トルコと言えばセルジューク〜Konya
 
トルコと言えばセルジューク
〜 Konya
 

   中学校の頃、世界史で最初に覚えた国の名前が何を隠そうセルジューク・トルコだった。 ローマ帝国でも唐でもないのだから、今にして思えば不思議なものだ。一風変わった言葉の響きが子供心に印象に残ったのかもしれない。
 そのセルジューク・トルコの都がコンヤだったということは今回の旅行で初めて知った。中世オリエント世界を支配した大帝国の中心だったのだから、さぞかし歴史遺産に恵まれているに違いない。しかし、セルジューク朝ゆかりの場所に案内してほしいとリクエストすると、アリさんは少し困ったような顔をした。
「実はあまり残っていないのです」
 それでもいいから連れて行ってくれと頼むと、少し走ったところで車が停まった。公園のようだ。敷地全体が盛り上がった丘になっていて、中央には大きな岩を金属の屋根で覆ったモニュメントがある。
「ここには昔、お城がありました」
 ということは、アラエッディンの丘だ。この程度ならガイドブックで一夜漬けしている。セルジューク時代のコンヤの中心、東京で言えば皇居に当たる。
 少し感慨が湧いてきた。今でこそ同じトルコでもオスマン帝国の方がより強大な国だったことを知っているが、中学生の僕の頭の中ではセルジューク・トルコはほとんどユーラシア大陸全域に拡がっているイメージがあったのだ。その原点とも言うべき場所に立っているかと思うと、自分が歴史の生き証人になったような気がしてくる。
 しかし、妻や弟は今ひとつ反応が鈍かった。退屈そうな顔に「早く次の場所に行こうよ」と書いてある。まあ、冷静に考えれば当然か。何しろ見た目はどこにでもある街中の公園と一緒だ。さして広いわけでもなければ、屋根付きの岩以外に目を引くモニュメントもない。想像して楽しむしかないのだ。それも、ある程度オリエント史に詳しくなければ無理だ。
 アラエッディンの丘の周囲にはイスラムの神学校が多く建てられたという。そのひとつが今も往時の姿を留めているというので行ってみることにした。
 歩いていくと目指す建物が見えてきた。城壁に使うような石を無骨に積んでいて、どことなく要塞を思わせる造りだ。ド―ムもついていて、これは少しモスクっぽい。
 中はがらんどうだった。もう少し何か当時のものが残っているかと期待したが、あまりに素っ気ない。部屋の隅にレリーフが彫られた石板が置かれているが、それも申し訳程度だ。それでもアリさんによると貴重なものらしい。モチーフとしているのが、セルジューク朝の紋章である双頭の鷲なのだ。
 次いで、もうひとつの神学校も見に行く。今度は外壁がモザイク模様になっていて、建物自体が鑑賞に値する。中に入ると、今度はわずかながら遺物が展示してあった。壁の破片、レリーフ、陶器などだ。しかし、ここで一番見るべきなのはドーム天井のモザイクだろう。目の粗い織物のように素朴だが、かえってセルジューク時代の雰囲気が伺い知れる。きっと軍事国家だったのだろう。質実剛健をもって旨とす、というわけだ。
 相変わらす妻と弟はテンションが低めだった。かく言う僕もいささか拍子抜けしたことは否めない。この内容では盛り上がれと言われてもさすがに厳しいものがある。
 「トルコ」と言えば「セルジューク」ではないのか。オリエントに覇を唱えた世界帝国ではなかったのか。いや、歴史上は実際そうだったのかもしれないが。残念。
 

   
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幻想のトルコ
 

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