間明野の集落の上に続く真木川左岸の稜線。正面奥がゴゼの頭、と思う・・・.間明野からゴゼの頭
先年の秋、大月からハマイバ行きバスに乗って間明野という集落に出て、真木川右岸の山稜に取り付き、大久保山というピークを往復した。登っている最中の左手には、少し前に登ったばかりの鞍吾山が錦色に染まった端正な姿を見せ、その奥に控える滝子山ともども単独行者を愉しませてくれた。目を反対側に転じると、集落の連なる谷の上には雁ヶ腹摺山に続く山稜がいまだ低いものの、どことなく惹かれるピークの一つ二つなどもたげている。あちらを行くのも愉しそうだ。
一年後の初冬、大菩薩山系など葉も落ちて眺めが良かろうと行き先を考えるうち、あの雁ヶ腹摺山に続く山稜が思い出された。峠道が間明野から遅能戸まで越えているらしいが、バスの便は間明野へが便利だ。遅能戸へは大月から同じくバスがあるものの、バス停終点からの車道歩きが長い。まずは間明野に出て稜線に乗り、雁ヶ腹摺山方面に向かって上がり、地図上に1205メートルと標高点が記されているピーク、鳥屋ノ丸を往復し、峠道を遅能戸に下る、という計画としてみた。


山行の朝は好天だった。地元から眺める丹沢が澄んだ空気の向こうに鮮やかに見える。雪が着いているものよくわかる。雪?そういえば週の初めに平地では雨が降った。山では雪だったわけだ。富士山も見事に白い。
きれいなものだと認識はしたが意識下で沸いた不安は、中央線に乗ってしばらく経つと徐々に大きくなった。石尾根が白い。三ツ峠も白い。大菩薩主稜も白い。これは本日たどるところも雪だらけなのではないか。軽アイゼンは持参してきているが、誰も行かないルートだろうから踏み跡が消えていたら難易度が随分と増してしまう。かつて降雪直後に殿平から鞍吾山を目指して敗退したことを思い出す。1,000メートルくらいの標高では積もっていないことをまずは祈るだけだ。
大月駅の朝8時半、富士急行に乗り換えていくハイカーは多いものの、駅の外に出る姿はほとんどいない。ハマイバ行きバスに乗り込み、鶴ヶ鳥屋山や滝子山を見上げながら徐々に高まる緊張をおさえつつ、カメラの準備でもするかとザックから取り出してスイッチを入れる。点かない。電池切れか?本体脇を見ると、あれまたなんと言うことか、記録媒体のSDカードが入っていない。またか。なんで大菩薩山系ばかりでこういうことをするのだろう。なにか油断があるのでは・・・とか言ってみても仕方ない。もう何度目かなので諦めもすぐにつき、持参の携帯で何枚か撮れればいいや(画素数は恐ろしく少ない昔のだが)と思い直し、下車地点に着くのを待つ。


