トイレ番の少年〜Pamukkale
 
トイレ番の少年
〜 Pamukkale
 

   いよいよツアー前半のハイライト、パムッカレにやって来た。旅行会社のパンフレットに必ずと言っていいほど載っている、トルコが世界に誇る奇観だ。ヒエラポリスから流れ出る温泉水に含まれる石灰成分が長い年月をかけて地表を覆うことで形成されたのだという。
「後はホテルに行くだけですから、時間を気にする必要はありません。思う存分、楽しんできてください」
 というわけで、まずは準備万端を期しトイレに行っておくことにした。石灰棚には裸足で入るので、遊び終わるまで戻らなくても済むようにだ。
 イスラム圏の公衆トイレはチップ制のところが多い。入口に係がいて、入る前か入った後に小銭を渡すのだ。あいにく紙幣しかなかったりすると対応に窮するので、普段から財布の中身には気を配っておかなくてはならない。
 エジプトでは大人の仕事だったが、ここで番をしていたのは少年だった。テーブルの上に金庫を置き、その傍らの椅子にちょこんと座っている。小学校の高学年といったところか、しもやけて赤く染まった頬が可愛らしい。硬貨を取り出して渡すと、はにかんだように礼をしてくれた。
 用を済ませて出てくると、当の少年が何やら困った顔をしていた。ちょうど大型のツアーバスが到着したところで、欧米系らしき白人の団体客がぞろぞろと降りてきている。彼らの国ではチップ制のトイレなどないのだろう。少年には一瞥もくれず、真っ直ぐにトイレへと向かっていく。
 どうしよう、このままでは誰も払ってくれない。少年の顔には明らかにそう書いてある。きっと英語も喋れないのだろう。おろおろする姿を見ているうちにだんだん可哀想に思えてきた。
「レディース・アンド・ジェントルマン!」
 少年の隣の椅子にどっかりと腰を下ろすと、僕は白人たちに向かって英語で呼びかけた。
「このトイレはチップ制です。皆さんの国ではなじみがないかもしれませんが、トルコでは一般的なスタイルです。郷に入っては郷に従え。ぜひ御用の前にこちらまでお心付けをいただきますようお願いします。オリエンタルなカルチャーショックが、きっと旅の良き思い出となることでしょう」
 効果は思いのほかてきめんだった。老紳士から妙齢のご婦人まで、今まで僕たちの存在にすら気づいていなかった人々が「おやまあ、そうだったの」という顔で続々とやってくるではないか。少年は途端に大忙しとなった。
 思うに、僕も少年の一味だと勘違いされたようだ。まあ、民族学的には日本人もトルコ人も同じウラル・アルタイ系だと言われているから、欧米人にしてみれば区別がつかなくても仕方がない。それが良い方の目に出たというところか。
 団体客が去っていった後で少年と僕はがっちりと握手を交わした。言葉は通じなくても、互いに相手の気持ちが手に取るようにわかった。彼の笑顔が嬉しかった。久し振りに心の底から満足感が湧いてきた。これぞ人と人とのふれあいだ。
「せっかくだから、記念写真を撮ろうよ」
 妻にカメラを持たせると、ふたりでテーブルを前に並んで座った。国籍など関係ない。僕たちは戦友だ。同じアジア人として、力を合わせて欧米の列強に対峙したのだ。
 

   
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幻想のトルコ
 

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