1.事案の概要
X(原告)は,訴外日本電気株式会社(以下「訴外会社」という。)から譲り受けた特許(発明の名称「多色発光有機ELパネルおよびその製造方法」,特許第3206646号,以下「本件特許」という)の特許権者である。訴外会社は,平成10年1月22日,名称を「多色発光有機ELパネルおよびその製造方法」とする発明につき特許出願し,平成13年7月6日に特許第3206646号(本件特許)として設定登録を受けた(請求項の数7)。
これに対し,請求項3・4・5・7につき平成14年3月5日に訴外Aから,請求項1ないし7につき平成14年3月8日に訴外イーストマンコダックカンパニーから,それぞれ特許異議の申立てがなされ,同事件は異議2002-70587号事件として特許庁に係属した。Xは,訴外会社から本件特許を譲り受け平成16年3月29日にその旨の移転登録を経たが,特許庁は,平成18年2月2日,「特許第3206646号の請求項1ないし7に係る特許を取り消す。」との決定(以下「本件取消決定」という。)をしたので,Xは,平成18年6月16日,同決定の取消しを求める訴訟を提起した(平成18年(行ケ)第10275号)。
上記取消訴訟係属中の平成18年9月13日,Xは,本件特許につき訂正審判請求(以下「本件訂正審判請求」という。)を行い,同請求は訂正2006-39153号として特許庁に係属した。そして平成18年11月24日付けで訂正拒絶理由通知を受けたことから,Xは平成19年1月15日付けで審判請求書の補正(請求項3・5・7の削除等)を内容とする手続補正(以下「本件補正」という。)をしたものの,特許庁は,平成19年2月16日,本件手続補正は審判請求書の要旨を変更するものであるから認めることができないとした上,上記請求項3・5・7には独立特許要件を認めることはできないとして,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をした。
X出訴。
2.争点
(1)審決が,各訂正事項を不可分一体なものであることを前提として一部の請求項のみについてしか判断を示さなかったことが適法か。
(2)訂正審判請求における手続補正において請求項を削除する補正を許さないのは適法か。
(3)訂正発明が先願発明と同一か。
3.判決
審決取消。
4.判断
「第4 当裁判所の判断
1 請求原因・・・の各事実は,いずれも当事者間に争いがない。
2 審判手続の適否(取消事由1及び2)について
(1)ア 上記争いのない請求原因・・・によれば,審決は,特許登録されている旧請求項1ないし7を新請求項1ないし7等に変更しようとする本件訂正審判請求につき,新請求項3・5・7を削除し残った新請求項1・2・4・6をそのまま補正請求項1・2・3・4にしようとうする本件補正は特許法131条の2第1項にいう要旨変更に当たるから許されないとした上,上記補正によりXが削除しようとした新請求項3・5・7のみについて独立特許要件の有無を判断し,審理の結果同要件を欠くとして,残りの新請求項1・2・4・6について独立特許要件の有無を判断することなく,本件訂正審判請求を請求不成立としたものである。
イ これにつきXは,特許法の昭和62年改正により請求項の制度が導入されたいわゆる改善多項制の下では,訂正拒否の判断は請求項ごとにすべきであり,新請求項1・2・4・6につき判断をせずにした本件審決は違法である,仮に訂正不可分の原則を論じた昭和55年最高裁判決の論旨が改善多項制の下においても妥当するとしても,Xは本件補正により新請求項3・5・7を削除し新請求項1・2・4・6のみの訂正を求める趣旨を特定して明示しているから,新請求項1・2・4・6につき判断をせずにした本件審決は違法である(以上が取消事由1),また訂正を求める請求項の削除は訂正を求める範囲の拡大変更に当たるものではないから,同削除が審判請求書の補正の要件を定めた平成15年改正前の特許法131条2項(現131条の2第1項)にいう要旨変更に当たることはなく(平成10年3月改訂の審判便覧〔改訂第7版,甲9〕では,請求項の削除が要旨変更に当たらないとされていたのに,平成16年7月改訂の審判便覧〔改訂第9版,甲10〕では請求項の削除は要旨変更に当たるとされた),これを看過して新請求項1・2・4・6につき判断をせずにした本件審決は違法である(取消事由2),等と主張した。
