◆ TKKI カナヤマ オフィシャル ホームページ。
TKKI KANAYAMA’S OFFICIAL
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◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。
KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY
HANDBOOK.
◆ カナヤマ 天璋院・篤姫ガイドブック。
KANAYAMA’S LADY ATSUHIME
GUIDEBOOK.
『 (Kjhh)21736
カナヤマ 天璋院
篤姫ガイドブック
天璋院 篤姫
年表 No.11。 』
■ パソコン(PC)、携帯用パソコン、タブレ
ット端末(PC)、スマートフォン、ウェアラ
ブル端末、スマートテレビ 用電子書籍。
メ ニュー (目次)
■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。
の内容。
□ 天璋院 篤姫 詳細年表。
○ 幕末の江戸幕府・大奥の実力者の
天璋院・篤姫 (てんしょういん・あつ
ひめ、篤姫役: 宮崎あおい)。
○ ドラマ「篤姫」での天璋院・篤姫フォト
( 宮崎あおいが演じる篤姫)。
○ テレビ局のドラマ「篤姫」の出版本の
書籍販促用PRフォト。
■ 上位のWEBサイト。
□ (KOH) カナヤマ オフィシャル >
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□ (Kjhh) 天璋院・篤姫 ガイド >
ブック。
■ カナヤマ 主要 公式ホー
ムページ略語一覧表。
□ 主要サイトの略語・説明表。
□ 日本史辞典 ・日本語版へ。
◆ 天璋院 篤姫 ガイドブック
の内容 :
■ 天璋院 篤姫 (てんしょういん
あつひめ) ガイド ブック。
■ 初学者・初心者用 オンライン 天
璋院 篤姫 ガイドブック (要覧)。
■ パソコン(PC)、携帯用パソコン、タブレ
ット端末(PC)、スマートフォン、ウェアラ
ブル端末、スマートテレビ 用電子書籍。
■ 天璋院 篤姫 の 入門 ガイド ブック。
■ 天璋院 篤姫 ガイド 初学者・初心
者用 インターネット用 オンライ ン
書籍 (ブック)。
■ この電子書籍1冊で (この本1冊で)、
天璋院 篤姫のこと(概略)が、一通り、
わかる。
■ 江戸時代、 江戸幕府の、将軍が、
日本を支配していた。
そして、江戸幕府 (徳川宗家)の
後宮の大奥にいる、将軍の母や夫人
とその側近、大奥監督者も、 将軍と
共に、日本の政治を動かしていた。
■ 天璋院 篤姫は、 幕末の3人の将軍の、
13代将軍・徳川家定(いえさだ)、14代
将軍・徳川家茂(いえもち)、15代将軍・
徳川慶喜(よしのぶ) の良き相談役、後
見人となり、日本の政治を動かした女性
である。
■ TKKI カナヤマ著 天璋院 篤姫ガイド
ブック。
□ 日本史辞典 ・日本語版へ。
◆ (Kjhh)
天璋院 篤姫
ガイドブック
天璋院 篤姫
年表。
◆ 天璋院・篤姫
詳細年表
(てんしょういん・あつひめ
しょうさいねんぴょう)。
○ 『 では、 天璋院・篤姫に関係
する出来事を、年代順に、
見てみよう。 』
■ 天璋院・篤姫 詳細年表。
■ 江戸時代については、
『 近世日本歴史年表 』 を、
明治時代については、
参照して下さい。
● TKKI カナヤマ著 天璋院 篤姫ガイド
ブック。
■ より理解を深めるために、当年表と近い
時期の日本史辞典の年表の、
さい。
■ 当年表は、天璋院・篤姫(1835年〜
1883年)が生きた時代の 詳細年表で
ある。
■ 天璋院・篤姫 (てんしょういん・あつひ
め、通称・篤姫、於一(おかつ 、島津一
(しまづかつ))、島津篤子(しまづあつ
こ)、近衛敬子(このえすみこ)、天璋院
(てんしょういん 、落飾後)) に関係す
る出来事を、年代順にまとめたもので
ある。
