ことばの起源

―猿の毛づくろい、人のゴシップ―

ロビン・ダンバー (松浦俊輔・服部清美 訳、青土社、1998)

 

人間の言語の起源についてはさまざまな考え方がありますが、一般的には、狩りなどで協力して行動するときにコミュニケーションを取るために発明された、といったような説明が広く受け入れられているようです。つまり、誰にでもそれとわかる言語の実用的な機能に着目した考え方です。しかし、本書はこのような考え方とは全く異なる言語の起源説を提示するものです。

群れを成して生活する動物にはいろいろありますが、高等霊長類の群は独特のものです。それは、個体認識に基づく、きわめて社会性の強い集団です。霊長類以外にも、例えば肉食動物なども社会性の群れを作りますが、その規模は小さく、一時的である場合が多い。霊長類が大きな群れを作るのは、捕食者から身を守るためですが、他の動物たちが群れを作る理由はさまざま。もちろん人間も、群れを成す生き物です。高等霊長類の社会は従って、人間の社会と同様に、各個体間の関係が原因のストレスが大きいのです。いずれにしても、社会性動物の社会性の程度(個体間関係の複雑さ)は群れの規模と関係があります。そして、群れが大きいほど、ストレスも大きい。

このストレスを回避し、何とか良好な個体間関係を維持するために、動物は毛づくろいをします。高等霊長類の毛づくろいは、群れが大きいほどその時間が長い。そして、霊長類の群れの規模は大脳新皮質の大きさと相関関係がある。その相関曲線の上に、人間の新皮質を当てはめると、人間の「群れ」の大きさは、およそ150人。そして毛づくろいに必要な時間は、1日のおよそ40%! これでは、食べることと毛づくろい以外、ほとんど何もできません。

言語は、人間が必要な毛づくろいの時間を確保できなくなったため、これに代わるものとして進化した、というのが本書の主張です。つまり、きわめて複雑な社会的関係(人間関係)を良好に維持するために、社会の成因(およそ150人の親戚や交友関係)に関する情報を交換し合うための道具として、うわさ話(ゴシップ)は毛づくろいの何倍も効率的なのです。

これだけを聞くと、奇を衒った珍説のように思われるかもしれませんが、本書は進化生物学(特に社会生物学、すなわち行動生態学)の最新の成果に基づきながら、心理学、人類学、社会学、言語学、ゲーム理論、大脳生理学、神経内分泌学、などなど多くの学問領域の知見を動員して、言葉の進化の歴史を論じ、さらに有史以来の言語の歴史、そして言語をめぐる現代の社会状況にまで論を進めています。議論はやや錯綜していますが、科学的手法に裏付けられた、知的刺激に満ちた本です。

 

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