八島湿原の彼方に車山、ヤナギランにとまる蜻蛉

旧和田峠から霧ヶ峰

霧ヶ峰は、昔、学生のころ、八島湿原を歩き、車山に登ったことがある。とはいっても手提げカバンを下げて木道を歩き、バスで車山肩に移動して幅広の道を山頂に上がり、リフトで白樺湖に下ったくらいなので、ほぼ単なる観光地周遊だった。それ以来、ビーナスラインを車で走ったりして車窓から目にすることはあっても、人の多いただの観光地として通り過ぎるだけで、あらためてここだけ目的地にして出向くということはなかった。
しかし美ヶ原や八子ヶ峰を歩く機会があり、これらからすぐ隣に眺めるにつけ認識が変わっていった。山上台地の高みから遠望する霧ヶ峰は広い山域で、起伏もあってそこそこ歩きでもあり、眺望もよく愉しかろうと思えた。八子ヶ峰から見れば、白樺湖に落とす尾根の山腹斜面が柔らかな草地で、官能的にすら思えるのだった。
ことほどに魅力再発見の機会があったので「では行ってみるか」とコースを考え出す。稜線沿いを辿るルートや山腹沿いのルート、そこここにある湿原や展望地、さらにはどこから登ってどこに下るべきか、さすが見どころの多い霧ヶ峰で一度でおもだった場所をまわろうとするのは難しい。なので今回は霧ヶ峰縦断ができればよいと考え、しかもいきなり中心部分に向かわないことにした。すなわち中山道の旧和田峠を越え、その隣の鷲ヶ峰の稜線を歩き、八島湿原に出て車山に登るというコースとした。山中泊にしようかと思ったが、日帰りでも歩ける距離であり、前日は麓の散策(けっきょくは観光なのだが)にあてたかったので町中に泊まって朝に登山口に向かうこととした。


観光地とはいえ日曜朝の下諏訪駅前は静かなものだった。タクシーに乗り込み、中山道の旧道が車道と交差する西餅屋に向かう。晴れていた上空は高度を上げるにしたがいガスに閉ざされ、両側に山の斜面が迫るようになると霧が漂うようになる。西餅屋は想像と異なり旧街道の案内板が立つだけの場所だった。かつてここに文字通り餅を供する茶屋があったことからの命名だそうで、峠の反対側には東餅屋という地名もある。
車道から旧道に踏み込んでみると小さな広場のようで、昔ここに茶屋が軒を連ねていた名残がわかる。すぐ道幅は狭くなり、葉に残る朝露が膝まわりを濡らすようになる。車道が脇を併走しているのでときりエンジン音が響く。葉末の雫が落ちる音がそこここに聞こえ、雨が降っているかと錯覚する。車道に加えて沢筋まで併走するようになるとせせらぎの音も混じり、なかなか賑やかな登りだ。
西餅屋跡、奥へと続く中山道
西餅屋跡、奥へと続く中山道
山中の旧街道に咲くナデシコ
山中の旧街道に咲くナデシコ
車道を二度横切ると舗装道は別な方向に向かい、山道は静かなものとなる。ガスのなかを抜けたらしく、見上げれば空が青い。タクシーのなかでは憂鬱だったが、山に来てよかったと思えるようになった。樹林のなかを行くと水場がある。コケが張り付いたような樋から細々とした流れが落ちている。飲んでみると柔らかい味だった。すぐ隣には首を落とされた地蔵様が鎮座している。今でこそ往来のない街道筋だが明治の初めはまだ人通りが少なくなかったと思われるので、廃仏毀釈運動荷担者にとってはよい見せしめになると思ったのだろう。いまでは単なるバンダリズムの痕跡でしかないが。
行く先が明るくなってくると旧和田峠だった。賑やかに石碑やら解説板やら方向指示版が立っている。解説板によると今上がってきた西の坂は難儀で、東の和田宿に向かう道のりは楽なようだ。御嶽遙拝所でもある峠は随分と開けていて眺めがよい。中央アルプスの山並みが夏の日差しのなかで霞んでいる。すでに夏雲が湧きだしていて残念ながら御嶽は見えなかった。
