと韓国映画の「離れの客とお母さん」のお母さんに似ている。もう7,8年前になるのかな「都道府県対抗駅伝」の京都の最終ランナーだった人にも似ている。真木和さんより一世代前の方。アナウンサーと解説の人がため息つきながら「斜めの視線がとても女らしい」と言っていたひたむきできれいだった人。)。
お母さんがお茶とお花を教えてはるのでお姉ちゃんも師範の免状を持ってはってさぼてんからみても「男やったらグッとくるやろなあ」というほどたおやかな方だったんです。
 ところがある日そこの家の人がみんな出かけてはって、ゴーフルと紅茶を出してもらってさぼてんがドリルなんぞに四苦八苦取り組んでいた時に隣の部屋で電話が鳴りました。お姉たんが出はったんですが、声をひそめて「いくら待ってはっても、いけへんから。待つのはやめてちょうだい。この間お話したやん。もう終わったんやから。」とえんえん15分ほど繰り返されてました。怒るわけでも声を荒げるわけでもなく淡々とやさしげに。
 そこのお母さんがさぼ母に言うには「うちのお姉ちゃんは(下に妹と弟がいる3人兄弟の長女)かわいい顔して芯はごっつキツイ」と言われていたんですが、まさしくその場面を耳撃いたしました。次が控えていたのかもしれません。
 当時15才だったさぼてんは高校入試の問題を解いているフリしながら 「耳ダンボ」 「目ん玉グリグリ」状態だったんですけれど、そのみれんのなさ、情に流されないかっこよさにいたく感銘をうけたのでございます。男と別れる時はかくありたいものです。が、煩悩を抱かえている情が濃い人間にはなかなか難しいのですね。
おすすめ度★★★★★
戻る