ウ これに対しYは,審判では複数の訂正箇所の全部につき一体として訂正を許すか許さないかが審理されるのであって,仮に一部の訂正事項について訂正が許されるとしてもこの一部の訂正事項について訂正を許す審決をすることはできないし,昭和55年最高裁判決も支持するところであり,この立場は請求項制度が導入された特許法の昭和62年改正後も変わりがない,また審判請求書の補正により一部の請求項の削除を認めることになると,残された請求項に対して訂正の可否の判断をやり直さなければならない場合も生じるから,上記削除は訂正の要旨を変更することになり許されない等と反論した。
エ ところで,Xのなした本件特許の訂正の申立ては,訂正の拒否が異議事由の有無と一体として審理される特許異議申立ての手続中の訂正請求(平成15年法律第47号による改正前の特許法120条の4第2項)ではなく,特許法126条に基づく訂正審判請求である。
そして上記訂正審判請求は,「願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面の訂正をすることについて訂正審判を請求することができる」(126条1項本文)・「訂正審判を請求するときは,請求書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面を添付しなければならない」(131条3項)・「願書に添付した明細書,特許請求の範囲又は図面の訂正をすべき旨の審決が確定したときは,その訂正後における明細書,特許請求の範囲又は図面により特許出願,出願公開,特許をすべき旨の査定又は審決及び特許権の設定登録がされたものとみなす」(128条)等とされていることから明らかなとおり,特許出願に準じた法的性質を有するうえ,特許法には請求項ごとに訂正の可否を決すべき旨の規定もないから,訂正審判において一部の訂正を許す審決をすることの可否を論じた最高裁昭和55年5月1日第一小法廷判決(民集34巻3号431頁。前述した昭和55年最高裁判決)は,いわゆる改善多項制を導入した昭和62年の特許法改正後においてもそのまま妥当すると解される。
したがって,本件訂正審判請求のように,原明細書等の記載を複数個所にわたって訂正するものであるときは,原則として,これを一体不可分の一個の訂正事項として訂正審判の請求をしているものと解すべきであり,これを請求人において複数箇所の訂正を各訂正箇所ごとの独立した複数の訂正事項として訂正審判の請求をしているものと解するのは妥当でない。上記のような不可分処理は客観的・画一的審理判断をむねとする特許庁における訂正審判制度の要請から導かれる結論であるから,客観的・画一的処理の要請に反しない場合,例えば上記昭和55年最高裁判決も明言するように,@訂正が誤記の訂正のような形式的なものであるとき,A請求人において複数の訂正箇所のうちの一部の箇所についての訂正を求める趣旨を特に明示したときは,それぞれ可分的内容の訂正審判請求があるとして審理判断をする必要があると解される。
オ そこで,以上の見地に立って本件事案について検討する。
(2)ア 本件訂正審判請求に至る経緯
証拠(甲1ないし8,11,21ないし24)及び弁論の全趣旨によれば,本件訂正審判手続及びこれに先立つ特許異議申立て手続等は,以下のとおりであったことが認められる。
(ア)訴外会社は,平成13年7月6日,本件特許の設定登録を受けた。その後,本件特許の旧請求項3・4・5・7につき平成14年3月5日にAから,平成14年3月8日に旧請求項1ないし7につきイーストマンコダックカンパニーから,それぞれ特許異議の申立てがなされ,同事件は異議2002-70587号事件として特許庁に係属した。
Aは先願明細書(甲8)を,イーストマンコダックカンパニーは刊行物2(特開平9-167684号公報,甲18)を,それぞれ特許異議申立て事件の証拠として提出した。
(イ)特許庁は,訴外会社に対し,平成15年3月14日付け取消理由通知書(甲21)を発送したが,その内容は,@旧請求項1・2・4・6については,刊行物1(特開平9-115672号公報,甲17),刊行物2(甲18)及び特開平10-12377号公報によれば容易想到であり,A旧請求項5については,上記刊行物1・2及び特開平10-12377号公報に加え,刊行物3(特開平10-12381号公報,甲19)・刊行物4(特開平9-241629号公報,甲20)から容易想到であるほか,B旧請求項3・4・5・7は先願明細書(甲8)記載の発明と同一であり,C旧請求項6については先願明細書(甲8。特願平10-535549号)に同一の発明が記載されている,などとしていた。
(ウ)これに対し訴外会社は,平成15年5月26日付けで特許異議意見書(甲22)と題する書面を特許庁に提出し,上記取消理由は理由がないなどとして反論した。その要点は以下のとおりである。
