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カナヤマ 日本歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 て 』
No.4140。
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□ 日本史 辞典 (総合)。
□ て ● 事柄順。
〇 てら 寺田屋事件 (てらだやじけん)。
○ 1862年と1866年に寺
田屋で発生した事件。
○ 幕末の、1862年、1866
年に、京(都)伏見の船宿(ふな
やど)・寺田屋 で、発生した、2
つの「寺田屋事件」。
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◆ 日本史辞典。
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■ 寺田屋事件
(てらだやじけん)。
■ 寺田屋事件。
■ 時期 : 1862年(文久2年)4月、1866年(慶応2
年)1月。
■ 名称 : 寺田屋事件(てらだやじけん)。
■ 1862年(文久2年)4月に京(都)伏見の寺田屋で起
きた、尊王攘夷派・急進派志士が殺傷された寺田屋事
件。
■ 1866年(慶応2年)1月に寺田屋で起きた、坂本龍
寺田屋事件。
■ 寺田屋は、 幕末の京(都)の船宿(ふなやど)。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 寺田屋(てらだや) は、 薩摩藩御用達の船宿。
また、 薩摩藩の京都での定宿。
■ 寺田屋 は、 尊王攘夷派のたまり場だった。
■ 寺田屋女将(おかみ)のお登勢(おとせ)は、敏腕で、
世話好きで、 尊王攘夷派の志士の面倒をよくみてい
た。
■ 寺田屋で起こった、2つの「寺田屋事件」。
■ 寺田屋事件は、 1862年(文久2年)4月に寺田屋で起きた、
尊王攘夷派・急進派志士が殺傷された事件 である。
■ 寺田屋事件は、 1866年(慶応2年)1月に寺田屋で起きた、
坂本龍馬と三吉慎蔵(みよししんぞう)を幕吏(ばくり)が襲った
事件である。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 寺田屋事件は、 1862年(文久2年)4月に寺田屋で起きた、
多くの薩摩藩士を含む尊王攘夷派 ・急進派志士が殺傷された事
件 (主に薩摩藩の内輪争いの事件) である。
@ 多くの薩摩藩士を含む有馬新七ら尊王攘夷派・急進派は、 薩
摩藩主の父・島津久光の入京を機に挙兵倒幕を企(くわだ)てた。
A 寺田屋に、多くの薩摩藩士を含む有馬新七ら尊王攘夷派・ 急
進派の同志が、集合し会合をもった(集結した)。
B 公武合体派の(公武合体論をとる)島津久光は、これを知り、
鎮撫(ちんぶ)のため、 その会合へ、家臣の薩摩藩士を派遣し
た。
C 多くの薩摩藩士を含む有馬新七ら尊王攘夷派・急進派の志士
は、これに従わず(鎮撫の薩摩藩士の説得に応じず)、乱闘とな
り、 有馬新七らは、殺傷された。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1866年(慶応2年)1月に寺田屋で起きた、坂本龍馬と三吉
慎蔵を幕吏(ばくり)が襲った寺田屋事件。
@ 幕府では、薩摩と龍馬の動きを注視して、伏見奉行所が、寺
田屋を監視していた。
A 薩長同盟交渉のため、京(都)へ入った龍馬は、長府(長州)
藩藩士の三吉慎蔵と共に、寺田屋で宿泊していた。 長府藩は、
長州藩の支藩である。
B 1866年(慶応2年)1月に、薩長同盟が成立した。
C その後、 龍馬は、寺田屋に戻り、三吉と祝杯をあげてい
た。 そこを、幕吏の伏見奉行所の捕手たち(捕り方)が襲った。
D 変異に最初に気づいたのは、1階で風呂に入っていた、お
