岩戸山、小渕山、鷹取山日蓮大橋上から仰ぐ夕暮れの岩戸山

中央本線藤野駅の周辺には近ごろガイドマップに載りだした小さな山々がいくつかあって、わりと気楽な山歩きをさせてくれる。駅北西に高まる鷹取山も然り。行程も半日強と手頃なので、”北丹沢山岳センター”というNPO法人が2003年に出版した『藤野の山と峠』というガイドを持参して、樹間の見通しのよい冬の季節にでかけてみた。


駅のホームに降り立つと、焼山から黍殻山に続く丹沢の山屏風が下り坂の空模様の下に白く立ち上がっている。本日の空気は澄んでいそうで、周囲の眺めは期待できそうだ。
駅を出て陣馬の湯へと向かう道筋を辿り、線路を渡ってすぐのトンネルをくぐる前で右手に別れる車道に入る。側壁には小さな案内板があって岩戸山・鷹取山へと教えている。高速道路下を通るトンネルを出ると突き当たりとなっていて、ガイドに従い右に行く。簡易舗装道を上がっていき、右手に”小渕ふれあいの道”の案内図を見送ると、頭上に赤い鳥居と長々とした石段が見えてくる。子供を連れた初老の女性が下りてくる。子供がにこにこしながら「すごい坂を上ったんだよ!すごく急だったんだよ!」と教えてくれる。
いったいどんなところを登ったのだろうと訝りながら行くと鳥居の手前で今歩いている道は左に上がっていく。直登する急な石の階段の上にガイドが教える藤野神社があるはずで、立ち寄ってみようと登りだしたところ、階段は見た目以上に細く急で長く、疲れて途中で歩を止め振り返ってみると半分も登っていない。ペースを下げなければならないようだ。先ほどの元気な子はここを登ったのだろう。大人でも一息では登れないところを登り切ったのなら達成感もひとしおのはずだ。
藤野神社
藤野神社
藤野神社は小さな社が鎮座しているだけかと思っていたが、対面してみると拝殿・本殿形式の平地にあるような規模の建物だった。だが周囲には併設設備がなく山上の神社に相応しい簡素なもので、ここにいらっしゃる神様は余計な夾雑物に煩わされることなく、いまは相模原市の一部となった藤野町の中心部を見守ることができるだろう。建物の右手にまわるとすぐ隣のイタドリ沢の頭が大きく、どっしりとした山脚を沢井川のほとりに落としている。谷間にはそこここに住居が散らばるものの、ここからだと人影は見分けられない。人も山も、来るべき春の日をじっとまっているという風情だ。


鳥居から続く広い道が回り道して社の左手に達している。これを下ると途中から右手へと山腹を行く細い踏み跡が別れている。本日たどる縦走路の開始点だ。樹林に遮られて見通しがないながらも、この季節の例で葉のない枝の合間から周囲の山々がうかがえる。
高度を上げるにつれ、見事な三角錐の大室山が名倉周辺の低山の上に孤高の姿を現してくる。大室山の手前には丹沢同様に白い道志の山々の稜線が伸びている。送電線鉄塔を二つ見送ると、足下に頑丈なネットが張られた場所に出る。岩場が崩れないように押さえているのだろう。ここで視界が開け、彼方の雪山、正面の冬枯れした低山、見下ろす谷間の市街地が見渡せる。
ほんの少し登ると18号の看板が取り付けられた鉄塔があり、藤野町特産であるユズの畑を前に再び眺めが広い。遙か下には相模湖が左右に碧色の水を広げ、周囲には藤野市街地や畑地が控えめに広がっている。正面には川上川の谷が奥へと伸び、その左手には湖に間近に迫る山として存在感抜群の日蓮(ひづれ)の金剛山から宝山に続く稜線が低山らしからぬ立派さで、その背後にはこれまた大きな石老山がわだかまる。その右手、金剛山の上にようやく顔を出すのは石砂山で、ここから稜線がさらに右へ奥まって伸び、目を引くピークとして尾崎城山を立ち上げ、今度は手前へ、山頂部の黒々とした森を戴く峰山を盛り上げる。
川上川の谷の右手にはもうすこし穏やかな眺めが広がる。湖畔に接する市街地の上部には藤野園芸ランドの畑地を抱く石山(京塚山)がゆるやかで、山腹に掲げるのはお馴染みの「緑のラブレター」だ。その裏には葛原の金剛山から天神峠を越えて高倉山に続く稜線が連なり、そのさらに裏には道志の山並みが白い。そしてこれら全ての背後に丹沢が冬装束の白い姿を厳しく立ち上げている。
岩戸山山頂手前の鉄塔付近から丹沢山塊を背景に藤野市街地周辺
岩戸山山頂手前の鉄塔付近から丹沢山塊を背景に藤野市街地周辺。
左奥は焼山から黍殻山を経て姫次、袖平山に続く稜線。中央奥は桧洞丸(左)と大笄、右奥は大室山。
焼山の手前は尾崎城山。その右手に黒いのは峰山。さらに右手に道志の稜線が伸びる。
大室山の手前が(たぶん)ムギチロ。その左は入道丸。ムギチロの手前が阿夫利山(たぶん)。
山腹に手紙を置くのは石山(京塚山)、手前の水面は(まだ)相模湖。橋は弁天橋。左下隅は藤野駅前広場。
ふたたび木々の中を行くと岩戸山山頂で、さきほどの展望はないが南側が一部開けて秋川の山々が望める。好天であれば富士山も見えるらしいが、この日は棚引く雲の中に埋もれてしまっているようだった。