● 200〜150年前頃の日本へタイムスリ
ップして、天璋院・篤姫の行動を見てみ
よう。
● 歴史学の立場から、年代を追って、
天璋院・篤姫の実像 (歴史的有名な
人物には、虚像と実像があるが) を
見てみよう。
■ 当年表は、 西暦を先に、 その後
ろの( )内に和暦を記載している。
■ 日本の暦。
■ 和暦の、旧暦(太陰太陽暦)
と 新暦(太陽暦)。
■ 日本では、 大化(たいか)元年(西
暦645年)から明治5年(西暦1872
年)まで旧暦(太陰太陽暦)を使用し 、
1873年(明治6年)から現在まで新
暦(太陽暦、現使用のグレゴリオ暦)
を使用している。
■ 日本の太陽暦の採用。
明治新政府の旧暦から新暦への切
り替え。
明治新政府(近代日本政府)は、
近代化のため、旧暦(太陰太陽暦)
の1872年(明治5年)12月2日の
翌日(12月3日)を、 新暦(太陽暦、
現使用のグレゴリオ暦)の1873年
(明治6年)1月1日とした。
■ 当書の日付(年月日)は、 一般の
日本歴史書と同様に、1872年(明
治5年)以前は日本の旧暦(太陰太
陽暦)の年月日を記載し、 1873年
(明治6年)以後は日本の新暦(太 陽
暦、現使用のグレゴリオ暦))の年月
日を記載している。
● TKKI カナヤマ著 和暦ガイドブック。
○ 幕末の江戸幕府・大奥の実力者の
天璋院・篤姫 (てんしょういん・あつ
ひめ、篤姫役: 宮崎あおい)。
○ ドラマ「篤姫」での天璋院・篤姫フォト
( 宮崎あおいが演じる篤姫)。
○ テレビ局のドラマ「篤姫」の出版本の
書籍販促用PRフォト。
□ 日本史辞典 ・日本語版へ。
#atsuhimedetailedchronology-1830
◆ 天璋院・篤姫
詳細年表。
■ 1830年 ● 天保改元。
(文政13年 ) 1830年12月10日に、和暦の
(天保 元年) 「文政」(ぶんせい)が、 「天保」
(てんぽう、天保元年・1830年・
12月10日〜天保15年・1844
年・12月2日) に改元される。
■ 1835年 ● 1835年12月、天璋院・篤姫 (通
(天保 6年) 称・篤姫、於一(おかつ、 島津一
(しまづかつ)) が、誕生 する。
天璋院・篤姫は、今和泉(いまい
ずみ)・島津家の娘として、於一(おか
つ)という名の 女性が摩薩藩(現・鹿
児島県)で誕生する。 その後、天璋
院・篤姫は、摩薩(藩)で、成長する。
● TKKI カナヤマ著 天璋院・篤姫
ガイドブック。
■ 1844年 ● 弘化改元。
(天保15年) 1844年12月2日に、和暦の
(弘化 元年) 「天保」(てんぽう) が、 「 弘化」
(こうか、弘化元年・1844年・12
月2日〜弘化5年・1848年・2月
28日) に改元される。
■ 1848年 ● 嘉永改元。
(嘉永 元年) 1848年2月28日に、和暦の「弘化」(こ
うか)が、 「嘉永」(かえい、嘉永元年・18
48年・2月28日〜嘉永7年・1854年・11
月27日) に改元される。
■ 1851年 ● 1851年2月、島津斉彬(なりあきら)が、
(嘉永 4年) 11代薩摩藩主となる。
■ 1853年 ● 篤姫( あつひめ、於一(おかつ))が、薩
(嘉永 6年) 摩藩主・島津家本家の養女となる。
篤姫は、島津篤子 (しまづ あつこ)、篤
姫(あつひめ) と称す。篤姫(於一) は、島
津斉彬(しまづなりあきら)の養女となる。
■ 1853年 ● 徳川 家定 (いえさだ、将軍在任1853
(嘉永 6年) 〜58年、家慶の四男)が、 江戸幕府・第
13代将軍となる。
● これ以後、 家定は体が弱かったため、
次期14代将軍継嗣(けいし)問題が起こり、
日本各地で、 雄藩連合政治を望み次期
14代将軍に一橋慶喜(ひとつばし よしの
ぶ、水戸藩出身一橋家当主)を擁(よう)す
る、一橋派 と、 徳川独裁政治を望み次期
14代将軍に徳川 慶福(よしとみ、紀伊藩藩
主)を擁する、紀州派(南紀派) とが、対立
する (1853年〜1859年頃)。
■ 1853年 ● 1853年6月、アメリカのペリー艦隊が日
