南インド旅行記

(2003年08月06日〜14日)

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08月06日(成田→チェンナイ)
08月07日(チェンナイ)
08月08日(このページ:サルヴァンベルゴラ)
08月09日(マイソール)
08月10日(バンガロール→ゴア)
08月11日(ゴア)
08月12日(ムンバイ)
08月13日(ムンバイ・エレファンタ島)
08月14日(帰還)

08月08日(金)

朝食後すぐ、バスで空港へ。インドの国内便「JetAir」に搭乗。バンガロール行きということでほぼ満席。手荷物検査が厳しかった(注3)ものの、何の問題もなくバンガロールに到着。バンガロールの空港は軍と民間兼用のようであった。そこからバスに乗り、ひたすら走る。飛行機の窓から広大な農地(ヤシの木やサトウキビ畑や水田など)を見てきたが、今度はその農地の中を車で爆走。クラクションを鳴らしながらどんどん抜かす、バスもトラックもふつうの車もリキシャも自転車も牛車も。市が立っていて人混みの多い箇所では、危うく老人をひき殺しそうになった(クラクションを無視して悠々と歩くものだから・・・)。ヘタなジェットコースターに乗るよりずっとスリルがあった(^^;。しかも途中で道が悪くなり、ずっと振動にさらされた。全身アブトロニック状態(笑)。この、広大な農村の中を車で爆走したのは凄い経験だった。


こんな感じの道を爆走。

●途中、小さなホテルで食事。ここも凄い所だった。道の途中にぽつんと点在する建物で、ビールを頼むとバイクで買いに出かけるという有様だった。料理は普通にカレー等を注文。私にとっては旨かったが、コリヤンダーや辛いのが苦手な人は結構残していた。


ホテルと言ってもこんな感じ。


ホテルの脇の道。右側の土手の上にホテルがある。左は乗ってきたバス。

道2
同じくホテルの脇の道。

食事風景1
こんなオープンテラス(笑)で食事。蚊取り線香は必需品。

食事風景2
カレー等を食す。割と旨かったが、約1名がこの料理で食中毒(^^;。

●さらに車で爆走し、南インド最大のジャイナ教の聖地、シュラヴァナベルゴラに到着。非常に行きづらい所にあるため、日本人のツアー客はほとんど来ないらしい。ちなみにここも中は土足禁止。640段ほどある石段を裸足で登る! 登る! ひたすら登る! いやー、久しぶりにいい運動でした(をいをい)。

シュラヴァナベルゴラ
街の様子。

門
山の入り口にある門。立派。

石段1
石段。山の上からここまで1つの岩だという。

石段2
石段の中腹あたりからの風景。

石段3
プールのように見えるのは沐浴をするための施設らしい。
ガンジス川と位置づけは同じか?

石段4
まだまだ先は長い。

石段5
頂上の少し手前に広場のようになっている所がある。

石段6
手すりなどない。絶景と危険は隣り合わせ。

石段7
さっきより高い場所から撮っているのがわかる。

石段8
もう少しで山頂だ。

石段9
最後の石段を登る。

彫刻1
途中の石にも像が刻み込まれている。

石段10
頂上に通じる道。

石段11
ここを登り切るといよいよ頂上だ。

山の頂上には、約19mもあるゴーマテーシュワラ(ジャイナ教第2代祖師)の像が屹立。花崗岩を彫って造られており、この像から山の下まで、すべて1つの大きな岩だという。ジャイナ教には2つの派があり、そのうちの1派は「裸行派」(注4)で、原理主義(厳格派)ともいえる。蚊や蟻にいたるまで全ての殺生を禁止(当然ベジタリアン)。男性の僧は非所有の教えに従って何も身に付けない。僧侶は結婚もしない。この像も、裸のまま(スッポンポン)で何十年も瞑想したため、体にツタが絡まっている様子が表現されている。

●なお蛇足だが、チェンナイをバスで移動中にフリチンの子供を何度も見たが、それとこの石像を見て判断するに、インド人は割礼をしないらしい(まあ日本人もしないが・・・)(^^;。

石像1
石段を登り切るとそこには・・・!?

石像2
この巨大さは写真では解りづらい。

石像3
足下には小さな像が置いてある。

彫刻2
石像をぐるりと囲む建物にしつらえられた彫刻。

石像4
石像の背後にある回廊に、小さな石像が設置されている。
ジャイナ教の祖師たちだという。

石像5
石像のうちの1つ。

石段12
帰りがけにまた下の風景を撮る。ここで全員記念撮影。

石像6
中腹にある小さなお堂の中にある石像。仏教様式だという。

●なお、ジャイナ教の成立は紀元前6世紀で、長いスパンで見れば仏教とほぼ同じであるが、細かく見れば仏教より数十年ほど早いと言われる。ジャイナ教の文化が仏教に一定の影響を与えた可能性は高い。

石段13
今度は石段を下りる。下を見ると怖い!

●石像の周囲では、女性の修行僧がまるで歌のようなお経を唱えながら礼拝しており、その声はこの世のものとは思えないほど美しかった。眺望も筆舌に尽くしがたい。ここは行きづらいので、大手旅行代理店のツアーにはまず組み込まれない。だからあまり観光地ずれしていない。そこが最大のいいところだ。しかし山のふもとではまた身体障碍者や母子の物乞いと物売りがわらわらつきまとって来る。例によって無視。ところで、この地のガイドは老人で、英語を話しているらしいのだが、訛りがひどいうえに早口で、何を言っているかさっぱりわからなかった。もちろん私の英語力が低いことも原因だが。

●また車で爆走し、夜になってようやくマイソールに入る。宮殿をホテルに改装した「ラリタ・マハル・パレス」に宿泊。小高い丘の上にライトアップされたホテルの姿がバスから見えた時は全員歓喜の声をあげた。日本だったら絶対に泊まれないグレード。何しろ元宮殿だ。レストランもインドの民族音楽の生演奏があり、王侯貴族気分を味わえる。しかし古いだけに電話が直接外線にかけられず、日記だけ書いて寝る。

ホテル1

↑ ホテルの内装。まさに宮殿。 ↓

ホテル2

ホテル3
さっそくホテル内で食事。この食堂の内装も素晴らしい。

ホテル4
天井の装飾。


食事も昼と夜では大違い(^^;。奥では生演奏。

※プライバシー保護のため、最後の食事風景の写真だけ拡大写真はありません。参加者の方で画像(かそのプリントアウト)が欲しい方はご一報下さい。


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