なぜ彼らは天才的能力を示すのか

―サヴァン症候群の驚異―

ダロルド・A・トレッファート (高橋健次 訳、草思社、1990)

 

モーツァルトがアレグリの「ミゼレーレ」を一度聴いただけで全曲の総譜を書いたというのは、有名な話です。われわれ凡人には奇跡としか思えませんが、世の中にはごくまれに、これと同じような奇跡的な能力を持った人々がいます。

たとえば、本書で最初に紹介されているピアノの名手、レスリー・レムケ。日本の26都市をめぐるコンサートツアーを行ったそうですから、お聴きになった方もいるかもしれません。音楽教育をほとんど受けていないのに、一度聴いた曲は何年経っても絶対に忘れず、ほぼ完璧にピアノで再現できる(最初に披露したのが、何とチャイコフスキーのピアノ協奏曲!)。ウクレレ、シロホン、アコーディオンも演奏し、有名なミュージシャンの物真似や即興演奏も得意。クラシックだけでなくあらゆるジャンルの音楽をこなし、レパートリーは数千曲(生きている限り増え続ける!)。ところがレスリーは脳性麻痺による精神遅滞で、しかも全盲。言葉はほとんどしゃべれず、ひとりでは歩行も困難。演奏中以外は痙攣が絶えない。あなたはこれが信じられますか?

人の生年月日を聞いて、それが何曜日かを当てる、というゲームがありますが、過去4万年、未来4万年の日付の曜日を聞かれて即答するとなると、ただごとではありません。一卵性双生児のジョージとチャールズはカレンダー計算の達人で、しかも自分たちの毎日の経験をその日の天候とともにすべて記憶している。300桁の数字を聞かされるとすらすらと復唱し、床にばらまかれた100本以上のマッチの本数を瞬時に言い当て、同時にその数を素数の積に分解する。ところが、ジョージとチャールズは二人とも精神遅滞で、一桁の四則計算が満足にできず、数は30までしか数えられず、今会った相手の名前すら記憶できない。あなたはこれが信じられますか?

このような、重度の精神・知能障害と、特定の分野における奇跡としか思えない知的能力が同居する状態を、ダウン症で有名なJ・ラングドン・ダウン博士は1887年に「サヴァン症候群」と名付けました。サヴァンの能力は、ある特定領域における膨大で正確無比の記憶を中心に、楽器演奏、電光石火の計算(暗算)、絵画や彫刻など(日本の山下清もそのひとり)ですが、残念ながら通常の日常生活にはほとんど役立たないものばかり。特殊能力の程度もさまざまですが、単に障害の程度に比べてすばらしいというだけでなく、ふつうの人間が行ったとしてもとても信じがたいような例は、過去1世紀間に約100例報告されています。

本書にはそのうちの多くが紹介され、このような特異な才能が現れる原因を探っています。これまでに提示されたすべての見解を吟味したうえで、現代(1980年代)の脳神経科学の成果に基づいて、奇跡的なサヴァンの出現のメカニズムを、大脳の損傷に由来する「(半球の)優位性の病理」と記憶回路の特異性によって説明しています。そして、サヴァン症例の研究から、逆に記憶のメカニズムの解明にとって有益な示唆が得られることを期待しています。

 

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