岩戸山から先に下ると右手の斜面へ下る分岐があり、標識が鷹取山へはこちらだと教えている。足を踏み入れてみるとわりと傾斜は急で、いままでの散歩気分が一気に引き締まる。
登山口から岩戸山まで西進しているうちは丹沢など桂川南方にある山々がよく眺められたが、コースが北上気味になってからは北側のを木々の合間から望むようになる。進行方向右手には三国峠・生藤山・茅丸・連行峰の大きなひとかたまりが障壁のように立ち、さらに右には陣馬山がゆったりと大きな山容を見せている。ひとけの少ない森のなかで窺うこれらの稜線はいつも以上に高く大きく、向こう側は異世界であるようにも思えてくる。
この山域は集落に取り囲まれた低山なので、仕事道なのかバリエーションルートなのか、よく踏まれた道がついたり離れたりする。うっかりしていると思いもよらないところに入り込んでしまうかもしれない。気楽な稜線歩きを予想していたがそんなことはなく、地形はかなり細かく入り組み、市販のガイドマップの等高線のみを判別するだけでは追いつかない複雑さで、なにも考えずに歩いていると現地点が地図上のどこなのかわからなくなる。心強いのはほとんどの分岐にある地元山岳会が作成したらしい青地に白文字の標識で、行路の確認を行う上で大いに助かる。
高さがないので峠道も多い。岩戸山から半時ほどででくわすのは左手に植林のなかの道を真っ直ぐ延ばし、右手には草深そうなのが陣馬山を仰ぎながら山腹を巡って消えていく。これがガイドで小渕峠と書かれているものらしい。峠越えの踏み跡を見送って稜線通しに上がると大岩が出てきて、その上に屋根だけになった石造の祠があった。祠が見下ろす先には桂川のほとりの集落があるらしかった。
陣馬山を仰ぐ小渕峠
陣馬山を仰ぐ小渕峠(と思われるところ)
祠の建つ地点からさほど時間を要せずに小渕山へと着いた。先の岩戸山やこれから辿る鷹取山と同様に藤野十五名山というものに選ばれている山なのだが、植林された針葉樹の幹を背景にして山頂標識を立たせる場所は山のてっぺんという感じではなく、細長い頂稜も腰を下ろしたいと思える場所がない。小渕山は里から眺める山であって単独で登られる山ではないのだろう。
ここより一コブ越え、さらに次のコブと思えたところが雑木に囲まれた明るいところで、梢越しに上野原近くの鶴島御前山高柄山倉岳山、それに桂川北方の扇山も望める。さらに登ってコブを越える。これを下ってしばらく行くと雰囲気は明るくてよいが肝心の標識のない分岐があり、迷ったが左手のものが稜線を行きそうに思えたのでこちらをたどった。
林のなかに伸びる道
林のなかに伸びる道
再び峠らしきに下っていくと右手から先ほど足を踏み入れなかったらしいのが合流してくる。合わさった先には「小渕山(峠)」という標識が立ち、山腹を巻くように付けられた踏み跡が稜線を越えて行っている。ガイドにある小渕峠とは別物だが、ひょっとしたらこちらが、いやこちらも、小渕峠と呼ばれていたのかもしれない。
”小渕山(峠)"の標柱の立つ峠
”小渕山(峠)"の標柱の立つ峠
徒歩が移動の主たる手段であった時代はそれこそちょっとした峠越えでさえいろいろな思いを抱えて歩いたものだろう。標識はそれを留めるべく立てられたらしく、この地の説明書きが木肌に直接墨書されているが、すでにところどころ剥げ落ち、これ以上の剥落を防ぐためにかけられたビニール製の覆いもまたあちこち破れてしまっている。いつもあると思っているものはなくなったときに取り返しがつかないことが多い。何度も聞かされた話でも書かれなければ忘れてしまう。峠越えの道筋が草木に埋もれないうちに、ひとの記憶を記録に留め置いてほしいものだと思う。


