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 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 た 』。

 No.0221。

 

 

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〇 たい  大化の改新 (たいかのかいしん)

       (645〜654年)

 

 

□ 日本史 辞典 の 「た」 基本見出し語

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#ta

 

#thetaikareform

 

■ 大化の改新  

     (たいかのかいしん)。

 

■ 大化の改新。 

■ 期間 : 645年(大化元年) 〜 654年。 

■ 名称 : 大化の改新 (たいかのかいしん)、

  大化改新。

● 英名 : The Taika Reform。

■ 飛鳥白鳳時代(あすかはくほうじだい、592

  〜710年)の政治改革。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典 61418。

 

 

■ 大化の改新とは、 有力豪族を排除し、 王族

  中心の中央集権政治をめざした改革で、 豪族

  による土地人民の私有と氏姓制度による官 職

  の世襲を取り除いて、 中央集権国家を作り上

  げようとした。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 大化の改新 (たいかのかいしん、大化改新)

  は、 飛鳥白鳳時代(あすかはくほうじだい、

  592〜710年)の政治改革で、 645 年(大

  化元年)から654年までの孝徳天皇(在位6

  45〜654年)時代の諸改革である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 中大兄皇子 (なかのおおえのみこ、後の

  天智天皇)、 中臣鎌足(なかとみのかまたり、

  後の藤原鎌足)が、中央集権化や律令制度

  の基礎の構築に着手し始める。 

● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

 

■ 豪族 (ごうぞく)とは、 地方の有力者である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 645年、初めて、倭国(わこく、日本)の年号 

  (日本暦) を定めた。 

    645年の乙巳の変(いっしのへん)後、中  

  大兄皇子(天智天皇)は、 645年を、大化元

  年とした。

● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

 

■ 大化の改新では、 中大兄皇子 (なかのお

  おえのみこ、後の天智 (てんじ)天皇)、中臣鎌

  足 (なかとみのかまたり、後の藤原鎌足)が、 

  乙巳の変(いっしのへん)で、 朝廷の実権を

  握る、有力豪族の蘇我氏の蘇我蝦夷(そがの

  えみし)、蘇我入鹿(そがのいるか)父子を滅

  ぼし、 孝徳(こうとく)天皇を擁立し、 中大

  兄皇子が、 朝廷の実権を握り、 政治改革

  に着手した。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 645年の乙巳の変(いっしのへん)。  

    中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原

  鎌足)のクーデター。

● 中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原

  鎌足)が、 朝廷の実権を握(にぎ)っていた

  蘇我氏の蘇我蝦夷・蘇我入鹿父子を殺害し、 

  代わって、中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌

  足(藤原鎌足)が、朝廷の実権を握った。

● 大王位(皇位)継承問題。

     蘇我氏の蘇我蝦夷、蘇我入鹿父子は、

  次期の大王(天皇)に、中大兄皇子以外の

  蘇我氏系の皇子・古人大兄王(ふるひとの

  おおえのおう)を、擁立しようと考えていた。 

     蘇我氏の意にならず、蘇我氏系でもな

  い、大王位(天皇)継承候補の、中大兄皇子

  は、 朝廷の実権を握っていた蘇我氏の蘇

  我蝦夷・蘇我入鹿父子にとって邪魔であり、 

  蘇我蝦夷・蘇我入鹿父子により暗殺される

  可能性があった。 

    次期の大王位(皇位)継承もできず、また、

  いつ殺されるかわからない、中大兄皇子は、

  蘇我氏の分家で軍事力をもつ、蘇我倉山田

  石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)

  の娘を嫁にもらい、 中臣鎌足(後の藤原鎌

  足)や軽皇子(かるのみこ、後の孝徳天皇)

  を味方につけ、 先手を打って、蘇我蝦夷・

  入鹿父子を殺害した。 

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 645年(大化元年)に、 中大兄皇子(なか

  のおおえのみこ、軍事力なし、後の天智天

  皇) が、 蘇我倉山田石川麻呂 (蘇我氏

  分家で軍事力をもち、中大兄皇子の夫人の

  父、生没年? 〜649年)、 中臣鎌足 (な

  かとみのかまたり、神官職で軍事力なし、後

  の藤原鎌足) らの協力を得て、 宮中で、皇

  極(こうぎょく)天皇(女帝)の御前で、 蘇我

  入鹿 (そがのいるか、豪族の一人、大軍事

  力をもつ、生没年?〜645年) を殺害し、そ

  の後すぐ、 蘇我入鹿の父の蘇我蝦夷 (そ

  がのえみし、生没年?〜645年)の館(やか

  た)を急襲し、 蘇我蝦夷を自殺させた。 そ

  の結果、 中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足

  (藤原鎌足) が、 朝廷の実権を握った。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

■ 645年の乙巳の変(いっしのへん)後、 中

  大兄皇子(後の天智天皇)、中臣鎌足(後の 

  藤原鎌足) が、 中央集権化や律令制度の

  基礎の構築に着手し始める。 

    中大兄皇子(天智天皇)、中臣鎌足(藤原

  鎌足) は、氏姓制度から律令制度の基礎へ

  の転換をめざした。

    しかし、 蘇我氏以外の日本の各豪族の

  勢力を弱めることは容易なことではなかった。

● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

 

