滝子山山頂より大谷ヶ丸(手前)、ハマイバ丸、白谷ヶ丸を手前に黒岳 小金沢連嶺

1998年の5月は例年になく雨が多かったが、たまたま好天のある日、中央本線笹子駅の北方に形良くそびえる滝子山(たきごやま)を大鹿沢ルートから目指した。山頂に達して南方遥か先に見える富士にしばらく見入ったあと背後に当たる北側を振り返ると、手前から彼方にかけて重なり合う山々が視野に飛び込んできた。彼方の山は文字通り針葉樹に覆われた黒い障壁のように見える。地図と照らし合わせて、小金沢連嶺(こがねさわれんれい)中の黒岳とわかる。ゆったりと構えて何でも呑み込んでしまうかのような山容は、遠望する人の気持ちも吸い付けてしまったようだ。以前から大菩薩峠を起点に小金沢連嶺を縦走し、黒岳で終わらずにそのまま南大菩薩を滝子山まで歩き通すという計画を考えていたが、来週こそ、という気になってきた。


こうして一週間後の土曜日の昼下がり、同じように五月晴れの中を山梨県側の大菩薩登山口である塩山駅に向かった。駅前広場では西沢渓谷に向かうバス停に中年男性が4人ばかりいるだけで大菩薩方面には誰もおらず、定刻より少々遅れて出発したバスは30分もかからず終点の大菩薩登山口に着いた。歩き出した私は最初方角を間違えて柳沢峠方面の車道を5分ほど進んでしまう。何か違うぞ、と気がついて地図を見て誤りに気づき、バス停に戻って大菩薩峠方面に向かう車道を登り出す。このあたりはかつては裂石温泉と言い今は大菩薩温泉というが、昔の名前の方が落ち着いた感じがする。「本日入浴できます」という張り紙があちこちの民宿風情の軒に張られているが、今日は歩き始めたばかりなので入浴するなどとんでもない。いつかこちら側に下山してきたときには一浴してみたいとは思う。
先週登った滝子山のときと同様にカナカナと蝉が鳴く声が聞こえてくる。車道がジグザグを切って高度を上げ始めると、やがてゲートが下りて車が通行止めになっているところに着く。そこから右に林間の中の登山道が分かれる。14年くらい前に友人と大菩薩嶺に来たときはタクシーでこの道を上日川峠まで上がったのだったが、今は上には車がいけないのだろうか。山道はすぐまた車道に出てしまい、沢を回り込むようにして再び山道を分けている。そこにあるのが千石茶屋で、屋内や軒先で何人かが休んでおり、85歳になるというちょっと耳の遠いおばあちゃんが元気に登山者の話し相手になっている。まぁ休んでいきなさいとお茶を出して頂いたので、話の輪の中に入って少々長居をした。
千石茶屋からの道は広くてわりと平坦であり、人の背丈ほども溝状に抉れている場所もあって昔からよく歩かれた道なのだとはっきりわかる。もう3時過ぎなので下りてくる人が多い。これから登りですか、今日は泊まりですか、と聞かれる。千石茶屋から一時間も歩くと車道が通じ駐車場まである上日川峠(かみにっかわとうげ)で、ここには「ウッディ感覚の」という形容がぴったりの長兵衛ロッジが建っている。清潔感漂うロッジは山小屋にはとても見えず、高原の喫茶店といった感じである。店先にはキーホルダーなどのお土産が並び、真ん前に駐車場があるのでよけいに山小屋には見えない。夕方だがロッジ前のテラスには二人組や親子連れがテーブルの席についてお茶などを飲んでいた。いかにも高原風景である。ロッジに泊まるのか、これから車で麓に下るのかは判然としない。たぶん下るのだろう。小憩かたがた何となしに周囲の話を聞いていると、どうやら車で来る昨今の登山者は中央線沿線の甲斐大和の方から上がってくるとわかる。
