エゾシカの  2000/03/01〜2000/03/31

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2000/03/31

潮時

 1年前に「エゾシカの嘶き」を立ち上げるに当たり「一日一話」というコンセプトを守ることとした。構想当初は別にその積もりはなく、思うが儘に思う事を書いていこうと思っていたのだが、そうした場合、書かれた言葉は「書きたい」という衝動に駆られた際にのみ発せられる私の内面という事であり、発露されることなく私の中に堆積しているものについては永久に私の中に閉じ込められるだけではないかと思ったのだ。然からば自ら内面を絞り出し発露させるために、書きたい気持ちの有無に関わらず、無理矢理自分の内面を探し求めてネタを見付け出すといった作業が必要なのではないかと思い、一サラリーマンに過ぎない人間にとっては些か荷の重い「一日一話」という縛りを掛けることにしたのだ。

 勿論、逃げ道は考えておいた。一ヶ月続けてみてとても続けられないと判断したら「一区切り」ということで止める積もりだった。しかし実際には長期出張先からでも毎晩更新作業を続けるなどしてまで一ヶ月を終え、そう考えるとここで止めるのも勿体ないと思い、取り敢えず続けることにした。そして次の逃げ道は「3ヶ月」。丁度仕事も変わる事もあり、此亦一つの区切りとして適当ではないかと思った。しかし結局はそんな事も気にせずに4ヶ月目に入っていった。そして次に設定した区切りは「半年」。そして結局その区切りにも止めることなく続けていったのであった。

 さて、その次の区切りとなると、「○ヶ月」というのが、中止する大義名分としては非常に中途半端である。「1999年末を一区切りにするのも良いのでは」とも一瞬思ったものの、「9ヶ月」はどうもしっくり来ない。結局1999年10月以降は次の引き際としては2000年3月末の「1年後」に設定するほか無かった。それまでに中止したくなったら2000年3月まで続けていくしかない。中止する大義名分が存在しないのだ。

 今日がいよいよ大きな区切りの日。中止するどころか、詰まらぬエイプリルフール仕様まで拵えて「エゾシカの嘶き」を楽しんでいるやんけ。


2000/03/30

熊谷守一

 2000/03/17で触れた画家・熊谷守一の自伝を偶々書店で見つけ、最近時間を見つけては読み進めている。其の中で興味を持ったフレーズ。「絵を描くのは 初めから自分にも何を描くのかわからないのが自分にも新しい 描くことによって自分にないものが出てくるのがおもしろい」。

 間もなく連載1周年を迎えようとする「エゾシカの嘶き」、最近になって此の1年をふと振り返ってみたりする時がある。そもそも執筆の目的は「自らの内面にあるものを日々の言動や思考を通じて発露する」事であった。しかし毎日文章を物していくにつれ、実は「内面にあるものを発露する」だけではないのではないかと思うようになってきた。タイトルや書きたい事象を先に決め、文章をどんどん書いている内に思わぬ方向に展開していき、新たな自分の内面を発見して楽しくなってくるケースが存在したのである。正にこの感情にぴったりと一致する文章を、自分の好きな画家の文章から偶然見つけた喜び。此亦楽しからず哉。


2000/03/29

犯された私

 楽器屋に足を運び、昔の音楽活動を懐かしんでみた。

 嘗て私が作った曲の中で最も人口に膾炙したのが「犯された私」という曲であった。尤もこれは当時在籍していたサークル歌として創ったものであり、サークル外の人間に広まる機会は無かったのだが。

 高校時代に学内に於いて「中国文化研究サークル」なる団体を結成し、最初のミーティングの席上部員達に対して先ず何をすべきかを問うたところ、真っ先に出た意見が「サークル歌を創る」であった。早速同級生の部員に詩を創ってもらい、それに曲を付けることになった。吹奏楽部にも所属していた私はそちらの後輩に編曲を依頼し、当時購入したシンセサイザーを駆使してカラオケを作成した。タイトルは以前から「今度曲を書いたらこういうタイトルにしよう」と心に固く決めていた「犯された私」に決定。さすがに顧問にはこのタイトルを最後まで伝えなかったのだが。

<犯された私>
 ○○高校その中に 歴史もないサークルあり
 中国三千年の歴史を振り返り
 中国三千年の歴史を掘り起こす
 嗚呼中国文化研究せずんばあらず

 当時も一部から指摘を受けていたのだが、今から思えばタイトルと歌詞とが若干アンバランスなように見受けられる。個人的にはそれ以上に、「中国の歴史って4000年ではなかったっけ」という疑念を強く抱いていたのだが。


2000/03/28

雨中の独白

 寓居の最寄り駅から帰宅時、雨に打たれつつ。

 一寸小降りになってきたか。さっきの事を思えば大分ましになってきた。此くらいなら傘を持っていない私でも困らずに帰れるわい。急ご。

 うげ、めっちゃ降ってきたやんけ。そういえば昔、京都から大阪の野外コンサートに参加した時途中から大雨で、コンサートは中断するわ、その間観客は雨に打たれっ放しやわ、大変やったなぁ。それでもコンサート再開して、ラストの曲はお約束の「雨上がりの夜空に」やったんや。めっちゃ盛り上がったわ。帰りは阪急で帰ろか思うたけど、あそこの電車の冷房めっちゃきついんで、風邪ひいたらいかん思うて京阪で帰ったところ、それでもしっかり風邪ひいたもんなぁ。この歳で同じ事やったら肺炎起こすわ。ちょっと走ろ。

 あああ、もうバケツひっくり返したみたいな雨やん。走ったらアスファルトからも雨撥ねるし。走れば走るほど大変やん。もうええ、ゆっくり歩こ。ここまで濡れたらもう一緒や。俺は「吾輩は猫である」の主人公。もうよそう。勝手にするがいい。がりがりはこれぎりご免蒙るよ。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。