<ア>上記(イ)の拒絶理由@,A,Cに対して,旧請求項1・2・4・5・6の発明の「電子輸送層が,前記有機発光層同士が互いに分離されている全ての隙間に充填されていること」に該当する記述及び示唆は刊行物1・2には全くされていない。
<イ>また拒絶理由Bに対して,旧請求項3・7については,先願明細書に記載された発明では画素上で発光層が重なり得るものであり,「スペース部内のみで重なり合っている」ことを特徴とする旧請求項3・7と異なることが明らかである,先願明細書(甲8)29頁に「それぞれが10μm程度の精度で基板と位置合わせができるように,上記4種類のシャドーマスクを交換することが可能である。」と記載があるように,誤差である10μmを考慮すればさらに発光層同士が画素上で重なり合うことは明らかであり,旧請求項3,7の発明と異なることが明らかである。
(エ)Xは,訴外会社から本件特許を譲り受け,平成16年3月29日,特許権の移転登録を経た。
(オ)特許庁は,平成17年8月25日付けで,本件明細書に記載された「画素」の意味について,Xに対し審尋を行った(甲23)。その内容は概ね次のとおりである。
・旧請求項1等に記載された「画素」,本件明細書(甲1)段落【0009】等に記載された「画素」は,段落【0021】等に記載された「各表示色の画素に対応するストライプ状の窓パターン・・・をもつメタルマスク8を基板にほぼ接して・・・共蒸着して」「形成した」「G画素」のような画素を指し,段落【0027】の「画素数」を説明する文脈で使用されている「画素」は,「互いに直交するストライプ状の電極間」に,「有機発光層」及び「電子輸送層」を「有する」ことから,ストライプ状の上記「G画素」,「R画素」及び「B画素」に対して互いに直交する電極間の電界をかけることによりマトリックス状に発光する部分の各々を指すものと解するのが相当である。
(カ)これに対してXは,平成17年12月2日の回答書と題する書面において,上記審尋において特許庁審判長が示した解釈に異論ない旨を回答した(甲24)。
(キ)その後特許庁は,平成18年2月2日,「特許第3206646号の請求項1ないし7に係る特許を取り消す。」旨の決定(本件取消決定)をしたが,その理由の要旨は,@旧請求項1・2・6の発明は,下記刊行物1・2記載の発明から容易想到であり特許法29条2項の規定に違反する,A旧請求項3・7の発明は後記先願明細書記載の発明と実質同一であり,特許法29条の2の規定に違反する,B旧請求項4・5の発明も下記刊行物1・2に記載の発明及び下記刊行物3・4記載の周知技術から容易想到であり特許法29条2項に違反する,としたものである。
・・・
・刊行物1:特開平9-115672号公報(・・・以下ここに記載された発明を「刊行物1発明の1」〔ディスプレイ装置の発明〕,「刊行物1発明の2」〔刊行物1発明の1のディスプレイ装置を製造する方法の発明〕という。甲17)
・刊行物2:特開平9-167684号公報(・・・以下ここに記載された発明を「刊行物2発明」という。甲18)
・刊行物3:特開平10-12381号公報(・・・甲19)
・刊行物4:特開平9-241629号公報(・・・甲20)
(ク)Xは,平成18年6月16日,本件取消決定の取消しを求める訴訟を知的財産高等裁判所に提起した(当庁平成18年(行ケ)第10275号)。
上記取消訴訟係属中の平成18年9月13日,Xは,本件訂正審判請求を行い(甲4),同請求は訂正2006-39153号として特許庁に係属した。
(ケ)本件訂正審判請求に係る訂正の内容は,前記のとおりであり,訂正事項aないしfは旧請求項1・3ないし7について訂正し,それぞれ訂正発明1・3ないし7とするものである(訂正発明2は訂正発明1を引用)。
a 訂正審判請求書(甲4)における訂正発明1に関する訂正の原因の記載の要旨は以下のとおりである。
・・・
b また,訂正発明3に係る訂正の原因の記載の要旨は以下のとおりである。
・・・
(コ)特許庁は,Xに対し,平成18年11月24日付けで訂正拒絶理由通知書(甲5)を発した。その内容は@訂正事項aないしfに係る訂正は特許請求の範囲の減縮を目的とするものであり,訂正事項gないしjに係る訂正は明りょうでない記載の釈明を目的とするものである,A訂正事項aないしjに係る訂正は,いずれも願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてされるものであり,実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものでもない,Bしかし,訂正発明1ないし7のうち,訂正発明3・5・7は,先願明細書に記載された発明と同一であり独立特許要件を備えないから,本件訂正審判請求は,特許法126条5項の規定に適合しない,とするものであり,訂正発明1・2・4・6の独立特許要件について触れるところはない。
