▲TOPへ



地は揺れ、甚だしく揺れる
ハリスとヒュースケン、二人だけの日曜礼拝
ヒュースケンの日記から
KhasyaReport 2025/Mar/22 ; Apr/05



関連/
今日はハリスのカレーの日・オイレンブルクとハリスのカレー会食
江戸に香り立つ幕末カレー



地は砕け甚だしく砕け、地は揺れ、甚だしく揺れる。
1855年11月11日、夜、江戸を大地震が襲った。安政江戸大地震だ。駿河湾から四国にかけてプレートのずれが地震を起こした。令和を揺さぶる日本各地の、現在の大地震と同じ状況。ハリスとヒュースケンは彼らの日記に安政以降の余震を度々記録している。開国のころ、日本は地の底から揺さぶられていた。
 上の画は仮名垣魯文の『ゑひすのうわさ』第二編に描かれたもの。仮名垣はペリー来航以来のゑびす(西洋人)の動向を克明にルポする『ゑひすのうわさ』シリーズを企画したが安政江戸地震の到来が同書の内容を一変させた。シリーズの二巻目では地震に関連する江戸の人々の行動を子細に記録する内容に転じた。イザヤの終末の緒言をそのまま現実に現わした感のある「ゑびす」第二巻だが、仮名垣魯文が記すのは「地は砕け甚だしく砕け、地は揺れ、甚だしく揺れ」た後に―終末の後に―復活を願う江戸庶民の重ねる寄進、寄付実績を記した台帳の山だ。互いに助け合うコミュニティが終末の果てに厳として存在する。
 この不埒で、逞しくて、神の怒りに立ち向かう精神の現世化。仮名書『ゑひす』第二巻の地獄絵エナジーは生きることへのあけすけな挑戦だ。終末の闇に恐れおののくイザヤ書にはない世界観なのだ。
※画像は『ゑひすのうわさ』二,写. 国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/11223268

 1857年12月7日の大君謁見の前日、ハリス公使とヒュースケンはアメリカ聖教会の礼拝を仮公使館善福寺で初めて行った。
 キリシタン禁制の日本。二人のアメリカ人が江戸の町で日曜の午前中に声を張り上げて手にした聖書を読んだ。ヒュースケンの日本日記はその礼拝のことに何一つ触れない。ハリス公使は江戸でキリスト教の礼拝を行うことが何を意味するか、ある種の予言を含めて日記に、憑かれたように、詳細に記している。

 礼拝の目的は220年前に九州天草で幕府が虐殺した二万数千のキリスト教信徒の鎮魂だ。
 殉教したキリスト教信者を鎮魂する二人の思いは翌日の大君謁見を経て、7日後の堀田正睦老中の上屋敷でのハリス公使による老中、外国掛の面々への二時間に及ぶ開港・永住・信仰の自由の呼びかけへとつながる。開港地の指定と居留地での永住はキリスト教信仰の自由を導いた。信仰の自由は条約の単なる補足という扱いで1857年3月から6月に幕府との間で協議された。ハリスの日記はキリスト教信仰の自由、居住権の確立に関して信条を記したものはない。だが、ヒュースケンはこの時の記録を「やったね、大成功!」と日記に記した。以下の文章はヒュースケン日記そのままの訳ではない。ヒュースケンの思いを膨らませた彼の日記の意訳となるかもしれない。


 
KhasyaReport



 

  ヒュースケンの日記1

 私はよく夢を見る。善福寺で礼拝をささげた日の夜はこんな夢を見た。
 古びた板壁の牢獄に投げこまれた切支丹が自らの血を指で拭い、その指を壁にこすりつけて文字を書かされていた。評議所の役人は引きつる笑顔で、さあ書け、と口をとがらせ促した。寛永十八年と書け。髷を切られ残バラの髪を振り乱し、下帯姿で数字を、切り刻まれた自らの腕から流れる血を指に取り数字を壁に並べるのは天草の年老いた漁民だった。文字がかすれると役人は、赤墨が足りぬか、ほれ、と老人の腿を小刀で切り裂き鮮血を噴出させ、さあ、壁に書けと迫る。老人は血を指にぬぐい取り壁に赤い文字をふるえる指で書いた。