 ここまで己の豊かな妄想の世界に入っていようが、寓居の扉を目前にした瞬間駆け足になるところがまだまだ未熟やわい。


2000/03/27

乗り換え

 暫く意識して使用を避けていた「先日」という言葉を不覚にも3月になってから昨日初めて用いてしまったので、いちいち気にせず使うことにする。先日、以前同じ職場にいた方の家でパーティーが催され、其れに参加させて頂いた。羽田空港の近くにある寓居から成田空港の近くにある先方宅までは約2時間弱の行程。東京からだと名古屋だとか仙台だとか長野とか長岡だとかに行くのと大きく変わらぬ時間であり、殆ど小旅行の世界である。しかしその一方で、京浜急行空港線→同本線→都営地下鉄浅草線→京成電鉄押上線→同本線と、様々な私鉄路線を跨いだ約60kmの行程が、乗り換えなしの一本で繋がっているのである。一旦乗ってしまえば後は大きく口を開けて涎を垂らして大股開いて鼾をかいて寝ていても「ああよく寝た」という頃には目的地に着いているのである。おおこれは便利。因みに私はこんな恥ずかしい格好で寝たりはしないが。

 しかしそれにしても、若い頃は乗り換え駅の雰囲気だとか列車ごとに異なる車内の雰囲気等も旅の一要素としてふんだんに味わっていたものである。しかし今はどちらかと言えばできるだけ乗り換えを避ける傾向にあるような気がするのだ。東京から直で行ける地方都市に足を運んだり、交通機関として航空機を利用したりといった機会が確かに増えてきている。旅行の目的が「線」重視から「点」重視に変化してきているのかも知れぬ。

 理由としては、1.思うように時間が取れず、道中を楽しむ時間をその分現地を楽しむ時間に割きたい、2.普段十分な睡眠時間が摂れず、道中で少しでも睡眠を確保したい、3.老化のため、乗り換えで体を動かすのが億劫、等が考えられる。何れにせよ余りに悲しすぎる理由ではないか。しかも、解決しようにもどうしようもならぬ。


2000/03/26

渡部篤郎

 2000/03/10で触れた「ケイゾク/映画」を先日やっと鑑賞することができた。内容については書かぬのが掟なのだろう、あれこれ語るまい。映画を観て改めて強く感じたのが主人公の一人である真山徹に扮する渡部篤郎の演技。ドラマで見せた狂気が映画でもいかんなく発揮され、一瞬「こいつは実は真山徹ではないのではなかろうか」と思ってしまうくらいのものであった。

 今更になって言うのも何だが、芸域の広い俳優である。ヴィデオのTVCMではほのぼのとした親馬鹿振りを発揮させ、男性化粧品類のTVCMではワイルドな独身男性を演じ、ガムのTVCMではコントまで演じる。大衆向け商品のTVCMから特定の層に対するドラマに至るまで、ターゲット層も広い。今後どういった人物像を演じていくのか、興味を抱かせるのに十分であろう。


2000/03/25

続・プロ野球選手

 2000/03/13で触れたビールのCMに、別のタレントを使ったヴァージョンのものが続々登場している。ヴェテラン俳優だとか一流芸人だとかに同様の演技をさせているのだが、どうもあざとさというか胡散臭さというかを感じてしまう。商品の旨さを伝える為の演技が巧い事が逆にそのタレントの素の感情ではなく「どうせCM用の演技なんだろう」という意識を惹起させるのである。そう考えるとこのCMには「余りタレントとして知られているわけではないが独特の存在感を持っており、自らの感情を極自然に表現できる人物」を起用するのがベストなのであろう。CM制作者にとっては誠に難しい注文なのだろうが。


2000/03/24

呆れた掲示

 最近寓居の周囲で現金盗難事件が起こったらしいのだが、その事件を受けて仰天すべき掲示物が発せられている。「盗難防止のため現金・カード等を自室に置かないこと。特に現金については銀行に預けておくように」なる趣旨の文章がその掲示物の中でいきなり出てくるのだが、現金は銀行に預けるにして、カード類は室内以外の何処に保管すれば良いのだ。下駄箱だとか郵便受けだとかにでも入れておけという趣旨なのだろうか。私はその方が盗難の可能性が高いのではないかと考えているので、そう考えると「カード自体を所有するな」という趣旨になるのであろう。「盗難を防ぐためにカードを所有するな」という事であれば、「痴漢に襲われないために電車に乗るな」だとか「交通事故に遭わないように一歩も外に出るな」だとかと同レヴェルの馬鹿げた説教である。こういった掲示をした人物は自らの書いた文章を実際にどの様に実行するのかを考えたことが無いのであろうか。

 大体、この掲示物は私の寓居の建物の管理人が作成した物。いわば盗難の責任すら免れない立場の人間が斯様な好い加減な掲示物を作成するとは呆れて物も言えぬ。


2000/03/23

健康

 自分で余りこんな事を言いたくないし抑も言うべきではないのだろうが、今月の「エゾシカの嘶き」は自分で読み返しても詰まらぬ。いや決して自らを卑下している訳ではない。卑屈な振りをしたり弱者ぶった行動を採ることにより他の関心を惹くという行為は唯でさえ私の中で忌み嫌うものである。そもそもウェブサイトというような、多少なりとも自己顕示が伴うような場に於いて卑屈ぶるというのはそれ自体矛盾した嘘臭い行為ではないか。卑屈ぶっていない証拠に、先々月〜先月の「エゾシカの嘶き」は他の文章系サイトと比較しても決して遜色のない面白さを有していると主張しておく。

 詰まらぬ原因は自分なりに把握している。今月の話題の大半が、私個人の体調や病気の話に割かれているからであろう。毎回毎回「鼻水が止まらぬ」だの「熱が出る」だの「寝たきり」だの、読む側にも病気が伝染ってしまいそうな気分になってしまう。また、体調の話など最も極私的なネタと言っても良いものであり、読む立場から見れば「ああそうですか」で終わってしまうような事である。大体こういった類の書き物が世間の好評を博するのであれば、「今日の体温」サイトだとか「今日の尿の味」サイトだとか「昨夜の回数及び噴出量」サイトだとかが世に氾濫する事になってしまうであろうに。

 原因が分かっているのであれば、最初からそういった話題を書かねば良いではないか。しかし実際にはそうでもしないと、体調の優れぬ時にはネタを提供するような体験もできない上、ネタを考えるくらいの頭も回らぬ。こういった理由からも、日常の健康が大切であると痛感してしまうのだ。