また,同通知書の本文末尾には,以下の内容が記載されている。
「なお,この訂正拒絶理由通知に対して,請求人は,訂正請求書の要旨を変更しない範囲で訂正請求書を補正することができるが,訂正請求書の補正において,訂正事項の補正は,訂正事項の削除,及び請求書の要旨を変更しない範囲での軽微な瑕疵の補正等は可能であるが,新たに訂正事項を加える,あるいは訂正事項を変更することは,請求書の要旨の変更に該当するものとなるので留意されたい(特許庁ホームページの『訂正の補正に関する運用変更のお知らせ』参照)。」
(サ)そこでXは,平成19年1月15日付けで本件手続補正を行った(甲7)。本件手続補正の内容は,前記のとおりであり,その主な内容は,訂正発明3・5・7に係る請求項及びこれと関連する発明の詳細な説明を削除しようとするものである。
(シ)またXは,平成19年1月15日付けで意見書と題する書面を提出した(甲6)が,そこには以下の内容が記載されている(4行目以下)。
「・・・本件の事案では,今回の補正によって削除される訂正前請求項3,4,5と,残存する補正請求項1,2,3(訂正前請求項4),4(訂正前請求項6)とは,異なる実施例に基づいた2つの請求項群であって,これら残存請求項と削除請求項との間には直接の一体不可分の関係にはないのであるから,新たな審理の負担が何ら発生するはずもないし,審理遅延の恐れもなく,しかも第3者に不測の損害を与えることも到底考えられない。」(5頁4行〜9行)
「したがって,この意見書と同時に提出した手続補正書による訂正前請求項3,4,5の削除およびこれに伴う発明の詳細な説明の該当部分の補正は,審判請求書の要旨をなんら変更する〔判決注,「しない」は誤記〕ものではない。そして,最高裁55年5月1日判決及び平成15年(行ケ)288判決を反対解釈すれば,訂正審判事件で補正をすれば,訂正の可否を請求項毎に判断することができるから,訂正後請求項1,2,4,6の訂正は認容し,訂正後請求項3,5,7の訂正は棄却するとの判断が示されなければならない。」(5頁10行〜16行)
「したがって,仮に訂正後請求項3,5,7が独立特許要件を充足しないとしても,訂正後請求項1,2,4,6は独立特許要件を充足しているのであるから,訂正後請求項1,2,4,6の訂正を認め,訂正後請求項3,5,7の訂正は認めない,という一部認容,一部棄却の判断が示されるべきである。」(24頁11行〜15行)
(ス)特許庁は,平成19年2月16日,審判請求書の要旨を変更するものであるから本件手続補正は認めることができないとした上で,上記請求項3・5・7には独立特許要件を認めることはできないとして,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決(本件審決)をし,その謄本は平成19年2月28日Xに送達された。
イ(ア)一方,本件訂正後の本件明細書(甲4)の【発明の詳細な説明】には,以下の記載がある(下線は本件訂正による訂正箇所)。
・・・
(イ)上記によると,本件特許発明は,各色毎に独立して異なる波長の光を発光する3色独立発光方式を用いたカラー有機ELパネル及びその製造方法に関するものであるところ,このカラー有機ELパネルは,ガラス基板に透明電極パターンを作製し,絶縁材料で作られたシャドウマスクを配設して有機層を蒸着により成膜するところ,陽極と陰極の両電極間に,RGB3色の各色有機発光層,電子輸送層をそれぞれ蒸着する方法による。この点につき,従来技術では有機発光層及び電子輸送層を発光部より少し大きい程度に形成していたため,画素間のスペース部に陰極が成膜され,スペース部で陽極と陰極との距離が短くなりショートが発生する等の問題があった。この問題を防止するため本件訂正発明では,多色発光有機有機ELパネル(上記段落【0006】)とその製造方法(段落【0007】)につき,@有機発光層同士が互いに分離している構成において,有機発光層同士の隙間に電子輸送層を充填すること,A有機発光層同士が,隣接する画素間のスペース部内でのみ重なっていること,の2つの別々の構成をとる発明としていることが理解できる(@につき段落【0006】及び【0007】の各前段,Aにつき各後段)。そして,これは本件訂正の前後で変わりがない。