12月下旬の間明野の集落には雪はなく、これから取り付こうという真木川左岸の山腹にも、南面を見せているせいか、冬枯れの木々が見渡せるだけだった。これでまずは一安心である。さて峠道へはどう行くのだろうか。地図を見ると、集会所のあるあたりから車道を離れ、いったん上流側にたどって川を渡るように波線路の記載がある。がしかしその上流側に向かう道のりがわからない。集会所の脇を行く舗装道は、下流側に向かって下り、民家の前で途絶えてしまう。
ひょっとして集会所ではないところから入るところがあるのかと、集落上端を越えたところまで上がってみるが、そこは真木川を遙か下に見下ろす場所で、いくらなんでも峠道がそんなところに出るはずがない。下ってみると、右手に大久保山登山口となる沢が口を開け、神社の建物が目に入る。地図によればここより上に分岐がある。ふたたび車道を上り、ふたたび下る。わからない。ちょっと休憩だ。そういえば、と、さらに下ってみると、車道沿いにある空き地に、いた。一年前に体長30センチくらいの文字通りウリ坊だったイノシシが、1メートルくらいの立派なのに成長して柵内で行ったり来たりしている。元気そうだな、ご飯もらってるんだな。
一年で大きくなったイノシシ。
すっかり人に馴れた飼猪。
でも見知らぬ人には興奮気味。
運動不足なせいか臀部が貧弱だと地元の方が言われていた。
一年前。
一年前。
こいつを見て今日は終わりか・・・と思ったものの、それではあんまりだと、再び集会所近くに戻り、奥まった家で軒先に腰掛けて会話していた地元のかたたちお二人に川向こうに行く道筋を訪ねてみる。「そりゃこの家を回っていくんだよ」。えっそれはなんと。わかるわけがない・・・。お二人は口々に教えてくれる。「昔は山越えする道があったんだよ。でも橋が流れているからねぇ」「水量が減っているから、跳べれば大丈夫」「跳べるかどうかだね」。・・・様子を見て、ダメなら引き返します。
許可を頂いたので、お礼を言って家の裏に回らせていただく。小さな畑の脇を行くと、小動物除けの柵があり、これをまたぎ越すと、かつては立派だったはずの簡易舗装道がジグザグを切って真木川のほとりへと下っていく。川縁に着くと、言われていた通りに橋が、向こう岸から突き出した木橋が、途中からなくなっていた。
冬とはいえ真木川は囂々と音を立てて流れている。巨大な白い岩がそこここに散在する河床は人の足跡など無く、水辺に寄ってみると、岩で狭まっている場所もあるにはあるが、歩いてまたげる幅ではなく、かつ深い。足場を作れるかと、ためしにスイカ大の石を三つばかり投げ込んでみたが、まるで無駄だった。夏なら裸足になって渡渉も考えられるが、今は冬、まるで気が進まない。なるほど本当にこれは跳べるかどうかだ。
見れば、対岸に立派なログハウスが建っている。ということは舗装道とは言わないが車が通れそうな道筋がどこかからか伸びてきているのではないか。向こう岸に行ければ、帰りはわりと楽なのではないか。ではなんとか渡ってみよう。上流に向かって渡れそうな場所を探してみたが無く、けっきょく、壊れた橋の近くで岩の一つに立ち、ザックを下ろして、対岸の砂地に投げた。そして言われた通りに跳んだ。向かいの岩へ、1メートル前後。(助走はできない。)
真木川。橋無し。
真木川。橋無し。
渡れそうに見えて、なかなか渡れない。
 
ザックを背負って川べりから上がってみると、そこは石組みで補強された畑地らしきの跡が広がっていた。日が充分に差し込まないのか、倒れた雑草の上に随分と雪が被さっている。畑地の向こうに建っているログハウスに近づいてみると、驚くべき事に、ソーラーパネルで電力を得ているらしいその家へは、車道など伸びてきていなかった。いったいどうやって資材を運び込んだのだろうかというのはさておいても、自分自身が戻るのに難しい場所に来たらしいことはわかった。往路を戻るならまた跳ぶか、冬場に渡渉というわけだ。