(嘉永 6年) 本来航。 開国を要求。
■ 1853年 ● 江戸幕府の老中首座・阿部正弘が、挙国
(嘉永 6年) 的な対策を立てようと、開国について、諸大
名や色々な人物に、意見を求めたため、 こ
れ以後、日本各地で、 外国勢力を武力で
追い払うことを主張する、尊皇(王)攘夷派
(じょういは) と、 開国し外国勢力と協力し
て、先進の西洋文化を採り入れて国を発展
させることを主張する、開国派(かいこくは)
とが対立する (1853年〜1867年頃)。
■ 1853年 ● 1853年8月、江戸幕府の老中首座・阿
(嘉永 6年) 部正弘(まさひろ)と島津斉彬の話し合い
で、 篤姫の輿入(こしい)れが決まる(内定
する)。
● 篤姫(島津篤子)、鹿児島の薩摩藩・鶴松
城より移動し、 薩摩藩・江戸藩邸へ移る。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1853年 ● 前水戸藩主で、水戸藩の実権を握る、徳
(嘉永 6年) 川斉昭 (なりあき)が、幕政参与(幕府の政
治顧問、1853〜57年) となる。
■ 1854年 ● 1854年3月、日米和親条約締結。
(嘉永 7年) 日本開国。
● 1854〜55年に、幕府・老中首座・阿部
正弘は、 欧米列強の米英露蘭と和親条約
を締結する。
■ 1854年 ● 1854年4月、西郷隆盛は、 島津藩主・
(嘉永 7年) 島津斉彬(なりあきら)の庭方役となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1854年 ● 西郷隆盛が、島津斉彬に抜擢されて江
(嘉永 7年) 戸に赴(おもむ)き、篤姫(あつひめ、島津
篤子、近衛敬子) の、輿入れの支度係
(1854〜1856年)、 篤姫(島津篤子、
近衛敬子)との連絡係 (1854〜1859
年) となる。
■ 1854年 ● 安政改元。
(安政 元年) 1854年11月27日に、和暦の「嘉永」
(かえい)が、 「安政」 (あせんい、安政
元年・1854年・11月27日〜安政7年・
1860年・3月18日) に改元される。
□ 日本史辞典 ・日本語版へ。
#atsuhimedetailedchronology-1856
■ 1856年 ● 篤姫(島津篤子)、近衛家の養女となる。
(安政 3年) 近衛家当主・近衛 忠熙(このえ ただひろ)
の養女となる。 篤姫 は、近衛 敬子(こ
のえすみこ) と 称す。
■ 1856年 ● 1856年11月、篤姫 (あつひめ、近衛
(安政 3年) 敬子 (このえすみこ、一橋派)、江戸城・大
奥に入る。
■ 1856年 ● 1856年12月、薩摩藩出身の篤姫(近
(安政 3年) 衛敬子) が、 家定(いえさだ)と婚礼の式
を挙げ、 13代将軍・徳川家定(いえさだ)
の正室の夫人となる。
■ 1857年 ● 1857年6月、老中・阿部正弘 (まさひ
(安政 4年) ろ、一橋派の中心人物、篤姫(島津篤子、近
衛敬子) の輿入れを求め、バックアップした)
が急死する。
■ 1857年 ● 徳川斉昭(なりあき、一橋派) が、幕政
(安政 4年) 参与を辞する。
■ 1858年 ● 1858年4月、家定が、井伊直弼(なお
(安政 5年) すけ、南紀派) を大老に任命する。
■ 1858年 ● 1858年5月、次期14代将軍が、紀州
(安政 5年) 藩主・徳川慶福 (よしとみ、後の家茂(い
えもち))に決定する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1858年 ● 篤姫(近衛敬子)、 徳川慶福(家茂)の
(安政 5年) 養母(義母) となる。
篤姫が、家茂夫妻と形式的に、養子縁
組をする。
■ 1858年 ● 1858年6月、日米修好通商条約締結。
(安政 5年) ● 安政の5カ国条約締結。 1858年6月〜
9月に、幕府・大老・井伊直弼(なおすけ)は、
勅許を得ず、欧米列強の米蘭露英仏と不平
等な「安政の5カ国条約」(修好通商条約)を