(ウ)さらに,本件訂正後の本件明細書(甲4)には以下の記載がある(訂正の前後で変わりはない。)
・・・
上記によれば,有機発光層が正孔輸送層の機能を兼ねるもの,正孔注入・輸送層を有機発光層と別に設けるもの,正孔注入層と正孔輸送層の2層としてこれを設けるものについても発明の詳細な説明に記載がある。
(エ)本件訂正前の旧請求項1〜7,本件訂正後の訂正発明1〜7の特許請求の範囲の記載は,それぞれ上記・・・のとおりである。
これによれば,旧請求項1ないし5は有機ELパネルに関するもの,旧請求項6,7は有機ELパネルの製造方法に関するものであるところ,旧請求項1・2・6が有機発光層同士が隣接する画素間で分離している構成(上記(イ)の@)に関するものであり,旧請求項3・7が有機発光層が隣接する画素間のスペース部内でのみ重なっている構成(上記(イ)のA)に関連し,請求項4・5は上記いずれにもかかる正孔注入・輸送層に関する構成(上記(ウ))であることが理解できる。
また,訂正発明に関しては,訂正発明1ないし5は有機ELパネルに関するもの,訂正発明6・7は有機ELパネルの製造方法に関するものであるところ,訂正発明1・2・4・6が有機発光層同士が隣接する画素間で分離している構成(上記(イ)の@)に,訂正発明3・5・7が有機発光層が隣接する画素間のスペース部内でのみ重なっている構成(上記(イ)のA)に関連し,訂正発明5は正孔注入・輸送層に関する構成としては有機発光層同士が隣接する画素間で分離しているもの(上記(イ)の@)と関連することが理解できる。
なお本件訂正のうち特許請求の範囲の記載の訂正事項は,訂正発明1・6については旧請求項1・6について有機発光層のパターンを電極の陽極の長手方向に形成することを加え,訂正発明3については旧請求項3から正孔注入・輸送層を有する構成に限定をし,旧請求項4については訂正発明3の限定に伴い旧請求項3からの引用をはずして訂正発明4とし,さらに請求項5については上記訂正発明3の限定と関連して訂正発明3・4を引用する(訂正発明5)ことをそれぞれ内容とするものである。
(オ)そして,本件訂正後の本件明細書(甲4)には以下の記載がある。
・・・
(カ)一方,上記[実施例1]の多色発光有機ELパネルの製造方法を示す図である図3の記載は以下のとおりである。
・・・
(キ)また,上記[実施例2]の多色発光有機ELパネルの製造方法を示す図である図4の記載は以下のとおりである。
・・・
(ク)上記(カ)(キ)によれば,訂正発明1・6と,請求項1を引用する請求項2に係る発明である訂正発明2,請求項1又は2を引用する請求項4に係る訂正発明4は,いずれも「有機発光層同士は(請求項6は「を」)隣接する全ての画素間で互いに分離」していることを発明特定事項とし,訂正発明3・5・7は,「有機発光層が(請求項7は「を」),隣接画素間のスペース部内のみで重なり」合うようにすることを発明特定事項としているところ,@訂正発明1,2,4,6については上記発明の詳細な説明の段落【0006】及び【0007】の各第1文,「本発明の1形態」を説明する段落【0011】ないし【0015】,[実施例1]の説明である【0019】ないし【0029】,【図2】及び【図3】が,A訂正発明3,5,7については段落【0006】及び【0007】の各第2文,「本発明の異なる形態」を説明する段落【0016】ないし【0017】,[実施例2]を説明する段落【0030】ないし【0043】,【図4】及び【図5】が,それぞれ対応した発明の詳細な説明の記載及び図面となっていることが明らかである。
そうすると,訂正発明1・2・4・6と訂正発明3・5・7は,発明の詳細な説明及び図面においても,対応する記載は明確に区分されているとともに,それぞれで完結した内容となっていることも明らかというべきである。
(3)上記(1)及び(2)によれば,Xからなされた平成18年9月13日付けの本件訂正審判請求(甲4)は,旧請求項1〜7を新請求項1〜7等に訂正しようとしたものであるところ,その後Xから平成19年1月15日付けでなされた上記訂正審判請求書の補正(甲7)の内容は新請求項3・5・7を削除しようとするものであり,同じくXの平成19年1月15日付け意見書(甲6)にも新請求項1・2・4・6の訂正は認容し新請求項3・5・7の訂正は棄却するとの判断を示すべきであるとの記載もあることから,審判請求書の補正として適法かどうかはともかく,Xは,残部である新請求項1・2・4・6についての訂正を求める趣旨を特に明示したときに該当すると認めるのが相当である。本件における上記のような扱いは,Xが削除を求めた新請求項3・5・7は,その他の請求項とは異なる実施例(「本発明の異なる形態」,「実施例2」)に基づく一群の発明であり,発明の詳細な説明も他の請求項に関する記載とは截然と区別されており,仮にXが上記手続補正書で削除を求めた部分を削除したとしても,残余の部分は訂正後の請求項1・2・4・6とその説明,実施例の記載として欠けるところがないことからも裏付けられるというべきである。
