グラウンド・ゼロ〜Wailing Wall, Jerusalem
 
グラウンド・ゼロ
〜 Wailing Wall, Jerusalem
 

   まるで額に入れて飾っておきたくなるような風景だった。
 広場を埋め尽くす人の群れ。その前に立ちはだかる、堅牢な巨石を積み重ねた厚い壁。丘の上では青いモザイクをちりばめた八面体の美しい建物が異彩を放ち、空に向かって黄金のドーム屋根が燦然と輝く。喜びと憎しみ、慈愛と不寛容、祈りと剣。中東の歴史を、そして現在を、文字通り凝縮したパースペクティヴがそこにはあった。
 ユダヤ教最大の聖地、嘆きの壁。ローマ帝国に破壊されたイスラエル栄光の第二神殿の名残。しかしそれはイスラム教最後の預言者ムハンマドが昇天した丘の礎石でもあった。
 紀元前10世紀、イスラエルに最初の統一王国が成立する。その王ダビデはエルサレムを首都と定め、息子ソロモンが壮麗な神殿を建設する。神がアブラハムに約束したカナンの地が、千年の時を経てようやくユダヤ民族のものになったのだ。神殿は統一と繁栄の象徴だった。だが栄華は永くは続かない。ソロモンの死後王国は分裂し、やがてバビロニアに滅ぼされる。神殿は破壊され、人々は囚われの身としてバビロンに連れ去られていく。離散の百年の後、人々はようやくエルサレムへの帰還を許される。紀元前6世紀、神殿が再建され新たな繁栄が始まった。神は我々を見捨てなかった、やはりここが約束の地なのだ。喜びの中、市民の誰もがそう確信したことだろう。しかし悲劇は繰り返す。紀元70年、ローマによってイスラエルは再び滅ぼされる。第二神殿は西側の土台を残して完全に破壊され、最後の抵抗を試みた人々はマッサダに追いつめられ自害した。以後、ユダヤ民族は再び流浪の民となることを余儀なくされる。
 ビザンチン帝国、イスラム帝国、十字軍、オスマントルコ。エルサレムの支配者は次から次へと交替した。しかし、それによってこの街の独自性が失われることはけしてなかった。むしろ異なる原理に支配されるたび、エルサレムのエルサレムらしさはますます磨き上げられていった。世界中に散り散りになったユダヤ民族のエルサレムに対する想いは募り、ほとんど信仰と言ってよい極みにまで純化されていく。父祖の地へ。エルサレムへ。神が我々に約束してくれた、たったひとつの場所へ。
 1948年、実に二千年の時を超えて新生イスラエルが建国される。しかしそこには既にアラブ人という正当な居住権を持つ先住民がいた。それだけではない。第三神殿が建設されるべきはずの丘はイスラム教第三の聖地と呼ばれるようになっていた。かつて神殿が建っていたまさにその場所に、預言者の墓が建てられていたのだ。
 糞門にほど近いマンションの階段から僕たちは嘆きの壁を見ていた。
 エルサレムの歴史を知りたいと思うなら、何千回ニュースを見るよりも、何万冊の本を読むよりも、一度ここに来てみればいい。言葉や理屈ではない。感覚でわかる。何十億年という生物進化の過程を母親の胎内で経験する赤ん坊のように、ダビデ以来の綿々と続く物語を一瞬にして理解することができる。イスラエルが、アラブ諸国が、アメリカが、国連が、何年にもわたって躍起になっている問題の全てがここに集約されている。この景色なのだ。
 この争いは未来永劫解決することはないのではないか。ふと、そう思った。いや、感じた。
 照りつける陽射しが肌を灼く。乾いた風が汗を奪う。三千年の歴史がからだを駆け巡る。この街が世界中のどの街にも似ていない理由。エルサレムをエルサレムたらしめてきた最大の要因。その答がこの眺めの中にある。
 この場所に立ってみて初めてわかる。それは他ならぬ「争い」それ自体なのだ。
 

   
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永遠のイスラエル
 

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