JTBでは登りません〜Zelve, Cappadocia
 
JTBでは登りません
〜 Zelve, Cappadocia
 

   車窓を流れる奇岩の数々に呆気にとられている間に次の目的地に着いた。駐車場の先に草がまばらに生えた空き地が広がっていて、剣先のように尖った岩がそれを取り囲んでいる。岩はどれもみな穴ぼこだらけ。見るからに殺風景な場所だ。
 空き地の真ん中に一本だけ、桜のようなピンクの花をつけた木が立っていた。こんな荒涼とした土地にも色彩がある。そんなことがつい嬉しくて、写真を撮ろうと妻を立たせる。
「コリアンのポーズ」
 外国の観光地で出会う韓国人女性がよくアイドル顔負けのポーズで記念写真を撮っている。その昔、「平凡」や「明星」といった雑誌で見かけたような、はにかむように脚を交差させ手を口元に添える、あのいかにもぶりっ子な姿勢だ。今の日本ではとても人目に耐えられないが、ここはトルコ。しかも、見渡す限り僕たち以外に客はいない。一度やってみたかったという妻の希望に応えてあげることにする。
「カッパドキアにはこのような野外博物館がふたつあります。ここはゼルヴェといいます」
「あの穴ぼこは何ですか」
「キリスト教の修道士たちが造った教会です」
 待ってましたとばかりにアリさんがガイドらしく説明を始めた。そもそもはローマ帝国の弾圧を逃れたキリスト教徒たちがこの地に移り住んだのが発端らしいが、本格的には中世にアナトリア地方に進出してきたイスラム勢力による迫害から身を守るために、洞窟に教会を造り共同生活を営んだのだという。
「中に入ってもいいですよ」
 洞窟といっても単純なトンネルではない。むしろ、岩壁を削って部屋をこしらえたという方が正しい。入口は地面から数メートルの高さにあり、そこへ行くには岩に立て掛けられたはしごを伝って登る。感覚的にはロッククライミングに近い。子供の頃木登りが得意だった僕にとっては、挑戦心を掻き立てられるアクティビティだ。
 ギシギシと軋む音に一抹の不安を抱きつつも登ると、さほど奥行きのない空間が現れた。ここが教会だったのだろうか。しかし、奥の壁にはさらに先へと続く階段が掘られている。そこを登るとまた小部屋のような空間。この繰り返し。まるで蟻の巣のようだ。
「このあたりの壁が黒くなっているのがわかりますか。煤が付いています。この部屋は台所でした。煮炊きに使った火のせいで煤けているのです」
「洞窟の中で料理もしたんですか」
「ええ。それぞれの部屋には決まった用途がありました。ほら、煙を逃すための窓も開いているでしょう。この上にもっと部屋がありますので、興味があるようでしたらどうぞ。私は下で待っていますので」
 ロールプレイングゲームの迷宮のように、行けば行くほど次の階段が現れる。気がつけば地上は遥か眼下となっていた。アリさんが米粒のように小さく見える。ビルの10階くらいには相当するかもしれない。その割には、防護柵としては今にも崩れそうな錆びた手すりがあるだけだ。それも、いかにも申し訳程度に。
 妻や弟は途中までしか登らず先に降りていた。彼らを待たせることひとしきり、ようやく下界に戻ってきた僕にアリさんがニヤニヤしながら声をかけてきた。
「JTBのツアーでは登りません。だって、危ないですから」
 

   
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幻想のトルコ
 

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