そうすると,本件訂正に関しては,請求人(原告)が先願との関係でこれを除く意思を明示しかつ発明の内容として一体として把握でき判断することが可能な新請求項3・5・7に関する訂正事項と,新請求項1・2・4・6に係わるものとでは,少なくともこれを分けて判断すべきであったものであり,これをせず,Xが削除しようとした新請求項3・5・7についてだけ独立特許要件の有無を判断して,新請求項1・2・4・6について何らの判断を示さなかった審決の手続は誤りで,その誤りは審決の結論に影響を及ぼす違法なものというほかない。
3 訂正発明3・5・7についての独立特許要件の有無(取消事由3)について
本件訴訟の審理の経過に鑑み,念のため,取消事由3についても判断する。
(1)Xは,審決は先願発明の1の認定を誤り,訂正発明3,5,7との相違点も看過しているとして,具体的には以下の@ないしCの4点を主張する。
@審決が,先願発明の1に示されているのは発光層パターンおよび開口部の幅をピッチと等しい100μmに設定することのみであり,先願発明の1においてすべての発光層パターンが重なっていると認定したのは誤りである。
A審決は先願発明の1につき,発光層のパターニングの条件として,発光層パターンと開口部の幅を同じように設定できる条件設定を含むものと認定したが,シャドーマスクによるシャドー効果が存在することは技術常識であるから,先願発明の1ではすべての有機発光層を重ねるという構成は開示されていない。
B先願明細書に記載されたシャドーマスクの開口幅と移動ピッチ寸法幅から有機発光層の重なり代が5μmであることを計算する動機付けを持つためには本件訂正発明3に接することが必要であるとともに,上記シャドー効果があるためにシャドーマスク開口幅と有機発光層パターンの幅とは一致しないから,先願発明には隣接する有機発光層を重ねるという技術思想は開示されていない。
C審決は,訂正発明3の「スペース部内のみで重なりあう」の「のみ」の点については先願発明の1と相違するところ,この相違点を看過している。
そこで,以下判断する。
(2)先願明細書(甲8)には,以下の記載がある。
ア 先願発明は,発明の名称を「有機電界発光装置の製造方法」とするものであり,その請求項1の記載は以下のとおりである。
・・・
イ また先願明細書には,「本発明の製造方法によって製造された有機電界発光装置の一例を図1〜3に示す。」(8頁10行〜11行)とし,これに関連して以下の記載がある。
・・・
ウ また,先願明細書の図1〜3の図面の簡単な説明(5頁10行〜13行)及び図面自体は以下のとおりである。
・・・
エ 上記図1〜3によれば,隣接する第一電極(図中符号2)の上方には,発光層パターン(同6)が配置され,発光層パターンは第一電極の幅よりも大きく図示され,隣接する発光層は,互いに隣接する第一電極間の中間で接していることが図示されていることが分かる。
そして,上記のとおり「発光層パターンおよび開口部の幅をピッチと等しい100μmを中心とした値に設定することが好ましい」と記載されていることからすると,発光層パターンと開口部の幅は,100μmを中心とした略同じ寸法とすることが先願明細書に記載されているといえる。
オ(ア)さらに先願明細書(甲8)には,実施例1として,以下の記載がある。
・・・
(イ)図8(第一電極パターンの一例を示す平面図。)の記載は以下のとおりである。
(ウ)上記によれば,実施例1には,RG発光層6およびB発光層を兼用する電子輸送層7を含む薄膜層の形成のため,発光層パターニング用としてのシャドーマスクには,305μm幅のストライプ状開口部がピッチ900μmで形成され,このシャドーマスクを300μmピッチで横に移動させながら各発光層6をパターニングして行き,90×66画素の発光装置を製作するものであること, 第一電極2は,幅が270μm,ピッチ300μmでパターニングされてなるものであるから,図8にあるように隣接する第一電極間に間隔があり,これが30μmであるものと理解することができる。
カ(ア)さらに先願明細書には,実施例2として以下の記載がある。
・・・
