そこに未来があった〜浦東新区
 
そこに未来があった
〜浦東新区
 

   新しい建物の匂いがする。天井は高く、床には塵ひとつ見当たらない。丁寧に磨き上げられた壁が上からの照明を反射して輝いている。イミグレーションへと向かう通路を歩く。僕たちの便以外に到着客はいない。まばらな空間に誰かの咳払いが響く。新生上海の玄関口、浦東国際空港は明るく、白く、そして不思議なくらいに静かだった。
 駐車場は道を挟んだ向かいにあった。シンプルモダンなコンクリートの打ちっ放し。ガラス張りの吹き抜けが美しく迫り出したターミナルビル同様、それ自体がひとつの巨大な建物となっている。いったい何台収容できるのだろう。歩道に立って左右を見渡すが終わりが見えない。
 浦東国際空港は1999年に開港した。まだ全体計画の1/4しか竣工していないというが、すでに日本のどの空港よりも大きい。完成時の年間利用可能旅客人数は8000万人。取扱予定貨物量は500万トン。旅客で現在世界一のロンドン・ヒースロー空港の約1.5倍、貨物では同じく世界一の香港国際空港の実に2.5倍の規模となる。
 だが、そんな数字よりも、目の前に拡がるこの光景に圧倒される。何もかもが新しく、美しく、そして広い。雑多で、どこかいかがわしさを孕んだ喧騒が絶えないアジア特有のあの雰囲気が、ここでは微塵も感じられない。
 あちこち探し回った挙句、送迎の女性がようやく車を見つけてきた。メイド・イン・チャイナのフォルクスワーゲン。見た目は中古だが、座り心地は意外に良い。
「ホテルまでは40分くらいです」
 助手席に陣取った彼女が振り向きざまに話しかけてきた。なかなか流暢な日本語だ。スリムな黒のパンツスーツ。ファッションも洗練されている。
 背の低い草が生い茂るだけの原野を、片側何車線もある新しい道路が真っ直ぐに貫いていた。将来の拡張予定地なのだろう。街灯の他に光はない。360°見渡すかぎりの夜空だ。やがて、道が左に大きくカーブする前後から、これもまた開通したばかりのリニアモーターカーの軌道が並行し始める。ドイツの技術を採用した世界で初めての「浮く」リニア。日本では未来の乗り物と語られて久しいリニアが、もう実用化されている。
 しばらく走ると両側に建物が目立ち始めた。開発中の工業団地だろうか。企業の工場か研究所と思しき四角い箱が広い区画の中に点在するようになる。進むに従って、それらは密度を増し、高層化し、やがて洒落たマンションに取って代わるようになる。歩道に人影を見るようになる。建物と建物の間隔が狭くなってくる。交差点に信号が現れ、ときどき渋滞で車が停まる。市街の中心に近づくにつれ、マンションはバルコニーやペントハウスなど、細部の意匠に凝ったものが増えていく。
 かつて浦東は一面の荒野だった。あるいはのどかな田園地帯だった。少なくとも人の住む土地ではなかった。そこに目をつけた当時の市政府は、改革開放を推進する共産党中央の協力も得て、多額の資金をつぎ込み想像を絶するほどの大規模な開発を展開させていく。計画を立て、図面を描き、道路を引き、空港を作り、工場を誘致し、住宅を建て、まるでゼロから都市を築き上げるコンピューター・シミュレーションゲームのように景観を作り変えていった。
 きらびやかな光を放つ巨大な吊り橋が目の前に現れ始めた。コンクリートの支柱が夜空に突き刺さる。浦東と旧市街をつなぐ橋だ。対岸には眩いばかりの摩天楼がこれでもかというくらいに林立している。世界で今、最もエキサイティングな街。13億人という広大な市場経済のトップランナー。欲望と熱気が渦巻くかつての「魔都」。
 外国に来た、とは思わなかった。だが、僕たちは間違いなく異なる時空に来た。「未来」という名の新世界へ。未来、そう、それがこの街の別名なのだ。
 

   
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虹色の上海
 

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