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平頂山事件・関連資料

ビデオ「未だ癒えぬ傷 〜平頂山事件 生存者の今〜」

(2005年 23分 2500円(ビデオ2000円+送料500円) 上映権付き

平頂山事件とは、1932年に日本軍が中国で行った住民虐殺です。
多くの住民が虐殺された中で、生存者はごくわずか。その中の3人が日本政府を相手に裁判をおこしています。このビデオは、裁判官に事件の現場と生存者の今もなお続く苦しみを知ってもらうために作られ、東京高等裁判所の最終弁論(2005年2月18日)の時に法廷で放映されました。(判決は2005年5月13日に言い渡されました。)

平頂山事件

1932年9月15日夜、満鉄が経営していた中国東北部の撫順炭坑を抗日軍に襲撃されたことへの報復として、翌16日に、日本軍が平頂山の住民を虐殺した事件。 日本軍は住民を一カ所に集め、機関銃掃射した後に、生存者がいれば銃剣で刺し殺した。その後遺体に石油をまいて焼却し、さらにダイナマイトで崖を爆破して死体の山を埋め、事件を隠蔽した。現場は発掘され「平頂山殉難同胞遺骨館」として展示されている。

生存者の生活

1932年、楊宝山さんは10歳だった。家族を殺され住むところも失った。「学校に行っていないから読めない字があるんだよ。」と新聞を持ち切なそうに笑う。楊さんは足を引きずるように歩く。事件の時脇腹に受けた銃弾は、2年後右足から出てきた。その傷が年をとるごとに痛み、膝のサポーターはかかせない。手術をしても治らない。

事件で家族を奪われ、自らも傷を負い、小学生位の年齢でたった一人で生きていかなければならなかった生存者たち。70数年もの間、心と体の傷に苦しめられてきた。

監督・撮影・編集 高部優子
企画・協力 平頂山事件弁護団
ナレーター 遠藤理
反訳・字幕 吉原雅子 向蕾蕾
撮影(2000年) 豊田直巳

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