2000/03/22

情状酌量

 「謝罪」というものには性質の全く異なる2種類があるのではないかと最近思うようになってきた。一つは「どんな形でも自らの罪を償うので、それを以て赦して欲しい」というもの、もう一つは「とにかく謝るので自らの犯した事を水に流して欲しい」というもの。同様に、「悔恨の涙」についても性質の全く異なる2種類があるのではないかと最近思うようになってきた。一つは「自らの犯した罪で迷惑を被った方の心中を慮って悔いる涙」、もう一つは「自らの行為の重大さに気付いて、今後他者から自らに対して降りかかる事を予想して悔いる涙」。大雑把に言えば、前者は「他に対する意識」、後者は「他を避ける意識」と言えるのではなかろうか。

 刑事裁判に於いて情状酌量の判断材料として用いられる「被告人の謝罪」「悔恨の涙」という言葉を耳にしていると、最近では殊にこういった区別を明確に行うべきではないかと考えてしまうのである。


2000/03/21

日本経済新聞・3

 ウェブサイトで日々公開されている個人のノンフィクション系書き物を強引に分類してみると、別に誰に何を伝えたい訳でもないがしっかりと不特定少数の聞き手の存在を意識している「独り言」系と、インターネットというメディアを駆使して自らの声を不特定多数に対して大にして思想を訴える「演説」系とが太宗を占めているように思われる。極稀に、自分では何かを訴えようと叫んでいる積もりなのだが、誰に伝えたいのか、何を伝えたいのかが聞き手だけでなく本人にすらよく判らず結果的にその内容でなく叫んでいる姿の滑稽さが笑いを誘う「嘶き」系なるものがあるようだが。勿論今更言うまでもなく「エゾシカの嘶き」なるタイトルの由来はこういった処にもある。

 そういった中、暫く前に心地良いサイトに出会うことが出来た。特に読み手を想定せずに不特定の人物を対象に綴られている筈なのに、読み手個人に宛てられた手紙のような文体でその人の日常や思想が語られる。読み手はその瞬間書き手と一対一の関係になり、さながら旧友や遠距離恋愛の相手から「疑似手紙」を貰って読んでいるような気分になるのだ。そんな気分が余りに心地良く感じられたので、そのサイトの掲示板にその旨書き込みさせて頂いた。日時は3/20の丑の刻辺り。

 途轍もなく不愉快な気分になったのは翌日の事。偶々3/18の日本経済新聞を読んでいたのだが、トレンド欄の見出しは「1対1が気持ちいい」。店員1名と客1名とで接する美容室の例が人気になっている例を挙げ、「不特定多数と通信するイメージの強いインターネットでも、一対一志向が高まっている」だの「二人きりの関係が作り出すのんびりとした雰囲気や安心感」だの、他の実例を挙げた分析を行っているのだ。正に、私が先述の掲示板に書き込ませて頂いた内容及びその分析になっているではないか。私が自分の言葉でウェブマスターに伝えた内容が、既にその2日前に日本経済新聞で採り上げられていたとは。2000/02/07でもあったような、只単にネタが被った事についての不愉快さのみならず、自ら感じた意識がメジャーなものになっていた事により急に希薄になってしまった事に対する不愉快さを感じたのだ。

 そういう気分を味わったものの、夜にそのサイトを訪れた処、「疑似手紙」のいわば「追伸」の形で当サイトについて述べられていた。ウェブマスターの喜びを心地よく感じたと共に、ウェブマスターから他の読者への「疑似手紙」の中で私を採り上げて頂いたという事で、非常に嬉しかった。私なりの嬉しさの表現として、極めて異例のことであるが、この文中でも改めてそのサイトへのリンクを張らせていただく。

 僕★キラ(Boris Vian,日々の泡日記) http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8951


2000/03/20

去る者は日々に疎し

 ふと思い出したのだが、一昔前に蔵間という相撲取りがいた。引退後はスポーツ関連のレポーター、とりわけ得意分野の相撲の取材を精力的にこなしていたのだが、数年前に白血病で他界したのだった。

 スポーツの世界でよく観られるのだが、引退後のOBが後輩たる現役活躍者にインタヴューして、ここぞとばかりにOB風を吹かし、「お前も今は人気者だけど、俺には頭が上がらないのだぞ」という事をぷんぷん匂わせるという光景が私は大嫌いである。そんな事、視聴者のいないところで存分に楽しんで呉れ。尤もその後輩がそういう状況を喜べばの事であるがな。

 それはさておき、蔵間の後輩に対するインタヴューは若干異色であった。OB風を吹かしている事は他のOBインタヴュアーと変わることがない。異色なのは、後輩に対するスキンシップの一環なのであろうか、必ずと言って良い程インタヴューの最中に乳若しくは乳首に触れるのである。或る時は乳を揉みしだき、或る時は乳首を軽くつついたり、或る時は触れるか触れないかの処で乳首にビンタを食らわす等の光景を目の当たりにした事がある。何か意図するものがあってそういった行為をテレヴィカメラに対して行っていたのであろうか。それともひょっとしたら私が相撲取りの乳若しくは乳首に対する強い潜在意識を持っており、その意識がどういう訳かテレヴィ画面に乗り移った挙げ句、偶然私の観ている時に彼がそういった行動をとっていたのであろうか。彼が故人となった今となってはもう確認能わぬのだが。


2000/03/19

競馬人生最大の喜び

 大抵二者択一を迫られたときには失敗してしまうのが常なのであるが、今回ほど成功を感じた事はなかった。2000/03/16で触れた通り、旅行で過ごす予定だった週末を、中日に競馬観戦を入れたために東京で過ごすことになったのだが、その選択が決して誤りでなかったのだ。

 本日の中山競馬場第11レース、スプリングステークス。一口出資馬のカネツフルーヴがここで3着以内に入れば、次には皐月賞という大きなレースが待っている。逆に、ここでそれだけの成績を収めることが出来なければ、暫くの間同期同士の争いの表舞台に現れる事は不可能となってしまう。

 JRAの全国10競馬場のうち7箇所を既に訪れているにも拘わらず、寓居からの所要時間が最も短い中山競馬場には未だ足を運んでいなかったため、昼頃に競馬場に着いてからは場内を一頻り見物。スプリングステークスの馬券も含め、若干の投資をした後、他の出資者の方々と合流し、レース前にパドック(馬の下見場)でカネツフルーヴの登場を待つ。