(イ)上記によれば,実施例2は,第一,第二,第三の発光層用シャドーマスクにより,G,R,Bの発光層をパターニングする場合について,実施例1と同様に,第一電極2は,幅が270μm,ピッチ300μmでパターニングするものであるから,隣接する第一電極間には,30μmの間隔があるものと解することができ,また,上記のとおり「RGBからなる3つの発光領域が1画素を形成するので,本発光装置は900μmピッチで90×66画素を有する。」と記載されていることから,シャドーマスクの開口部幅(305μm)について明記はされていないものの,実施例1と同様に,発光層パターニング用として,305μm幅のストライプ状開口部がピッチ900μmで形成されたシャドーマスクを300μmピッチで横に移動させながらG,R,Bの各発光層をパターニングしていると解され,それにより90×66画素の発光装置を製作するものであると理解することができる。
(3)そうすると,審決が「・・・ストライプ状開口部の幅305μmと上記ピッチ300μmとの差の分が,前にパターニングされた発光層6の上に次にパターニングされた発光層の略5μm幅分として重なり,また,この重なりあいは,シャドーマスクを使用してのパターニングを300μmずつ横に移動させるパターニング作業に伴い次々に生じるものといえる。」(14頁14行〜18行)として,「上記のことから,先願明細書の記載からみても,また,先願明細書及び図面の図示内容に基づき具体的に計算してみても,有機発光層が,隣接画素間のスペース部内で重なりあっているといえる。」(14頁19行〜21行)と判断したことに誤りはない。
(4)ア Xの主張@について
(ア)Xは,上記発光層パターンおよび開口部の幅をピッチと等しい100μmに設定するとの記載から,開示されているのは,発光層パターン幅=シャドーマスク開口部幅=ピッチ幅=100μmという関係のみであるとするが,上記認定に照らし,採用できない。
(イ)またXは,シャドー効果(マスクと蒸着源との間の角度により蒸着されない部分が出るという効果)が存在するために,有機発光層の幅よりもシャドーマスクの開口部の幅の方が広いことは,当業者に自明であるとし,また審決が先願発明の1について隣接するいずれの発光層パターン間にも隙間が実質的に存在しないと認定したのも誤りであると主張する。
この点に関し,先願明細書の図2には前記のとおり隣接する発光層パターンが接している状況が図示されているほか,以下の図11,図22でも同様である。
・・・
そして,上記(2)イで認定した本件発明の製造方法によって製造された一例の記載,実施例1,2の記載によれば,マスクの幅がピッチ幅より5μm大きい先願発明の1においては,隣接するいずれの発光層パターンも重なっていると考えることができる。そうすると,審決の認定に誤りはないことになる。
(ウ)Xは,審決が認定したシャドーマスクの開口部の幅寸法は実施例1に示されているところ,その三色の有機発光層のうち,R層とG層は互いに隣接するが,B層は電子輸送層と兼用されているので,スペース部内のみで重なる構造ではなく,R層とG層(スペース部外のITO第1電極上)にも重なっており,訂正発明3の「隣接するスペース部内のみで重なり合っている」構造とは異なるとも主張する。
先願明細書には,上記(2)オ(ア)のとおり・・・と記載されており,実施例2は実施例1と基本的部分を共通にしている。そして実施例1は既に検討したとおり電子輸送層10をB発光層と兼用する点で訂正発明3と相違するが,実施例2は上記のとおり・・・とあるように電子輸送層と有機発光層のB層とをそれぞれ別の工程で形成するもののであり,DPVBiという同じ物質を用いているにすぎない。
そして,本件訂正後の本件明細書(甲4)においても,有機発光層と電子輸送層の材料につき以下の記載がある。
・・・
上記記載によれば,訂正発明3において電子輸送層と有機発光層で材料が同じであることが除かれるものとは解されないから,Xの主張は採用することができない。
イ Xの主張Aについて
(ア)Xは,先願明細書には,シャドーマスクと基板との間は離間されていること及びシャドーマスクには厚さが存在することが各々記載されている以上,シャドー効果は不可避であるから,発光層パターンと開口部の幅を同じように設定できるようなパターニング条件は存在しないと主張する。
(イ)しかし先願明細書(甲8)には,スペーサー4により形成された隙間で蒸着物の回り込みが発生することにつき,・・・と記載されており,第二電極材料は回り込んで蒸着されるものである。また,同じように有機化合物からなる発光層を含む薄膜層も,スペーサー4による隙間36が存在するから,蒸着物の回り込みが発生するものと解される。
