喪 失 と 獲 得

―進化心理学から見た心と体―

ニコラス・ハンフリー (垂水雄二 訳、紀伊國屋書店、2004)

 

様々な話題による、様々な長さの23のエッセイを集めたもの。ごく短いものを除くと、主要なエッセイは10編ほど。その中で最も衝撃的なのは、アルタミラ、ラスコーなど先史時代の壁画の進化論的背景(7章)、これに関連した記憶力と抽象的思考能力の関係(8章)、また、なかなか興味深いのはプラシーボ(偽薬)効果の進化的意義(10章)、血縁利他主義と互恵的利他主義の共通基盤(23章)など。

先史時代の壁画はふつう、これらの時代の人類が現代人と全く同じ知能と豊かな文化を持っていたこと、いやそれどころか、彼らの一部は現代の偉大な芸術家たちにも劣らない鋭い感性の持ち主であったことの証拠と考えられています。しかし著者によると、これらの壁画は自閉症患者が描く絵と驚くべき類似性を示します。その特徴は、抽象化されていない、視覚記憶に基づく正確な描写と、人間への関心の欠落です。このような観察から著者は、壁画は人類が言語を獲得する以前の、抽象能力を持たない時代の産物であり、言語の誕生とともに人類はこのような絵画制作能力を失った、と主張しています。

動物裁判を扱った14章では、動物裁判の目的を、動物や昆虫などにより人間が傷つけられたり甚大な被害を被ったりするという「物事の説明がつかない」事態に対して、「認知的な制御を確立すること」、すなわち、「混沌(カオス)を飼い慣らし、偶然の世界に秩序を導入すること」、「とくに、ある種の見たところ説明がつかないように思える出来事を、犯罪として定義し直すことによって、意味あるものにすることだった」としています。そして本書の訳者は「あとがき」で池上俊一著『動物裁判』(下表参照)と比較して、「ハンフリーの解釈の方が、はるかに真実に近いように思える」と書いています。しかし、私はハンフリー説に満足しません。池上氏が他説に関して再三指摘している、「なぜ、ある特定の時代に特定の地域でのみ動物裁判が見られたのか」という疑問に、ハンフリー説も答えていないからです。

 

厳選読書館・関連テーマの本
裸のサル
なぜ彼らな天才的能力を示すのか
天才と分裂病の進化論
ことばの起源
共感する女脳、システム化する男脳
我、自閉症に生まれて
動物裁判