 出走馬がゼッケン1番から順に出てくるものの、13番カネツフルーヴがなかなか出てこない。散々待たせた挙げ句、それを全く意に介せずと言わんばかりにのそのそと登場。全15頭がトラックをぐるぐる周回する中で、彼の歩様は余りに遅く、後ろの馬達の動きを妨げている。しかし彼はそんな状況も何処吹く風と、まるで猫が半分寝ているかの様子でのそのそと歩いている。歩くのが遅いだけではない。他の馬が首を持ち上げたり時として体を震わせたりと、適度の緊張感なり気合いなりを見せているのに拘わらず、彼は只首を前にして何処を見る訳でもなく同じ様子で歩いているだけである。

 その光景を目にしながら、はたと或る馬を思い出した。私が「エゾシカの嘶き」でも何度と無く触れているローゼンカバリー。正にこのマイペースさは彼を彷彿させるものがあるではないか。毛色も同じ黒鹿毛という事で、否が応でも像が頭の中で重なってしまうのである。その瞬間、カネツフルーヴは「私の一口出資馬」という観点からではなく、「個性派たり得る活躍が期待できそうな馬」という観点からも、多大な関心を抱くようになった。

 そういったパドックでの様子を余所目に、彼はレースで見せ場を作り、最後は3着ということで、無事皐月賞への優先出走権を獲得した。最後の直線で彼が先頭に立ちそうになった時からゴールまでは只管他の方々と声援を送り続け、ゴール直後には正に「狂喜乱舞」という言葉が相応しいくらい、皆で手を取り合って飛び上がりながら絶叫したのだった。「予想が当たった」「馬券で儲けた」という次元ではなく、過去3年の競馬人生の中で最も大きな喜びを味わうことができた。

 カネツフルーヴの兄のオースミサンデーは、3年前の皐月賞のレース中に骨折して命を落とした事で知られているが、私にとっては、3年前に生まれて初めて観戦した競馬中継のレースで2着に入って皐月賞への優先出走権を獲得した馬。些か強引であるが、これも何かの因縁だと思うことにして、カネツフルーヴには皐月賞では無事にレースを終えて欲しい。願わくば、更に大きな喜びを与えてくれん事を。


2000/03/18

行く・逃げる・去る

 年始の3ヶ月は時の経つのが早く感じられる事を表す言葉、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」とは良く言ったものである。確かに毎年必ずこの3つの月には「えっ!?もう○月も終わりなのか!?」という思いをしてしまうのである。

 それにしても不思議な現象である。2月は他の月よりも日数が少ないためにそういう感覚も判らないでもない。しかし今年は閏年、通常の小の月よりも1日少ないだけである。しかも1,3月は大の月。どう解釈すれば良いのだろうか。

 強いて理由を考えてみるならば、1月は実際の始動が早くても4日。その上中旬には祝日もあり、実働日数が少ないからでは無かろうか。学生に至っては中旬くらいから始動して、下旬からは試験という事になり尚更であろう。そして2月は日数が少ない上に、これもやはり中旬に祝日。学生ならば試験を片づければもう春休みである。全く関係ないが私の場合、大学生活1年目の2月というのは、2/10に大学の試験を終了させる事ができたのだが、それに加えて再度の大学入試のための勉強があり、2つの大きな試験勉強に明け暮れるという、今から思えば壮絶な1ヶ月であった。

 さて、ここまで書きながら考えを巡らせてみたのだが、3月が短く感じられる理由だけがどうしても思い浮かばぬ。


2000/03/17

陽の死んだ日

 高校時代、学校主催のハイキングが行われる予定だったのだが、当日になって雨に見舞われ、急遽予定を変更して美術館見学という事になってしまった。2000/02/14で述べたとおり、美術への造詣も深くないばかりか成績も極めてよろしくないといった私が喜べる筈もなく、道中貸切バスの車内で教師の下手糞なカラオケを聴き更に不愉快さを増大させつつ倉敷の大原美術館に足を踏み入れた。

 そもそも最初から「全てを味わい尽くそう」と思っていなかったのが良かったのかも知れぬ。気に入った絵だけを味わい尽くすかのように、関心の薄い作品については時間を割かない一方で、自らの琴線に触れるような作品の前では納得のいくまで時間を費やすことにした。別に作品の感想文を提出させられるわけでもないし、自らが直接身銭を切って訪れている訳でもないのだから。

 只単に写実の美しさを楽しめる作品、「こんなに目出度い光景を何故こんなに陰惨な色遣いで描くのだ」と興味を持った作品、飲み会の席で揚げ物に飽きた胃に掻き込むお茶漬けの心地良さの如く、洋画のこってりさを堪能した後に出現した日本版画のコーナー。誰の作品なのか、どんな背景から産まれた作品なのかは直ちにその場で判らなくとも、それを知りたいと思わせるのに十分な作品が少なからず存在した。美術館も決して悪くない。

 そうこうしている中で衝撃的な絵画に出会うことができた。何か人が横たわっている光景なのだろうが、兎に角絵が汚い。喩えは悪いが、幼稚園の子供に絵を描かせたらこんな感じになるのではないかというくらいである。しかもよく見ると、絵の具がキャンバスから異常に盛り上がっている箇所も多数みられ、絵の具をキャンバスにぶちまけて筆をぎゃあっと叩き付けたのではないかと思わせるような仕上がりである。

 タイトルは「陽の死んだ日」。成る程、この絵のモデルは作者・熊谷守一に先立って逝ってしまった「陽」という息子らしい(英語表記にmy son "Yo"との表現あり)。しかしこの画風は一体何なんだ。そこで他の作品に目を移して更に驚いた。他の作品は、直線で構成された、版画のような写実画であり、作風がまるっきり異なるではないか。そしてその時、作風をも変えてしまうような作者の深い悲しみ、そしてその悲しみを自らの最も愛するべき人物の遺体を目前にしながら作品に投影させた、ある種の強さすら感じてしまったのである。

 そしてその作品に強く惹かれ、高校・大学時代を通して年1〜2回は大原美術館に足を運んでいた。流石に愛知や東京で生活するようになってからは訪問ペースは激減したのだが。

 そう言えば、2000/02/14で触れた、年1回のプレゼントの贈答がまだ完了していない。先週荷造りする予定だったのが、風邪で寝込んでいたため遅くなっているのだ。早々に発送せねば。


