幻想のトルコ〜アンカラ
 
Ankara
 
 
アンカラ
 

 
アタテュルク廟
 


  トルコ共和国初代大統領、ムスタファ・ケマル・パシャ。第一次世界大戦で崩壊したオスマントルコに代わる近代国家建設を指導した彼は、共和国議会により「トルコの尊父」を意味する「アタテュルク」の称号を贈られました。  

   
広〜い
イスタンブールのドルマバフチェ宮殿で執務中に亡くなったアタテュルクは、盛大な国葬の後、この丘に葬られました。彼がいかに偉大だったかはこの広さでわかるでしょう。入口から廟の建物まで急いで歩いても5分はかかります。集合時間厳守のツアー客は困るだろうな。個人手配の旅行で良かった。
   

   
建国の父
新生トルコを近代国家とすべく、アタテュルクは多くの改革を行いました。その最たるものが「政教分離」。彼のおかげでトルコ人はムスリムなのにお酒が飲め、女性はヨーロッパの最新モードで街を闊歩でき、日曜が休日でアルファベットを使っているのです。愛車はとっても長かったぞ。
   

 
アンカラ城
 


   
昔ながらの街並
ビザンティン時代に築かれたアンカラ城。外壁と頂上の要塞だけが残る城内には、昔ながらの街並が今も息づいています。近代都市アンカラの旧市街といった雰囲気が色濃く漂う石畳の路をそぞろ歩くと、なぜだか懐かしい気持ちになってきます。
   
お守り
トルコの家の軒先には青い目玉のような皿が掛けられています。魔除けのお守りだそうです。そのミニチュア版をガイドさんにもらいました。海外に行くときはいつも持ち歩いていますが、おかげで今まで一度もトラブルに遭っていません。効き目抜群です。
   

       
 
アドレース!
カメラを構えたら、あっという間に子供たちが集まってきました。撮られた後は口々に「アドレース」の大合唱。写真を送ってくれというわけです。帰国後送ったけど届いたかな?
 
一晩で出来た家
丘に張りつく住宅。本当は崖は危険なので建築禁止、つまり違法なのですが、貧しい人々が簡単な家(つまりボロい)をあっという間に建てて住みついてしまったそうです。
 
羊の毛皮
取引現場?なのかな。トラックに満載の羊の毛皮のようなものを囲んで何やら話をしていました。羊とともに生きる、さすが遊牧民の末裔たちです。アンカラ城の入口にて。
 

 
中心街
 


   
クズライ通り
アンカラはとても近代的な街。その一方で人々は素朴で親切。トルコの中で一番好きな街です。その中心がクズライ通り。デパートや飲食店が軒を連ね、交通量も多く、名実ともにアンカラの銀座にふさわしい賑わいを見せています。街の造りが日本とそっくりで外国に居る気がしません。
   

       
 
デパート
クズライ通りにある有名デパートのGIMA。9時までやっているって言うから8時に行ったら閉まってました。でもアフガニスタン人と友達になったぞ。
 
フラッシュは嫌い
できるだけ自然光を生かして撮りたいと常々思っているので、階段にカメラを置いて長時間露出をしてみました。実際はもうちょっと明るかったかな。
 
マクドナルド
寝台列車に乗るまでの時間つぶしはマックで。紅茶、ホットチョコレートともに100円。「ご一緒にポテトはいかがですか」とはさすがに言われませんでした。
 

   
花屋&八百屋
繁華街から一本入った路地で花屋さんを見つけました。色彩とりどりの花が店頭にこれでもかと並んでいる上にドライフラワーのアレンジもあって、とにかく綺麗。近くの八百屋さんでは見たこともない野菜がたくさんありました。種類も色も豊かで、こちらも見ているだけで楽しくなりました。
   

 
トゥズ湖
 


   
トルコの死海
カッパドキアからアンカラに向かう途中にあるトゥズ湖は、イスラエルの死海のようなもので、塩分濃度が非常に高く魚が棲めません。ということは、泳げない人でも浮くのかな? そうだとしたら一大観光地になりそうなんですが。このあたりは平原が拡がっていて、羊飼いの姿をよく見かけました。
   

 
街角の風景から
 


       
 
地下鉄
アンカラに地下鉄が開通しました。イスタンブールに続いてトルコで二番目です。この時はまだ日本で売っているガイドブックには載っていませんでした。発見した気分。
 
アンカラ大学
トルコの最高学府。私たちのガイドを勤めてくれたアリさんの母校です。日本で言えば東大でしょうか。ちなみに日本語上手のアリさんは中国文学科卒だったそうな。
 
考古学博物館
世界初の鉄の帝国ヒッタイト。その時代を挟んで、石器時代からギリシャ・ローマ・ビザンチンまで、アナトリア地方の歴史が一堂に収められています。
 


   

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