旧和田峠直下にて諏訪盆地側を振り返る
旧和田峠直下にて諏訪盆地側を振り返る
右奥は岡谷市街地
旧和田峠のすぐ上にある御嶽山遙拝所
旧和田峠のすぐ上にある御嶽山遙拝所
左の石碑には「御嶽山■王大権現(■は右写真参照)」、右の石碑には「本尊大日大聖不動明王」と刻まれている
 
十字路となっている峠は美ヶ原方面に向かう踏み跡が明瞭で、標識も立っている。霧ヶ峰方面へは反対側だろうと広い踏み跡をたどって小さな高みを目指す。振り返れば丸い頭の草原の山が高い。美ヶ原、扉峠に向かう道のりの途中にある三峰山だ。いかにも眺めのよさそうな山だが、そこまでがえんえんと草原なので日を遮るものがなく暑そうでもある。本日の自分の行程もそうだろうが・・・。三峰山左方には幅広の黒っぽい山がわだかまる。二ツ山から鉢伏山に連なる山塊で、すっきりと高い三峰山とは対照的だ。しかしいずれも歩いてみたくなるものであることはかわりなく、いつか来られたらと思うのだった。
さて高みのてっぺんに出ると、驚いたことに前方左右はかなりの高度を下げる谷間になっている。その谷間を隔てて左手から正面彼方に高まるのが鷲ヶ峰の山塊のようだ。足下の踏み跡は矮性のササのなかで直進するものと左折するものに別れており、標識などない。直進するとどこまで下るか不明なので、左へと向かうものに入る。広い刈払いの縁を急降下するもので、あとで調べてみるとスキー場なのだそうだ。
旧和田峠付近から鷲ヶ峰(右)と霧ヶ峰の稜線
旧和田峠付近から鷲ヶ峰(右)と霧ヶ峰の稜線(左奥、顕著なのが北の耳と南の耳)を望む
スキー場で蝶を呼んでいたマルバダケブキ
スキー場で蝶を呼んでいたマルバダケブキ
入った山道をまっすぐ下っていくと妙な掘り割りのようなものの底まで行ってしまいそうだが、その手前で左折し、車道の通じる和田峠付近に出た。掘り割りと思えたものは和田峠トンネルの出口だった。高度差100メートルの下りだったが、車道に出てしまったものだから、朝から登った分をすべてなしにしてしまったような気分だ。時刻が早いせいか一、二軒ある店はまだ開いていない。車もときおりやってきて走り去るだけで、静かな明るさが広がっているのが救いといえば救いである。どちらから上がってきたのか、サイクリストが直射日光の差す路上で地面に座り込んで休憩していた。
霧ヶ峰方面に車道を少々歩くと左手に信濃路自然歩道の標識が立っており、鷲ヶ峰への山道が始まっている。登っていくと右手に眺望が広がり、さきほど下ったスキー場の斜面も見えてくる。振り返れば三峰山がいっそう高い。アンテナ施設を過ぎていったん下り、登り返す。やや平坦な道のりをいくと正面に鷲ヶ峰が高く迫ってくる。
振り返り見る旧和田峠と三峰山
振り返り見る旧和田峠と三峰山
中央にある右に下っていく細いスキー場の上、僅かな草原の下あたりが旧和田峠。
樹林のなかを潜り、急登をこなして鷲ヶ峰山頂に着く。和田峠以来だれにも遭わなかったがここで初めて人影を見た。若い女性二人で、諏訪盆地側を指さしてはどの建物が何かと話し合っている。どうもそのあたりに通う大学生らしい。行く手には草原を波打たせる霧ヶ峰が垣間見える。車山の丸い背が大きい。一休みに腰を下ろして周囲を見渡す。暑熱に霞む諏訪湖の上には陰影の多い夏雲が群れをなしている。来し方を見ればあいかわらず三峰山がにこやかにこちらを見ているが、その背後に見えるべき美ヶ原は雲の中だ。
