ヒュッテアルビレオ付近から八子ヶ峰の稜線を俯瞰する。右奥は美ヶ原、左奥は霧ヶ峰。あいだの彼方は北アルプス。

八子ヶ峰

ひところ北八ツのピラタスロープウェイで手軽に高度を稼ぎ、双子池の畔でテント泊して周囲を歩くというのを繰り返していた。蓼科山を登ったり北八ツを縦走したりしていたものだが、ロープウェイ乗り場までのバス経路にマリーローランサン美術館というのがあり、世界でも唯一のローランサン専門美術館という触れ込みに感心していたものの、とくに好きな画家というわけでもないので途中下車などせず過ごしてきていた。
その美術館のある敷地のホテルが本年(2011年)9月末に営業を中止するということで、あわせて美術館も閉館することになった。それでもとくに行く気はしなかったのだが、併設施設に80体もの作品を並べる野外彫刻庭園というものがあり、こちらも当然ながら閉園するという。ちょうどそのころ野外彫刻を眺め撮影するというのに興味がわいていたので、とにかく訪れておかないことには二度と見られなくなるかもしれないという思いに、7月三連休の休みはこの庭園を見に行くことに決めた。日帰りする距離ではないので一泊二日行程とし、二日目に簡単な山歩きをするものとして、歩行時間が短くて放っておいた八子ヶ峰を歩いてみることにした。


美術鑑賞の初日同様、二日目も朝から好天だった。茅野駅から”蓼科高原ラウンドバス”という季節運行の20人乗りボンネットバスで蓼科山登山口を目指す。6時台のものに乗れば一時間で八子ヶ峰の登山口でもある蓼科山登山口だが、前日に食糧調達を行わなかったため朝に買い出しをして8時台のに乗ることにした。
出だしの裾野地帯を行くあたりは田舎バス路線風情で悪くなく、あらためて車で走りたいと思える。これが山中に分け入ると別荘地を延々と巡る。日本の別荘はわりと相互に近接して建てられることや、見晴らしがよいわけでもない山の斜面に建てられるものも多いことなどがわかる。先日でかけた箱根でもそうだった、軽井沢などどうなのだろう、などと考えているうちにもまだ別荘地を走っている。
ロープウェイ乗り場で団体を載せてほぼ満員状態となり、ようやく目指す登山口に向かう。自分を含めて3人下りたが、高校生らしき5,6人が乗り込んでいった。時間が早いので、霧ヶ峰を歩いて帰京するのだろう。走り去るバスのエンジン音を背に、蓼科山に背を向け、蓼科温泉郷への棒道入口もやり過ごし、店を開けていながら準備中とあった茶屋を覗くこともせず、稜線への道のりをたどる。
出だしこそ広い未舗装道は茶屋の裏ですぐに山道となり、ダケカンバの大木が目立つ高原風情の風景を左右に見せる。歩き出してわずか20分、目指す先にヒュッテアルビレオの赤いトタン屋根が見えてくるともう稜線に出る。小屋裏には真正面に蓼科山が端正な円錐をそびえ立たせて圧倒的だ。その右横には北横岳が名の通り横に長い鈍重な姿を見せている。
ヒュッテのベランダから正面に中央アルプス、右奥に御嶽山
ヒュッテのベランダから正面に中央アルプス、右奥に御嶽山。
中央アルプスの手前は守屋山。
蓼科山と北横岳
ヒュッテアルビレオ裏から蓼科山と北横岳 
ヒュッテのベランダでコーヒー
ヒュッテのテラスでコーヒーをいただく
小屋前に回ってみると広々とした草原で開放感充分だ。残念なことに朝はよく見えていた遠くの山々が早々に湧いてきた雲に閉ざされてしまってほとんど眺めがない。見えない分は想像力で補うものとして、コーヒーをいただきながらテラスで広い空間を味わうことにした。豆を挽くところから始まる時間というのものんびりとしていてよい。今日の山は歩行が短い分、とにかくゆっくりしようと決めていた。
山の上で出されるコーヒーはそれだけで美味そうに見える。カップは星座柄で、白鳥座に関連した小屋名を考えれば遊び心があって楽しい。眺めがなくても、高原の風が吹き渡るテラスで飲んでいると思えばひときわ美味い。一時間半前は好展望だったものの、ちょうど自分が登り着いたときあたりにガスがかなり上がって展望がなくなってしまったらしい。だが大気の動きは速く、穏やかな小屋主のかたと会話しているうちに白い帳が徐々に開け、正面の中央アルプス、その右に御嶽、さらに右手に北アルプスの槍穂高、霧ヶ峰と眺望が開けてきた。南アルプスだけは雲がとれなかった。晴れてさえいれば甲斐駒仙丈が大きく見え、北岳が頭だけ出すのが見られるようだ。
小屋は清潔で明るく、できればいつか泊まってみたいものだった。小一時間ほどのんびりしたのでさすがに出発しなければと腰を上げる。紺地に白で白鳥座がデザインされたシンプルなバンダナを記念に入手して小屋を後にした。なお帰宅してから知ったが、白鳥の口にあたる星の名がアルビレオで、美しい二重星なのだという。よく見るとバンダナには正しく二つの星が重なるようにプリントされていた。