  ---キリシタンご禁制たり注1

 切支丹を弾圧する幕府の圧政は島原キリシタンの殉教者37000人を数えてなお民を圧迫した。高札には、

  ---不審のものあらば申し出よ 御ほうびは銀五百枚

とある。これが幕府のやり方だ。今日は1857年12月6日。1637年の12月11日の島原蜂起は220年前。ハリス公使は主の教えに従いマルチル、殉教の死を苦渋の中で選んだ日本人に手を合わせ今日を主の救いの日に選んだ。明日7日は将軍謁見、12日には備中守の上屋敷でキリスト教信仰の自由をハリス公使が老中と外国掛の武士たちに訴える。条約に信仰の自由を入れるためだ。私はハリス公使のその行動を恐れた。国外追放にならないか。いや、斬首されまいか。だが、ハリス公使は驚くほど冷静で果敢だった。

 12月6日。礼拝。公使館の障子で仕切る部屋で私はハリス公使に従いイザヤ書第5章を読んだ。私たちはキリシタン禁制を破った。アメリカ聖公会の礼拝が私たち二人によって初めて行われた。闇を光に変えるために。 闇を光にと読んだ時、自由を叫ぶ者が現れた。
 声は遠くから近づいてくる。

 自由を、自由を、自由を

 その声に促され島原の殉教者たちが賛美歌に包まれて現れた。

 良心の自由を。信仰の自由を

 なだらかで悲しい讃美歌がその旋律を強めたときその歌は自由を求める戦いの歌に変わり、フランス語で歌われるブラバント勝利注2の歌が聞こえた。

  我らが魂と我らが心を汝に捧げよう
  我らの強さと我らが血を受け給え
  汝の威光と栄華よ共に在れ
  破られることなき団結の下で
  汝の信義は永遠に実を結び
  汝の信義が高らかに響き渡る
  王 法 自由のために
  汝の信義が高らかに響き渡る
  王 法 自由のために
  王 法 自由のために
  王 法 自由のために!

 声を張り上げ歌う。貧しい農民、漁民、手工業者、産業の大規模経営者、皆が高らかに声を張り上げるとプツンと声が切れた。
 一瞬の静寂。闇が幕になって降りる。そして、暗闇の中にインドのタブラの音がかすかに響く。

ヒュースケンの日記2

 虐殺の悪夢から覚めようとしている。タブラの音が人の言葉に変わってゆく。やわらかな、そして張りのある声が明瞭になって来る。板壁の血糊の文字が溶けて消えてゆく。私は悪い夢から覚めるのか。
 評議所の役人が砂煙になって一陣の風で消えた。老人の腿をえぐった小刀はやわらかな聖女の手指となって血の吹き出る傷にあてがわれ、傷は癒え消えた。
 声が大きくなる。ハリス公使の声だ。

-------------------

 ハリス公使が声を張り上げて歌うように語っている。昨日の礼拝の時読み上げていた聖書の抜き書きノートを手にしている。サムライの正装に身を固め身じろぎしない聴衆の前で伝道者ハリス公使が太い声で読み上げる。

わたしは歌おう、わたしの愛する者のために
そのぶどう畑の愛の歌を
わたしの愛する者は、肥沃な丘にぶどう畑を持っていた

さあ、エルサレムに住む人、ユダの人よ
わたしとわたしのぶどう畑の間を裁いてみよ
わたしがぶどう畑のためになすべきことで
何か、しなかったことがまだあるというのか

地は裂け、甚だしく裂け
地は砕け、甚だしく砕け
地は揺れ、甚だしく揺れる

 伝道の歌に陶酔したハリス公使は今、頭を寄せて集まった"半文明国"の指導者たちの耳に論を吹き込んでいる。ニューヨークのエピスコーパル教会に集まった信徒を前に、ニューヨークの新聞に、「貧富の差などない、皆が平等に教育を受けるのだ、それが神の示す道なのだ」と熱く語りかけていた昔のように。
 今、ハリスは説く―自由貿易は必ず利益を生み出す。私たちの国の商人が日本に来てもうけを得るのだから、あなたたちもアメリカへ乗り込んで莫大な利益を手にしなさい。この国を支えてきたあなたたちなら必ず出来るはずだ。

 老中の集団指導者たちはここで賛同の声を上げた。そうだ、開港は日本にも利があるのだと一人が言う。
 アメリカが日本の海でクジラを取りその油を売って巨大な利を上げる。我が国がそれを許すのだからのだから、我々もアメリカへ行って自由な貿易で利を上げその利益を日本へ持ち帰るのだと又一人が高揚して言う。日本の開港がこの時に決まった。ペリーの砲弾外交で恐る恐る国を開くとおびえた二年前とは確かに違う。
 大海を越えてアメリカへ出かけ日本の産物をアメリカで売り、大いに通商を広げよう。日本はもっと豊かになる。注3

