哀愁のドライブイン〜Afyon
 
哀愁のドライブイン
〜 Afyon
 

   ツアーにしては比較的早い朝の8時、僕たちは既に車上の人となっていた。本日の主たるスケジュールは移動。パムッカレからカッパドキアまで、途中コンヤで観光を挟むものの、およそ600kmあまりを一気に走破するのだ。日本でいうなら東京から青森までの距離にほぼ等しい。地図で確認する限りこのエリアにはまだ高速道路が通っていないようなので、どれくらい時間がかかるのか見当もつかない。
 走り始めて1時間半後、最初の休憩を取ることにした。こぢんまりとしたドライブインの駐車場に車を停め外に出る。昨日までと違って風が冷たい。少し季節が逆戻りしたかのようだ。何か暖かいものが欲しくなる。
 建物の中に入り、チャイを頼んで席に着いた。ドライブインというより古ぼけた小学校の教室のようだ。壁に年代物のポスターが貼られている。棚の上にはレトロな置き時計。なかなかにノスタルジックな空間だ。さほど広くはないが、それがかえって落ち着いた雰囲気を醸し出している。椅子やテーブルの位置も固定されていない。
真ん中には昔ながらの大きなストーブがあった。頭上へと真っ直ぐに伸びた煙突が天井を伝って壁まで続いている。日本ではもう田舎でも滅多に見かけなくなった、炭をくべて暖をとるタイプだ。
「懐かしいですね。昔は日本でもああいうストーブがありましたよ」
「そうですか。トルコはちょうどこれから高度成長をするところですから、日本の何十年か前に似ているのかもしれません」
 そんな会話をしていると、どこからかもの哀し気なメロディーが聞こえてきた。BGMかと思ったがそうではない。生演奏だ。フォークロアなのだろう。どこかで聴いたことのあるような、郷愁を誘うインストゥルメンタルだ。
 音のする方向を目で探すと、部屋の片隅で初老の紳士が琵琶のような楽器を弾いていた。こんな時間にこんな場所で弾いているのだから、プロのミュージシャンではないだろう。しかし上手い。淡々と、感情を込めるのではなくあくまで淡々と、それでいて琴線をくすぐる響きを奏でている。聴いているうちに訳もなく切なさが込み上げてくる。
 この国の文化的な豊かさを垣間見たような気がした。きっと、音楽が生活の一部になっているのだ。その証拠に、居合わせている人々は誰も紳士を気にすることなく思い思いに過ごしている。こうした場面に日常的に接しているからだろう。哀愁感漂う民族音楽がからだに染み込んでいるに違いない。
 セーターを着た青年が窓際で絵を描いていた。油絵だろうか、キャンバスに向かって一心不乱に筆を動かしている。そうかと思うと、ひたすら新聞を読んでいる中年男がいる。そもそも、誰が客なのか、地元民なのか、はたまた店の人なのか、区別がつかない。年齢も性別もばらばらだ。
「居心地の良いところだね」
「全然ドライブインって感じじゃないけど」
「ていうか、みんな何しに来てるのかな」
 ひとつ確実に言えるのは、僕たちのような外国人にとっても違和感がないということだ。歓迎されているとは思わないが、少なくとも拒絶されてはいない。その微妙な距離感が心地よかった。昨日も一昨日もその前もずっと、ここでこうしていたような気がしてきた。
 

   
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幻想のトルコ
 

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