締結する。
■ 1858年 ● 1858年7月、篤姫(近衛敬子)の夫の将
(安政 5年) 軍・徳川家定が、急死する。 家定死後、篤
姫(敬子)は、落飾して、天璋院(てんしょうい
ん)と 称す。
■ 1858年 ● 1858年7月、島津斉彬(なりあきら、一
(安政 5年) 橋派)が、急死する。
■ 1858年 ● 1858年9月、安政の大獄(1858〜59、
(安政 5年) 一橋派、反井伊勢力の一掃)が始まる。
■ 1858年 ● 1858年12月、徳川家茂(いえもち、慶
(安政 5年) 福) が、幕府14代将軍となる。 篤姫(天
璋院)は、将軍家茂の義母となる。
■ 1859年 ● 1859年1月、篤姫(天璋院)の盟友、一
(安政 6年) 橋派の同志の、西郷隆盛 が、南紀派の幕
府大老・井伊直弼の目を逃れるため、死ん
だこととし、奄美大島に潜居(潜伏生活)する
(〜1862年1月)。 後に、西郷は、そこで
島娘と結婚する。
■ 1859年 ● 篤姫(天璋院)の盟友、一橋派の一橋(徳
(安政 6年) 川)慶喜が、南紀派の幕府大老・井伊直弼よ
り、 隠居謹慎処分をうける(〜1860年)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1859年 ● 島津久光(忠教) が、 島津茂久(忠義)
(安政 6年) の実父として、12代藩主・島津茂久(忠義)
の後見人となり、 薩摩藩の実権を握る。
(1859年〜1871年の間)。
■ 1860年 ● 万延改元。
(万延 元年) 1860年3月18日に、和暦の「安政」(あ
んせい)が、 「万延」(まんえん、万延元年・
1860年・3月18日〜万延2年・1861年・
2月19日) に改元される。
■ 1860年 ● 1860年3月、桜田門外の変。 大老・井
(万延 元年) 伊直弼が、暗殺される。
● これ以後、 江戸幕府は公武合体政策
をすすめ、 尊皇攘夷派・急進派 と 公
武合体派・佐幕派 とが対立する (19
60年〜186 4年頃)。
■ 1860年 ● 1860年11月、皇女 和宮(こうじょ か
(万延 元年) ずのみや)と将軍家茂との結婚が決定(公
武合体政策のため)。
□ 日本史辞典 ・日本語版へ。
#atsuhimedetailedchronology-1861
■ 1861年 ● 文久改元。
(文久 元年) 1861年2月19日に、和暦の「万延」(ま
んえん) が、 「文久」 (ぶんきゅう、文久
元年・1861年・2月19日〜文久4年・18
64年・2月20日) に改元される。
■ 1861年 ● 1861年10月、和宮が江戸に下る
(文久 元年) (公武合体の政策のため)。
■ 1862年 ● 1862年2月、江戸幕府将軍・徳川家茂
(文久 2年) と 孝明天皇の妹・皇女・和宮の婚儀が為
(な)される (公武合体の政策のため)。
1862年2月に和宮が江戸城に到着。
将軍・家茂と皇女・和宮の婚儀挙行。 婚儀
後、 篤姫(天璋院)は、家茂正室・和宮と 対
立する。 その後、2人は、徐々に和解して
いく。
■ 1862年 ● 小松 帯刀(たてわき)が、 薩摩藩の家
(文久 2年) 老となる。
■ 1862年 ● 薩摩藩の実権を握る、島津久光は、幕政
(文久 2年) 改革をめざして、 兵を率いて、京(都)へ上
京し、朝廷の承認を得て、勅使に随行して、
江戸に下向し、幕府と交渉し、幕政改革を承
諾させる。
■ 1862年 ● 幕府は、文久の改革(幕政改革)を実施。
(文久 2年) 幕府は、一橋慶喜を幕府の将軍後見職に、
松平春嶽を幕府の政治総裁職に就任させる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1862年 ● 生麦事件起こる。 島津久光の江戸から
(文久 2年) 京(都)への帰途、生麦村で、 薩摩藩士が、
島津久光の大名行列を横切った、イギリス
人を斬る。
■ 1863年 ● 1863年3月、14代将軍・徳川家茂上