稜線通しに登っていくと、半時ほどで鷹取山の明るい山頂に着いた。石版だけとなってしまっている神社の碑が立ち、酸素ボンベのような鐘が地面に直接置かれていて側面には「こころに残る鐘」と書かれている。かつてはふるさとの展望台として登頂した記念に鳴らされたということなのだろうか。山頂は小広く、葉が落ちた季節のせいかずいぶんと開放的に感じる。いままで森のなかを歩いてきたせいでそう思えるのかもしれない。
改めて周囲の山々を見渡してみる。雑木にいくぶんか遮られるものの生藤山陣馬山の眺めがよい。先ほどから窺えていたが、改めて権現山笹尾根三頭山も眺め直す。本日歩いたコースは、標高は低く木々も多いが、この季節であれば眺望はそれほど悪くない。歩いているコースにしても上り下りが多く、合わさる道も少なくなく、想像以上に長く感じるものだ。駅から近く、全行程の所要時間も短いので、盛夏でなければトレーニング用のコースとして考えても良いと思う。
鷹取山山頂から陣馬山を望む
鷹取山山頂から陣馬山を望む 
山頂からの下りはおおむね急で、踏み跡と左手の植林帯とが古い有刺鉄線で区切られていてよい気分ではない。足下が不安定なうえに掴まるものが乏しいところだとなおさらだ。下山地点である峠越えの車道近くになってようやく不愉快な境界がなくなる。鷹取山はこの車道からの往復のみとすると面白くなく、再訪するならやはり今回と同じく岩戸山・小渕山方面から辿ることだろう。
野沢峠という名の峠を越す舗装道に出ると、左に行けば上野原駅、右に行けば藤野駅に通じるバス路線があり、時間が合わなければ歩いて駅に向かうだけなのでどちらでも問題はない。このときは藤野駅へ出ようと右に向かった。峠道は多少車の往来があったが煩わしいほどではない。15分ほどで駅と和田峠を結ぶものに出た。
沢井川に沿い、流れを右手に見て歩いていく。上沢井のバス停で時刻を見ると、あと10分ほどで藤野駅行きのバスが来る。ガイドによると上沢井近くの山上に「まんじゅくぼ」という珍しい地名らしきがあり、どういうところなのか立ち寄ってみようと思っていたのだが、10分での往復は可能だろうか。一度は川を渡って集落に続くのだろう道を上がりだしたのだが、1時間に1本しかないバスを逃すのは惜しく、沢井川流域の眺めは近ごろ生藤山を訪ねた折りに目にしているのであまり歩きたくもなく、けっきょく探訪は後日に回すことにしてバス停前に戻った。


バス停近くでは道路工事が行われていた。交通整理役の若者に話しかけていた小学校4,5年生くらいの男の子が、つとやってきて、「道に迷ったんですか?」「いや、迷ってないよ、どうして?」「先ほど山に上がろうとして、すぐ戻ってこられたので」。この子は敬語の使い方も正しい親切な子で、”まんじゅくぼ”とは屋号のことであり、どうも別段珍しいものがあるというわけでもないことを教えてくれた。彼も鷹取山には登ったことがあるそうで、山の上の畑地を抜けて山道を辿って着いたという。藤野の北海道を思わせるという「おびのっぱらの畑」を経由して登ったのだろうか。だとすればそのルートもいずれたどってみたいものだ。
二人の会話を聞いていた交通整理の若者がバスが来たことを告げてくれた。陣馬山帰りのハイカーを乗せた車内に乗り込み手を振って別れを告げる。男の子はにこにこしながら手を振り返してくれた。「歩いていけば駅まで40分ですよ」なんて言ってくれた君、いろいろ聞かせてくれてありがとう。また会えたらこのあたりのことをもっと教えておくれ。
2008/02/02

追記: 『藤野の山と峠』は藤野のやまなみ温泉にて入手。藤野駅併設の観光案内所「ふじのね」でも入手可能(2011年)。藤野駅前のシーゲル堂には置いてないんじゃないかな(行くたび確認し忘れる)。
追記2: 藤野駅〜岩戸山〜小渕山〜鷹取山のコースは2008年版くらいからガイドマップに載るようになった。

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