さてまた踏み跡探しだ。ログハウスから離れ、畑地跡らしき周囲に峠道の痕跡を捜してみるのだが、それらしきはあるように思うもののはっきりとはわからない。地面を見ていても埒があかないので、あらためて地図にあたる。持参したガイドマップでは、畑地のあるあたりは少々広い平地になっており、その幅が最も広い奥に沢筋があって、その右岸から取り付き左岸に回り込んで峠に出る、ように読める。(じつはそうではなかったのがのちにわかる。)そのあたりへと奥へ奥へと行ってみると、荒れた沢が斜度を増して立ちはだかる。暗い植林に覆われた左右の斜面にも、それっぽい踏み跡は見あたらない。どこを見ても直登するには急すぎる。いったん平地に戻って、もう一度地面を眺めつつ近づいてみても、やはり道筋は見あたらない。
ここで峠道を捜すのは半分ほどあきらめ、とりあえず登れそうな尾根をたどって稜線に出ることに決める。真木川下流側に移動してみると、竹林に覆われた沢が現れる。ひょっとしてこちらが峠道かと見上げてみると、すぐそこに石組みされた狭い平坦地がある。近づくと意外にも石碑があり、かつてここには真明野の寺子屋があった旨、記されていた。寺子屋。あらためて真木川方面を振り返る。今でこそ真木川右岸にのみ集落が広がっているが、かつてはこちらの平坦地にも何軒か家があったかもしれない。しかし対岸へは河岸段丘を上がらなければならないのが不便で、近代になって徐々に住む人が少なくなり、屋敷跡すらなくなってしまったということかもしれない。それにしてもかつてここに板敷きか畳敷きかの部屋があり、子供らが集っていたとは。いまや対岸に暮らす人の気配も届かず忘却感が漂う。道がわからずうろうろしている単独行者がたまたま見つけて物思いに耽るのみなのだった。
「間明野塾跡」。
「間明野塾跡」。
明治期以前まで寺子屋があったという。
現在の間明野集会場の地に分教場ができるまで続いたらしい。
寺子屋跡までの踏み跡らしきはあるものの、その上に延びるものは見つけられなかった。今度こそ峠道探しを諦めて、脇の尾根を登り出す。雑木がまばらに生えているだけなので見通しはよいが、やはり登路ではないらしく足下がさほど安定しない。登るにつれ斜度も増す。集落から眺めていたほど稜線はすぐではないらしく、意識しないが焦りが出てくる。後から振り返ってみると大して時間がたっていないのだが、不安定なコースをたどっていることに落ち着かなさを感じていたようで、だからか、仕事道だか獣道だかわからない山腹の踏み跡を見つけると、これが峠道なのではと、試しに進んでみようと入り込んでしまう。最初に確認したとおりであれば、沢底を回り込んで下流側の尾根に乗り、峠に出るはずだと。だが行ってみると、期待したすぐ隣にではなく、遙か先の、加えて少々下に、その稜線だか尾根だかわからないのが見えてくる。
これは違うな、尾根に戻ろう、というわけで、こういうときにいつも行う羽目になる、斜面を無理矢理登って元に戻る、というのを始める。素直に元来たのを戻ればよさそうなのだが、じっさい、途中まではそうするのだが、復路は下り坂になり、よく見ると足下が不安定で、見下ろす谷底は深くて、で、登りだしてしまう、というわけである。今回の斜面は、いつになく急で、立木に掴まって登るのはもちろんのこと、まずは膝をついて登る。続いて、腹這いになって登る。そこまでしなくてもよいのだが、そのほうが安定する。腹這いになるしか選択肢がない場所でなくてよかったというところだ。尾根筋に戻っても相変わらず急な登りで、膝こそつかないがぜいぜい言わされる。カメラの準備が不備なのがかえってよかったかもしれない。登ることに専念していられるからだ。