■ 618年に建国した中国の唐は、 朝鮮半島

  の新羅(しらぎ、4C.半〜935年)と組んで、 

  朝鮮半島の百済(くだら、4C.半〜660年)、

  高句麗(こうくり、?〜668年)を攻め、 倭

  国(わこく、日本)と友好関係にあった百済 

  (くだら)は660年に滅び、 中大兄皇子

  (天智天皇)は、唐の倭国(日本)への侵略

  を恐れた。 

    そのため、 中大兄皇子 (626〜671

  年、天智(てんじ)天皇・在位668〜671年) 

  は、 中国の唐の勢力を抑えるため、 663

  年に、百済(くだら)復興をめざし、 倭国(わ

  こく、日本)と旧百済残存勢力 が、 唐・新

  羅連合軍と戦い、 決戦の「白村江 (はくそ

  んこう、はくすきのえ) の戦い」が起こり、惨

  敗した。

    倭国(わこく、日本)の敗戦後、 中大兄 

  皇子(天智天皇)は、 中国の唐の侵入に備

  え、倭国(日本)の防備を固め、 唐の技術、

  文化をより積極的に採り入れることにも努力

  する。

    中大兄皇子(天智天皇)は、 667年に、

  都を、近江大津宮(おうみおおつのみや)に

  移し、 668年に、天智天皇(てんじてんのう) 

  として即位した。

● TKKI カナヤマ著 日本史 辞典。

 

■ 671年に、天智(てんじ)天皇 (在位668

  〜671年、中大兄皇子)が 崩御(ほうぎょ、

  死去)し、 672年に、 天智天皇(中大兄皇

  子)の弟の大海人皇子(おおあまのみこ、後

  の天武天皇、631?〜686年) と 天智天

  皇(中大兄皇子)の子の大友皇子(おおとも

  のみこ、648〜672年)の間で、 壬申の乱

  (じんしんのらん)が起こり、 大海人皇子が

  勝利を得る。 672年の壬申の乱後、 翌年

  673年に、大海人皇子は、 飛鳥浄御原宮

  (あすかきよみはらのみや)で、天武天皇(て

  んむてんのう)として即位した。 

    壬申の乱で大友皇子の近江朝廷(おうみ

  ちょうてい)に味方した有力中央豪族が没落

  し、 強力な権力を手にした、天武天皇は、朝

  廷の実権を握り、 政治改革を本格的に実施

  し、 天武天皇時代(在位673〜686年)か 

  ら、 中央集権化(中央集権的国家体制の形

  成)、律令制度の基礎が進んだ (本格的に形

  成され始める)。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

◆ 深読み日本史。

■ 中臣鎌足 (後の藤原鎌足、藤原氏の祖)の

  構想、戦略。

    中臣鎌足 (後の藤原鎌足、藤原氏の祖、

  614〜669年) は、飛鳥・白鳳時代に、神

  官職の出身で、 当時は、軍事力を持っては

  いなかった。

    中臣鎌足は、 日本を平和で豊かな国に

  するためには、 争いが絶えない豪族連合政

  権の飛鳥・白鳳時代(592〜710年)にあっ

  て、 富国強兵の強力な中央集権国家をつく

  る必要があると考え、 大王(おおきみ、だい

  おう、天皇)を中心とする強力な中央集権国

  を家つくることをめざした。 天皇家の軽皇子

  (かるのみこ、後の孝徳天皇、597〜654年、

  天皇在位645〜654年、皇極(こうぎょく)

  天皇(女帝)の弟) や 中大兄皇子 (なか

  のおおえのおうじ、後の天智(てんじ)天皇、

  皇極天皇(女帝)の子、626〜671年、

  位668〜671年) に近づき、彼らと組んで、 

  強力な中央集権国家をつくることをめざし、 

  中臣鎌足(藤原鎌足)の子(次男)の藤原不

  比等(ふじわらのふひと、659〜720年)が、 

  その意志を受け継ぎ、701年に、大宝律令

  (たいほうりつりょう)を制定して、律令(りつり

  ょう)制度つくり、 強力な中央集権国家を

  実現させた。

● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。

 

 

♪♪ 大化の改新 が登場する、興味

 深い、ドラマ、映画、ドキュメン タリー。

 

★ 大化の改新 が登場する、興味深

  い、ドラマ、映画。

● (注意) ドラマ、映画は、 フィクション です。 

  歴史のドラマ、映画 は、 史実(歴史上の事

  実) と 架空の出来事 が 混じって描かれ

  ています。 また、 現代風にアレンジしてあり

  ます。

 

■ 『 大化改新 (たいかのかいしん) 』 。 

   (NHKテレビ・2005年・本放送・

   古代史ドラマスペシャル)。

● 中大兄皇子 (なかのおおえのみこ、皇極

  天皇の息子、後の天智(てんじ)天皇)を

  じた俳優 : 小栗旬。

● 中臣鎌足(なかとみのかまたり)を演じた

  俳優 : 岡田 准一 (おかだ じゅんいち)。

 

● 皇極天皇 (こうぎょくてんのう、宝皇女(た

  からのひめみこ)を演じた女優 : 高島礼子。

● 軽皇子(かるのみこ、皇極天皇の弟)を演

  じた俳優 : 吹越 満。

● 蘇我蝦夷(毛人)(そがのえみし)を演じた

  俳優 :  原田芳雄。

● 蘇我入鹿(そがのいるか)を演じた俳優 : 

  渡部 篤郎。

● 蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだの

  いしかわまろ)を演じた俳優 :  伊武雅刀。

● 山背大兄王 (やましろのおおえのおう)を

  演じた俳優 : 山口 祐一郎。

 

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上