龍(おりょう、楢崎龍)であった。 当時、お龍は、寺田屋女将
のお登勢(おとせ)の世話になり、 女中として寺田屋で働いて
いた。
E お龍は、慌(あわ)てて衣類をはおい、2階に上がり、竜馬に
敵が襲ってきたことを知らせた。 龍馬は、ピストルを手に、三吉
は槍(やり)を手に構え、応戦し、龍馬は、左手などを負傷した。
2人は、 敵がひるんだ隙(すき)に寺田屋を脱出した。
● お龍は、1階で、風呂に入っていたが、気づいて、 風呂から
出て、衣類をまとい (裸のままではなく、濡れ肌で袷を1枚ひっ
かけて)、2階へ上がり、 龍馬に危機を知らせ、 龍馬を救った。
F 追っ手をかわし逃げる途中で、負傷して動けなくなった龍馬は、
材木小屋に身を隠し、三吉を薩摩藩邸へ通報に向かわせた。
G お龍は既に、敵の急襲を知らせるために薩摩藩邸に到着して
いた。 薩摩藩邸に到着した三吉の案内で、薩摩藩は、すぐに、
船をだし、材木置き場に隠れていた龍馬を救出した。 こうして、
龍馬と三吉の2人 は、薩摩藩邸に逃げ込んで、 難を逃れた。
H 「寺田屋」女将のお登勢 は、 幕吏の追及にも堂々と応じ、
しらを切り通し、幕吏は、お登勢から情報を引き出すことはでき
ず、 この時、幕吏は、龍馬を捕らえることはできなかった。
● 寺田屋事件の詳細は、「三吉慎蔵日記抄録」に書かれている。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 「寺田屋」を、薩摩藩が定宿(じょうやど)としていた関係で、 幕
末に、 「寺田屋」に龍馬をはじめ多くの志士が出入りするように
なる。
■ 寺田屋は、 幕末の京(都)の船宿(ふなやど) である。
■ 寺田屋(てらだや) は、 薩摩藩御用達(ごようたし)の船宿で
あった。 また、 薩摩藩の京都での定宿(じょうやど)であった。
■ 寺田屋 は、 尊王攘夷派のたまり場だった。
■ 幕末当時の寺田屋の建物は、鳥羽伏見の戦い(1868年1月)
の兵火で焼失した。
■ お登勢 (おとせ) は、 京(都)の船宿(ふなやど)・寺田屋
の女将(おかみ) で、 2つの「寺田屋事件」が起きた寺田屋の
女性経営者 である。
● 船宿(ふなやど) は、 船による運送を業とする家 である。
■ 寺田屋女将(おかみ)のお登勢(おとせ)は、敏腕で、世話好
きで、 尊王攘夷派の志士の面倒をよくみていた。
■ 敏腕な、お登勢 は、 世話好きで知られ、 寺田屋には、多
くの尊王攘夷派の志士が集まり、 寺田屋は、 尊王攘夷派の
たまり場であった。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 2件の事件とも、 「寺田屋」女将のお登勢は、事件に冷静に
対応し、事件の後処理をした。
■ お登勢 は、 坂本龍馬の支援者 であった。
■ 坂本龍馬 は、 薩摩藩の紹介(西郷隆盛などの紹介)で、お
登勢とよしみを通じ た(懇意にするようになった)。 龍馬は、寺
田屋の女将のお登勢に気に入られて、 寺田 屋を京(都)の定宿
(じょうやど)として利用し、 母のように親しんでいた。
■ お登勢 は、 龍馬の活動に協力し、 龍馬の頼みでお龍(お
りょう、楢崎龍)の面倒もみた。
#teradayaincident-appearingscenes
♪♪ 寺田屋事件 が登場する、面白く、興味深
い、ドラマ、映画、ドキュメンタリー。
★ 寺田屋事件 が登場する、面白く、興味深い、
ドラマ、映画。
● (注意) ドラマ、映画は、フィクション です。 歴史のド
ラマ、映画 は、史実(歴史上の事実) と 架空の出来事
が 混じって描かれています。また、 現代風にアレンジし
てあります。
■ 『 龍馬伝 (りょうまでん) 』
(日本の2010年NHK大河ドラマ)。
■ 『 篤姫 (あつひめ) 』 (NHK2008年大河ドラマ)。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上