気づくと、尾根の右側に北都留三山の扇山や権現山が見えている。権現山は大菩薩主稜と同じく稜線が白い。とはいえあのあたりを歩いていた方が楽だったろうな、と情けなく思う。しかし今ほど静かな山ではないだろう。静かすぎる嫌いがあるけれど。岩が出て、痩せた状態の尾根を歩く。風も出てきた。脅かすような音が響き渡る。・・・いや待て。これはすでに尾根ではない。尾根なら扇山は見えない。風は稜線を乗り越すものだ。いったいどこで変化したのだろう。この稜線は、たどってきた尾根が合するあたりで急激に斜度を落とすのだろうか。可能であれば下ってみようかとも思っていたが、なかなか難儀しそうだ。(『甲斐の山山』の小林経雄氏は下ったわけだが、その記述には顔色一つ変えたことすら窺えない。)。前方にちょっとしたコブが、稜線の左手に突き出している。まずはそこまで行ってみよう。そもそも今どこを歩いているのか判然としない。コンパスと地図は持参し、その使い方も知っているつもりだが、そもそも地形が読めなければ宝の持ち腐れである。
そのコブは稜線上にはなく、掻き上がった先の左側にあった。真明野側に突き出した別な尾根の派生点になるらしい。その真明野側が切り開かれて、眺めは素晴らしい。奥に白装束の富士山、その手前に三ツ峠山鶴ヶ鳥屋山本社ヶ丸、さらにその手前に富士山型の鞍吾山。足下には真木川に沿う集落が広がり、じつに穏やかな眺めだ。正面の稜線は大久保山に連なるもので、その上から頭を出しているのは滝子山。しかし自分の興味を惹いたのは足下に伏せるように落ちていた十字型の標識だった。期待をこめて拾い上げたものの、その表面には文字の痕跡は何も残っていなかった。遙か昔に引っ掻いて付けたらしきイニシャルらしきがあっただけだった。
名のわからないコブから富士山と三ツ峠、鞍吾山。
名のわからないコブから富士山と三ツ峠山、鞍吾山(手前の黒い三角錐)。
三ツ峠山の前に鶴ヶ鳥屋山が重なる。
鞍吾山の上に本社ヶ丸が僅かに頭を出している。
これほどよい景色であれば腰を下ろして湯を沸かすのが常だが、まるでそんな気分にならず、先を急ぐことにした。(実際には時刻すら確認する気にならず、撮影した写真の記録を後から調べたところ、寺子屋跡からここまでで一時間が経過していた。長いように思えて実際にはさほど経っていなかったようだ。)しばらく行くと少々急な下り斜面が、しかも雪に覆われて現れる。こういうところでこそ大事を取らねばと、軽アイゼンを装着し下る。下りながら、もしこの稜線でビバークなんて事になったら、一晩過ごせるだろうかと考え出す。やはりツェルトは常時持参すべきだな、アルミ蒸着シートだけでは心許ない、果ては、もしこの稜線から下れなかったら、人生で初めて遭難連絡をすることになるのだろうな、とかロクでもないことまで考え出す。人間、いまどこにいるのかわからないとだいぶ弱気になるらしい。
コブを二つ三つ越えていくと、どうやら顕著なピークらしきが見えてくる。大きな山名標識でも立っているかと目を懲らしながらそのピークらしきに登り出る間際、目の前の灌木から下がっているものに目が留まる。コンパクトデジタルカメラだ。日の光に輝く様はまだ新しい。最近、人の訪れのあったことの証拠だ。これを掴んでたどり着いた山頂には三角点もあった。山名標識もあったが、墨で板に書かれた文字は剥げ落ちて読みとれない。だが三角点が四等であったこと、標識の裏に書かれた標高が958.2であることから、ここが『甲斐の山山』で言う"ゴゼの頭"の三角点峰であることがわかった。
ゴゼの頭からは真明野側へ下る尾根沿いと稜線続き側へと、二方向に黄色のテープが下がっていた。どちらに向かうのが最短で里に出られるのかと自問するに、真明野側へ下るのが間違いなく早いだろう。稜線沿いがどうなっていくのか興味はあったが、この日これ以上探索を続けたい気分ではなかった。じつはまだ昼前だったが、本日は冬至、すぐに日が暮れることだろうから深入りはしたくない。当初予定ではここから鳥屋ノ丸を往復し、どこにあるのかわからない峠---馬立峠という---に戻って遅能戸に下るつもりだったが、現時点ではなるべく早く安全圏に戻るのが最善だ。さっさと下ってしまおうと歩きだしかけたが、考えてみればバスを降りてから何も口にしていない。アメすら舐めていない。まぁ休憩くらいするかと、ようやく腰を下ろした。ほどなくして、12時のチャイムが里から上がってきた。