2000/03/16

旅行中止の理由

 今週末の予定を大幅に変更することになった。2000/03/10の時点では、3/17の名古屋出張終了後その足で3/18に兵庫で競馬観戦、その後金沢で観光を楽しみ3/20に帰宅する予定であり、その出張前日になって、兵庫の競馬観戦および金沢観光の予定を白紙に戻し、予約した飛行機もキャンセルする事にした。

 変更の理由は競馬観戦にある。私が出資している馬が、当初は3/18に兵庫で出走する予定だったのが、急転直下、3/19に千葉で出走する事に決定したからである。3連休の中日に彼が千葉で走るとなると、金沢になど行っておれぬ。

 3/18の兵庫のレースと3/19の千葉のレース。どちらも彼にとっては大きな意味合いを持っており、何れかのレースに於いて規定の順位に入れば、その後に控えている大きなレースに出走することが出来るのである。どれだけ大きなレースかと言えば、彼の同期生約8000頭のうち、現時点での能力上位18頭が頂点を目指そうとするレースなのであり、いやもう出走できるだけで牧場や馬主や厩舎などといった彼の関係者も狂喜乱舞できるといったくらいのレースなのである。彼に対して僅か600分の1しか権利を有しない私にとっても、そんな大レースへの出走を賭けたレースとなれば、否が応でも力が入るというものである。3/18に兵庫で出走という事になっていった時点では、出張→競馬→旅行という、一連の流れで効率よく週末を過ごすことが出来る筈であった。

 しかし厩舎(実際に日々の馬の面倒をみてあげている処)側は急遽、3/19の千葉のレースへの出走を決めた。因みに、兵庫のレース(若葉ステークス)と千葉のレース(スプリングステークス)とでは、以下のような違いがある。

 ・彼は滋賀に住んでいる為、兵庫の方が移動距離が短くて済む(疲れない)。
 ・メンバーを見ると、若葉ステークスの方が強敵が少ない。
 ・走る距離は若葉ステークスの方が若干長いが、もともと彼は長目の距離が得意とされている。
 ・若葉ステークスだと2着以内に入らないと次の大きなレース(皐月賞)に出走できないが、スプリングステークスだと3着以内に入れば皐月賞に出走可能。
 ・皐月賞は千葉で行われるため、スプリングステークスだと事前にコースに慣れることができる。

 単純にトータルで考えると、若葉ステークスの方が、皐月賞出走への可能性が高そうな気がする。にも拘わらず敢えてスプリングステークスを走らせる真意は何か。思うに、「(厩舎側は彼に過大な期待をかけていない為)どうせ皐月賞に出走できないのなら、スプリングステークスで負けた方が諦めがつく」か「スプリングステークスでも上位に入れるという自信があり、本番前に千葉のコースに慣れて欲しい」かの何れかがその理由ではないかと勝手に邪推してみた。

 もし前者であるのであれば、私としても彼に対する過度の期待を幾分セーブするために現実を直視した方が良い、もし後者であるのであれば、それこそ一生懸命応援してあげて、上位に入るシーンをしかと目に焼き付けたい。何れにしても、今回のレースを目前で見ることによりその目的が達成されるのである。因みに今回の旅行には大きな必然性や「この時期ならでは」の楽しみは極めて薄いし、中止することにより迷惑を被る人間もいない。旅行をキャンセルしてでも競馬観戦をする価値は十分にあるではないか。そう考えた結果、週末の予定を繰り直した次第。


2000/03/15

筋肉痛

 先週風邪で寝込んでいた事により思わぬ「後遺症」に悩まされることになった。体を動かさなかった所為であろう、立ったり歩いたりといった生活に戻った途端、特に脚を中心に筋肉痛の症状を発しつつあるようである。

 夕方食事会に出席し、舌鼓を打って満腹になったのが悪かったのだろうか。帰宅時久しぶりに乗換駅を寝過ごしてしまい、気が付いた駅で慌てて下り列車から上り列車に乗り換えることになった。ホームの階段を全速で駆け下り駆け上がり、乗換駅に到着した際にも同じように全速で階段の昇降を行った。本来ならホームの昇降を行わずに帰宅できる処で、2度の昇降が発生してしまった。

 傷口に塩を塗り込むかの如く、筋肉痛の脚に激しい負担をかけてしまった。痛みが堪らぬ。


2000/03/14

獺祭

 長らく使いたくて使いたくて堪らない思いをしながら一度たりとも会話や文章等で用いたことのない単語というものがある。川獺について調べていた最中に偶然見つけた「獺祭」という言葉、元々は川獺が魚を大量に捕獲したときに、食べる前に並べておくという習性を、さながら川獺が魚を祭っているのに見立てて称したものである。そしてここから「転じて、詩文を作るときに、多くの参考書をひろげちらかすこと。正岡子規はその居を獺祭書屋と号した。」(広辞苑より)という意味が生じた。即ち、詩文を練るときに参照する資料が魚、詩文を書く人が川獺に喩えられているということである。

 振り返って、私に川獺たる資格があるかどうか。「エゾシカの嘶き」執筆時、広辞苑、漢和辞典、同義語活用辞典、英和・和英辞典、日本地図、六法全書、動物図鑑等、多彩な資料を用いるのだが、何れもパソコン上で検索しており、実際に書物を机上に広げ散らかしている訳ではない。となると今の生活を続けている限り、私には永久に川獺たる資格を得ることができない事になるではないか。利便性を追求した結果、余りに大きなものを失った気がする。


2000/03/13

プロ野球選手

 千葉ロッテマリーンズの黒木投手が出演しているビールのTVCM。画面が左右に分かれ、右ではビールを持ちながらビールの旨さを語る。左ではビールをごくごくと旨そうに飲み干すシーン。さながら左脳は言語的、右脳には感情的にビールの旨さを伝えているような画面構成(細かいことを言えば左右は逆だが)もさることながら、黒木投手の「本当に旨いものを飲んでいる」と思わせる表情、仕草、言葉遣いが、プロ野球選手の域を超えたものに思え、感動を覚えつつそのCMを目にしていた。。