上日川峠から大菩薩峠に向かう舗装道が通じているが、この左側に登山道があるのでこちらを歩く。道すがらミズナラの看板を下げた木の幹をみつけ、ようやくミズナラがどういうものかがわかった。何度も山を歩いているが、木の区別はいまだにほとんどできない。できれば幹の木肌を見ただけでどういう種類の木かわかるところまでいきたいものだと常々思う。そうすれば山歩きがいっそう楽しくなり、雨の日の楽しみも増えるだろう。
福ちゃん荘付近のミズナラ
福ちゃん荘付近のミズナラ
小さな尾根を何回か回り込むと、山小屋の福ちゃん荘の屋根が見えてくる。今日はここで泊まりだ。玄関前には新しそうな風呂場がある。14年前にこの山域に来たときもここに泊まって翌日奥多摩方面に抜けたのだったが、そのときは風呂はなかった。便利さ、清潔さを求めるという時代の流れの反映だろう。広い建物の中を広間に行ったり土産物を冷やかしたりしてうろうろするが、土曜だというのにお客があまりいない。この地域はアクセスが便利になりすぎて日帰り客が多くなったせいだろうか。ともあれ静かでよい。一人なのに個室をあてがわれて文句もないのでとりあえず入浴し、夕飯を待つ。風呂は午後3時45分から5時45分までで、それ以降は入浴できない。風呂場は3人くらいしか入れず、浴槽は一人でいっぱい。湧き水の沸かし湯なので洗髪は禁止であり、これはいたしかたないというより、環境を考えれば当然だろう。
夕食には山梨名物の"ほうとう"が出た。平たく厚いうどん状の麺を南瓜とかの野菜と合わせて煮込んだもので、とにかく熱くて腹にたまる。これを平らげて部屋に戻り、7時前の天気予報をFMラジオで聞く。明日は天気は昼過ぎから崩れるということだ。早起きして午前中に行けるところまで行かなくては。そんな計画を思い描いていると、ニュースに引き続いてクラシック音楽の番組のテーマソングが流れ出す。これはつい3週間前に大分県は久住山法華院温泉山荘で聞いた番組と同じものだ。懐かしさに顔がゆるむ。モーツァルトの協奏曲とベルリオーズの「幻想」をかけますと番組の最初にアナウンスが入るが、「幻想」になる前に眠くなり、スイッチを切って寝てしまう。


部屋の明るさに驚いて目を覚ますと5時30分だった。起床予定時刻を大幅に過ぎている。慌ててふとんをたたみ、荷物をまとめて外に出る。
こんな時間に目を覚ましても寝坊なのだから、家にいるときの寝坊なんて山の感覚で考えるとひどいものだな、などと思いながら大菩薩峠に続く林道のような道を進む。ほとんど登りのない広い道だ。勝縁荘を右に見るとすぐ沢をわたって斜面を登るようになる。笹原が目立つようになると介山荘の建物が頭上に見え始め、大菩薩峠がすぐそこであるとわかる。稜線に出て小屋の前を通って峠に立つ。久しぶりに見る大菩薩嶺がすぐそこだ。左手には甲府盆地が広々と広がっており、その向こうには期待通りの南アルプスの眺め。
しばらく眺望に浸ったあと、介山荘前に戻って軒先を眺めたが、それは文字通りウィンドウショッピングだった。「店を開けている」と言うのがまさに的確な表現だろう。前に来たときは文字通りただの山小屋だったような気がするが、現在は昨日見た長兵衛ロッジも叶わないほどのたくさんの品物を軒先に並べている。これも百名山ブームのおかげなのだろう。越後の八海山にある千本桧小屋のような小屋の雰囲気が別世界のようだ、などと考えつつも、しっかりイオンサプライの飲料を買って飲む私だった。あたりには学生らしい人たちがおおぜい朝御飯を食べている。若者の山離れとかが言われているようだが、昨年の奥秩父といいここといい、そうでもないのでは、と思う。