ゴゼの頭は風も吹かず、さきほどの展望点とほぼ同じく富士山や御坂の山々が見え、じつのところ休むにはよい場所だった。バーナーで湯を沸かすあいだ、拾ったカメラを調べてみる。昼間だというのに液晶画面がかなり結露しているので本日の忘れ物ではなさそうだ。電源スイッチを入れても起動せず、何夜かを経て本体はおそらく壊れてしまっているのだろう。電池パックの蓋を開けてみるとSDカードが入っている。抜いてみるとこれも結露していたので水分をよく拭き取って、試しに自分のカメラに差してみると、意外なことに使えるのだった。撮影されているのは持ち主の飼い犬らしきが多数で、山関連の写真は間違えてシャッターを押したと思われる落ち葉の道の一枚きり、山で撮影することはあまりしないかたのようで、だからか置き忘れてしまったのだろう。ともあれ山の上でSDカードが入手できるとは奇遇としか言いようがない。せっかくだから使わせてもらおうと眺めの良いところを何枚か撮った。まだ湯は沸いていない。風はないが好天ながら気温は低かった。
ゴゼの頭から富士山。足下は間明野の集落。
ようやく一眼レフで撮れるようになった。
 ゴゼの頭から富士山。足下は間明野の集落。
ゴゼの頭から三ツ峠山、本社ヶ丸(左奥)。その手前に鞍吾山。右奥に滝子山。
 ゴゼの頭から三ツ峠山、本社ヶ丸(左奥)。その手前に鞍吾山。右奥に滝子山。
  鞍吾山東面に刻まれた谷を見ると、浸食がかなり激しいことがわかる。
  手前は大久保山に続く尾根。
休憩を終え、下りだそうとして、足下に伐られた灌木が重ねられていることに気づいた。まさに下り口を塞ぐように置かれ、進入禁止のサインのように見える。この先何がどうなっているか、一抹の不安がよぎるが、稜線をたどるとしても先の状況が読めないことは同じだ。であればやはり下ってしまおうと、明瞭な踏み跡に入る。
今までとうってかわり、黄色いテープがこれでもかとばかりに続いて実にわかりやすい。だがそれも尾根が明瞭なうちで、植林帯の幅広な部分にかかるとなぜかテープが間延びし始め、作業道が交差してどれが正しいのかわからなくなる。しかたないのでなかなか急な尾根筋を真っ直ぐ下っていく。右手を窺うと、頭上に端正なピークが浮かんでいる。登るはずだった鳥屋ノ丸だ。近いように思えるが、ゴゼの頭からいったん下って登り返す標高差は300メートルほどある。稜線から問題なく往復しても2時間弱くらいはかかるだろう。あれはまた後日の愉しみだ。
しばらくすると今度は赤いテープが現れる。下の集落も間近に見えてくる。斜度が緩むと、舗装道が見えてきた。尾根末端は車道の側壁で断ち切られており、脇にまわってようやく道路に降り立つ。時計を見ると、下山にはわずか30分しかかかっていなかった。
ゴゼの頭から鳥屋ノ丸へとたどるときのために地形を頭に入れようと、少し離れて振り返り道路端を見渡してみるが、標識は皆無、踏み跡も明瞭でない。取り付きからして簡単でないのは朝と同じようだ。車道を下っていくと真明野の集落上方にかかる橋に出た。遥か下には真木川が相変わらず囂々と流れている。春から先はさらに水量が増えることだろう。尾根も葉が茂って歩きにくくなるに違いない。見通しの良いこの季節ですら真明野からの峠道は探りきれなかった。日の長い季節では別な困難がありそうだ。


帰宅してから落ち着いて自分の辿ったルートを検証してみると、どうも馬立峠への道筋はさらに下流側にある隣の沢筋から取り付かなければならなかったようだ。国土地理院の地図には明瞭に記されていた。あの平坦地に落ちる沢筋は竹林のものが最も下流側と思えたのだが、探索不足または判断誤り、もしくはその両方だったらしい。ガイドマップしか持参せず、もっと精度の高いのを用意しなかったのがそもそもの間違いだった。
のちに疑問点がいろいろ解決したものの、下山時の達成感は今ひとつな山行だった。歩行時間が予定を下回る3時間少々と短めだったこと(事実上途中で切り上げたので当然だが)、目指す山(鳥屋ノ丸)に行けなかったこと、馬立峠に出られなかったこと、どこで稜線に乗ったのか不明なくらいに慌てていたこと(山行中はその認識が弱かった)、不満な点だらけだった。加えて帰宅後には地図の準備が不十分だったことまで明らかになった。どうも最近、年に一回はこういう反省事項ばかりな山歩きをしているようだ。冒険的であることは悪いことではないが、冒険と無謀はもちろん違う。後者にならないよう、今後とも注意しけれれば。
2013/12/22

追記1 拾得物のカメラは(もちろんSDカードともども)、次回に大月に出向いた際に警察に届ける予定です。
追記2 間明野からの峠道は本文にあるように民家の敷地を通ります。この文章を読んで行く気になった方、無断で通らないよう願います。なお、川を渡った先も私有地のようですので通行場所には配慮願います。川の渡渉は、自己責任で。

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