誇りの民パシュトゥン〜Khyber Pass
 
誇りの民パシュトゥン
〜 Khyber Pass
 

   カイバルゲートを過ぎると景色は一変した。人の姿は消え、道はつづら折りの険しい登り坂になる。舗装こそされているものの、表面のところどころを土や大粒の砂が覆う。山肌は岩が剥き出しで草木はほとんど見られない。文字通り不毛の荒野だ。テレビのシルクロード特番で見たそのままの風景が拡がっている。
 部族地区に暮らす人々の多くはパシュトゥン人と呼ばれる民族だ。イスラム教徒で、遊牧を主な生業とし、ペルシャ語に近いパシュトゥン語を話す。
 彼らは信義に厚いことで知られている。最初は無愛想で取っ付きにくいが、仲良くなるとけして裏切らない。情が深く曲がったことが大嫌いという、とても浪花節的な人々だ。世界でひとりだけ友達になれるとしたら、僕は迷わず彼らを選ぶ。
 ガイドのアサドさんもパシュトゥン人だ。口数が少ないので、最初の頃は機嫌が悪いのかと思っていた。しかし、僕たちを大切な客人として扱ってくれていることが徐々に伝わってきた。地味だが誠実な人物だ。本人は何も言わないが、今日のカイバル峠行きに際しても、部族の有力者といろいろやり合ってくれたであろうことは想像に難くない。
 しばらく行くと、崖に迫り出すように膨らんだ路肩にバスが停まった。うねうねとカーブする道が眼下に見える。幾重にも連なる山の尾根が遠くにいくにつれて霞んでいる。走る車が米粒のように小さい。いつの間にか、思った以上に高いところまで登って来ていたのだ。
 赤い小さな旗が岩の間に挿してあった。色のない世界で、それだけが道標のように鮮やかに目に飛び込んでくる。
「ここがカイバル峠?」
「いえ、まだです。眺めが良いので休憩にしてみました」
 吐く息が白い。乾燥のせいか日本のように「冷える」という感じではないが、気温は相当低いに違いない。
 足元に鈍く光るものを見つけ、拾ってみると空の薬莢だった。本物を見たのは初めてだ。ここで銃撃があったのだろうか。驚いて立ちすくんでいると、アサドさんが「この辺りには一杯あるよ」と次から次へと拾ってきては見せてくれた。
 部族地区には警官がいない。自分の身は自分で守るしかない。だから人々は当然のごとく銃を持っている。撃つ撃たないも含め、すべては自己責任だ。
「現代のアフガニスタンは日本で言うと戦国時代に当たります」
 だから群雄割拠で国が統一されないのだという。なかなか上手い表現だ。
 アフガニスタンとはもともと「パシュトゥン人の国」という意味だ。19世紀にこの地を支配したイギリスが民族分布を考えずに国境線を引いたことから、一部の人々がイギリス領インドの住民として位置づけられることとなった。当の本人たちにしてみれば迷惑な話だ。今まで自由に行き来していた土地を「外国だ」と言われても納得できるはずがない。
 一方で「PAKISTAN」の二語目のAはアフガニスタンを指す。他はパンジャブのPやカシミールのKだから、パキスタンには「アフガニスタンは自国の一部」という潜在意識がある。いずれにせよ、国際政治上のグレートゲームだ。
 アサドさんに訊いてみたい。「あなた自身は自分をどちらの国民だと考えていますか」と。いや、訊かなくとも答えはだいたいわかっている。きっとこう言うに違いない。「どちらでもない。私はパシュトゥンだ」。
 

   
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岐路のパキスタン
 

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