 ハリス公使は声を高めた。
 そうです、貿易はあなたの国・日本に巨大な利益をもたらす。早く港を開きましょう。アメリカの総領事としてこれから日本の各港に居を構えるアメリカ領事たちに日本とアメリカの公平で自由な交易を広げるように告げます。

 ハリス公使はこうも告げた。
 長崎には上海から来たアメリカ領事がすでに領事館を開いている。長崎の領事は私が上海で任命した貿易商です。

 通商条約に信仰の自由の書入れを求めたハリス公使は上海から赴任する聖公会の牧師と長崎に教会を建てる計画をすでに進めている。
 すべてがハリス公使の計画に沿って動いている。アメリカの利のために尽くす。それが日本の利にもなる。これが貿易だ。ハリス公使はそう大声で語っている。日本居住の自由につながる信仰の自由になど誰も異を唱えることはなかった。今日の演説の席を設けた外国掛老中堀田正睦備中守はハリスが鼓舞する自由貿易の勧めに大いに賛同している。

 だが昨日の礼拝でハリス公使が私と共に読み上げたイザヤ書の顛末は誰も知らない。つまり、その先には暗黒の黙示録が待っている、と。このことを知っているのはエピスコーパル教会の信徒、ハリスと私だけである。

地は裂け、甚だしく裂け
地は砕け、甚だしく砕け
地は揺れ、甚だしく揺れる
地は、酔いどれのようによろめき
見張り小屋のようにゆらゆらと動かされる
地の罪は、地の上に重く
倒れて、二度と起き上がることはない
それゆえ主は御自分の民に向かって激しく怒り
御手を伸ばして、彼らを撃たれた
山々は震え
民のしかばねは芥のように巷に散った。
しかしなお、主の怒りはやまず
御手は伸ばされたままだ。
見よ、闇が地を閉ざし
光も黒雲に遮られて闇となる


ヒュースケンの日記3

 Mは主語のないオランダ文を作って我々の謁見に対するタイクンの言葉を伝えた。タイクンは偉大なので人称代名詞で表してはいけない。だから大統領の親書に対する返礼であってもタイクンの言葉に主語はない。もちろんオランダ語訳でもタイクンが語ったとは決して言っていない。Mは主語のないオランダ文を作って悠々としている。ハリス公使はそれが我慢ならない様子だった。

 めまいを覚える記憶が現れる。目の前のタイクンの先祖はキリスト教の一切を虐殺によって日本から消し去った。天草のキリスト教徒はマルチルとなった。数万の信徒が最後の一人まで殺された。でも、新来の宗教に行なったその残虐をもって哀れな日本人を非難するのは止めよう。我々のヨーロッパの歴史こそが異端宗教を火あぶりの刑に服す狂気を平然と行ってきたじゃないか。
 目の前のタイクンはキリスト教徒への敵意に溢れたイエヤス一族の末裔だ。キリスト教徒の我々をタイクンの前に案内する信濃守は跪いて前に進む。私たちは靴を履いて立ったままタイクンの前に進み出る。これが今この時のありのままの姿だ。ハリス公使も私も自由であり平等である。

 ハリス公使も私も神の救いを待ち望んでいる。通商条約に補足を付けるとき何より重要視して日本側に要求した項目は私の1857年3月1日の日記に記した通り次の三点だ。ロシアに開いている長崎港をアメリカにも開く、アメリカ市民に治外法権を与える、1ドル銀貨は1分銀3枚に同等とする。

 ハリスが日記にそう記してから10か月が過ぎて、タイクンとの謁見を迎えた。謁見の5日後、備中守上屋敷でハリス公使は幕閣や外国掛のサムライを前にして治外法権と信仰の自由を諭し解き、あっさりと認められた。

「やったね。大成功だ」
 ヒュースケンの『日本日記』はオランダ女王に捧げるために書き始められた。喜びのあまり「やったね。大成功だ」とペンを滑らせた。「やったね。大成功だ」なんて女王には直截すぎて失礼な表現だろうか。ヒュースケンには通商条約策定までのうんざりする紆余曲折がまるでモリエールの喜劇脚本のように見えてきた。
 そうだ、この夜はモリエールの「女学者」をベッドで読もう。フフフ。笑みがこぼれた。

-----------------------------

   なんとも不思議な具合だが、ヒュースケンの「やったね、大成功だ」という通商友好条約決定までの日記の記述は日本側担当者の気持ちでもあったようだ。維新史料綱要データベースに日米通商友好条約に関して次の事務作業経過記録が残されている。モリエール戯曲のお決まりのフレーズ「大団円」をこちらもなぞっている。