 これがもし普通のプロ野球選手だとしたらどうだろう。カメラをしっかりと見つめ、棒読み台詞で、商品名だとかキャッチフレーズとかを口にする、といったものになってしまうのではなかろうか。と書きながら頭の中では実例として清涼飲料水だとか焼き肉のたれだとか、読売巨人軍の選手達が出演するTVCMがぐるぐると回っているのだが。

 黒木投手の演技に感心していたものの、CMのラストシーンで、彼がチームのユニフォームを着て直立し、しっかりカメラを見据えていたのを観て若干幻滅。尤も、CM制作側としては、こうでもしないと彼がプロ野球チームの大物投手だという事が判ってもらえぬだろうと判断したものと思われる。選手の顔も認識されぬようなマイナー球団に所属する事の悲哀というものを感じてしまったラストシーンであった。


2000/03/12

二人称

 私の在籍していた高校に於いては、一年間の評点が一定の基準に満たない科目が2個以上あれば、退学か留年かの何れかを選択せねばならず、我々の学年にも一つ上からの留年者が数人いた。その中には、全国模試でトップクラスに居ながら社会科(現在の地歴公民科)の2教科の為に留年する、といったケースも存在したのだ。

 今まで「先輩」だった人が同学年になってしまい、呼び方に若干気を遣うことになる。私の場合、基本的に敬語を使うことはなかったが、呼びかけるときは名前+「さん」付けで呼ぶことにしていた。或る日の事、「元先輩」で仲の良かった方と話をしていた時、自分の中ではその人に対してすっかり打ち解けた気分になってしまい、私の中では親密な人に対して使う「お前」という言葉を何気なく使ってしまった。するとその人は瞬時に不快な表情になり「何!『お前』?」と大声で叫んだのであった。言う側としては打ち解けた関係として使った二人称が、相手にとっては自らの拠り所を崩される不快な呼び名に受け止めてしまうという、当方にとっては何ともやるせない気持ちになってしまった。

 それ以来現在に至るまで、「お前」という二人称は使っていない。


2000/03/11

続・藤井隆

 始終横になり、寝たり目覚めたりを繰り返している内、普段の休日以上に時間感覚が狂ってきた。実際この日は深夜に目覚めて明け方(即ち2000/03/12早朝)また眠りに就くといった有様。しかしそのような生活のお陰で、明け方テレヴィをつけたところ、偶然にも吉本新喜劇を観ることが出来たのだ。

 関西を離れて6年余り、誰もテレヴィを観ることのない時間とはいえ吉本新喜劇を手軽に目にすることが出来るのは望外の喜び。昔ながらの有名処が舞台から徐々に姿を消し若手が主流となって台頭しているという状況になってからは初めて目にする舞台である。注目は勿論、舞台で活躍する藤井隆である。

 今まで彼の魅力は寸劇や番組の一コーナー程度でしか観ることが出来なかった。それでいて1999/12/08のように私を魅了してしまったのだから、舞台での活躍をフルに味わうことによって如何程の感動を得ることが出来るのか、ぞくぞくしながら登場シーンを待ったのであった。そして彼は期待に違わず、劇という一連の時間の流れの中で、ここぞというシーンを選ぶかのようにそのテンションの高さをTPOに極自然にマッチさせつつ見事なまでに披瀝したのであった。もう堪らぬ。嬉しさ頻りである。


2000/03/10

病床の悔しさ

 木曜、金曜と病で仕事を休んだ為、休日の土曜、日曜と合わせ、必然的に4連休が確定してしまった。病が恢復する事無ければ、単純計算でほぼ100時間殆ど寝たきりで過ごすことになる。まる2日寝たきりという事はあるのだが、既にこの時点でまる2日。直ちに恢復するとは思えず、恐らく今回が物心付いてからの寝たきり記録更新ということになることは間違いなさそうである。

 それはさておき、この週末に是非したい事があったのだ。先週公開された映画「ケイゾク/映画」の鑑賞である。昨年初めに偶々ドラマのオープニングを観て、私が好きだった10年以上前の坂本龍一の曲を中谷美紀が歌っているのに惹かれて見始めたのが切っ掛けで、映像の色遣い、細かいカット割り、それらにマッチした音楽等といったテクニカルな面や、登場人物のキャラが見事に立っている点、一見一話完結の刑事ドラマの体を成しながらその実一瞬たりとも見逃せぬ様々な伏線が張られており連続ドラマとなっている点といった内容面、そしてプロデューサーが中学、高校、大学の先輩であるといったどうでもいい事までが、普段ドラマを全くといって良いほど観ることのない私をして全話観さしむるに至ったのであった。ドラマ完結後は1999/08/04で触れたように、ヴィデオを全巻揃えることになり、繰り返し鑑賞しつつ、年末に放送されたドラマ・特別篇を経て、今回の映画を心待ちにしていたのである。 

 先週は映画公開第一週ということで混雑が予想された為に今週末に鑑賞することにしていたのだ。今週を逃せば、来週末は旅行予定のため2週間後になってしまう。公開前からうずうずしていたくらいであり、さすがにそんなには待てぬ。嗚呼それなのにそれなのに、今週末はとてもそこまでに体力が恢復しそうにない。悔しさ頻りである。


2000/03/09

平熱

 暫く体調が優れず医者に足を運ぶ事になったのだが、何時も受付の際に忸怩たる思いをすることになる。元々どういう訳か平熱が低く、普段は35度前半程度であるため、36度台前半なら「ちょっと体調が悪い」、36度台後半なら「頭痛と発汗が若干目立つ」、37度台なら「やばい」といった感じである。1999/06/05の時も触れたように、39度の時には、自力では歩けず救急車を呼ぼうかと思うくらいなのである。

 そんな訳なので、風邪の初期症状の時など、医者の受付時の検温ではせいぜい36度前半程度。他の患者と診察を待っていても「きっとこの人は私よりも高い熱で苦しんでいるのだろう」「医者も36度強という結果をみて、治療欲も今一つ湧きにくいのではないか」等と思ってしまい、どうも落ち着かない。診察待ちの際にも詰まらぬ事が気になってくると共に、診察後も「この医者、私の喉の具合については真剣に診察してくれるが、頭痛については適切な処方箋を書いてくださっているのだろうか」等、余計な心配をしてしまう。実際、風邪の際には頭痛だけがやけに長引くといったケースが此までにもあり、尚更こういった心配を重ねることになるのだ。

