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平頂山事件訴訟 東京地裁 判決に対する弁護団声明

2002年6月28日

1 本日午前11時、東京地方裁判所民事第10部(菊池洋一裁判長)は、戦前の日本軍による虐殺事件として有名な『平頂山事件』の生存者が国に損害賠償を求めていた事件について、原告らの主張を退けて敗訴の判決を言い渡した。

2  平頂山事件とは、1932年9月16日、中国東北部の撫順市近郊にある平頂山集落において発生した住民虐殺事件である。当時平頂山集落には老若男女含 めて約3000名の住民が生活していたと言われるが、日本軍は住民らを崖下の一箇所にかり集め、数台の機関銃で一斉掃射した後に生存者がいれば銃剣で刺し て回ってとどめを刺し、遺体にガソリンをまいて焼却したうえで、最後は崖に爆薬を仕掛けて遺体の隠滅を図った。この現場は現在発掘され、『平頂山殉難同胞 遺骨館』として展示されている。またこの事件は、その後の中国における日本軍の残虐行為の先駆けとして、中国においては非常に有名なものとなっている。

3  本件の原告は、莫徳勝・楊宝山・方素栄の三名である。原告らは、いずれも事件現場に居合わせたが、親族に身を呈して庇われるなどして奇跡的に生き残る ことができた。しかし、幼少のみぎりに家族や家屋を一瞬にして奪われ天涯孤独の身となっただけでなく、平頂山の生き残りであることが日本軍に発覚すれば殺 されたため、事件後においても自らの出自すら語ることができないという苦難の生活を余儀なくされた。このように甚大な被害を被った三名が、それぞれ金二千 万円の損害賠償を求めて、日本政府を被告とし1996年8月14日に提訴したのがこの事件である。

4 本件について東京地裁民事第10部は、原告らの被った甚大な被害について事実認定を行った。平頂山事件の事実を我が国の裁判所が認定したのは初めての ことである。国は、戦前においてはこの事件の隠蔽を行い、戦後においては事件を無視してきた。そして本訴訟においても国は、「事実の認否」すら行わないと いう不誠実かつ卑劣極まりない対応に終始してきた。これに対して本判決が事実を正面から認定した点については、評価できるものである。

5  しかしながら本判決は、戦前の国の行為には責任を問うことができないという『国家無答責の原則(公権力無責任の原則)』を唯一の根拠として原告らの請 求を棄却した。この『国家無答責の原則』は、戦前の国家主義・帝国主義の残滓とも言うべき非人間的な制度であり、このような不当な制度を根拠とした原告敗 訴の判断は、本件原告らは言うまでもなく、普遍的な平和主義・人権主義の流れが確立されつつある今日において、世界の諸国民を納得させることは到底あり得 ない。

6 平頂山事件が発生した直後の1932年11月ごろから、この事件は当時の国際連盟でも問題にされたが、日本政府は事件の真相を知りながらこれを否定す る対応を行った。しかしながら、今回日本の裁判所によって平頂山事件の事実が公的に認定された以上、日本政府は国際社会においても、この事件に対しどのよ うに責任を取るべきかが強く求められているものというべきである。

7 本判決が言い渡された今年は、奇しくも平頂山事件発生後70周年にあたり、かつ日中国交回復30週年の年でもある。事件後70周年となる本年9月16 日には、中国の撫順市が主催する『平頂山惨案殉難者70周年記念大会』が10000人規模で執り行われることがすでに予定されている。裁判所が原告らの請 求を棄却したとしても、中国人がこの事件を忘れ去ることはあり得ず、本判決が問題の解決をもたらすものでないことはあまりにも明白である。私たち弁護団も この『70週年記念大会』に来賓として招待されているが、国際的な普遍性のないこのような不当判決を報告しなければならないことは、日本国民の一員として 誠に恥ずかしく、慚愧に耐えない思いである。

8 今回の判決に対し、原告らは当然控訴して争う所存である。しかしそれだけでなく、平頂山事件の事実が認定されたことを一歩として、今後は国際社会にお いてこれを広く訴えて国際世論を喚起し、原告らを含む犠牲者並びにその遺族に対して日本政府が正式な謝罪と賠償措置を行うまでは、決して諦めることなく、 最後まで闘い続けることをここに強く表明して弁護団声明とする。

以上

 

 

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