(文久 3年) 洛(将軍上洛230年ぶり)。
家茂は、京(都)に、4ヶ月程、滞在し、
江戸へ戻る。
■ 1863年 ● 1863年7月、薩英戦争。 戦後、薩摩
(文久 3年) 藩は、イギリスと親密となる。
■ 1864年 ● 元治改元。
(元治 元年) 1864年2月20日に、和暦の「文久」(ぶ
んきゅう)が、 「元治」 (げんじ、元治元
年・1864年・2月20日〜元治2年・186
5年・4月7日) に改元される。
■ 1864年 ● 1864年8月、幕府、第1次長州征討
(元治 元年) (1864年8月〜12月) 開始。
■ 1864年 ● 1864年11月、長州藩は、幕府に屈服
(元治 元年) し、幕府に対し恭順(きょうじゅん)の態度を
とった。 1864年12月に、幕府軍は、 引
き揚げる。
■ 1864年 ● 1864年12月、長州藩で、高杉晋作(た
(元治 元年) かすぎしんさく)が、奇兵隊を率いて、幕府
に恭順した保守派を退(しりぞ)け、長州藩
の藩論を、討幕へ転換させた。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕
派 と 公武合体派・佐幕派 とが対立する
(1864〜1866年頃)。
■ 1865年 ● 慶応改元。
(慶応 元年) 1865年4月7日に、和暦の「元治」(げ
んじ)が、「慶応」 (けいおう、慶応元年・
1865年・4月7日〜慶応4年・1868年・
9月8日) に改元される。
■ 1866年 ● 1866年1月、薩長同盟成立。 薩長の
(慶応 2年) 反幕府政治・軍事同盟の密約。
● これ以後、日本各地で、 尊皇(王)討幕
派 と 公議政体派・佐幕派 とが対立する
(1866〜1867年頃)。
■ 1866年 ● 1866年5月、幕府は、欧米列強と改税
(慶応 2年) 約書(かいぜいやくしょ)に調印。
■ 1866年 ● 1866年6月、幕府は、長州に対し、第
(慶応 2年) 2次長州征討(1866年6〜7月)を開始。
● 第2次長州征討で、龍馬は、長州藩海軍
を支援する。
■ 1866年 ● 1866年7月、幕府将軍・徳川家茂死去
(慶応 2年) (病死)。 第2次長州征討、中止となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1866年 ● 1866年12月、徳川慶喜(よしのぶ)、
(慶応 2年) 幕府15代将軍となる。 和宮と共に、篤姫
(天璋院)は、慶喜の大奥改革に反対する。
■ 1866年 ● 1866年12月、倒幕を好まず、公武合
(慶応 2年) 体論の立場をとる、孝明天皇が急死する。
■ 1867年 ● 1867年1月、睦仁(むつひと)天皇 (明
(慶応 3年) 治天皇) が、即位(事実上即位)。
■ 1867年 ● 1867年10月、幕府は、大政奉還。
(慶応 3年)
■ 1867年 ● 1867年12月、王政復古のクーデター
(慶応 3年) と 新政府の樹立。
● 1867年12月9日、 王政復古の大号
令と小御所会議 により、幕府排除の王政
復古と 近代日本政府 (明治新政府、天皇
親政政府) 樹立 となる。
■ 1868年 ● 1868年1月、鳥羽伏見の戦い。
(慶応 4年) 戊辰(ぼしん)戦争(1868〜69年)が始
まる。
■ 1868年 ● 1868年4月、江戸城無血開城。 討幕軍、
(慶応 4年) 江戸城入場。 篤姫(天璋院)は、東京の一
橋邸へ移る。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1868年 ● 明治改元。 1868年9月8日に、和暦
(明治 元年) の「慶応」(けいおう)が、「明治」 (めいじ、
明治元年・1868年・9月8日〜明治45年・
1912年・7月30日) に改元される。
■ 1883年 ● 篤姫(天璋院)、東京の一橋邸で死去。
(明治16年) 享年48歳。
□ 日本史辞典 ・日本語版へ。
『 あなたのハートには
何が残りましたか? 』。
以 上。