南インド旅行記

(2003年08月06日〜14日)

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08月06日(成田→チェンナイ)
08月07日(チェンナイ)
08月08日(サルヴァンベルゴラ)
08月09日(このページ:マイソール)
08月10日(バンガロール→ゴア)
08月11日(ゴア)
08月12日(ムンバイ)
08月13日(ムンバイ・エレファンタ島)
08月14日(帰還)

08月09日(土)

●朝、ホテルを撮ってみた。さすが元宮殿(^^;。

ホテル1

↑ まるでホワイトハウスのよう(^^;。 ↓

ホテル2

●朝食後、マイソール観光。マイソールはシルクと金(ゴールド)が有名で、特にインド唯一の金鉱があるためこの地方は昔から栄え、比較的豊かだということだった。

●最初はチャームンディの丘に行く。丘というか山の頂上にヒンドゥ教のお寺があり、例によって土足禁止なのでそこに裸足で入っていく。寺の外は牛の糞や捨てられた食べ物がところどころにあって汚い。ハエの数が凄い。しかし寺は立派だ。高さ40mの塔門はドラヴィダ様式。なかなか圧巻だ。

寺1
寺がだんだん近づいてくる。

寺2
近くに寄って撮ってみた。

寺3
さらに近くに寄って撮ってみた(^^;。素晴らしい。

寺4
寺の中では、この寺のご本尊が御輿に乗せられ、音楽に乗って練り歩く。

遠景1
寺からバスに帰る途中で1枚。

●帰り道の途中でマイソール全体を見渡せる絶景スポットで一時停止。高原なので地平線まで見渡せる。

遠景2 遠景3 遠景4

↑ パノラマもどき(^^;。左手に見える楕円形の土地は競馬場

●山の中腹にあるブル寺院にも寄る。巨大な牛の像がある。牛も犬も猿もいた。子供たちがバスで乗り付け、大挙して見学しに来ていた。どうやら修学旅行や遠足のコースになっているらしい。この手のブル寺院は各地にあるらしいが、ここのはその中でもかなり大きい方である。

ブル寺院1
これも大きさがうまく伝わらないかも知れないが・・・。

ブル寺院2
これくらいの大きさである。

●宮殿山を降りてからマハラジャ宮殿へ。元々マイソール藩王の王宮だったが、現在は博物館になっている。カメラの持ち込みは禁止で、入口のところでカメラを預けてから入る。宮殿の中に入る時も手荷物チェックがある。というわけで中の写真はないが、「孔雀の間」などの壮麗さは本当に素晴らしかった。

宮殿1
宮殿の門。撮影モードを間違ったため露光がおかしいですm(..)m。

宮殿2
宮殿を横から捉えた写真。

宮殿3
このへんまではカメラを持ち込めるが、中はダメ。

●昼食の場所を決めていなかった(というか、適当なレストランがない)ため、町中の食堂に入る。巨大なドーサとサモサを食す。食堂は100%ジモティ向けで汚かったが、料理は割とうまかった。サモサはびんでぃと同じ味だった。

ドーサ
ドーサ。普通はクレープのように巻いて食べるので、三角形のドーサは珍しい。
ちなみにサモサは撮らずに食べてしまった(^^;。

●食事の後、その周辺の市場で買い物。女性陣がサリーを物色するのにつき合う。ぶらぶら歩き、靴屋にも入る。インドには「Bata」という有名な国産ブランドがあり、みんなサンダル等を購入していた。他のメンバーの楽しみのひとつはショッピングであり、おみやげ等を本当によく買っていた。私はガイドのシンさんを通じて紅茶を注文した以外は、特に何も買っていない。今のところかなり安上がりな旅をしているが、帰り際に大量の買い物をするかも知れない。トランクを小さいのにして良かったと思う。大きくて余裕があると、「あれも買おう、これも買おう」と言って買いすぎてしまっただろう。

マイソール市街
マイソールの市街。ショッピングにつき合う。

●マイソールには空港がないため、一路バスでバンガロールに戻ることになる。ビール休憩をはさみ、またバスで爆走。インドでは対向車がなければ(あってもぎりぎりまで)どんどん追い抜くし、スキあらば内側(歩道側)からでもどんどん抜いてくるので、怖いことこの上ない。夕方頃、道路脇のドライブインに寄る。ここでも女性陣がおみやげ屋でショッピング。その時点で、「バンガロールまで80km」だった。あと1時間ちょっとで着くと思われた。しかしそれは甘かった・・・。

ドライブイン
こんな感じのドライブイン。チャイを注文すると店員が車まで持ってきてくれる。

土産物屋
ドライブイン脇のみやげ物屋。中央はガイドのシンさん。

●途中、何とバイクに5人乗りしている親子を発見。お父さんが運転し、その前に子供が2人、後ろに子供、そして母親という。2人乗り、3人乗りはよく見かけるが、5人乗りというのは初めて見た(※ただし、後日そのことを店主に言うと「そんなの普通よ」と一蹴されてしまった(^^;)。そして、バスはその5人乗りバイクにさえ抜かされた(^^;。

だんだん暗くなる中を、引き続き爆走するが、なかなか進まない。前の車を抜く際、対向車が切れるまで前の車の後ろにくっついてスピードを下げることがあるし、ところどころでスピードの出しすぎを防止するため道路を凸型に盛り上げているため、そこでスピードを下げる。それに加え、あと10キロの地点でひどい渋滞に巻き込まれた。「あと10キロでこの渋滞では、先が思いやられる」と思った。しかしそれも甘かった。ようやくバンガロールの町中に入ると、渋滞はさらにひどくなった。さらに悪いことに、目抜き通りで選挙運動のキャンペーン注5)をやっており、山車がでたり花火をあげたりして、道路が使えない状態になっていた。

バスの運転手(とその助手)(注6)は元々バンガロールで仕事をしている。彼らから見ると、1泊2日でバンガロールからマイソールに行き、また戻ってくるという仕事だ。だから彼らはバンガロールの裏道を知っている。しかし、大通りを避けて裏道に入った途端、車の列はピクリとも動かなくなった。大渋滞なんてものではない。なにしろ、上り下り1車線ずつの道路に、上りの車が3列も並んでいるのだ。当然、対向車線から来る車が動けない。進行方向の車線でも、少しでもスキがあればリキシャやバイクがどんどん割り込んでくる。そのうち、バイクも全く動けなくなった。バスと車とリキシャとバイク群が一歩も動けなくなっている状態を想像していただきたい。しかも前の車がエンストしてみんなで手で動かしていたり、対向車線のリキシャがパンクしたりして、さらに混乱に拍車がかかった。そしてなお悪いことに、エアコンをかけるとエンストしそうだということで、エアコンを止められていた。暑い車内でじっと待たされるはめに・・・。この混沌状態は、狭いT字路でピークに達した。あのT字路を抜けられたのは奇跡に近い。「成せば成る」という言葉を実感した瞬間だった。ここまで来ると、かえって楽しくなってしまった。わざと明るく振る舞ったところもあるが。なぜならここで怒ってもしょうがないからだ。何しろここはインドだ(^^;。

●結局、ホテルに辿り着いた時は22時を過ぎていた。予定より2時間以上遅れていた。すぐに遅い食事。みんな疲弊していたので、レストランや料理の評価に関してすこし刺々しくなっていた。しかし怒り出すような人はいないのが我々のグループの強みだ。ネットに接続したらメールが70通もたまってた。更新などしていたらすぐ午前2時をオーバーした。途中で切り上げて寝る。


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