 しかしよくよく考えれば、診察前に「実は私の平熱は35度前半なのです」と一言付け加えれば済むだけの話ではないか。その際に「今更何を言ってるんですか」と医者に詰問されるのが気になるのだが。あ、結局また余計な心配をする事になるではないか。


2000/03/08

二つの事件

 営団地下鉄日比谷線で列車の脱線衝突事故が起こり、甚大な結果を招いたとの事である。この日は朝から只管このニュースが流れており、新聞号外も配られていた模様であった。

 以前いた会社が日比谷線沿線にあり、事故のあった区間ではないのだが日比谷線自体は嘗て2年間通勤で利用していた。事故のあった区間を普段通勤で利用してらっしゃる元職場の方々の安否が気になるとともに、今回の事故原因と推測されている、急カーブに於ける脱輪現象というものについての解説をテレヴィで観つつ、当時利用していた区間の中でほぼ直角に進行方向の変わるカーブの箇所を思い起こし、あの区間はそういった問題がなかったのだろうかと、今更乍ら心配をしたのであった。

 この事故の陰に隠れて目立たなかった重大事件。京都大学医学部附属病院にて入院患者の人工呼吸器に用いるべき水の代わりにうっかりエタノールを使用して数日間気付かず重大な結果を招いたとの事。嘗て1年半、この施設の目と鼻の先に住んでいた事もあり、当時こういった事件があればカメラに映るべく足を向けていたであろうと、今更乍ら不謹慎な想像をしたのであった。

 しかし一日に二件もの重大事件が何らかの形で自分と関係あるものになろうとは、優れぬ体調と相俟って、どうも気分が良くないものである。


2000/03/07

庶民感情

 警察組織の相次ぐ不祥事の再発防止のために派遣された筈の監察集団と、監察を受ける筈の県警上層部とが、重大事件が決着せんとする最中にそれを知りながら温泉旅館で麻雀や観光を含む遊興に耽っていたという事実が発覚し、両者のトップがそれぞれ更迭されるという話題が世を席巻していた。

 この話題に纏わり、よくもこれだけ出てくる事よと思わせる事実が噴出していったのであるが、そのうちの一つに「2人は自主退職扱いとなるため、退職金が計7000万円支払われる見通し」というものがあり、これだけで十分巷間で口にされるに値する話題となった。この事実に対して報道番組等でも街頭インタヴューを行っていたのだが、そこで採り上げられる「街の声」の中には「庶民感情から言って許せない」というものが多数みられた。

 こういった事例に拘わらず頻用される「庶民感情」若しくは「庶民感覚」という言葉、多大な違和感を覚えてしまうのである。例えばこのケースの場合、非難されるべきは「警察への目が厳しくなっている折、それをチェックするべき監察が実体として行われていなかった」「私的としか言えないような飲食費や公用車の費用に税金が使われていた(前者については、当事者達は未だ公費であることを表明していないが)」「民間企業であれば解雇もあり得るケースで自主退職といった形が取られた」等という事であり、これをあくまで自分達の立場の問題としてしか捉えないかのような「庶民」だとか、曖昧かつ主観的な「感情」「感覚」といった言葉で批判するのは的外れなのではなかろうか。

 誤解の無いように補足しておくと、此処で「これらは批判すべきでない事柄である」だとか「庶民感情」自体が悪いものだと言っている訳ではない。先のケース等は普遍的な道理として問題視されるべきものばかりなのであるのだから、批判する立場にいるのであればもっと明確に批判すべきだと言っているのである。

 報道番組等に於ける「街の声」やキャスターの意見として「これは庶民感情から言って許せませんね」等という発言があるだけで胡散臭さを感じ、「庶民感情」以外に批判できる論拠を持たないという、彼等の批判能力の無さに対する強い哀れみ(=報道番組等と私とが異なる立場の場合)や失望(=報道番組等と私とが同一の立場の場合)を感じてしまう。報道機関が毎度毎度「庶民感情」なる言葉のみを徒に錦の御旗のように振り翳して、さも権力を批判しているかの如く振る舞うというのは、ある意味で報道機関の持つ権力抑止機能の抛棄ではないかと思えるのだ。


2000/03/06

マーケティングの過程

 マーケティングなるものをその概念自体知らない人に手っ取り早く説明する際、恋愛に喩えて話す事が多い。「企業」対「生活者」という関係を、「自分」対「自分の好きな人」に置き換え、自らを相手に受け容れてもらうためにどういった点に着目し、何をすれば良いかを考えて実践する作業こそが正にマーケティングと相通ずるものではないかと考えているのだ。

 さて、広告の手法で、自分自身がさもマーケティング分析を行い、生活者のニーズを捉えて商品を開発しました、といった主張を表現するものがある。最近の例ではコンヴィニエンスストアの生パスタのCM。「生パスタの食感が好きな人は○%、生パスタのある店に行きたいと思っている人は○%。そこで当社では生パスタを発売しました」という趣旨のCMである。

 こういった手法を恋愛に喩えてみると、交際中の女性に対して「最近の若い女性の○%は生パスタが好きらしいよ。だから今度のデートでは生パスタを食べに行こう」だとか、合コンの場所選定で「最近の若い女性の○%は生パスタが好きらしいよ。だから今日は生パスタ屋にしたんだ」などといちいち宣言するようなものである。言われた側にしてみれば「あっ、そうなんだ。いろいろ女性事情を調べてくれて場所を選んだのね」等と感謝してその人を一層好きになる事は稀ではなかろうか。少なくとも私が言われる立場であれば「よく調べたんやろうけど、いちいちそんな事口にするなよ。気を遣ってやったという自己満足をしてるだけやろうが」と思いたくなるのである。

 最新のトレンド等を踏まえたデートマニュアルを丹念に勉強して、デートの最中に「今日は最新のデートマニュアルを見て君を楽しませようとしているんだ」などと言う輩は居まい。いくらマーケティングの王道を地道に歩んで商品開発をしたとしても、その過程をあからさまに前面に出されると、却って逆効果になりそうな気がするのだが…。