今回は長丁場なので大菩薩嶺には登らない。その反対側の小金沢連嶺目指し、目の前の熊沢山の暗い樹林帯の中に向かう。落ち着いた樹林の中をほんの少し行くと急に視界が開けて眼下に笹原がたわむように広がり、真ん中にぽつんと標識が立っている。石丸峠(いしまるとうげ)だ。笹の彼方には再び樹林に囲まれた小金沢連嶺最高点の山が黒々と盛り上がっている。その山めがけて登山道が笹原の中を伸び、標高が高まり始めるところで樹林の中に消えている。まだ朝早くなのにもう雨が降ったり止んだりし始めたので、樹林に入る前に雨具を着込み、今では小金沢山と呼ばれている連嶺最高点に登り出す。甲府盆地は雲がわだかまり始めて底が見えなくなってきているが、それでも東方は丹沢や奥多摩が遠望できる。もうしばらくは天気が保つかもしれない。
狼平から小金沢連嶺最高点
狼平から間近に見る小金沢連嶺最高点
新たにできたダム湖を登山道右下側に見やり、ときおり後方の三角形の形良い大菩薩嶺を振り返りながら登り着いた小金沢連嶺最高点は、標柱が一本立つだけの狭い山頂だった。だが展望はすこぶるよい。大菩薩方面は樹林が邪魔して見えないが、その他は全てさえぎるものがない。進行方向には牛奧雁ヶ腹摺山(うしおくのがんがはらすりやま)から黒岳への稜線が伸び、その右手には富士が頭を雲に覆われて浮かぶ。黒岳左手には丹沢の山々。そのさらに左には奥多摩三山が大岳山を中心にやや左手前に御前山、同じ間隔でやや右手前に三頭山というようにきれいに縦に並んで見える。そのさらに左手奧には石尾根が高まって雲取山に行き着き、奥秩父主稜線に続いている。こちらの方向からの奥多摩の眺めは奥行きが深く、趣があってよい。


連嶺最高点に別れを告げて次のピークの牛奧雁ヶ腹摺山へ向かう。ここの間の山道はひどい笹原で、一度ばかり道を見失いさえした。道はよく踏まれているものの完全に笹で隠されており、目を凝らしていないと妙な方向に行ってしまう。道を外れると数メートルくらい離れただけで笹に隠された正しい道を見つけることができない。道に迷ったのは小さな鞍部だったので、目の前のコブを登るのは確かだから上がればルートが見つかるだろうとも思ったが、ひとりのときに不必要なまで強引にやるのも考えものだ。こういう場合は確実な地点まで戻って進行方向を考え直すに限る。
牛奧雁ヶ腹摺山の山頂は小金沢連嶺最高点と同じく眺めがよい。こちらはもっと広く、テントの二張りくらいなら何とか張れそうだ。目の前に黒岳が大きく見える。左手にはここと同名の雁ガ腹摺山も負けじと大きく構えている。山のてっぺんから、そこと同じ名の山を眺めるのも奇妙な感じだ。
雁ヶ腹摺山(左)と黒岳
雁ヶ腹摺山(左)と黒岳
次のピークの黒岳に行くにはいったん賽の河原というところに下らなければならない。そこは一面の明るい笹原で名前ほどのおどろおどろしさはなく、ここにもテント一張りほどのスペースがあり、実際に昨夜ここで幕営したパーティが実際にあったと山行中に耳にはさんだ。そのパーティーはかなり気持ちのいい夜を過ごせたことだろう。ほかにも牛奧ヶ雁腹摺山から湯ノ沢峠までの間は適度な間隔で一張りか二張りほどのテントスペースがあって、日帰り客があまり来ないため重たい荷物をものともしないならば瞑想的な幕営山行に向いていると思える。黒岳山頂に着くとその感がいっそう強まる。眺めが何もない樹林の中の頂だが、奥秩父東半部で感じられるような静寂な空気に浸ることができた。
黒岳の広葉樹林
黒岳の広葉樹林
賽の河原から黒岳まで、左右とも針葉樹を主体とした林に覆われて眺めはなかったが、天候が下り坂のせいかかえって曇り具合を気にせず歩けて落ち着ける。黒岳山頂からすぐの白谷丸からは再び眺めがよくなったが、再び降り出してきた。ガスがせり上がってきていて遠望も途切れがちになり、そろそろ通り雨では済まなくなりそうだ。食器に雨が降り込むのを気にしながら食べるのはやはりいやなので、湯ノ沢峠の避難小屋で食事にすることにしよう。峠に近づいていくと、付近ではテントを張っている人が多く、ラジオや無線の音が聞こえてくる。ガレの斜面を左手に見ながら湯ノ沢峠に下り着き、右手にほんの少し下ったところにある避難小屋に入る。
