牧柵越しに王ヶ頭(右)と美しの塔を遠望する

五月初旬の美ヶ原

美ヶ原は2,000mを抜く標高を持つ山なのだが、山上は台地状で三方から車道が通じ、”山歩き”はしても”山登り”はしないで済ませることができる。最高点の王ヶ頭にはホテルが建ち、送迎バスが発着するものだから”山歩き”すらしないということも可能だ。
溶岩台地であることからとくに南面が切り立った崖となっており、麓から登り上げ、詩人尾崎喜八が詠ったように「世界ノ天井ガ抜ケタカト思フ」感覚を体験するのが”山登り”としては望ましいのだが、巧い計画が思いつかずなかなか足を向けないでいた。例年通り5月の連休に連れと車で戸隠に向かう折り、初日の午後に美ヶ原の一角にある高原美術館に立ち寄ったところ、予想してしかるべきだったが園内から山上の光景を眺め渡してしまい、「額に汗してたどり着いた高原台地の眺望に感動」みたいなシナリオはオンサイトでは不可になってしまった。まぁ見てしまった以上はしかたない。眼前には行程が手頃な原が広がっており、ただ眺めただけで帰京するのは随分な心残りになるが必至なので、この際”山歩き”だけでもいいやと、戸隠からの帰路に車で上がり直すことにしたのだった。


高原美術館の駐車場に車を停め、野外展示場を分断するように続く木道から散策路は始まる。木道からは展示場に入ることはできない。柵越しに作品を眺めつつゆるやかに登っていくと、左手遙か先に美ヶ原全景が広がり始める。彼方にアンテナを林立させているのが最高点の王ヶ頭だ。歩き出して僅か10分で牛伏山園地に着く。ベンチにテーブルがあり、すでに午なので早々に腰を下ろして食事とした。
5月は新緑がキレイだとガイドブックにはあったが、初旬はまだ冬枯れの野原で寒々しいことこの上ない。この日は大気も霞みがちで、晴れていさえすれば360度の展望というところだが、蓼科山とその背後の八ヶ岳連峰が窺える程度だ。美術館からは上田周辺の山々を俯瞰できたが、美ヶ原は平坦地が広く、遠く高い山が雲に隠されれば草原の向こうは空ばかりなのだった。日は差すものの風もあって立ち止まっていると冷えてくる。それでも長年気になっていた山を歩くのはやはり愉しい。運動不足なので歩くこと自体も愉しい。
牛伏山から下って10分で山本小屋ふる里館なる大きな宿があり、手前には美術館前のものほどではないにせよ広い駐車場がある。ここから歩き出すと牛伏山を登り返す必要がないので(とはいっても10分なのだが)、軽装の散策者は増える一方だ。バーナーを入れた大きめのザックを背負っている身が逆に浮いていることだろう。
ふる里館からは車も通る幅広の道で、未舗装ながら踏み固められているので歩きやすい。左右は木製の牧柵の向こうにゆるやかな草原が広がるのみ、坦々と歩いているとここが2,000mの高さだということを忘れがちになる。同じような高さに蓼科山の山頂があるのが奇妙な感じだ(実際にはあちらのほうが500mは高いが)。美しの塔を過ぎ、大岩がごろごろする塩くれ場を過ぎたあたりまでの半時は、どこかの牧場の脇を散歩しているだけという風情だった。
美しの塔から王ヶ頭を望む
美しの塔から王ヶ頭を望む
徐々に傾斜が増し、溶岩台地が麓に落ち込む急崖を左手に眺めるようになると最高点は近い。山頂に立つ王ヶ頭ホテルに入ってみると洒落た喫茶室があったので、連れともどもコーヒーを頼んで窓越しに広々した高原を眺めながら一服した。まだチェックイン時刻前だからか、館内は静かだった。ホテルの裏手に回ってみると最高点を告げる標識があった。御嶽礼拝所もあって、信仰でも登られていたことがわかったが、肝心の御嶽は雲に隠れて見えなかった。
平坦路を歩いているうちは気にならなかったが、王ヶ頭はさすがに最高点だけあって風が強い。尾根筋の王ヶ鼻まで足を伸ばしてみようかと思ったが、高所で強風に吹かれるのが苦手な連れが嫌がるので往路を戻ることにした。3時をまわり、宿泊客が集まり出すのか、何度も送迎バスとすれ違った。砂埃を通じて車内を窺ってみると休前日だからかそこそこの人数が乗っていた。


3日前に美術館を訪ねた折りには、曇り空だったのが夕方近くになってみぞれが降ってきた。美ヶ原を散策した日は出だしこそ晴れていたが、往路を戻るころには薄雲がかかる空模様になってしまった。やはり高原には青空が似合う。好天の日に再訪したいものだが、歩くのであれば三城牧場から登るか、和田宿から和田峠に出て中央分水嶺トレイルをたどってみたいと思う。その際は高原美術館も再訪できればいうことなしだ。天気が悪化したため半分ほどは駆け足で回り、それでも見残した作品がかなりあるので。
2011/05/06

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