鷲ヶ峰の稜線から八島湿原を俯瞰し、車山(正面)を遠望する
鷲ヶ峰の稜線から八島湿原を俯瞰し、車山(正面)を遠望する
左に僅かに盛り上がっているのは"南の耳
そのうち中高年の団体がやってきた。いきなり賑やかになって落ち着かないので出発する。すぐに眺望のよい下り道となり、草原に覆われた細長い鷲ヶ峰の稜線の向こうに八島湿原と霧ヶ峰の高原地形が広がる。すっかり観光地の霧ヶ峰だが、この規模での起伏のゆるやかな草原風景は何度でも目にして飽きることはない。
もっともやはり観光地なので八島湿原周遊歩道に入ると山を歩いている気はしなくなる。平坦な木道を歩く人の数は、尾瀬ほどではなかろうが、けっして少なくない。この手の現世の煩わしさを忘れさせてくれるのが木道の脇に咲く花々だ。名のわからない花を撮影している方たちがあり、花の名を聞くと自分たちもわからないのでとりあえず写真に撮っておいて後で調べるという。自分も同じですといって一枚撮る。
シモツケソウかな?(花の色は白から紅まであるとのこと)
八島湿原にて
シモツケソウかな?(花の色は白から紅まであるとのこと)
シモツケソウでしょうねぇ
シモツケソウでしょうねぇ
ツリガネニンジン
ツリガネニンジン
行く手に蝶々深山、北の耳や南の耳がなだらかに高まる。営業していない奥霧小屋から八島湿原の周囲を離れ、高みに上がっていく。意外なことに初っ端はジグザグを切る山道だ。折り返すたびに眺める湿原の奥行きが増え、その向こうに立ち上がる鷲ヶ峰が和櫛のような姿を見せる。踏み跡が広がってしまった直線路を行くようになると岩がごろごろしている場所に着く。降り返れば湿原も鷲ヶ峰も、その背後の三峰山も目に入る。物見岩という岩塔がある平地で、休憩するにはちょうどよい。
物見岩の立つ平地への登りから八島湿原と鷲ヶ峰を振り返る
物見岩の立つ平地への登りから八島湿原と鷲ヶ峰を振り返る
あいかわらず日差しが強い。たどっている道のりは鷲ヶ峰の山頂以降、ほとんど日を遮るところがないのでかなり焼けているはずだ。本日は七分丈のパンツで歩いている。昨年の北アルプス薬師岳山行で脚の裏側を火傷のようにしてしまったのを思い出し、遅ればせながら日焼け止めを塗る。左手、車山の向こうの白樺湖方面で雷が頻繁に鳴る。相当な高さの積乱雲が風に吹かれて目の高さより少々高いところを左から右へと移動していく。平らな雲の下にはまるで絵に描いたように雨筋のような直線が幾筋も大地に向かって落ちている。ひょっとしたら本当ににわか雨の豪雨を横から目にしていたのかもしれない。
物見岩地点から白樺湖方面を覆う雨雲を遠望する
物見岩地点から白樺湖方面を覆う雨雲を遠望する
雷鳴がさかんに轟いていた
蝶々深山へはゆったりとした道のりなのだが、そろそろくたびれてきていて足どりが重くなってきている。霧ヶ峰だけを歩くのなら旧和田峠は割愛すればよかったかななどど後悔し始めもする。最高点の車山はすぐそこにマッコウクジラのような姿で控えているのだが、意外と登らさせられそうだ。もう少し涼しければ快適なのだが、そういう季節に来ると草原の花々を初めとする夏の輝きといったものが目にできない。それはこの年の五月に立ち寄った美ヶ原山上台地で経験済みだ。
車山乗越を越え、ときおり思い出したように動く観光リフトの脇を車山山頂めざして登り出す。登れば登るほどに草原風景が眼下に広がり励みになる。そのなかには欧風の小屋が建ち並ぶ沢渡経由のコースや、北の耳や南の耳など稜線沿いを歩くコースも目に留まる。今回歩かなかったこれらのコースは見る限り難しいところがなさそうで、いつかまた霧ヶ峰を計画したときに歩いてみたいものだ。