仮の批准書は文久元年羊酉正月16日-1861/02/25-江戸善福寺借公使館に於いてハリルス公使より村垣淡路守に返却す。淡路の守収領携帰て閣老久世大和守に返上せしを以って条約の一件は於子此大團圓に至れり 安政6年4月22日

 ここにおいて大団円に至れり。幕府の体たらくを装う再三の条約批准引き延ばしもとうとう終わった。互いに条約締結の真意はすれ違ったにしても紆余曲折に労した条約は大団円、見事に成立した。ハリスが主張した宗教の自由も居住権の確保も大団円の中に組み込まれた。

やったね、久助ヒュースケン

【参考資料】
Japan journal1857-Dec-12) 1855-1861 Henry Heusken January 1, 1964 by Rutgers University Press

Complete Journal of Townsent Harris (1857-dec-6) by Mario Emilio Cosenza
https://libsysdigi.library.illinois.edu/OCA/Books2012-12/completejournal0harr/completejournal0harr.pdf

イザヤ書5 新共同訳 www.bible.com

イザヤ書24 (イザヤの黙示録) 新共同訳 www.bible.com


KhasyaReport内リンク
タウンゼント・ハリス、インドへカレー粉を注文する KhasyaReport 2024/09/30

ブルボン劇場のヒュースケン

ブルボン小劇場のヒュースケン2

ブルボン小劇場のヒュースケン1
ヒュースケン、夜半に「女学者」を読む
ヒュースケンの予見
タウンゼント・ハリス、コロンボでハルワを食す
ヒュースケンが、ゴールで記したこと
   




タウンゼント・ハリス

Townsent Harris,first American envoy in Japan / William Elliot Griffis
注1
 ヒュースケンとキリシタン禁制・島原の殉教
 ヒュースケン日記にキリシタン禁制のことが記されている。ハイネは賊徒に討たれたヒュースケンの寓居を訪ねた際、居合わせた益田孝が「日本人もキリスト教を知らなければならない」と言うのを聞いて、禁制の国にありながら自由にキリスト教を語るサムライの存在を知り、驚いたことを記している。孝はヒュースケンのボーイとして麻布善福寺で働き、また、横浜に通いクララ夫人(Mrs. Hepburn)の英語塾に通った。益田孝は鈍翁と称した後の三井物産創始者だ。

注2
 ブラバンドの歌はベルギーの国歌。オランダ語、フランス語、ドイツ語の言語で歌われる。王、法、自由を守るために血を捧げることもいとわない。フランス革命の熱情がここでは国家にそのまま託されている。

注3
江戸城前の堀田公上屋敷でハリスが熱弁をふるった時、聖書を読み上げることなど決してしなかった。ハリスはヒュースケンと共に将軍謁見の前日、アメリカ公使館とした麻布善福寺で日曜ミサを捧げたときにこのイザヤ書5を読み上げた。(幕府御法度のキリシタン信仰、打ち首か国外追放の罪ではないか!)、
地は裂け、甚だしく裂け・・・、というイザヤ書の語りは数年来の地震に揺れる江戸の町の不穏な様子そのままだった。
揺れる大地の上でハリスは貿易の利を雄弁をもって解き、徳川幕府の大名たちを納得させた。それはハリスの通商条約締結というミッションを叶えるものだった。しかし、聖書に戻ればイザヤ書5は黙示録なのだ。通商条約締結の後に反映する日本と言う姿など想定にはない。
 地は裂け、甚だしく裂け 地は砕け、甚だしく砕け 地は揺れ、甚だしく揺れる 地は、酔いどれのようによろめき、見張り小屋のようにゆらゆらと動かされる。地の罪は、地の上に重く、倒れて、二度と起き上がることはない それゆえ主は御自分の民に向かって激しく怒り ---- 御手を伸ばして、彼らを撃たれた、山々は震え、民のしかばねは芥のように巷に散った。しかしなお、主の怒りはやまず、御手は伸ばされたままだ。見よ、闇が地を閉ざし、光も黒雲に遮られて闇となる。

それがイザヤ書の5だ。 しかし、ハリスは幕府の面々を前にして演説する---輸入品には税金をかけアメリカはその税収入で国家の費用を賄っている。実に税収の八割が輸入税だ。輸入税ほど確実な国家の財源はない。貿易こそが国に利をもたらす。日本は栄えてゆく。
 エピスコーパルに忠実で堅実なハリスらしい振舞いなのだが、日本からアメリカにハリス自身の物品を送るとき、外交特権などと抜け道を使い税を免れることなどせず、日本国(徳川幕府)に輸出税を支払っている。