そして,実施例1により作製した発光装置については・・・と記載され,実施例2により作製した発光装置も・・・と記載されており,第一電極の幅270μmとそれに直交する第二電極の幅750μmに沿って,発光領域が270×750ミクロンとなるように,パターニングの条件に沿った発光装置が得られることが記載されているといえる。
そうすると,先願明細書には,シャドーマスクと有機発光層との間には,離間距離(隙間)を設けること,及び,マスクの厚さが存在することが記載されているが,蒸着材料の回り込みによりマスク開口部の幅と同じように発光層パターンを設定することができることが記載されているといえるから,Xの上記主張は採用することができない。
(ウ)またXは,蒸着源の蒸着物質は,加熱されて上方に向かって放射状に広がって基板に蒸着されるので,蒸着源の真上から横方向にずれればずれるほど,基板への入射角は小さくなって,隣接発光層の重なりはなくなるうえ,シャドー効果の影響が無視できるような条件設定は先願明細書には開示されていないと主張する。
この点につき先願明細書(甲8)には,・・・と記載されているように,蒸着条件を改善するための方法として,「蒸着源を複数にする」こと,「蒸着源又は蒸着対象を移動又は回転させる」こと,「真空プロセスを用いる」ことも記載されている。そうすると,これら手段によりマスク開口部の幅と同じように発光層パターンを設定できるようにすることを開示しているといえる。
さらに先願明細書(甲8)には,・・・と記載されており,補強線を有するシャドーマスクをスペーサー層に密着させた状態で蒸着物を蒸着せしめること,すなわち,補強線によりシャドーマスクを補強し,シャドーマスクの開口部の形状の変形を防止すること,及び,シャドーマスクと有機発光層との隙間による蒸着材料の回り込みが生じることが記載されている。
そうすると,仮にXのいうシャドー効果があったとしても,上記のとおり蒸着時の回り込みが発生し,その回り込み量を各製造方法により調整することにより,マスク開口部の幅と同じように発光層パターンを設定し,製作することが可能であることが先願明細書に示されているということができるから,Xの上記主張は採用することができない。
ウ Xの主張Bについて
Xは,当業者が,先願明細書に記載されたシャドーマスクの開ロ幅と移動ピッチ寸法幅から,有機発光層の重なり代が5μmであることを計算する動機付けを持つためには,訂正発明3に接することが必要であって,先願明細書において,隣接する有機発光層を重ねるという技術思想は,開示されていないから,蒸着方向が略90度であることを読み取って,なおかつシャドーマスクの開口部の幅とピッチ幅に基づいて有機発光層の幅を具体的に計算しなければ,隣接有機発光層の5μmの重なりは,導き出すことはできないと主張する。
しかし先願明細書に隣接する有機発光層を重ねることについての開示がされていることは既に検討したとおりであり,先願明細書には・・・と記載されていることから,隣接発光層の重なりは,5μmとなることは明らかといえる。Xの主張は採用することができない
エ Xの主張Cについて
Xは訂正発明3は,「スペース部内のみで重なりあう」ことを特定しているので,「のみ」という構成を有する点において,先願発明の1と相違しており,審決は,これを看過していると主張する。
しかし,先願明細書(甲8)には・・・と記載されており,マスクのストライプ状開口部32の幅は305μmで,ピッチは900μmである。有機発光層がRGB3色であることを考慮し,さらに,既に上記で摘示した先願明細書に記載された図2,図11等の記載内容からしても,電極と発光層との各パターンの中心を敢えてずらすとする根拠は示されていない。
そうすると有機発光層の幅305μmの内,両端の重なりは5μmずつであり,重なり部分のない発光層パターン295μmに対し,ITOパターンの幅は270μmであるので,発光層パターン両端の5μmの重なり部分は,当然ITOパターンの間の隙間に位置すると理解することができる。これは訂正発明3における「スペース部内のみで重なりあう」構成と実質的に同一であるといえるから,審決の認定に誤りはない。Xの主張は採用することができない。
オ 以上の検討によれば,X主張の取消理由3は理由がない。
4 結語
以上によれば,X主張の取消事由1は理由があり,これが審決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
よって,Xの請求は理由があるから認容することとして,主文のとおり判決する。」