2000/03/05

季節と病

 また風邪をひいたようである。症状的には花粉症+αといったところなのだが、今回は私にしては珍しく熱を発しているのだ。そろそろ春が近いのであろう。

 少し前までなら、肌で季節の変わり目を感じて「そろそろ体調を崩すかなぁ」と思っていたのだが、最近はどうも体調を崩してから「そろそろ季節の変わり目かなぁ」と感じるようになってきている。出来ればこんな事で季節を読みとるような感受性を持ち合わせたくないものである。尤も、リューマチで梅雨を感じたり、水虫で夏を感じたり、食中毒で晩夏を感じたり、脳溢血で冬を感じたりするよりはずっとましなのだろうが。

 言い訳がましいが、そういった理由で今日の文章は短めに。


2000/03/04

観光名所

 京都の観光名所・清水寺、三十三間堂、京都タワー、伏見桃山城。これらは全て私にとって「観光に足を運んだことがあるものの、京都在住の6年間には一度も訪れなかった」という観光地なのである。何れも知人が訪れた時やグループで近場に行こうという時等、其処に行こうという事になってもおかしくない筈なのだが。しかもこのうち清水寺と三十三間堂には、京都を離れてから観光で足を運んでおり、決して「一度行ってみて懲りた」という訳ではないのだ。これはどういう事なのだろうか。

 という訳で、他にも「観光に足を運んだことがあるものの、その土地で暮らしていた時期には一度も訪れなかった」という場所がないか思い起こしてみた。兵庫県南部での寮生活時には隣市にある姫路城、大阪在住時には大阪城、愛知在住時には名古屋・東山タワー、そして東京在住時には東京タワー。先の京都タワーと伏見桃山城とを加えれば、何れもシンボリックタワー若しくはそれに類する城ばかりではないか。

 観光に訪れた時にはその街を象徴するものを観る事により、その街を味わうことが可能となる場合が多分にある。一方、その街に住んでいる時にはわざわざ「その街を象徴するもの」を訪れなくとも、その街を満喫する事が可能である。そういう意識が私の心の何処かにあるのであろう。納得。


2000/03/03

続・文字の重さ

 そごうの経営不振に関する報道を目にして、ふと幼少の頃を思い出した。当時、どういう訳かそごうのマーク(○の中に鼓を立てたような記号が入っている)が怖くて怖くて堪らなかったのである。そごうの包装紙を目にしたり、父に連れられて大阪や神戸のそごうに行ってマークを見たりした際には、目をぎゅっと閉じてそのマークを脳裏から消し去って何も見なかったことにしようと努力していた。また、夜にテレヴィを見ていてそごうのマークがアップで写されたりすると、その怖さのために一人で眠れなくなって祖母に泣きついていたくらいであった。

 他にも怖いマークがあった。関西テレビ(フジテレビ系列)のマーク。当時のものは「8」というアラビア数字をデザインしたもので、菱形を上下に2つ重ねたようなものであった。そしてそれ以上に怖かったのが大阪市の市章。澪標を図案化したもので、そごうのマークの○の中の記号と、漢字の「不」を足したようなものである。前者はテレヴィで頻繁に目にしていただけに、多少の免疫も備わったのだが、大阪市の市章は目にする機会も少なく、それだけに目にした時の恐怖感は一入であった。

 「あの頃は何でそんなもの怖がっていたのだろう」と不思議がりながら往時を振り返っていたところ、これらのマークの共通点を見出し、最近の「嘶き」を思い出して愕然とした。この恐怖感、2000/02/06で立てた仮説である「直線の持つ物々しさ」の、正に実例になるのではないか。即ち、そごうにせよ関西テレビにせよ大阪市章にせよ、そごうの○囲みを除けば何れも直線で構成されており、その事によって或る種の物々しさが生まれ、そういった「物々しさ」に耐え得るだけの力のない子供はそれを恐怖と捉えるのである。

 後は理論面での裏付けが欲しいのだが。


2000/03/02

一人称

 かつて私が用いた一人称である「僕」「俺」「わたくし」「わたし」、考えてみれば全て周囲の環境等からの要請であるものなのだ。物心付いた頃は自らのことを名前で指していた。そして確か保育園辺りからか、周囲から「僕」を用いるよう強制され、中学の寮生活においては周囲に「僕」という一人称を用いる人間がいなかったために「俺」を使い、大学で応援団なる集団に属していた時にはその集団内に於いて「わたくし」という一人称を用いるよう指導され、社会人となってからはビジネスマナーの一環として「わたし」という一人称を用いることになった。

 時代による変遷とともに、相手による使い分けがある。目上には「わたし」、それ以外には「俺」。また、相手が同じでも話し言葉では「俺」、書き言葉では「私」。時と場合に拠って適切な一人称が存在し、其処には選択の余地は先ず無い。選ぼうと思えば「拙者」とか「手前」とか「吾輩」とか「小生」とか「わて」とか等が考えられるのだが、そもそもこれらは私の選択肢の中に無いのである。

 自分で自分の事を指す一人称言葉が実は自分で自由に選び難いものであるという事に気付き、よく考えてみれば些か奇妙な気がするのだ。


2000/03/01

花粉症

 何の前触れもなく花粉症が私を襲ってから数年経つ。花粉症自体が注目され始めた頃は、春先に風邪でもないのにマスクを着用しティッシュを手放せない人を見るにつけ、「世の中には何て気の毒な人がいるのだろう」と、日々思っていたものであった。しかし結局気が付けば私も春風邪のようでいてそうでない感覚に襲われ、何時しか自らが「気の毒な人」の一員になっていることを悟ったのである。

 鼻水・鼻づまり・嚔だとか目の痒みなど、日常生活上何かと大変なのだが、此に対して十分な対策を打つことが出来ないのだ。私の場合、花粉症を防ぐのに効果的とされる、マスク着用および内服薬服用といった手口が効かないのである。鼻づまりの状態でマスクを着用していると、只でさえ鼻から取り込む空気が少ない状態で更に上から布を被せることになる。苦しいことこの上ない。また、抗アレルギー系の内服薬を試した時期があったが、此が睡眠薬ではないのかと思える程眠気を誘うのである。これでは日中は全く仕事にならぬ。

 そんな訳で、ここ暫くは甜茶だとか専用飴だとか目薬だとかで何とか凌ごうとしているものの、効果は非常に薄い。いよいよ今週辺りから好天、強風という、花粉にとっては願ったり叶ったりの条件が揃いつつある。天候とは裏腹に、日々浮かぬ気分で生活を送っている次第。


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