7月下旬の三連休はこのあたりだと花の数は少なくなるらしい。ニッコウキスゲの姿を見たが単独で咲いているものばかりで群落の姿はなく、大型の花では紫のウツボグサ、ピンクのナデシコ、黄色のキンバイくらいがときおり申し訳なさそうに咲いていた。
ナデシコの仲間
ナデシコの仲間
登山道から離れて一輪だけ咲いていたアヤメ
登山道から離れて一輪だけ咲いていたアヤメ
ツルキンバイかも
ツルキンバイかも
若干の足下の寂しさを補ってあまりあるのが周囲の展望だ。小屋からの眺め同様に稜線でのものも言うことなしで、右にも左にも前にも後ろにも山が見えて楽しいことこの上ない。今回は八ヶ岳を背に白樺湖方面に向かう計画なのだが、正面右手にやたらと背の平らな山が目に入る。美ヶ原だ。このあたりから眺めるのがほどよい大きさと思える。”上田の山”である独鈷山からだと目の前に大きく広がっていて掴みがたかったが、ここからだと国内で有数の高原と呼ばれるのがよくわかる。山上高原の右手奥には妙高、火打を初めとする北信の山々がうっすらと浮かんでいる。
稜線から美ヶ原と北信の山々
稜線から美ヶ原と北信の山々(右奥、右端は妙高、左端は戸隠山)を望む
この稜線は、人がいないわけではないが、だいぶ少ない。あまりに手軽すぎて、今までの自分のように敬遠してしまうのかもしれない。どうしても目は間近の華やかな蓼科や北八ツに向いてしまう。こちらに上がったとしてもヒュッテとその少し先にある八子ヶ峰東峰山頂だけ踏んで登山口に帰る人が多い気がする。そのためかこの静けさでこの眺望を堪能できる。台風が近づいているというのもあったかもしれないが。
八子ヶ峰の稜線は南北に長い。北端の少々高まったところが八子ヶ峰の山頂とされることろで、谷間を挟んだ向かいの霧ヶ峰が柔らかに美しい。朝の時点では時間が許せば白樺湖に下って霧ヶ峰に登り返そうかとも考えていたが、そろそろ空模様が怪しくなってきたし、小屋と稜線とでのんびりしてすでに午をだいぶ回ってもいたので、おとなしく下って帰ることにした。
八子ヶ峰山頂付近から霧ヶ峰と白樺湖、彼方に北アルプスの連嶺。
八子ヶ峰山頂付近から霧ヶ峰と白樺湖、彼方に北アルプスの連嶺。
八子ヶ峰から白樺湖へは中景の山を越えて下る。
八子ヶ峰山頂から蓼科山
八子ヶ峰山頂から蓼科山
八子ヶ峰山頂から八ヶ岳連峰
八子ヶ峰山頂から八ヶ岳連峰
天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳、権現岳、編笠山、西岳と並ぶ。
手前は八子ヶ峰の山腹斜面。
山頂からはスキーコースを歩き、草原のなかの山道に入る。かつての見晴台なのか、茅野市の名が彫られた標柱の立つ場所に出るとスキー場の宿舎群は眼下のすぐそこに見える。再びスロープを下ってガラス張りのカフェの前に出て、建物の左手を回り込み、車道を辿っていく。
白樺湖の湖畔道路に出た。グランド前という名のバス停がすぐ近くにあり、あと半時ほどで茅野駅行きが来る。目の前には日帰り温泉施設の「すずらんの湯」というのがあるが、30分だけでは入浴するに慌ただしすぎる。さほど汗も出てないので温泉施設先の東屋に腰を下ろして明るい湖面を眺めることにした。すぐそばには湧き水の小さなプールがある。カヌー教室の団体が休憩に上がってきていて、インストラクターのかたの説明を脇で聞くと、もともとは露天風呂だったものがすずらんの湯ができて湯が出なくなり、親水公園のようにするため浴場部分を浅くしたものらしかった。水自体はだいぶ深いところからくみ出しているらしい。


茅野駅行きのバスは霧ヶ峰からの客で座席がだいぶ埋まっていたが、満席ということはなく座っていくことができた。着いた駅では三連休最終日の午後だからか特急の指定席がだいぶ先の時間帯まで満席だった。すぐにやってきた臨時の特急の自由席に乗ってみると拍子抜けするほど空いていた。窓際に陣取り、不穏さを増しつつある空を眺めながらワゴン車のビール販売を待つうち、いつしか寝てしまっていた。
2011/07/18

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