車山山頂手前には観光リフト終点があり、清涼飲料水の自動販売機があるか期待していたのだがそんなものはなかった。どうせ人工物ばかりなのだしリフトで上げれば簡単なのだから売店でもあればいいのにさとか勝手なことを考えながら山頂に一息で登る。子供らが駆け回っている頂にはかつて見たのとは規模が倍どころか3倍はあるのではと思える気象レーダー装置がそびえ立っている。遠くからも目を惹いたが間近に仰ぐと山頂にあるものとは思えない巨大さだ。傍らに立つ説明書きによれば1999年に建造されたそうで、なるほど前に見たのとは違うのだと納得する。レーダーに押しやられたような片隅に小振りの神社が建ち、霧ヶ峰の麓にある諏訪大社のように四隅に金剛杖のような大きさの御柱が立っていた。
車山の山頂から美ヶ原(右奥)と三峰山(左奥)を望む。右手前は"南の耳"
車山の山頂にて
南の耳(中央右))および男女倉山(中央)の上に美ヶ原(右奥)と三峰山(左奥)を望む
午も過ぎ、高山であれば雷雨の危険がある時間帯が迫ってきていたが、方向によっては見晴らしがよくなってきており、朝から目にできなかった美ヶ原がようやく膨大な溶岩台地を見せてきていた。だが反対側の八ヶ岳は蓼科山を筆頭に全山が首から上を雲の中に隠しており、背の低い八子ヶ峰がただひとり申し訳なさそうに稜線を見せているばかりだった。
車山の山頂は広い。しかしあちこちで表土から岩が露出して歩きにくい。その一角に腰を下ろし、学生時代に登った記憶を振り返ってみた。こんなに山頂が広いとは覚えていなかったし、こんなに歩きにくいというのも意外だったし、周囲の眺めもすっかり記憶から消えていた。かつて撮影した写真に映っているものばかりが全てになってしまっており、撮さないで終わったものはなかったことになってしまっている。まあそんなものだろう。登ったこと、つまり行ったことは覚えていても、見たこと聞いたことは忘れてしまうもののようだ。とくに楽して登った場合はその傾向が顕著だろう。さて今回の眺望は撮影したもの以外をどれだけの期間覚えていることだろう。最近ことに忘れっぽくなってきていることでもあるしちょっと自信がない。
夏雲を背に車山の山頂に立つ気象レーダードーム
夏雲を背に車山の山頂に立つ気象レーダードーム
当初は車山乗越に戻って白樺湖に下り茅野行きのバスに乗ろうとしていたが、そうすると夕方4時台のバスになることが確実だった。車山肩に下れば2時台のバスに乗れてかなり早く下れる。明日は仕事だし帰りの電車は普通列車を乗り継いで帰る予定だったので車山肩に下ることにした。まるで急でない山道なのになかなか速度の出ない足どりで車道まで下り、やたら立派なレストハウスで高原牛乳を飲み、さらにペットボトル飲料を2本も買ってバスに乗り込んだ。席は空いていた。


茅野市街に入ってみると土砂降りだった。水煙が漂うような雨だった。普通列車が来るまでだいぶあったので駅近くのレストランに入ってジョッキのビールを頼んだ。飲み終わる頃には雨は上がっていた。乗り込んだ電車は、日曜の午後だからか、都心に帰ろうとする客でかなり座席が埋まっていた。窓の外には先ほどの雨を降らせた雲が広がっている。霧ヶ峰再訪時のルートなど考えるうち、いつしか眠ってしまっていた。
2011/08/07

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