市井の人々のために |
〜 Sultanahmet Camii, Istanbul |
イスラム教の寺院であるモスクには、たいていミナレットと呼ばれる尖塔が付いている。一日に5回ある礼拝の時間になると、ここから周辺のムスリムたちに対してモスクに集まるよう呼びかけが行われるのだ。これをアザーンと言う。 現在では、集合を促すというより礼拝の時を知らせる鐘の代わりといった意味合いの方が強いが、それでも耳にするたびに「ああ、イスラム国にいるんだなあ」という実感が改めて湧いてくる。キリスト教と違い人が肉声で呼びかけるので風情があるし、朗々とした口調はまるで詩吟のように高尚な響きがある。 ミナレットからといっても実際にはそこに設置されたスピーカーを通じて流されるので、スピーカーを四方に置きさえすれば基本的にミナレットは一本で事足りる。しかし、中には複数のミナレットを持つモスクもある。 アリさんによれば、ミナレットの数はモスクの格に関係しているのだという。聖地や首都を代表するモスクになると、二本から多いものでは四本のミナレットを従えることもある。 「最大で六本です。どこにあるか、知ってますか」 「やっぱり、一番の聖地じゃないでしょうか」 「そうです。メッカのカーバ神殿がそうです。でも、実はもうひとつあるんです」 それがここイスタンブールにあるスルタナメット・ジャミイ、通称ブルーモスクだ。 優美な曲線を描く白亜のドームの周りに適度な間隔でミナレットを配置したその構成は、どこか女性的な趣があり、建築として素晴らしく美しい。軍事的な色彩が強いオスマン帝国の建造物の中ではひときわ異彩を放つ。 「確かに六本ある。それは間違いない。でも、写真に撮ろうとすると、必ずどれかが重なっちゃうんだよなあ」 広い前庭をあちこちと移動してみるが、なかなか六本すべてが綺麗に並ぶアングルが見つからない。引けばいいのかと思い、道路を渡って遠くに離れてみると、今度は周囲のビルが邪魔をして全貌を収めるのが難しくなる。観光案内所の近くで、ようやくベストと思われるポジションを見つけて何枚かシャッターを切った。 異教徒にも解放されているというので中に入ってみることにした。 ドーム内部は広く天井も見上げるほどだが、床から2mもないくらいの高さに同心円状にランプがいくつも吊り下げられていて、頭上にはやや圧迫感がある。一面に敷き詰められた絨毯のところどころでは、幾人かが熱心に祈りを捧げている。立ち話に花を咲かせている人たちもいる。礼拝が終わった後なのだろうか。 意外なことに、格式の高いモスクという感じはまるでしない。来ている人々も見るからに近所の住民や商店主といった雰囲気だし、宗教施設にありがちな厳粛であるが故の堅苦しさもない。むしろ心が安らぐ。そういえば、これだけ有名な観光スポットなのに外国人の姿をほとんど見かけないのも不思議だ。 床に座り込み、絨毯に脚を投げ出す。妻も弟も疲れているのだろう、いつまで経っても誰も立ち上がろうとしなかった。いや、あるいは僕と同じようにこの静寂が心地よかったか。 ステンドグラス越しに射し込む光をぼんやりと眺めながら、信仰とは本来こういうものであるべきなのかもしれないと思った。特別な舞台ではなく日常の中に。王や貴族のものではなく市井の人々のために。 |
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