避難小屋は4、5人も入ればいっぱいと行った感じだが、かなりきれいに保たれていて居心地はよい。小屋の近くには水場もある。屋内でバーナーに火を付けて食事を作る。小屋を覗いて「おいしそうね」と言っていく人もいた。すぐ近くに駐車場があって林道が通じているので、山歩きをするわけでもなさそうなカップルとかが顔を出したりする。男性の方が小屋の下の方にあるトイレを見に行って、戻ってきて連れの女性に一言、「大自然のなかでしたほうがいいよ」。あとで自分も見に行って、なるほど、と思った。入り口には毛布が一枚下がっているだけだし….はっきり言って、普通にしゃがむとたいへん危険。夜は行かない方がいい。
雨は小屋を出るときは一時的に止んでいた。ここから大蔵高丸(おおくらたかまる)までゆるやかに登って行く。右手の甲府盆地側はすっかり雲に隠されてしまっているが、左手にはまだ丹沢や奥多摩方面がいくらか山影を残している。しかしここからハマイバ丸のピークまでは、天候に関わりなく気持ちよく歩ける高原状の伸びやかなルートだ。上り下りがあまりなく散歩気分で歩ける。小金沢連嶺での細く暗い山道に慣れた目にはまったく別な山域のようだ。
ハマイバ丸を彼方に望む
大蔵高丸付近からハマイバ丸を望む
しかしハマイバ丸を越えた辺りから雨が今までのしとしととした降り方ではなく、ぱしぱしと雨具のフードを叩くようなものに変わってきた。先ほどまで見えていた奥多摩方面すら雲に覆われてしまっている。気分のよい歩きは終わり、ここから先はひたすら先を急ぐのみとなった。長い距離を米背負峠(こめしょいとうげ)まで下ってそれから大谷ガ丸(おおやがまる)に登り返す。ここは樹木に囲まれた山頂で静かではあるもののもはや腰を下ろして休めるような天候でもなく、ただ雨中に前進するのみ。
稜線から山腹をからむ作業道に下り、ひろくて歩きやすい道を小一時間も歩くと滝子山山頂への分岐に出た。大きな木の下で雨具のフードを脱いで傘をさし、しばし思案。登ろうか、登るまいか。時刻はすでに3時前、ここで山頂を経由すると、中央本線初狩駅に着く頃は6時頃になってしまう。今までフードで耳を覆っていたため聞きにくかった雨音が、耳を出したことで大きくはっきりと聞こえている。冷たい空気が首の回りに漂うのもわかる。冷えはじめた身体でざぁざぁという音を聞いていると、今回のところは山頂を割愛して一週間前に登ったばかりの大鹿沢沿いの道を下ることに決心がついた。


結局湯ノ沢峠で食事をしてからというもの、ほとんど休憩らしい休憩を取らずに山を下り、中央自動車道を歩道橋で越え、中央本線沿いにある原という集落の稲村神社の軒先でようやく荷物を下ろす。もう夕方5時近い。雨はあいかわらず降り続いている。乾いた靴下に履き替え、濡れた靴下を絞って雑巾のように水を出す。こんなことをするのは久しぶりだが、これが雨の日でいちばん気が滅入る瞬間だ。雨の当たらない神社の軒先から出ていくのは少々気合いが要ったが、我慢して濡れた靴を履き直して歩き始める。だが笹子駅くまであと少しというところで上り列車が行ってしまい、嫌な予感を抱えて駅の時刻表を見ると、案の定、次の列車まで30分近くあるのだった。ここは笹子、駅の近くには休憩できる店などない。列車を待つあいだ、誰もいない吹き曝しの改札口前でベンチに腰を下ろし、止みそうにない雨を眺めていた。だが「よく歩いたものだ」と自分で自分に感心もしていた。
1998/5/23-24

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