<天岩戸の物語>

追われたスサノオは姉アマテラスに別れを述べてから根の国へ行こうと高天原へと上るが、その様子が荒々しいのでアマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと疑うのでした。

スサノオは誤解を解くため「互いに子を産んで、その子供によって私の心が清らかであるか、神の意志を判断したらどうでしょうか?」と提案し、天の安河を挟んで真意を尋ねる“うけい”(神に祈って吉凶を占うこと)の儀式を執り行いました。

初めにアマテラス(天照)がスサノオ(須佐之男)の剣を貰い受け三つに折り、天之真名井(あめのまない)の水を注いで噛み砕き、息とともに吐き出すと女の三神が生まれました。

次にスサノオがアマテラスの身に着けた玉飾りを貰い受け、天之真名井の水を注いで噛み砕き、息とともに吐き出すと男の五神が生まれました。

アマテラスは自分の持ち物から生まれた男の五神は自分の子と認め、三柱の女神はスサノオの子と認めました。

この時スサノオは「私の心は清らかで何の異心も隠してはいなかったでしょう、私の子は心の優しい女の子でした。この勝負は私の勝ちですね」と勝った勢いで荒々しいままに、傍若無人に田を荒らし、御殿にも狼藉を働きました。

(※ 日本書記ではスサノオが男を生めば異心なしとせよと“うけい”し、五柱の男の神を生んだ それでスサノオは勝利した との記述もある)

アマテラスは弟を大目に見て居りましたが、乱暴な振る舞いは目に余り、あろうことか馬の皮を剥いでアマテラスの織小屋へ投げ込むなど、あまりに荒々しい仕業を見てアマテラスもすっかり恐ろしくなり、天石屋(あめのいわや)に身を隠してしまわれました。

すると、たちまちのうちに天上の高天原も葦原中国(あしはらのなかつくに 地上)も真っ暗闇になり、禍という禍が一時に起こってきたのです。

そこで八百万(やおよろず)の神々が天安河(あめのやすのかわ)の河原に集まり、アマテラスに石屋から出て来てもらうために様々な儀式を行いました。

長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせ、矛を作り、鏡を作らせ、五百個の勾玉(まがたま)を使った長い玉飾りを作り、榊(さかき)の木を根こそぎに掘り起し、上枝に勾玉飾りを中枝には八咫鏡(やたかがみ)を懸け、下枝には白い木綿(ゆう)の和幣(にぎて)と青い麻の和幣を垂らしフトタマノ命が御幣(みてぐら)として捧げ持ち、アメノコヤネノ命が祝詞を奏上し、アメノウズメノ命が足拍子面白く、音のとどろくばかり踊りました。

その面白さに高天原が揺れ動くまでに八百万の神々が声を合わせて笑うので、アマテラスは岩戸の扉を少し開け、「暗い中でひっそりとしていることと思っていたらどうして踊り回り、声を上げて笑っているのか」と問われました。

アメノウズメが「貴方様よりもっと貴い神様がおいでになりますので、それを悦んでいるのです」こう答えている間にアメノコヤネノ命とフトタマノ命がかねての鏡を差し出して、アマテラスに見せました。

そこには一柱の尊い神様のお姿が明るく照り輝いて映っているので、アマテラスは不思議なことだと考えて、少しばかり戸の中から出て様子を見ようとしたその時、脇に隠れていたアメノタヂカラオノ神が日の神の手を取って岩屋戸の前に引き出しました。

フトタマノ命が素早くその後ろに注連縄(しめなわ)張り巡らして言いました、「これより内側には二度とお戻りにならないでください」と。

こうしてアマテラス大御神が再び姿を現したので高天原も葦原中国(地上)も再び明るく照らされようになりました。

八百万の神々はスサノオの重い罪を清めるために、千の座の上に罪を贖う品物を載せて差し出させ、さらに、その鬚を切り、手足の爪も抜いてしまって、高天原から追い払ってしまいました。

日向(宮崎)神話の舞台

宮崎県の北西部・高千穂町天岩戸、岩戸川の渓谷と岩屋が天の安河原とアマテラスの御隠れになった岩屋のようだとして崇敬されたので「天岩戸」として祀られるようになったそうです

天岩戸神社

天照大神を祀る神社です。岩戸川を挟んで西本宮と東本宮がある。地図

東本宮の御神体はアマテラス(天照)の籠られたと謂われる「天岩屋」そのものである。

西本宮は御神体の天岩屋を遥拝する社殿である。

写真は西本宮です。

天の安河原

岩戸川の侵食で出来た大きな岩窟がある。地図

さも神々が岩戸に隠れたアマテラス(天照)を誘い出すために協議、乱舞した舞台の様に見える。

西本宮裏手岩戸川に沿って溯る小道が有る。

岩窟の中から外を見る。

中に小さな祠があり、一面に石を積み上げて人々の祈願した跡が見える。

天の岩戸神社 大祭

岩戸神社大祭では手力男命に扮した人々が、岩戸に模した畳を投げ、その距離を競う。

岩戸神楽

岩戸神楽の一番の見どころ、岩戸を開ける手力男の舞