我、自閉症に生まれて

テンプル・グランディン (カニングハム久子 訳、学研、1994)

 

2年前に自閉症児とその家族をめぐるテレビ・ドラマが放映され,話題になりました。今日では自閉症に関する一般向けの本も数多く出ています。しかし,少なくとも数年前までは,自閉症者自身が書いた本というのは世界的にみても大変珍しく,本書の他にはドナ・ウィリアムズ『自閉症だったわたしへ』(新潮社)くらいだったようです。

自閉症は幅広いスペクトラムをもつ先天性障害で,軽症または知的能力の高い場合は,「高機能自閉症」とか「アスペルガー症候群」と呼ばれることがあります。

本書の著者は大学の助教授であると同時に畜産関係の会社の社長でもあり,いわば社会的に成功した自閉症者です。しかし,決して自慢話の羅列ではなく,どのようにして,また周囲の人々のどのような支援によって,自閉症を克服することができたのかを,誠実に記録したのが本書。「克服した」とはいっても,社会人としてどうにか一人でやっていける程度にという意味であって,今でも自閉症的な傾向はいろいろ残っていて,世間話はほとんどしないし,対人関係にはかなりのストレスを感じる。しかし,自閉症は決して一生涯全く変化しない障害ではなく,健常な(自閉症ではない)子供が成長し社会人としての行動を身につけていくのと同じように,自閉症児も「成長」し社会生活を送れるようになれるのです(全員ではないかもしれないが)。ただし,周囲の人々の温かい理解と,適切な指導によって。

ところで著者は,感覚情報を処理する機能の欠陥により,感覚刺激の洪水から逃れるために,周囲の人や環境をシャットアウトすることが,自閉症を引き起こすといっています。

本書の出版(原書は1986年)からすでに20年。最近では,自閉症とは「心の理論」(自分と同じように,他の人も自身の心をもっているのだという理解)の獲得に失敗する障害であるという見方が有力ですが,この二つの見方はどこでどのように交差するのでしょうか。

 

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