格安クルーズ |
〜 Bosphorus Bogazici |
駅を出ると、抜けるような青空が拡がっていた。本当に雲ひとつ見当たらない。こんなに澄んだ晴れはいつ以来だろう。花曇りの春から陽光の初夏へ、季節は確実に移り変わろうとしている。もうしばらくすると、この辺りにもエーゲ海特有の強い陽射しが降り注ぐようになるのだろう。 パンの篭を両手に抱えた男とすれ違う。互いに微笑みながら「メルハバ」と挨拶を交わすと、芥子の実の香ばしい匂いが漂ってきた。きっと焼きたてに違いない。これから出勤する人々の朝食用に売るのだろう。 「船が出そうです。急いでください」 波止場の先にフェリーが停まっていた。すぐ横でアリさんが手を振っている。結局、ここまでガイドしてもらったようなものだ。船着き場を探すのに一苦労するものと覚悟していただけに、ありがたい反面、少々拍子抜けする。 運賃は日本円で約40円。地元の人々にとっては毎日の通勤の足なので当然と言えば当然だが、それにしても安い。形はともあれボスフォラス海峡クルーズには違いないから、旅行者にとってもツアーを申し込むより格段に安上がりだ。 アジアサイドからヨーロッパサイドへの航路はいくつかあるが、ハイダルパシャから出る便はすべてカラキョイ行きだとガイドブックに書いてあった。しかし、この船はエミノニュに行くという。 「どうしよう。ホテルの人にカラキョイに迎えに来てって言っちゃったよ」 「向こうに着いたら、私が電話して説明します。大丈夫ですから、ゆっくり船旅を楽しんでください」 いつしか船は岸壁を離れていた。エンジンの回転音が本格的になる。せっかくなので甲板に出てみることにした。揺れは気にならないものの、風はまだけっこう冷たい。 海上から改めて眺めるハイダルパシャの駅舎は壮麗だった。大規模で、いかにも終着駅にふさわしい重厚さを漂わせている。欧米列強がこぞって中東への進出を強めていた20世紀初め、ベルリンからバグダッドへと続く鉄道建設の一大戦略拠点として、当時のドイツ帝国によって建設されたものだ。 やがて大きなクレーンや煙突が見えてきた。進むに連れてその数が増えていく。明らかに工場と思しき建物群がアジアサイドの沿岸に連なっている。これには少々驚いた。海峡沿いはウォーターフロントで、ショッピングやホテル、アミューズメントなどの施設があるものとばかり思っていた。日本で言えばお台場や浦安のイメージだ。しかし、目の前に拡がっている光景は紛れもなく「京浜工業地帯」だ。 観光と農業で食べている国。そんな先入観が綺麗に吹き飛んだ。考えてみれば、西アジア屈指のGDPを誇る経済大国なのだ。粗鋼や自動車の生産量だって世界ランキングの何位かに入っている。地理学の常識に従えば、重工業の立地は海沿いが望ましい。しかも、ここは国内最大の市場が目の前にあるのだ。 この船にしても乗っているのはほとんどが勤め人だ。スーツ姿でこそないが、位置づけは通勤ラッシュの山手線と同じなのだ。 英語は苦手だが、勤勉で秩序正しい国民性。口下手だが、他者に親切なメンタリティー。なんだか高度成長期の日本を見ているような気がしてきた。 |
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